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逆さまの王  作者: ひじり
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【四章】

 玉座の間には、四つの扉が用意されている。

 広間へと通じる扉、ノインの墓石が立てられた部屋に通じる扉、リュウオの寝室へと通じる扉、そして最後は地下牢へと通じる扉の四つだ。玉座の間から地下牢へと通じる扉が用意されているのは、人間からしてみれば異常な造りであるといえよう。

 だが、魔族は人間とは根本的なところからして異なっている。地位や名声によって支配するのではなく、魔力を持ってして支配することが可能だ。それ故、魔を統べる王が座する場所を通り抜けてまで脱獄しようなどと考える魔族はいない。地下牢の造りとしては正に打ってつけともいえるだろう。

 しかしながら今現在、地下牢に閉じ込められている者は存在しない。ロギスタニア大陸に巣食う魔族において、リュウオの存在は絶対的なものであり、反意を抱こうと考える愚かな魔族は皆無だ。同時に、人間たちからは逆さまの王として恐れられる存在であったので、昔ならいざ知らず現在では歯向かう者もいない。

 無論のこと、リュウオはまだデザイヤが偽りの王を仕立て上げ、自身の首を獲ったと吹聴していることに気づいてはいないのだが、それもリュウオにとっては些細な問題であろう。

「さて、汝は何か欲しいものはあるか」

 リュウオの寝室へと通されたシイナは、王室にあったものと比べても差異のない、ふかふかのベッドに腰を掛けている。幅も広く、一人で寝るには大きすぎると感じた。

「欲しいものですか」

「うむ、眼が見えぬというのは何かと不便じゃろうからのぅ」

 光の無い暗闇の世界に生きるシイナの身を案じているのだろう。

 シイナはその言葉に嬉しさを感じた。

「……では、杖が欲しいです」

「杖じゃと?」

「はい。此処がどのような場所なのかわたしには知る術がありませんが、杖があれば音を鳴らし耳に情報を伝えることによって、ほんの少しですが周囲を把握することも可能ですから」

 視力を失った結果、シイナの聴力は通常よりも遥かに聞こえが良くなっている。その点を考慮してみても、確かに杖があれば役に立つかもしれない。

「暫し待っておれ、なにか手ごろなものを探してみる」

 寝室には、色んなものが無造作に並べられていた。それは過去に手にした戦利品の数々だ。

 人間を相手にしたものだけでなく、魔族との戦いによって手中に収めたものも多々ある。

「さあて、どれにすればよいものかのぅ……」

 頭を悩ませつつ、戦利品をそこら中に散らかしていく。

「あの……、別に無理に探さなくても……」

 豪快な音を立てながら杖を探すリュウオに不安を覚えたのか、シイナは声をかけてみる。

 しかしリュウオは探すのを止めずに、あっという間に部屋を汚くしていく。

「ああぁ、わたしが杖を欲しいと言ったばかりに……」

 申し訳なさそうに溜息を吐き、シイナはリュウオの姿があるであろう場所を見つめる。

 やがて、リュウオはお目当てのものを探し出した。

「これでどうじゃ、シイナよ。手ごろな杖が無うたからに、暫くはそれで我慢すると助かる」

 リュウオから手渡されたものを触ってみる。持ち手から先端部まで、しっかりと。

「……変な形ですね」

「当然じゃ、杖とは名ばかりの木の枝じゃからの」

 くくっと喉を鳴らし、リュウオは笑みを零した。

「でも、その割には触り心地がいいみたいですが……」

「汝が持っておる木の枝はの、元々は吾が持つための杖を作る目的で用意したものじゃ。まあそれも今に至るまで忘れとうたわけじゃが……、吾の魔力を込めておる故、持っておれば他の大陸の魔族も汝にはそう簡単には手出しできんじゃろうて」

 不器用なりにシイナを大事にしていることは、言葉を聞かずとも理解できる。

 シイナは眼を瞑り、その感情をじっくりと味わった。

「リュウオ」

 その名を呼んだ。

 名を呼ばれた人物は、眉を上げてシイナの顔を覗きこむ。

「ありがとう」

「ん、……ああ、うむ」

 感謝の意を込めて、シイナは微笑んでみせた。

 リュウオは喉を詰まらせたのか、返事をした直後に咳き込んでしまった。

 ベッドから立ち上がり、木の枝を突いて寝室を歩き回る。先ほど散らかした戦利品が障害物となり、外を歩く予行練習としては都合がいい。

 壁にぶつからないように、足を躓かないように、一歩ずつ歩を進める。その様をリュウオは心配そうに見守った。

「木の枝では呼びづらいですね」

「ん、……まあ、そうじゃな」

 確かに、いつまでも木の枝と呼ぶわけにもいかないだろう。持ち主に相応しい名を考える必要がありそうだ。

「逆さまの杖と名づけてもいいですか?」

「……ほう、逆さまの杖か」

 どのような名をつけようかと思考する間も与えず、シイナが杖の名を口にした。

「貴方から頂いた大切な杖ですから、この名が一番相応しいと思いまして」

「では、今この瞬間をもって命名しようぞ。その杖の名は、逆さまの杖じゃ」

 その名をつけることを許されたシイナは、嬉しそうに口元を緩める。

 それから暫しの間、逆さまの杖を手に馴染ませる。寝室の端から端を三往復した後、先端部でリュウオの足を突いて確認すると、目の前で立ち止まり、空いた方の手を差し伸べた。

「リュウオ、貴方のお城を案内して下さいますか」

「よかろうて。さあ、共に来るがよい」

 長年連れ添った夫婦のように、二人はゆったりとした足取りで城内を歩いていく。

 途中、眼は見えなくとも声を聞かせようと、リュウオは多くの魔族をシイナに紹介した。

 魔族とは思えないほどに好意的に接しているようだが、それも全てはリュウオに絶大なる忠誠を誓っている故といえよう。トルエカがそうしていたように、他の魔族もまた、リュウオと同等の存在としてシイナに接した。

「このお城には、どのくらいの数の魔族の方がいるのですか」

「数えたことはないのぅ、呼んでもおらぬ者たちが次々と住み着いてくるからに」

 城内はともかくとして、城の外にいた魔族の群は、耳に届く声を頼ってみても正確な数は計り知れない。けれどもその数はゆうに五桁を超えているであろうことは想像するに容易かった。

 眼が見えていたとすれば、シイナは古城に着いた瞬間に我を忘れていたに違いない。そう考えてみると、誰の助けも借りずにたった一人で三里離れた古城を訪ねたノインは、尊敬するに値する。自身の行く末を視通していたのだから、その行為は決して無謀ではなかったはずだ。

「今宵限りでは城の隅々まで歩いて回ることは不可能じゃろうな、きりのよいところで切り上げて寝室へと戻ろうかの」

 一時を掛けて城内を歩いた二人だが、その実で十分の一すらも見てはいない。眼の見えないシイナが古城の大きさを知ることはないが、少なくともロギスタニア城の三倍はあろう面積を誇っている。

 シイナは眼が見えないのだから、ただでさえ歩くのに時間がかかる。一日中歩いたとしても全てを把握するのは難しいだろう。

「とりあえずですが、今宵わたしの足で実際に歩いてみた場所や部屋、扉の位置など、それらの配置に関しては頭に記憶しました」

「……なんと、汝は耳だけじゃのうて記憶力もよいのか」

 流石に予想外であったのか、リュウオは驚きに眼を見開いた。

 魔契約者となるために視力を失いはしたが、その代わりに得たものは魔力だけではなかったようだ。聴力と記憶力、この二つがシイナに不安や恐れを忘れさせてくれる。

「歩き方も人それぞれですから、一度でも記憶に刷り込んでおけば、それが誰なのか当てることもできますよ」

「そりゃ驚いたのぅ……」

 驚愕するリュウオと共に、二人は玉座の間を通って寝室へと戻ってきた。

 椅子の置かれていた場所を覚えていたのか、シイナは杖を突いて確認し、そっと腰を下ろす。

「身を清めとうなったときは、この部屋を使うがよい」

 寝室から直接湯殿へと足を運べるようになっているらしい。

 戦利品の山に行く手を遮られた扉を手の甲で叩きながら、リュウオは説明する。

「……ああ、そういえば汝は眼が見えんのじゃったな、では吾が湯浴みを手伝うてやらねばならんかのぅ」

「魔族にもえっちな方がいるのですね」

 冗談混じりの科白を投げ掛けるリュウオに、シイナは平坦な口調で返事をする。だが、

「では、そのときはわたしの眼となることをお願い申し上げます」

「ぬっ」

 思わぬ返答を受け、リュウオは肩を揺らして反応した。

 その姿を見ることはできないが、動揺を感じ取れただけでもシイナは満足だったようだ。

「冗談です、本気にしないで下さい」

 くすり、と笑みを零して眼を細めてみせた。

「それより一つ、お願いがあるのですが」

「な、なんじゃ」

 冗談を冗談で返されたリュウオは、言葉に詰まりながらも耳を傾ける。

 すると、シイナは少し恥ずかしそうに顔を俯けて、その言葉を口にした。

「わたしも、姉と同じように……空の旅をしてみたいです……」

 眼が見えないシイナにとって、ノインと同じように空の旅を堪能し、上空より眺める景色をその瞳に映し出すことができない。それを知ってか、リュウオは苦悶に満ちた顔を作る。

「空を舞い、肌で風を感じることしかできぬぞ、それでもよいか」

「承知の上です」

 それでも構わない、とシイナは頷いた。

「姉の話を聞き、リュウオに攫われてこの城まで空を舞ったときのことを思い出しました。あのときは王女の代わりとなっていることを気づかれないように必死でしたが、今は違います」

 自分は、ノインでもなければヘレナでもない。ただの占師だ。リュウオにとって何の価値もない存在であろうことは理解している。けれども、占師になって以来、ずっと張り詰めていた心に安らぎを与えたい。

 少しぐらい、わがままも言ってみたかった。

「もう一度……、今度はわたしを楽しませるために空を舞っていただけませんか」

 しかしながら、シイナのわがままもリュウオにしてみればその通りではない。

 ノインと共にしてみせたように、また同じように空を舞うことができる。その相手は、契りを交わすことを誓い合った愛しい人ではないが、リュウオは嬉しさに頬を緩ませた。

「……シイナよ、吾は汝を空の旅へと招待しようぞ」

 窓を開け、粉雪が降り注ぐ夜空を前に、シイナの手を取った。

 背中に手を回し、もう片方の手で足を抱え込む。その身体を優しく抱き上げた。

「今宵は冷えるでな、凍え死ぬ前に帰ろうぞ」

「ええ、そうしましょう」

 シイナの笑いを誘った後、二人は白銀の世界へと舞い始める。

 上へ上へと舞い上がり、雲に届こうかという高さまで辿り着く。見下ろしてみれば、一万を超す魔物が巣食う自慢の古城がちっぽけな存在に見えた。

「さて、汝は今、空を舞っておるわけじゃが……、感想を聞かせてもらえるかの」

「それはまだ言えません。もっと長く……貴方と一緒にいなければ、まだ……」

「……うぬ、心得た」

 地に足を刻めば、その地形を理解できよう。杖を用いれば、周囲の状況を把握することも可能だろう。だがしかし、空を舞っていては流石のシイナもお手上げだ。共に空の旅を満喫するリュウオに、その身を任せるしかない。腰に回した手をぎゅっと握り締め、落ちないように身を強張らせている。

 その様子がおかしかったのか、リュウオは耳元でそっと囁く。

「心配せずともよい、汝と共に空を舞うのはいったい誰じゃと思うとる」

 緊張を解き、安らぎを与える言葉を口にする。

「吾は魔を統べる王にして、人からはこう呼ばれておる。〝逆さまの王〟とな……。その意味が理解できぬほど間抜けではなかろうが」

「……その言い方が、既にわたしを馬鹿にしています」

 徐々にではあるが、シイナは身体に込めた力を緩めていく。

 重力を自在に操ることが可能な逆さまの王と共にいるのだ。そう考えてみれば、シイナは何一つとして不安を感じる必要はない。

「うむ、汝はそれでよい。空の旅を心ゆくまで堪能してみせよ」

 リュウオなりの心遣いだったのだろう。

 恥ずかしさを紛らわすかのように、シイナは温かなその胸に顔を埋めてしまった。だがそれもほんの僅かな間の出来事で、リュウオの顔を上目遣いに見つめると、頬を朱色に染めたままゆっくりと頷いてみせる。

「上空からの眺めは格別じゃ。見えはせぬが、汝も肌で感じようぞ」

 空気の流れに抵抗し、風を切る様は爽快な気分だった。

 一生に一度は空を飛んでみたいと考えるのが人間だが、シイナは今その願いを叶えている。

「夢みたいですね、この感覚は……」

「夢ではのうて、これが現実じゃよ」

 三里離れた場所にさえ、あっという間に辿り着く。そこはシイナにとって見覚えのある場所だ。リュウオ自身も例外ではない。幾度か足を運んだことがある。

 空を舞い、二人が羽を休めようと決めた場所は、ロギスタニア城のとある一室だ。

 窓には鍵がかかっていたが、リュウオは片手を翳してみせると、重力を操り室内から鍵を回し始める。人間ならざる魔力を持ってすれば、まるで不可能は存在しないとでも思い込んでしまいそうだ。

 窓を開けると、縁に足をつき、頭を打たないように屈んだ。

「此処は何処ですか」

「汝の姉、ノインの仕事場じゃったところじゃて」

 重力に逆らうのを止めると、二人の身体に重みが戻ってくる。シイナにはそれが不思議な感覚に思えた。だがそんなことは今はどうでもいいと言いたげに、リュウオの顔に視線を向けたまま眉をしかめる。

「なんじゃ、別のところがよかったかの」

「そうではありません」

 気づいていない。シイナが言いたいことにリュウオは気づいてすらいない。

 それが情けなくて、思わず溜息が漏れる。

「リュウオ……、大胆不敵とは正に貴方のことを言うのでしょうね」

 堂々と敵地に足を踏み入れる辺り、リュウオの性格が存分に出ているといえよう。

「褒め言葉と受け取うてもよいのかの」

「警戒心がなさすぎると言っているのです。貴方は逆さまの王なのですよ、命を狙われてもおかしくはありません。人間は無力ですが、時に恐ろしいほどの知略を巡らせます。それは貴方の命を奪い取ることさえ可能とするでしょう。ですから――」

「やれ、説教くさいのは耳に毒じゃ」

 真面目な顔で忠告するシイナを前に、リュウオは耳を塞ぐ素振りをしてみせる。

 その仕草を確認することはできないが、シイナにはリュウオが何をしているのか見えずとも理解できてしまった。

「貴方は、そんなに死に急ぎたいのですか……」

「そのような事態に陥れば、むしろ汝にしてみれば願ってもないことではないのかの」

 確かにシイナは、リュウオの死期をその眼で見届けると誓った。けれどもそれとこれとは話が違う。シイナは下唇を緩く噛み締め、リュウオを睨みつけた。

「もっと、命を大切にして下さい……。姉にとって貴方という存在は、自身の命よりも重く大切なものだったのですから……っ」

 瞳を潤ませ、心から訴える。

 その表情がリュウオの眼にどのように映ったのかは定かではない。しかしながら一時の静寂と深い溜息を吐く機会を与えることには成功したようだ。

「……不安か、シイナよ」

 真っ暗な部屋の中で、リュウオはその身体を抱き寄せる。

「ノインと同じように、吾が死ぬのが怖いか」

 死を見届けなければならない存在であったリュウオは、人々からは逆さまの王と呼ばれ恐れられている。けれどもシイナは、真実を知ってしまった。必ずしも魔族が相対するべき存在ではないことをノインから教えてもらった。自殺に見せかけて人を殺してしまうような人間のほうが、よっぽど心の汚い生き物のように感じてしまった。

 だからこそ、言葉として伝えたくなったのだろう。これが原因となり、未来が変わってしまおうとも、その想いを我慢できはしなかった。

「安心せぃ、吾は魔を統べる王じゃ、そう容易く死にはせんよ……」

 緩やかなときを刻み、その心を落ち着かせていく。もう、シイナは大丈夫なようだ。

「……すみません、取り乱してしまって」

 手の甲で目元を拭い、少し恥ずかしそうに微笑む。

「構わぬよ、吾を想ってのことじゃからのぅ」

 口元を緩ませ、リュウオはからかう目的を持って言葉を返してみた。

 だがシイナは怒って頬を膨らませたりはしない。逆に、視線を合わせるのを躊躇うかのように、そっぽを向いてしまった。

「な、なんだか……、不思議な気持ちで胸がいっぱいになっています。……あの、いったいわたしはどうしたというのでしょうか……」

 シイナには、その感情が何を意味しているのか理解できなかった。

 そして、リュウオはそれが何なのかを教えるつもりもなかった。

「気にするでないさ、それは誰もが経験しよう一時の気の迷いじゃからの……」

 だから、忘れてしまえ。

 これ以上深みに嵌ってしまえば、姉と同じ過ちを犯すことになるだろう。同じ哀しみを刻ませることになるだろう。それだけは絶対にあってはならない。

 リュウオはその心を見せるようなことはしなかった。

「此処には、姉に連れられて何度か来たことがあります」

 闇夜に紛れ忍び込んでいるということもあって、なるべく大きな音を立てないように気をつけながら、逆さまの杖を突いて室内を歩いて回る。

 元々眼が見えないシイナからしてみれば、灯りがなかろうが同じことだった。

「……姉は、本を読むのが好きでした」

 本棚の前に立ち、手で触れる。埃を被った沢山の本が、そこには並べられている。

 ノインがこの世を去って以来、この部屋には誰一人として入室を許可されなかった。人が死に、更にはその亡骸までもが姿を消してしまい、この部屋には魔族の呪いがかけられていると噂になったからだ。

 それまでは表舞台に出ることのなかったラヴィリンス家が、ノインの死を切っ掛けに魔族との関係を暴かれていった。

 ロギスタニア王家が占師を仕えさせ、常に行く末を視通していたことが明らかになり、国民による王族への不信感は次第に高まっていった。そこでロギスタニア王家が取った行動は、代々王族に仕え続けてきたラヴィリンス家に対する裏切りであった。

「けれども今はもう、ここにはいません。わたしは一人ぼっちになってしまいました……」

 魔契約者たる存在になるため、魔族との契約を結んできたラヴィリンス家の人間は、ロギスタニア王家の命により死刑を宣告された。それはシイナも例外ではない。

 ロギスタニア王家に裏切られてしまえば、ラヴィリンス家は死んだも同然だ。

 それならば、と両親はノインの後を追うかのように自らの手によって死ぬことを選択した。

 死に切れなかったのはシイナだ。幸せの絶頂にいたはずのノインが何故、自殺をしなければならないのか。真実を確かめたかったシイナは、死を先延ばしする決意をした。

 表面上は国民の支持を回復するために死刑を宣告したが、やはりロギスタニア王家の人間は占師とは切っても切り離せない関係にある。今更占師に頼らざることはできないのだ。

 占師となり、これから先も王族に仕えることを条件に、シイナはその身柄を匿わせた。

 国王と女王、そしてヘレナの三人を除いて、シイナの存在を知る者はいない。世間的には既に死人となったシイナは、それからずっと待ち続ける。真実を知るそのときが訪れる日まで。

「ラヴィリンス家の人間は、呪われているのかもしれませんね」

 ぽつりと呟く。過去を思い出してしまったのだろう。

 シイナは眼を瞑り、同じ暗闇の空間へと視界を閉ざした。だがそれを許さない存在が、今は傍にいる。魔を統べる王、リュウオ=リヴァースだ。

「汝の耳は飾りか? 眼は見えずとも、汝の耳には吾の声が届いておろうぞ」

 その声が、その旋律が、シイナの心を開いていく。

 出逢ってまだ間もないというのに、その想いは勢いを止めることなく膨れ上がる。

「シイナよ、汝は一人ではない……。汝の傍には、吾がついておる……」

 死期が訪れるまで、絶対に一人ぼっちにはさせない。

 シイナにそれを伝えることなく、リュウオは胸のうちに誓った。

「……ありがとう、リュウオ」

 今までと同じように、感謝の言葉を口にする。しかしその科白には、少しばかしの変化が見られた。時を重ねることによってリュウオとノインが辿り着いたように、シイナは堅苦しい喋り方を止めて、その想いを言葉にしたのだ。

「そういえば、まだ貴方に聞いていなかったことがあります」

 言葉遣いはすぐに元通りとなる。しかし先ほどの科白の変化にリュウオは気づいていた。

 真っ暗な闇に怯まず目的となるところまで歩き、木机の上に腰を下ろす。

「はて、まだ話しとらんことがあったかのぅ」

 リュウオは首を傾げてみせた。その反応から察するに、思い当たることはないらしい。

「姉の亡骸を攫った理由です」

「……ん、ああ……、そのことじゃったか」

 確かにそれはまだ話していなかった。

 ただ単純に、自分の手で埋葬したかったのだろうか。ノインを傍に置いておきたかったのだろうか。シイナは色んなことを考えてしまう。

「ノインがの、言っておったのじゃ」

 上を向き、光の無い天井を見つめながら言葉を続ける。

「わたしに会いに来る人が、きっといるから……、とな?」

 死してなお、ノインの墓を訪れる者、それが誰なのか初めのうちは分からなかった。

 今宵、ようやくその人物が姿を現した。

「今思えばそれは、汝のことを言うておったのじゃろうな」

 自分が死んだ後、シイナが占師となり、やがてリュウオと出逢うであろう未来を視ていたのだろう。死ぬ直前までシイナのことを心配していたというわけだ。

「そうだったのですか……」

 暗闇に立ち尽くし、ノインがその生涯を終えた場所でシイナは黙祷を捧げる。

 ノインは殺されてしまった。リュウオと共に幸せになることはできなかった。

 しかしそれでもノインは幸せを感じていたに違いない。実妹のシイナには、それが何となくではあるが理解できた。

「……じゃがのぅ、ノインの亡骸を攫うたのにはもう一つ理由があるでな」

「もう一つですか」

 まだ何かあるのか、とシイナは視線を向ける。

 その様子を確認し、リュウオは躊躇うことなく口を開いた。

「ノインを、蘇らせるつもりじゃ」

「な……っ」

 今ならば、その考えを口にしても大丈夫だと思っていたのだろう。

 けれどもその言葉は、シイナを絶句させるには十分な威力を持っていた。

「そ、それはいったい……どのような意味で言っているのですか」

 聞き間違いかと思った。

 だがそれは間違いなどではなかった。

「言葉の通りじゃよ、死者を蘇らせ、もう一度生命を与えると言うておる」

 黒に染まるリュウオの瞳が、闇と同化する。

 その科白と相まって、シイナには異常な存在のように感じられた。

「正気ですか……、死者が蘇るなど、そのようなたわ言を本気で口にしているのですか?」

 眉をしかめ、シイナはリュウオに問い訊ねる。

「魔族にはの、多種多様な魔力を扱える者がおるわけじゃが、中には死者を蘇らせることを可能とする者もおるはずじゃ。そやつを捜し出し見つけ、そしてノインの亡骸が吾の許にあれば、必ずやまた再会することができるじゃろうて……」

「妄想です。そんな魔力を持った魔族などいません」

 そのようなことは不可能であると、シイナはきっぱりと否定する。

 その態度が気に食わなかったのか、リュウオは憤然と立ち上がり、シイナの肩を掴んだ。

「それこそたわ言じゃ、誰が死者は蘇らんと証明したかっ」

 人目を忍んできたのを忘れたのか、リュウオは声を荒げて反論する。

 それでもシイナは意見を曲げない。それが大きな間違いであることを知っているから。

「わたしの姉は……、貴方の恋人は……死にました。もう二度と、わたしや貴方の前に姿を見せることはできません」

「ふざけるでないっ、それも汝お得意の占術によって視たとでも申すかっ」

「視る必要などありません。どれほど優れた魔力を持つ魔族がいたとしても、人の生き死にを自在に操れる存在などいるはずがないのです」

 もし仮に、死者を蘇らせることが可能だとすれば、それは神に他ならない。

 そして残念なことに、リュウオは神ではない。ただの魔族だ。

 怒りによって頭に血が上っているようだが、この場にシイナを置き去りにするようなことはなく、ただ見せ付けるかのように魔力を解放し続けた。怒りをぶちまけられる相手がいないことに、更にリュウオは腹を立てる。

 そんなリュウオを見やり、シイナは止めとなる言葉を呟いた。

「貴方の恋人は、蘇ることなど望んでいないと思います。……リュウオ、それは貴方自身がよく理解しているはずではないのですか?」

「ぐっ、……っ」

 顔を上下し、左右に振り、両こぶしをきつく握り締め、自身を落ち着かせていく。

「そんなことは、言われんでも……理解しておるわ」

 そう、リュウオは自分が馬鹿げた妄想を語っていることを自覚していた。

 それでもなお、ノインが死んでしまったという事実を受け入れたくなかったリュウオは、ありえない存在を夢見ることにしたのだ。

「吾にとって、それは……、ただのわがままなんじゃ……っ」

 契約を結ぶことはおろか、契りを交わすこともなく、永久の別れとなった。

 それがただ哀しくて、リュウオは馬鹿な夢を見ようとしていたのだ。

「……リュウオ、貴方も……魔族でも涙を流すことができるのですね」

 頬を伝い、涙の滴が闇に溶け落ちていく。

 そっと、シイナは手を差し伸べる。魔を統べる王の涙が、その指に温かみを感じさせた。

「泣いてなどおらぬ。何も見えぬくせに……」

「確かに、わたしには貴方の顔が見えません。心も見えません。その仕草を見ることもできません。……でも、行く末を視通すことはできます」

 片手だけでなく、両手でリュウオの顔を包み込む。

 その感触を確かめると、優しく抱きしめた。

「泣きたいときは、泣いてもいいのですよ……」

 その言葉が合図となり、リュウオは大粒の涙を零し続けるのだった。


      ※


「姉と同じように、妹の方も殺さなければ……だが、」

 リュウオとシイナが空を舞い、ノインの仕事場に忍び込んだ時を同じくして、意外にもデザイヤは二人の近くにいた。

「まさか……あんなことになるとは」

 デザイヤが今いる場所、それはロギスタニア城の一室だ。逆さまの王の首を獲った英雄として、城の一室を譲り受けたのだ。

 だが、デザイヤは焦っていた。

 ノインを殺してしまったことで、野心を知る者は誰一人としていなくなったはずが、思いもよらぬところで計画を台無しにしてくれる。実妹のシイナは死刑となったはずが、姉と同じように占師となり、挙句には王家に仕えていたのだ。

 更にはシイナに未来を視られてしまい、逆さまの王に連れ去られてしまうという不測の事態に陥った。何故こうも次から次へと計画に狂いが生じるのだろうか。頭を抱えたくなる。

「死刑にさえなっていればこんなことには……くそっ」

 すぐにシイナを始末しようと考えたが、それも逆さまの王の襲撃に遭い、阻まれてしまった。

「人間とは実に間抜けな生き物だな」

 思考を巡らせるデザイヤを嘲笑するかのように、ぼそりと呟く者がいた。

 この部屋には、デザイヤの他にもう一人存在していた。

「くぅ、うるさい奴だな……、元々はお前が俺に契約を結ぶように唆したのが原因だろうが」

 その人物と向き合い、デザイヤは文句をぶつける。

「唆しただと? ……ふん、それは大きな間違いだ。お前が自分の意志を持って私と契約を結んだのだ。責任を押し付けている暇があるなら、無い知恵を回してみたらどうなのだ」

「魔族の分際でよくもそんな科白を……。俺は逆さまの王の首を獲った英雄だぞ? 神に選ばれし人間なんだよ。偉そうな口を聞くな」

「偽りの王の首を獲った偽りの英雄風情が粋がってみたくなったのか? 私がほんの少しばかし腕に力を込めるだけで、お前の首をへし折ることは容易だということを忘れるなよ」

 指の骨を鳴らし、恐怖を与え支配する。

 それ以上、デザイヤは何も言い返すことはできなくなった。

「……ううっ、ならばどうすればいい? 知略の限りを尽くすお前なら、何か良い案が思い浮かんでるんじゃないのか?」

 ノインが死に、仮にヘレナの行く末が変わったのだとすれば、シイナには野心を悟られているわけではないだろう。それはシイナの態度が教えてくれた。自分のことを疑ってはいるものの、確信までは得ていないに違いない。

 しかしながら窮地に立たされていることに変わりはない。

 偽りの王の首を獲って英雄となり、地位や名声、そして一国の王女までも手に入れたわけだが、シイナがその全てを逆さまの王に吐露すればどうなるだろうか。

 逆さまの王は、魔を統べる王だ。殺されてもおかしくはない。

「デザイヤ=イスナーク、それは至って簡単なことだ」

 恐怖に駆られ、肩を震わすデザイヤに、その人物はまるで壊れた玩具を見るかのような目つきで唇を動かしていく。

「お前が、逆さまの王を殺せばいい……。そして本物の英雄になればいいだけなのだ……」

「……お、俺が、本物の英雄に?」

 果たして、なれるのだろうか。

 自分は偽りの王の首ではなく、逆さまの王の首を獲ることができるのだろうか。

 ドクンッ、と心臓が脈を打つ。鼓動が徐々に高鳴っていく。

「何も悩むことはない。お前はただ待ち伏せすればいいだけだ。舞台は整い始めているし、仕掛けは既に施した。後はそれが巧い具合に機能するのを待てばいい」

 自分の知らぬところで、先を見すえた行動を起こしていたらしい。

 やはりこの人物は油断がならないと感じた。

「俺は人間じゃない、魔契約者なんだ……。魔族だって殺せるはずだ……」

 言い聞かせるように何度もその科白を繰り返す。自身に暗示をかけているようにも見えた。

 デザイヤは長剣を背に携え、ゆっくりと息を整える。

 もはや、逆さまの王の首を獲る道以外は残されていない。この人物と契約を結んだ瞬間から、こうなる運命にあったのだと納得させる。

「私から、お前への最後の助言を授けよう」

 部屋を出ようとするデザイヤの背中に声をかけ、口元に笑みを張りつける。

「シイナ=ラヴィリンスを利用しろ。あの娘を捕らえることができたなら、或いはお前にも勝機が残されているはずだからな」

 手駒の最期を見届けるため、その人物は忠告する。

 幸いなことに、デザイヤがノインを殺したという事実を、シイナはまだ知らない。占師は過去を視通すことができないからだ。

 しかもそれだけではない。驚いたことに、シイナにはデザイヤが逆さまの王の首を獲る未来が視えたのだという。これが切っ掛けとなり、ヘレナには嘘が見抜かれてしまったが、それもシイナの視た未来に従いさえすれば真実へと姿を変えるだろう。

 偽りの英雄から、本物の英雄になる、人生最大の好機だった。

「俺は英雄だ。この国の王になる男だ。絶対にしくじったりはしないさ……」

 部屋の外に出る。一定の間隔を持って灯りの燈された殿廊を、足音を立てぬように歩いていく。階段を上り、城の中心部まで進むと、兵士が二人ほど直立不動の体勢で警備をしていた。

「こんな時間まで大変だな」

 デザイヤに声をかけられ、その二人は顔の前に片手を持ってくることで反応する。不審者であるとは思われないほどの地位は確立していた。デザイヤが望めば、国王と女王の部屋以外であれば、何処にだろうと入室を許可される。それがたとえ王女の部屋であろうと例外は無い。

「ヘレナ、起きてるか」

 扉をノックして、反応を確かめてみた。

 暫く待つと、足音が近づいてくる。扉の鍵が開き、ヘレナが顔を覗かせた。

「……デザイヤ? どうかしたの」

 こんな夜更けに訪ねてくるとは思ってもいなかったのだろう。眠たそうにしながらも、ヘレナは驚きを口にする。

「俺はヘレナに謝らなければならないことがある。聞いてくれるか」

「え? ……ええ、いいけど」

 眉根を潜め、手の甲で目蓋を擦る。

 扉の前から退いて、寝室へと入るように促したが、デザイヤは首を振る。中には入らずに、今ここで話をするつもりのようだ。

「以前、ノインが視たもの……、そして昨晩、シイナが告げたこと……。逆さまの王が生きているのは真実だ」

 罪を告白し、デザイヤは溜息を吐く。なるべく深く、それが演技であると悟られぬように。

「……へレナ、つまり俺はお前の気を惹きたくて、逆さまの王の首を獲ったなどと嘘を吐いてしまったんだ。……すまない、本当にすまない」

「デザイヤ……」

 婚約者の名を呟いてはみたものの、いったいなんと声をかけてやればいいのか、ヘレナには考え付かなかった。

「――だが、もう一度だけ……名誉を挽回する機会を与えてはくれないだろうか」

 言葉巧みに、予定した筋道を一つ一つこなしていく。

「俺は逆さまの王の首を獲りにゆくことを、今ここに宣言しよう。そして必ずやその首を獲り、嘘を真に変えてみせると誓おう。……だからそのときは、俺を認めてくれないか?」

 偽りの笑みを浮かべてみせる。そうするだけで、この女は、一国の王女は、簡単に騙されてしまう。内心で、実に間抜けな女であると嘲った。

「ええ、分かったわ……。でも一つだけ約束して、絶対に死なないで戻ってくるのよ?」

 思わず声を出して笑ってしまいそうになるが、限界のところでそれを我慢した。

「……ああ、約束する。きっとまた戻ってくるよ」

 そしてそのときこそ、自分は真の英雄として生まれ変わるのだ。

 そう考えると、デザイヤは興奮を抑えきれなくなった。

「ヘレナ=ロギスタニア王女よ、今度こそ必ずや、逆さまの王の首を獲って参ります」

 言葉を交わすデザイヤは堅苦しく宣言し、踵を返した。

 シイナが視た未来によれば、逆さまの王はシイナを伴ってラヴィリンス家へと姿を現すらしい。デザイヤは、シイナを人質とすることで、逆さまの王の首を獲るのだという。俄かには信じがたい話だが、占師の視たものは絶対だ。今すぐにでも足を運ぶべきだろう。

 それに何より、自分には魔族がついている。もしものときは手を借りればいい。

「待ってろよ、逆さまの王……、貴様の首を獲ってやる……っ」

 真の英雄となるために意気込む間抜けな人間を、その人物は闇に紛れ観察する。

 自身の持つ魔力の十分の一を与えてまで、果たさなければならなかった企みが、ようやく終わりを告げようとしている。デザイヤを手の平の上で踊らせるのも、これでお仕舞いだ。

「もうすぐ、全てが終息する……。そうすればまた、きっと……」

 薄い笑みを浮かべたまま、終焉を見届けるかのように忽然と姿を消すのだった。


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