表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翡翠の婚約指輪は風化しない  作者: くまくま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

翡翠の婚約指輪は風化しない

わたくしの名はエレノア・ド・カーヴェル。

かつてこの王国の未来を担う王太子、アラン殿下の婚約者でございました。

──ええ、“かつて”ですのよ。


今日、王城の大広間で殿下は宣言なさいました。

「エレノア、お前との婚約を破棄する。私はミリアナ嬢を真実の愛と信じる」


……あら、真実とはずいぶんと都合のよろしい言葉ですわね。

泣き崩れる令嬢もおりますけれど、わたくしは違います。

静かに一礼し、微笑んで申し上げました。

「ごきげんよう、殿下。どうぞ、お幸せに」


その瞬間のざわめきといったら。

皆が“悪役令嬢の暴走”を期待していたのに、肩透かしを食らった顔。

まったく、劇を観るなら脚本くらいきちんと仕上げてほしいものですわ。


婚約破棄の翌朝、わたくしは王都を発ちました。

行き先は、母方の叔父が治める辺境のカーヴェル領。

風の強い土地で、かつては豊かな鉱山で栄えたそうです。

もっとも今は、すっかり寂れてしまったとか。


侍女のサラが不安げに尋ねました。

「本当に、殿下に弁明なさらなくてよろしいのですか?」

「必要ありませんわ。殿下は、耳よりも“聖女の涙”に心を奪われているご様子ですもの」

そう答えると、サラは言葉を失いました。


馬車の窓から見える王都は、春霞に包まれていました。

この空の下でどれほどの噂が飛び交おうとも、もう関係ありません。

わたくしは“悪役令嬢”という名札を返上し、ただの女として新しい地に向かうのです。


辺境の町カーヴェルは、想像以上に荒れておりました。

鉱山は閉鎖され、働き手も去り、残ったのは埃と静寂。

しかし、叔父の屋敷の中だけはまだ気品がありました。


迎えてくれたのは、一人の青年。

灰色の外套をまとい、鋭い眼差しをした鉱夫あがりの青年でした。

「エレノア様ですね。私はライオネル。この屋敷の管理を任されております」


粗野ながらも誠実な物腰。

彼は鉱山の復興を諦めておらず、叔父の遺志を継ごうとしているのだと知りました。

「王都の令嬢には似合わない土地でしょうが……」

「ええ。でも、退屈ではなさそうですわ」

そう答えると、ライオネルの口元にわずかな笑みが浮かびました。


その夜、わたくしは書斎でひとり紅茶を飲みながら思いました。

“破滅フラグ”の後にも、物語は続く。

ならば、せいぜい楽しく生きて差し上げましょう。


日々は驚くほど穏やかに過ぎていきました。

鉱山の調査を手伝い、帳簿を整理し、領民と話す。

社交界の噂より、ひび割れた石の方がずっと正直ですわ。


ある日、崩落した坑道で古びた箱が見つかりました。

中には翡翠の指輪がひとつ。

かつて鉱山の繁栄を象徴したものだとか。


「これは殿下から贈られた指輪より、ずっと美しいですわね」

わたくしがそう言うと、ライオネルは目を見張りました。

「その言葉、冗談でなく聞こえます」

「冗談ではありませんもの。石は裏切りませんから」


わたくしは指輪を手のひらにのせて微笑みました。

翡翠の輝きは、まるで“誇り”そのもののように静かで強い。


それから半年。

王都から一通の手紙が届きました。送り主は王太子。

内容は──「殿下が病に伏し、あなたの帰還を望んでいる」。


まぁ、都合のよろしいお話ですこと。

かつて追放した相手に救いを乞うとは。

けれど、舞台に再び呼ばれたなら、せっかくですもの。

観客を楽しませて差し上げましょう。


舞踏会の夜、殿下は蒼白な顔で言いました。

「エレノア、あのときは間違っていた。どうか戻ってほしい」

「殿下。わたくしの手は、もう土に慣れてしまいましたの。

あなたの手より、鉱石を掘る手の方がずっと信頼できますわ」


会場に沈黙が落ちました。

わたくしは会釈して踵を返しました。

もう“悪役”の役目は終わりですもの。


春の風が吹くカーヴェルの丘で、わたくしは翡翠の指輪を磨いていました。

鉱山は再び動き始め、町には人々の笑い声が戻っています。


ライオネルが言いました。

「あの指輪はもう、あなたのものですね」

「いいえ。カーヴェルのものですわ。……でも、少しはわたくしの誇りでもあります」


紅茶の湯気が風に溶け、遠くで鐘の音が響く。

“ざまぁ”のあとの人生は、思いのほか静かで美しい。

わたくしは今日も微笑みます。

「ごきげんよう──翡翠の輝きに、乾杯を」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ