自分の声で
クララ・ローゼンは、証言卓へ歩み出る途中で一度だけ足を止めた。
傍聴席には、彼女の公示を読んだ人がいる。病身の妹を虐げた令嬢だと信じ、噂を交わした人もいるだろう。彼女がいま浴びている視線は、私には想像することしかできない。
私は書記席から立つことができない。ただ彼女が机に置いた証拠の受領番号を、震えない字で記す。
「氏名と、第九十六号との関係を述べよ」
「クララ・ローゼンです。婚約解消公示第九十六号において、病身の妹を虐げ、婚約者の信義を失ったと記された被通知人です」
彼女は広間を見渡した。
「まず訂正を申し上げます。わたくしに妹はおりません。兄も姉もおりません。母は私を産んだ日に亡くなり、父も三年前に亡くなりました。病身の妹という人物は、この世のどこにも存在いたしません」
ざわめきが広間を走る。
「元婚約者のハインツ様は、父から継いだ薬草園を、ご自分の名で王太子殿下の施療事業へ貸し出すよう求めました。わたくしは、薬の品質を管理できなくなるため断りました。すると二週間後、婚約解消原本が作られました」
クララは、皺の残る手紙を法務卿へ差し出す。
「異議を申し立てれば、薬草園の管理適性も失ったものとして全権を取り上げる。王太子府仲裁室立会いのもとでそう通知され、私は黙りました。公示が町に貼られた後、園の薬草を買う施療師は半分になりました。病人を虐げた女の薬など使えない、と」
彼女の声は震えていた。だが、最後まで消えなかった。
「わたくしは婚約者を返してほしいのではありません。父が残した園と、妹を虐げてなどいない私の名を、返してほしいのです」
しばらく、誰も声を上げなかった。
続いて、アイナ・ベルク嬢の母親が証言に立つ。病床の娘に代わり、贈答目録と宝石箱を提出した。
「娘が浪費したとされた宝石は、婚約中に先方が贈ったものです。解消時、その価格を損害として請求され、葡萄畑の収益権を渡しました。娘は、自分が美しいものを喜んだせいで家を損なったのだと、今も鏡を見ようといたしません」
母親は箱を閉じ、アルバート殿下へ目を向けた。
「その収益が人助けに使われたと聞けば、娘は自分が我慢すればよいと言うでしょう。だからこそ申し上げます。人の善意につけ込み、罪を作って奪った金を慈善と呼ばないでください」
エルマ・ラウ嬢は、自分の足で堂々と卓へ立った。
「わたくしの罪は、家庭を顧みない野心です。理由は、商務府の試験に合格したことでした。元婚約者は、妻が官吏として上司になる可能性に耐えられないと、私へ直接申しました」
傍聴席の一角で、若い女性たちが息を呑む。
「ところが公示には、私が婚家の名誉より出世を選び、婚約者へ暴言を吐いたと記されました。工房契約の違約金まで取られました。私は職を得たため生きていけます。ですが、これを見過ごせば、次に試験を受けたい娘が、婚約を守るために諦めるでしょう」
彼女は私をちらりと見た。
「公示を清書した書記の方が、最初にご自分の嘘を読まれました。ですから、私も自分の嘘をここへ返しに来ました」
私は頭を下げることしかできなかった。
その後も、証言は続いた。
母の介護を続けたいと願ったため「浪費」とされた令嬢。婚約者の借金を指摘したため「冷酷」とされた女性。結婚後の相続地を手放さないと主張し「不貞」をでっち上げられた娘。
十一人の声が、銀墨で書かれた罪の上に重なっていった。
書面でのみ提出された証言も、法務官が要旨を読んだ。幼い子を育てるため再婚した女性は、過去の公示を今の家族へ知られる怖さから名を伏せたまま、同じ偽印の確認だけを望んだ。名を出さない声にも、紙は等しく番号を与え、審理卓へ残した。
王太子側の法務官は、事実確認が不足している、元婚約者本人を呼ぶべきだ、と反論した。法務卿は静かに答えた。
「当然、個別の再審理では双方を呼ぶ。しかし本日の問いは、このように異なる十一名の解消原本へ、なぜ同じ無登録印が押され、同じ仲裁人を経て、同じ基金が利益を得たかだ」
アルバート殿下の額に、初めて汗が浮かんだ。
私は最後の書面証言の束を抱えた。そこには来られなかった九人の声がある。そして一人、所在不明のまま声を上げられないベアトリスの原本もある。
「法務卿閣下。本人がこの場にいない第八十二号についても、偽印の照合対象から外さぬよう求めます。声がないことを、同意の証として扱わないためです」
クララが強く頷いた。
アルバート殿下は、もはや私ではなく国王陛下を見ていた。
「父上。女たちの不満に、王国の施策を潰させるおつもりですか」
その言葉で、広間の空気が変わった。




