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逆さまの王  作者: ひじり
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【五章】

 翌朝、シイナは目を覚ますと、ふかふかのベッドの上にいた。

 空の旅を満喫し、古城へと戻ってきたシイナは、夢の世界に片足を踏み入れていた。よく憶えていないが、完全に眠りに落ちてしまう前に、リュウオが何事かを言っていたような気がする。なんと言われていたのだろうか。

「……うぅ、思い出せません」

 眠気を覚ますように背伸びをし、まだ働かない頭に鞭を打って思考を巡らせる。

 そんなシイナの許に、すぐ傍から声がかかった。

「なんじゃ、もう目が覚めたのか」

 その声が耳に届き、シイナは今までにないほど肩を揺らして驚いた。

 リュウオがいる方に視線を向ける。

「わたしは、……いえ、貴方はいつからそこにいたのですか」

「ずっとじゃ、汝が寝ておる間、その横で寝顔を見ておった」

 途端に、シイナの顔が赤くなる。それはもう見事に、真っ赤に染まっているではないか。

 唇を震わせて、何か言いたげな様子だが、それも言葉にならないほどに恥ずかしいのだろう。

「な、なんということを……」

「吾と共に寝るのは、そんなに嫌じゃったのか?」

 一段階、声の音を下げ、シイナに問い訊ねてみる。

 するとシイナは首を大きく振って否定した。

「……ち、がいます。そうではありません。ですが……、その、なんというか……っ」

 頭の混乱は、まだ収まりそうにない。

 シイナは思わぬ爆弾を投げつけられ、返答に困り果ててしまう。そんな状態に陥らせた張本人は、なんでもないことのように大きな欠伸を一つ吐いた。

「さあて、吾はこれから行かなければならぬ場所があるでな、汝には留守番を頼もうぞ」

「え、どちらに行かれるのですか」

 話の種を変えられ、ぼうっとした頭を冷やしながらもベッドから起き上がると、身支度を整え始めるリュウオの背中に訊ねてみた。

「エルバストロス大陸じゃ」

 ロギスタニア大陸から見て、東に位置する大陸の名を口にする。だが何故、今からエルバストロス大陸に向かわなければならないだろうか。

 その疑問を晴らすかのように、リュウオは更に言葉を続けた。

「東の魔を統べる王に、会いに行こうと思うてな……」

「……ミロクに、ですか?」

 東の大陸――エルバストロスを支配下に置くのは、ミロクという名の魔族だ。

 他の大陸には干渉しないのが暗黙とされているはずだが、リュウオはいったい何を仕出かそうと考えているのか。

「そうじゃ、汝の契約を破棄させようと思うておる」

 契約の破棄、とリュウオは言った。

 人間が魔力を得るためには、魔族と契約を結んで魔契約者になるしか方法はない。

 契約を結ぶことを決めた魔族が欲する代償を支払うことで、人間は一つを失い、そして一つの魔力を手に入れる。

 人間と魔族、両者の合意が得られなければ、契約は成立しない。また、それとは別に、魔族から魔力を貰い受ける代わりに、代償の支払いを誓った血の契約書に、本人であることを証明するために血判を捧げなければならないのだ。

 ノインはもとより、シイナもミロクとの契約を結んだとき、血の契約書に誓っていた。それを破棄させるために、リュウオはわざわざ東の大陸まで出向くと言っているのだ。

「血の契約書を破棄すればの、汝はもう二度と他者の行く末を視ずにすむのじゃ」

 ラヴィリンス家の呪縛から解き放たれるのは、それが叶った瞬間だ。

 リュウオはシイナの今後を見据えた上で、そうすることに決めたらしい。しかし、

「……でも、魔力を失ってしまえば……今度こそ、わたしには何一つ残りません……」

 魔力を手に入れるために支払った代償は、シイナの許に戻ってくることはない。

 占師としての魔力を失い、枷から抜け出せたとしても、一生を暗闇の中で過ごしていかなければならないのだ。

 身支度を終えたリュウオが後ろを振り向くと、シイナは俯いていた。魔力を失ってしまうことだけでなく、それから先に襲いくる不安を感じているのだろう。

「心配するでない、汝の傍についておるのは誰じゃと思うとるか」

 優しげな眼でシイナの姿を捉え、リュウオはベッドに腰掛ける。

「汝に誓おう、吾が死を迎えるそのときまで、吾は絶対に汝を一人にはさせんとな」

 死期は、意外にも早く訪れるかもしれない。

 けれどもリュウオは、あえてそのことには触れなかった。そしてシイナもまた同じ気持ちだ。

「……だとすれば、貴方が言っていることには矛盾が生じます」

 弱みを見せるのは止めよう。シイナは自身に言い聞かせると、リュウオの顔を見上げた。

「矛盾じゃと? ……なんじゃ、それは」

「わたしを一人にはさせないというのなら、一緒に連れて行って下さい」

 何処に、とは言わなかった。言うまでもないのだから当然だ。

「……しかしのぅ」

 顎を触り、思考を巡らせようと試みるリュウオの手を握り、シイナは真剣な眼を向ける。

「リュウオ、貴方が今から向かう場所は、わたしにも関係があります。貴方が頷いてくれるまで、わたしはこの手を離しません」

 行く手を阻むのは、当事者である占師だ。

「ミロクは東の大陸の魔を統べる王じゃ、常に危険と隣り合わせじゃぞ」

「構いません。わたしは逆さまの王と一緒にいるのですよ? 今更怖いものなどありません」

 そう言われ、リュウオは思わず口元を和らげた。ノインが殺されてしまい、両親がその後を追い、一人ぼっちになったシイナは占師となる義務を背負った。

 だが、それでもシイナは前を向く。暗闇にもがき、光を探し出そうとしているではないか。

 シイナを止めることなど、自分には不可能だ。リュウオはそう感じた。

「後悔しても知らぬぞ」

 繋がれた手を引いて、シイナの身体を起こし上げる。

 枕元に置かれてあった逆さまの杖を手渡した。

「強引な性格はノインにそっくりじゃの」

 ぼそりと呟いた後で、リュウオはシイナの耳が良いことを思い出す。恐る恐るシイナの方に視線を向けてみると、嬉しそうに身支度する姿があった。聞かれてはいるものの、特に嫌味とはとられなかったらしい。一安心だ。

「お待たせしました」

 顔を洗い、身なりを整え終えたシイナは、出掛けるのを楽しみにしているようだ。

「……ちと此処は狭すぎるからの、外に移動しようぞ」

 シイナの手を取り、重力に逆らいつつ、窓から城の外へと舞い降りる。

 城壁内部の広場に足を着くと、ゆっくりとシイナの傍を離れていく。

「汝よ、その場から動くではないぞ。でなければ怪我をすることになるじゃろうて」

 それはどういった意味なのか、シイナは問いかけようとした。

 しかしその直後、リュウオが佇んでいるであろう辺りから、尋常では考えられないような魔力による圧迫を受けた。リュウオが、自身の持つ魔力を解放しているのだ。

 やがて魔力の波は押し寄せるのを止める。息を吸い、そして吐くという行為すら躊躇われるほどの威圧感は集束する。その中心に存在するは、魔を統べる王だ。

「――シイナよ、汝には見えぬじゃろうが、吾は今、黒き竜の姿を成しておる。此れが、此の姿こそが、吾の本来の姿じゃ……」

 耳の奥に、脳を直接揺さぶるかのような声の震えに、リュウオの存在を感じ取る。今に至るまで、頭では理解していたものの、疑いを向けずにはいられなかったのだろう。この人物が、本当に魔を統べる王なのか、と。

 だが、それも杞憂に終わった。

「……眼が見えなくとも、貴方という存在を肌で感じ取っています」

 驚いた。まさかこれほどのものとは思いもよらなかった。リュウオの人となりを既に知っているから平常心を保つことが可能だが、もしそうでない人間がここに居合わせたとすれば、恐怖に怯え失神してしまうことだろう。

 魔を統べる王としてロギスタニア大陸の魔族に忠誠を誓わせるだけの、確固たるものを、やはりリュウオは内に秘めていたのだ。

「凄いです、本当に……」

 そう、驚愕を隠すことができない。

 だからこそシイナは、不思議でならなかった。

 何故、これほどの存在感を見せ付けてくれる魔を統べる王が、ただの人間でしかないデザイヤなどに、首を獲られてしまうのだろうか。

 デザイヤに触れたとき、シイナは確かにそれを視た。占術によって行く末を視通したのだから間違いがあるはずはない。だとすれば、既に未来は変わってしまったのか。

「乗れ」

 大きな爪を尖らせた右の手の甲を地面に当てる。

 その音を聞いたシイナは、それ以上考えるのを止めることにした。

「はい」

 逆さまの杖を突いてリュウオの手を確認し、そっと片足を上げる。

 ふと、靴を履いたまま乗っていいのだろうかという考えが過ぎったが、指摘されてはいないのだから構うことはない。シイナはリュウオの手に足を乗せて踏み込み、逆さまの杖でバランスを取りながら全身を乗せた。

 それを確認すると、シイナの身体を傷つけないように手の平を丸め、外側を埋めるように重力の壁を生み出す。こうすることで、シイナは風による抵抗を受けずにすむ。

「はしゃぎすぎて足を踏み外すでないぞ、よいな」

 子ども扱いするリュウオの顔を見上げて、シイナは頬を膨らませる。

 その反応を十分に楽しんだ後、リュウオは背に生えた巨大な両翼をはためかせ、重力を操ることなく宙に舞った。

 それからの出来事は、正に瞬きすら躊躇われるものといえよう。

 魔族の群に見送られ、天へと向けて羽ばたいたリュウオは、東へ向けて勢いよく飛び始める。

 暫しの間、シイナは時が経つのを忘れ、昨夜とはまた異なる空の旅を満喫するのだった。


 ロギスタニア大陸から、東のエルバストロス大陸へと向かった二人は、目的地となる湖を上空から視界に捉えると、徐々にその速度を落としていき、やがて羽を休めた。

「降りよ、着いたぞ」

「……此処が」

 ぬかるんだ大地に逆さまの杖を突き、倒れないように足元に注意を施す。

「そう、此処がエルバストロス大陸の魔を統べる王――ミロクが根城としておる湖じゃ」

 目の前に広がるのは巨大な湖だ。シイナを降ろした後、黒き竜から人型に姿を成したリュウオは、湖の反対側を視認する。恐らく人目では確認することは不可能だろうが、リュウオの瞳にはそれがしっかりと映っている。

「ふむ、囲まれておるのぅ」

 降り立つ前から既に気づいてはいたが、二人の周囲を数え切れないほどの魔族が取り囲んでいた。森に身を潜め、いつでも襲いかかれるように準備をしているのだろう。

 此処はリュウオが支配下に置く大陸ではない。たとえどのような持て成しを受けたとしても、文句は言えないのだ。

 けれども、そこは魔を統べる王たる存在だけのことはある。リュウオの本来の姿をその眼で捉えた魔族の群は、一向に襲い掛かってくる気配がない。強大な魔力を持つ存在を前にして、恐れをなしているのだろう。

「……やれ、血気盛んな輩はおらんようじゃの」

 肩を竦め、リュウオはシイナの手を握る。

 一応、不測の事態に備えて周囲に気を配ってはいるが、それも要らぬ心配のようだ。

「地面が水分を含んでいるのですが、ひょっとして此処は湖か何かですか」

 問い訊ねられ、リュウオは思い出す。

 まだ、シイナに説明をしていないのを忘れていた。

「うぬ、その通りじゃ。ミロクは湖の中に城を構えておるでな、人にはそう簡単に気づくことはできんじゃろうて」

「湖の中に……」

 リュウオの古城とは異なる造りをしている。

 シイナはそれを眼で捉えることはできないが、湖の中に根城があると伝えられ、素朴な疑問が口に出てしまう。

「どうやって、入るのですか?」

「くくっ、もっともな質問じゃのぅ」

 余所者が初めて此処を訪れたとき、まずは誰もがそう思うだろう。過去のリュウオも同じことを考えた。しかしそれも時期に解決する。

「答えは簡単じゃ、城の主たるミロクが許可を下さん限り、入ることは叶わんのじゃよ」

 返答した後、リュウオはそのときがくるのを待った。

「……っ、この音はいったい……何が起こっているのですか」

 その直後、突如として湖が二つに割れ、滝つぼのような道を作り上げた。

「ミロクの魔力により、大地が震え、道無きところに道を作うたのじゃ」

 二人の前に用意された道は段上になっており、湖の奥底へと続いている。この世の闇を生み出しているかのような気配を感じさせ、シイナの足元を脅かす。その暗闇の中から、こつりこつりと足音が響いた。

 足音の主が太陽の下に近づくにつれ、周囲に緊張が走るのを感じた。二人を取り囲んでいた魔族の群が一斉に片膝をつき、頭を垂れる姿勢を取った。仕えるべき存在が姿を現したのだ。

「――やあ、ようこそ。ロギスタニアを統べる王、リュウオ=リヴァースくん」

「昔と変わらんな、ミロク」

 真っ暗な闇底から姿を現したのは、エルバストロス大陸の魔を統べる王――ミロクだ。

 ミロクは、絶世とも呼べるほどに美しい女性の姿を成していた。

 この人物こそがシイナやノイン、そしてラヴィリンス家の人間たちに占師としての呪縛を与えた張本人だった。

 その姿を眼に映すことはできずとも、言葉をぶつけることや睨みつけることは可能だ。

 ミロクの声が響いた場所を向いて、シイナはその想いを口にした。

「ミロクッ、貴方さえいなければ、わたしの家族は――」

「――死なずにすんだ、とでも言うつもりかい? 占師のお嬢さん」

 言葉を遮られ、先に続く想いを口にされた。

 思わず眼を見開くシイナの表情を見やり、ミロクはシニカルな笑みを浮かべてみせる。

「あのさあ、ボクが誰なのかキミは知ってるはずだよね? キミに未来を視ることのできる魔力を与えたのは他の誰でもない、ボク自身なんだよ? つまりキミが言いたいことなんて、言葉にしなくても全てお視通しってことなのさ。理解したかな、お馬鹿なお嬢さん」

 挑発染みた科白を返されてしまい、シイナは唇を噛み締める。悔しいのだろう。だがその感情も全ては理解の範疇にあるに違いない。言葉で言い負かせられるような相手ではないのだ。

「下衆な発言は慎むがよい、でなければ吾は一暴れすることになるがの」

「……くっく、単なる言葉遊びさ。それにボクはキミが怒りに狂うような未来は視てないからこれっぽっちも心配してないんだよ?」

 カラカラと笑ってみせると、二人に背を向けて暗闇へと歩き始めた。後をついてこい、という意思表示なのだろう。

「シイナ、よいか」

「……はい、正直言ってものすごく頭にきていますけど、我慢できる範囲で我慢します」

 つまりそれは我慢できなくなればそうではないと言っているようなものだ。

「そうじゃな、汝はそれでよい。……さあ、ゆくぞ」

 その反応にリュウオは頬を緩ませて、共に地下へと降りていく。ミロクとの対面に不安を覚えていたが、どうやら何も心配することはなさそうだ。

 シイナは強い。ノインと同じか、それ以上に。不安など何一つとしてする必要はなかった。

 闇の底に下りていくと、扉が一つ用意されている。ミロクはその扉を開けると、中に入るように促す。二人が中に入ったのを確認し、ミロクはその扉を閉めた。

 扉の奥は灯りが揺らめいている。全てにおいて暗闇が支配しているわけではなさそうだ。

「ああ、そこに椅子があるからさ、適当に座っててよ」

 二人が通されたのは客間だったらしい。ごてごてしい壁には小さな虫が張り付き蠢いているのが眼に見えた。滑った蔓が天井からぶら下がり、ゆらゆらと影を生み出している。

「陰気な場所ですね」

 湖の底に造られているのも原因の一つとして挙げられるが、ミロク自身がこのような空間を特に好いているというのが、最も頭を抱えたくなる問題だった。

 ミロクに仕える魔族の中にも、この空間が好きになれない者は多々存在する。そのような者たちは、揃いも揃って湖の傍に棲み処を造っていた。

「人が住めるようなところではないからのう……。その点、吾の古城は居心地がよかろうぞ」

 どうやらあの古城は、リュウオにとって住み心地が良いと判断されているらしい。

 確かに城内は豪奢な造りをしており、なに不自由なく生活できそうにも思えるが、欲を言えば一つだけ問題がある。それは古城が建てられている場所だ。

「買い物が不便です」

 その一言で一刀両断にしてしまい、シイナは微笑した。

「手厳しい奴じゃのう……」

 シイナの評価はいまひとつのようだ。

「キミたちは随分と仲がいいみたいだねえ? なんだか羨ましいよ」

 そこにミロクが姿を現し、声を挟んだ。

 机の上にコップを三つ置き、手の平を見せ、召し上がれと合図する。

「ぶどう酒さ。人間の口にも合うはずだよ?」

 持て成しを断る理由もなく、二人はコップを手にする。まず、リュウオが口をつけ、吟味する。その後で、シイナもぶどう酒を飲み始めた。

「もっと飲みなよ、ストックは幾らでもあるからさあ。……いやなに、酒が入れば魔族も人間もみんな饒舌になってべらべらとおかしなことを吐露してくれるからさ、客人には必ず勧めるようにしてるんだ。ボクにとって酒は最高の道具だからね?」

 その科白にシイナは眉根を寄せ、二口目を味わうことなくコップを置いた。

 リュウオはそんなことはお構いなしに、ぶどう酒を一気に飲み干してしまう。

「んー、なんていうかさ、キミは穏やかな表情をするようになったよね、リュウオ」

 そんなリュウオの様子が気になったのか、ミロクは眉を上げて視線を向ける。

 前に会ったときはもっと鋭い目つきをしていたように思えたが、今はそれがまったくない。

「うーん、人間と出逢っちゃうと、こんなにも変化するものかねえ? そこんとこキミはどう思う、占師のお嬢さん?」

 話を振られ、シイナは少し身を引いた。

 隣に座るリュウオの手を握り、ただじっと沈黙を守る。

「ふふっ、そうかい、無視するのが一番だって考えなんだね、キミは? まあ確かにその作戦は利口ではあるね。けれどもそれはボクに限っては例外なんだってことを忘れないでくれよ」

 言葉を紡がなくとも、自身の魔力を持ってすれば、他者の未来はおろか考えていることすら視通すことができる。つまり隠し事は不可能だということだ。これがミロクの恐ろしいところだ。絶対的な忠誠を誓った者でなければ、ミロクの傍に仕えることすらできない。反旗を翻すような魔族は全てを葬り去ってきた。そうすることでミロクは、今の地位を確立させたのだ。

「……のう、ミロクよ。他者の心が読めすぎるというのも、案外に苦痛じゃろうて。それは汝が一番理解しとうはずじゃ」

 コップを持ったまま、リュウオは口角を上げて意地悪そうに笑う。言われた瞬間は何を指摘しているのか理解できなかったが、シイナはその答えにすぐ気がついた。

「リュウオ、キミもなかなか嫌なところを突いてくるね。……ああ、そうさ。確かにその通りだよ。ボクは未来が視える。思考を読み取れる。なーんでもできる。……だからかな、ボクはボク以外の存在を信じることができなくなってしまったのさ」

 顔は笑っていた。その実、眼が笑っていない。

 どうやら痛いところを突かれてしまったらしい。

「先を視通せる汝にさえ、叶わぬものがあるとはのぅ……。やれ、難儀なものじゃ」

「いやまったくだよ、くっくく……」

 空気の流れが変わったような気がした。

 二人の魔力がぶつかり合い、空間に亀裂を生み出すかのような圧迫感がシイナを襲う。表面上はなんともないような様子だが、裏では既に魔力の比べ合いが行なわれていたようだ。

「……やーめた。キミと睨み合ってもなんの利益にもならないからねえ。というわけでそろそろ本題に入ろうかな?」

 両手を上げ、降参したかのような姿勢を取ってみせると、いよいよミロクは語り始めた。

「別にわざわざ聞かなくても分かることだけどさ、一応訊ねておくのが礼儀ってもんだと思うんだ。……さあて、それではリュウオくん。キミは今日、何用でボクの許を訪ねたんだい?」

 机に両手をつき、身を乗り出して問い訊ねる。

 客人が訪れるということですら珍しいのだ。その相手が魔を統べる王であり、更にはミロクが契約を結んだ占師の人間がお供をしているのだから興奮が収まらない。この高揚感は、たとえ未来が視えようとも変わることはないのだ。

「……のう、ミロクよ。汝はいったい何を考えておるのじゃ」

 まずは、別の話題から攻めてみることにした。

「汝は何故、ロギスタニア大陸に干渉するのだ」

 リュウオが知りたかったのは、ロギスタニア大陸で人間と契約を結び続ける理由だ。

 エルバストロス大陸の人間を選ぶのではなく、何故にロギスタニア大陸の人間と契約を結ぼうと考えたのか。その理由が知りたかった。

「んー、干渉するつもりはなかったんだけどね……」

 悪びれた様子もなく、笑みを浮かべたまま肩を竦めてみせた。いずれこうなるであろうことには、初めから気づいていたと言わんばかりの態度だ。しかしそれも未来を視ることが可能なのだから当然といえよう。

「どれくらい昔のことか忘れちゃったけどさ、キミの隣に座ってる占師のお嬢さんの家系の人間がね、大陸を渡ってボクの許を訪ねてきたんだよ」

 自らの科白に驚きを表現し、ミロクは嬉しそうにシイナの顔に視線を向ける。

 シイナは無反応だった。リュウオが質問し、ミロクがそれに答えるのを黙って聞いている。

「おや、驚かないんだね? まあ別にボクはその反応の無さも楽しめるからいいよ。それでその続きなんだけどさ、彼らはボクと契約を結びたくて、此処までやってきたんだってさ。どうやらボクが全てを視通す魔力を持ってるってことをどこかで嗅ぎつけたらしくてね、数日かけてやってきたらしいのさ」

 人間が魔力を手に入れるためには、魔族と契約を結び、代償を支払わなければならない。

 それでもなお、シイナの先祖はミロクの持つ夢のような魔力を求めた。

「ラヴィリンス家を繁栄させるために、これから先、一生をかけて、ボクと契約を結びたいってお願いされたわけなんだけどね、残念なことにボクは一人しかいない。そして彼らは、そうじゃなかったんだ」

 人間は、複数の魔族との多重契約を結ぶことはできない。魔契約者となった人間が別の魔族と契約を結ぶ際、既に契約を結んでいる魔族との魔力の差を比べ、より強大な魔力を持つ魔族が契約を上書きすることができる。そしてそれは、魔族も同じだった。

 人間と契約を結ぶには、自身の持つ魔力の十分の一を与えなければならない。それは契約を結んだ人間がその契約を破棄するか、死ぬか、契約を上書きされるかした場合に限り、自身に戻ってくる。だが、それでもやはり十分の一の魔力を失うのは魔族にとっては痛手だ。

 幾人もの人間と契約を結んでしまえば、自身の持つ魔力の量が枯渇してしまうだろう。そうなってしまうのを防ぐため、十分の一以上の魔力を人間に与えようとすると、魔族の身体は警告を打ち出す。全身が震え、拒否反応を示すのだ。

「彼らの願いを叶えることは、ボクには不可能だった。でもさあ、流石にそれじゃあかわいそうだもんね? だからボクはこう提案したんだ。彼ら全員を魔契約者にすることはできないけど、その代わりに、一人につき二十年、ラヴィリンス家が繁栄する未来を見届けようってね」

 一人につき、二十年。

 その中の一人と契約を結び、二十年の間を魔契約者として過ごさせる。そして二十年が過ぎてしまえば、今度は次の世代へと契約を譲り、永遠にラヴィリンス家との契約を結び続けるというものだった。

 途中、欲の張った者が契約を譲ろうとしなければ、それはラヴィリンス家の崩壊を意味することは言わずとも理解していたに違いない。契約を結ぶ相手は、仮にも魔を統べる王なのだ。

「というわけで、ボクと彼らのうちの一人は契約を結んだのさ。元々はロギスタニア大陸に干渉するつもりなんてこれっぽっちもなかったんだよ。でも契約を結んだ相手がエルバストロス大陸の人間じゃなかったんだから仕方ないよねえ」

 悪びれた様子も見せずに、むしろ嬉々として昔話を語る。ミロク自身、相当に退屈していたのだろう。これだけ言葉を交し合える相手は久しぶりだった。

「なるほどの、ラヴィリンス家の人間が汝と契約を結んでおるのはそういうわけじゃったか」

 疑問が一つ解け、リュウオは顎を擦りながら息を吐く。故意に干渉したわけではないので、これ以上は責めることもないが、それでも別の疑問が頭に思い浮かぶ。

「ミロクよ、汝は何故にそのような契約の結び方をしたのじゃ」

 解せないのは、その一点に尽きた。

 契約を結んだ相手を手にかけることで、ミロクはいつでも魔力を取り戻すことができる状態にはあったが、それでも疑問が解けることはない。その契約を結んでしまえば、ラヴィリンス家が崩壊でもしない限り、延々と魔力を失ったままなのだ。そうまでして何故、ミロクは契約を結ぼうと考えたのか。

「いい質問だね、リュウオ。その答えはなかなかに話しづらいことだよ」

 眼を細め、次の科白を口にするまで間を置いた。

 二人を焦らし、その様を存分に楽しんだ後、ミロクはその秘密を言葉にする。

「――ボクはね、人間を作ってみたいんだ」

「人間じゃと……」

 リュウオは眉をしかめた。シイナに至っては、その言葉の意味が理解できなかったらしい。

 唖然とした表情でミロクを見つめているではないか。

「人間と契約を結ぶとき、ボクら魔族は魔力の十分の一を失うってのに、人間はたった一つの代償を支払うだけでいいんだよ? それもまったく興味をそそられないものばかりさ。でもねえ、ボクはそれの有効な活用法を見つけたんだ。つまりはね、人間が玩具で遊ぶように、ボクも人間を使って遊んでみたくなっただけのお話さ」

「……貴方は、神にでもなったつもりですか」

 その言葉を受けて、今まで沈黙を守り続けていたシイナが、我慢しきれずに口を開いた。

「馬鹿だねえ……、ボクは神なんかじゃない、ただのしがない魔族さ」

 くすくすと笑みを零し、シイナを挑発する。

 異常にも思えるミロクの言動に、リュウオは眉間に皺を寄せた。

「……ノインも、汝と契約を?」

「ノイン? ……ああ、彼女ね。いやなに彼女はとてもいい人間だったよ。ボクの魔力を巧く使いこなしていたみたいだし、なにより素質があった。でも結局は殺されちゃったけどね」

 代償として声帯を支払い、ノインは魔力を得た。そしてその契約相手は、やはりというべきかミロクだった。

 ラヴィリンス家の人間と契約を結び続けるミロクの手によって、シイナとノインは魔契約者という名の呪縛へと誘われたのだ。

「ノインを殺した相手の名はなんと申す」

「それを言っちゃあ未来が変わってしまうさ。もしそうなったらボクとしてはまったくもって面白くなくなるねえ。リュウオ、そして占師のお嬢さん、未来というのは自分自身の手で変えるものなんだからさ、ボクに請うのはお門違いってもんだよ」

 あわよくば、その人物の名を知ることができるかもしれないと考えたが、やはりミロクはそれを拒否した。幾通りもの未来を視ているからこそ、ミロクにとってより面白みのある道を選択しているのだろう。リュウオやシイナからしてみれば迷惑な話だ。

「まあ、それは吾も同意するところじゃ。他者の手など借りるつもりは毛頭ない。……じゃがな、なにもラヴィリンス家の人間でなくともよかろうが」

 つまるところ、それはロギスタニア大陸の人間ではなく、エルバストロス大陸の人間と契約を結んで行なえばいいと言っているようなものだ。人間とはいえ、自身の領土内の者が好き勝手に弄られるのは好ましくないと考えているのだろう。

 それに加え、ミロクに利用されているのはラヴィリンス家の人間だ。シイナはミロクと契約を結んでしまい、光を失った。ミロクが別の判断をしていたならば、そういった事態に陥ることもなかったかもしれない。

 けれども、ミロクは首を振る。

「くくっ……、いいや駄目だね。それは今更変えられないんだよ。過去に幾度となく実験を重ねてきたわけだけどさ、人間を作るってのはものすごく難しいことなんだよ? 血統って奴が重要になってくる。それは魔族だって同じことだよねえ。身体に流れてる血が違うだけで拒絶反応を起こしてくれちゃってさ、すぐに壊れちゃうんだよ。そうなっちゃうともう駄目さ。ただの肉隗だよ、あははっ」

 ミロクがラヴィリンス家との契約に応じたのには、そういった背景もあったのだろう。

 暇を飽かすために始めた遊びに、ラヴィリンス家の人間を利用してきたのだ。ノインからは声帯を奪い、そしてシイナからは視力を奪い取った。これから先、あとどれぐらいすれば、この呪縛から逃れることができるのだろうか。

「ああ、そういえばさ、キミに言いたいことがあったんだよ」

 何かを思い出したのかミロクはシイナへと視線を向けた。

「ラヴィリンス家の人間は、この世にあと一人しかいない。キミが死んでしまえば、ボクが今までに培ってきた努力や苦労が全て水の泡になっちゃうわけだよ。だからボクから一つお願いをしたいんだけどさあ……」

 一旦、口を閉じる。リュウオとシイナ、二人の腕を交互に見やり、視線をシイナへと戻す。

 悪戯な笑みを浮かべ、何事かを伝えるかのごとく、ミロクはその科白を口にした。

「……今宵、何があろうとも、決して死を受け入れないでくれよぉ?」

 そう、それはミロクからのメッセージだ。

 初めから決められていたはずの未来を変えることのできる、唯一の道しるべ。

 それに気づくか否かは、シイナ次第だった。

「貴方が何を言いたいのかわたしには理解できませんが、わたしは既に、貴方と契約を結んだときから死を受け入れています」

 頑なな意思を確認し、ミロクは満足そうに口元を緩める。

「キミはノインと似て頑固だねえ」

「そういう貴方は自分勝手ですね」

「くっく、自分勝手なのは果たしてボクだけかなあ?」

 何度も、意味深な目配せをして、二人に合図を送る。だがそれに気づいた様子はない。

「……まあ、適当に頑張ってよ。終わりはすぐ傍まで近づいてきてるからさ」

 肩を竦め、ミロクはおどけてみせる。

 そこでまた、リュウオが口を開いた。

「ミロクよ、汝に言っておくことがある」

「なんだい、それは?」

 今から何を言おうとしているのかを確かめ、その上でミロクは促してみる。それがミロクという魔族の接し方といえよう。

「吾とノインは、最期のときまでそれを果たすことができんかったが……、シイナとはいずれ、契約を結ばせてもらうつもりじゃて」

「……リュウオ、それはキミがボクよりも暗に強いって言いたいのかな?」

 リュウオが言っていること、それは契約の上書きを意味する。それを実行するには、先に契約を結んだ魔族よりも強大な魔力を持っていなければならない。

 これはリュウオからの挑戦とも受け取れる。

「否定はせぬ、汝は武道派ではなかろうて。……それとも、今此処で確かめてみるか」

 一瞬の静寂、そして苦笑する声が部屋に鳴る。

「うん、その通りだよ。ボクはリュウオには敵わないだろうねえ」

 あくまでも、一対一の対決においてはそうであろう。だがしかし、ミロクには未来を視通すことができる。戦局を自在に操ることはお手の物だ。

「だけどね、その代わりと言っちゃあなんだけど、ボクはこの世の生物全ての未来が視えるってことを忘れないでおくれよ? ……まあ、そうは言っても結局はみんな死んじゃうから終着点は同じなんだけどさあ」

 興味を失ったのか、リュウオは大きな欠伸をしてみせる。

 その姿を眺めるミロクは、ぶどう酒を口にした後、ぽつりと呟いた。

「リュウオ。……キミ、もうすぐ死ぬよ」

「吾が……死ぬじゃと?」

「うん、人間に殺される」

 思わぬ宣告を受け、リュウオはシイナの反応を横目に確認してみた。

 人間に殺されることになると言われ、シイナの顔が脳裏に浮かび上がったのだ。けれどもすぐに考えを改める。シイナには自分を殺すだけの魔力はない。できることといえば、他者の行く末を視通すことぐらいだ。それではリュウオを殺せない。

 では、いったい誰が自分を殺すのか。

「死期を変えたいのなら、キミは決断を下さないといけない。でもそれは苦渋の選択にもなりうる。未来を決めるのは、あくまでキミだからね?」

 両目を閉じて、椅子に寄りかかったまま口を動かしていく。

 ミロクには全てが視えているのだ。

「……ああ、そうそう。ボクとラヴィリンス家の関係を終わらせたいんならさ、血の契約書を破棄しなよ。契約の上書きなんてされたらボクも黙ってるわけにはいかないからね。穏便に事を済ますなら、そうした方がいいよ? ボクとしては人間を作る手間が掛かって不利益な事態になっちゃうけど、そうすればボクとラヴィリンス家の関係は絶たれることになるし、エルバストロス大陸にいるボクには手出しできなくなるからさあ。……でもね、それが切っ掛けでキミが死ぬことになったとしても、ボクは責任持てないよ」

「どういう意味じゃ」

「ボクは教えてあげない。どうしても知りたいなら、ボクの魔力を十分の一でも扱える、そこのお嬢さんに聞いてみればいいよ」

 未来を視ることが可能なシイナは、リュウオと出逢ったとき、ミロクと同じことを言っていた。ヘレナの身代わりとなることによって、いずれ死を迎えるであろうことを宣言していた。

 だが、リュウオは追求しない。

 その答えを求めてしまえば、シイナを困らせることになるのは言わずもがなだ。

「……吾は死なん。シイナと契約を結ぶまではの」

「ふーん、……だってさ、どうするんだい?」

 話を振られ、シイナは息を呑む。

「わ、わたしは……」

 なんと返事をすればいいのだろうか。もう、いっその事、全てを話してしまった方が楽になれるのではないかと考えてしまう。そうすれば、こんなにも苦しまなくてすむのだ。

 シイナは悩んだ。しかしながらその答えは出せなかった。

「……邪魔したのぅ、ミロクよ。吾とシイナは古城へと戻ることにする」

「どうぞご自由に」

 手の平を向けて、薄っすらと笑みを浮かべる。

 扉がひとりでに開いて、二人の帰路を導いた。


 湖の底から外へ出ると、既に辺りは暗くなっていた。時間の流れが速く進んだようにも感じるが、思いのほか長い間、ミロクと共に話をしていたらしい。

 人型から黒き竜の姿を成したリュウオは、出発時と同じように、シイナを手に乗せる。そしてもう一度、空の旅へと舞い上がる。

「……シイナよ」

 けしかけられて以降、ずっと口を重くしているシイナを見かねたのか、リュウオは一つの提案を持ちかける。

「ラヴィリンス家の人間は占師となることを義務付けられておると申したな? それはミロクとの間に血の契約書が存在するからじゃ」

 今更何を言っているのかと、シイナは俯けていた顔を上げて視線をぶつけた。

 それをよしとしたのか、リュウオは更に言葉を続ける。

「吾は今から血の契約書を取りにゆき、それを破棄するぞ」

「……それで絶たれるのは、ラヴィリンス家との関係だけです。既にミロクとの契約を結んでしまったわたしには代償を取り戻すことはできませんよ」

 一瞬、眼を見開いたが、シイナはすぐに俯いてしまう。

「そんなことは言われんでも分かっておる。吾が言うとるのはそういうことではないわ。吾が支配下に置く大陸で、人間を弄び続けておるミロクが気に食わんだけじゃ」

 シイナは、本当は気づいていた。

 リュウオがシイナを助けるために言っているということを。

「リュウオ……、貴方は魔を統べる王……。それなのに、優しすぎます……」

「優しい? 吾が優しいじゃと? ……ふっ、なにをたわ言を」

「その優しさが……」

 その先に続く言葉を紡ぐことは、今のシイナにはまだできそうになかった。


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