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逆さまの王  作者: ひじり
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【二章】

 魔を統べる王とは、まさに彼のことを言い表すのだろう。

 城壁をくぐり、共に城門へと歩いていく最中、彼らの周囲には無数の魔族が控えていた。

 地を這うもの、水中に身を潜めるもの、宙に浮かぶもの、風に舞うもの、闇に紛れるもの、実に多種多様な魔族がそこら中に溢れているではないか。耐性のない者がこの場に居合わせたならば、一瞬のうちに気が狂ってしまってもおかしくはないだろう。だが、眼が見えないシイナにはそれも関係のないことだった。

「光の無い、暗闇の世界が耳を研ぎ澄まし、恐怖を倍増させるかと思うたが……、汝はなかなかに心持ちがよいな」

「貴方と手を握っているのですから、今更恐れるものなど何一つありません」

 恐れなど微塵も感じさせない、凛々しい姿で歩を進めていく。身体の震えが見当たらないことから、それが強がりではないと証明していた。

「くく、言われてみれば確かにそれもそうじゃな」

 眼が見える者であれば、見渡す限りの魔族の群を前にして、これが夢であればどれほど救われるかと祈りを捧げるところだろう。暗闇に閉ざされた空間で一生を過ごしていかなければならないシイナであれば尚更だ。

 けれどもシイナは恐れない。何故ならば、彼ら魔族を支配下に置く魔を統べる王が共に歩みを刻んでいるのだ。これほど心強いものはない。

「吾は恐怖を与えこやつ等を支配してはおらぬからのぅ。反旗を翻し襲いかかってくることもなかろうて。心穏やかに出迎えを堪能するがよいぞ」

 ロギスタニア王家はそれに当て嵌まることはないが、人間の王の中には、独裁的な物事の進め方をする者も少なからず存在する。そのような人間には一つの共通点があり、それは一人の人間が全ての権力を握り、好きなように振る舞い続けていれば、いずれ反乱を起こされてしまうということだ。

 だが、人間は強大な力を持たぬ者でさえも血筋によって権力を得られるが、魔族の世界は異なる。強大な魔力を持たざる者が上に立つことは不可能なのだ。上に立つ者が魔を統べる王となり、その大陸を支配するのが道理であるとされている。

 リヴァース城に存在する魔族が皆一様に逆さまの王を敬い、魔を統べる王であることを認めているであろうことは明らかだ。ロギスタニア大陸で逆さまの王と呼ばれ人間から恐れられている逆さまの王は、その強大な魔力を持ってして恐怖による支配をするのではなく、信頼を勝ち得ているのだ。

 城門の前へと辿り着くと、黒服に身を包んだ長身の男が恭しく頭を下げて一礼する。

 人型を成しているとはいえ、この場所にいるということはつまり、彼もまた魔族の一員なのだろう。見た目からは決して魔族とは想像もできないほどに完璧といえる、人間の姿だった。

「王、そちらの御方は」

 黒服の男は、シイナに視線を向ける。

 今宵、リュウオが城を空けたのには理由がある。それはヘレナ=ロギスタニア王女を連れ去る為だ。その企みは見事成功し、身柄を確保できたようだが、しかしそれにしてもおかしな点がある。リュウオが連れ立っている娘は、ヘレナ=ロギスタニア王女というには随分と相応しくない格好をしているではないか。

 真っ黒なローブを全身に纏い、化粧はおろか髪を整えてすらいないのだ。誰がシイナを見たとしても、彼女はヘレナ=ロギスタニア王女ではないと口を揃えるだろう。

「占師の娘じゃ。名をシイナ=ラヴィリンスと申す」

 その思考を察したのか、リュウオは薄っすらと笑みを浮かべながら返事をする。

「占師……ですか。なるほど、そうでしたか……」

 リュウオではない、別の声が聞こえてくる方向に、シイナは視線を向ける。

 眼が見えないシイナにとって、そこにいるのが誰なのか、姿形は知りえない。その代わりに、他の感覚が研ぎ澄まされているのはシイナ自身が自覚するところだ。

 この場所に存在する空気の流れや変化、違和や触れ合いを肌で直接感じることで、声を聞かずともリュウオ以外の誰かが存在することに気づいていた。

「シイナ=ラヴィリンスです」

 不確かな相手にお辞儀をしてみせる。

 それを見た黒服の男は、魔族とは思えないほどに優しげな笑みを口元で披露した。

「初めまして、シイナ様。わたくしは王の側近、トルエカと申します」

 先ほどリュウオにしてみせたように、今度はシイナに向けて深々と頭を垂れる。魔族の紳士的な対応に流石のシイナも困惑を隠せないのか、隣に立つリュウオの顔を見上げてみる。

「トルエカはの、吾の配下の中ではここが一番働く奴じゃ。吾が汝の傍におらぬ間はこやつを頼りにせい」

 彼らを取り囲むかのように魔族の群が微かなざわめきを起こしているが、リュウオが支配下に置く魔族の中でもトルエカは特に信頼を得ているようだ。リュウオの声色が安定しているのがよい証拠だ。

「トルエカ」

「はい」

 リヴァース城の主に名を呼ばれ、トルエカは一歩前に出る。

 シイナの前に片膝をつくと、両腕の裾を捲くってみせた。右腕には赤、そして左腕には黒に染まる二つの腕輪が嵌められている。

 トルエカはそれらを外し、赤をシイナの右腕に、そして黒をリュウオの左腕に嵌める。

「この腕輪にはトルエカの魔力が込められておるでな、……ほれ、少しばかし出っ張ったところがあるじゃろうて」

 シイナは、右腕に嵌められた赤い腕輪を触って確かめてみた。

 言われたように、赤い腕輪には出っ張った箇所がある。

「腕輪の魔力を解放する釦じゃ」

「……この腕輪は、いったい何なのですか」

「黒の腕輪は、命を差し出す象徴……。して赤の腕輪は、命を永らえる象徴じゃ。言うなればな、吾と汝を繋ぐ生命線とでも言い表せるかのう」

 言葉の意味を理解できないシイナは、眉根を寄せた。

 その表情を見やり、リュウオは更に説明を付け加えていく。

「これから先、もし汝が不測の事態に陥ったとき、その釦を押すがよい。その瞬間、黒の腕輪を嵌めた吾と、赤の腕輪を嵌めた汝のおる場所が入れ替わるでな」

 そんな摩訶不思議なことが可能なのかと思考を巡らせそうになったが、シイナはすぐに考えを改める。行く末を視通せる占師が存在するのだから、二つの存在を入れ替えることなど不可能なはずがない。人間が持ち得ない魔力を持ってすれば、不可能とされていることですら可能となってしまうのだ。

「御用が御座いましたらわたくしの名をお呼び下さい」

 それだけ伝えると、トルエカはシイナの許を離れる。

 三メートルはあろう重たげな城門を軽々と押し開き、トルエカは二人の前に道を作った。

「ゆくぞ」

 耳元に囁かれるリュウオの声が、シイナの足を前へと進めていく。

 広間はふきぬけになっており、弧を描く階段の中央には、黒に染まった扉が一つ。その扉の奥が玉座の間なのだが、リュウオはそこには向かわずに、シイナが足を躓かないように気を使いながら、ゆっくりと階段を上がっていく。

 何かが擦れる音がシイナの耳に届いた。トルエカが城門を閉めたのだろう。しかしその他にシイナの耳に届く音が聞こえない。城の中には最低限の数の魔族しか入れないのか、外に比べて静かでひっそりとしている。

「……他に」

 ふと、疑問が口に出た。シイナは言葉を続けるべきか悩んだが、眼が見えない自分が何かを知る為にはリュウオに聞かざるを得ないのだということを思い出す。

「わたしの他に、人間はいるのですか」

「此処は魔が巣食う土地に建てられた城じゃ、聞かずとも想像できようぞ」

 それは至って普通の回答のようにも思えたが、幾ばくかの引っ掛かりを覚えた。

「しかし現にわたしは今こうして貴方の隣を歩いています。つまりは人間がいる可能性も無いとは言い切れません」

「ふむ、確かにその通りじゃな。汝の言い分は間違っておらぬ」

 歩みを止め、シイナの眼を見つめる。赫に染まった二つの瞳は、この場所にいることに対する恐怖を感じてなどはいないのだろう。赤々と萌ゆる両目には一切の揺らぎさえ見当たらない。

 リュウオは興味を示したのか、意地悪そうに口角を上げる。

「逆に問う。……汝はそれを知り、何を思い、何を考えるのじゃ。人間が自分しかおらぬことに対し、怯えたり不安に感じたりするような汝ではなかろうて」

 シイナの性格や特徴を見抜いているが故の問いかけに、言葉に詰まりそうになる。

 王女の替え玉としての役割を果たすのが第一の目的であったとはいえ、もう一つの目的を言うべきか迷った。それを教えてしまえば、シイナは自分の弱い部分をリュウオに知られてしまうことになるからだ。

「……捜している人が、います」

「ほう、捜し人とな」

 口を閉ざした方が利口なのかもしれない。だが、自分が言葉を交わしているのは魔族だ。それもただの魔族ではない。〝逆さまの王〟と呼ばれ恐れられている、魔を統べる王が相手なのだ。嘘を吐くのも容易ではないだろう。嘘がバレてしまえば、予期せぬ事態に巻き込まれてしまうかもしれない。死を迎えるであろうリュウオの運命が変わってしまう可能性もある。そんなことになってしまえば、王女の替え玉として連れ去られたのも、全てが水の泡となる。それだけは避けなくてはならない。

 それならば、とシイナは全てを話してしまうのも致し方ないと考えた。

「汝は眼が見えぬからのう、捜し人を見つけるのも一苦労じゃろうて」

 皮肉にも聞こえるが、リュウオは決してそのようなつもりではない。勿論、哀れんでいるわけでもないが、シイナが人を捜しているということに対し、リュウオの共感を得たのだ。

「他者の捜し人を見つけてみるのも一興かもしれんのう……。そうじゃな、汝の眼となって、吾が捜し人を見つけ出してもよいぞ。暇を潰すには調度よかろうて」

 それは願ってもない申し出だが、シイナは首を横に振ってみせる。

「わたしの捜し人は、この世にはいません」

「……死者か」

 死者を捜すというのもおかしな話だが、シイナは何一つ嘘を言っていない。

 だからこそリュウオは眉をしかめる。まさかこんなところにまで因果があるとは思ってもみなかったからだ。シイナの目的を聞いてしまった以上、それに見合うだけのものを提供しなければならないだろう。

「わたしの話はこれで終わりにします。次は貴方がわたしの質問に答える番です」

 この城の中に、シイナ以外の人間は存在するのか否か。その答えは呆気ないものだった。

「今は、おらぬ。……少し前に死んださ」

 あっさりとその科白を口にしたリュウオだったが、けれども溜息混じりの声を上げもした。

 今はいない、それはつまり少し前までは人間が存在していたということだ。

「……すみません」

「何故、謝るのじゃ。知らぬことがあれば誰でも気になるものじゃろうて」

 大したことではないと言いたげに、リュウオはシイナの手を引いた。だがその心中では、聞かれたくないことを口にしてしまったと考えているに違いない、とシイナは感じていた。話をすぐに切り上げようとしている様子が伝わってきたので、シイナはそれ以上、何も追求しないことに決めた。

「眼の見えぬ汝には不便なところじゃろうが、だからといって文句は言ってくれるでないぞ」

「分かっています。わたしにとっては、どんな場所も暗闇に閉ざされていますから同じです」

 吹き抜けの回廊を回り歩いて広縁へと出ると、城周辺の景色が一望できる。だがそれも眼の見えないシイナにとっては暗闇の一部にしかすぎない。景色を楽しむことは不可能なのだ。

「声の次は視力か……。難儀なものじゃのう」

 ぼそりと呟き、リュウオは塀に手をかける。

「皆に一つ、知らせねばならぬことがある」

 城の外に集まる魔族の群に、リュウオは声を届ける。決して大きな声ではないが、リュウオが姿を現すと同時に、城を囲むざわめきが瞬時にして消え去った。誰が指示をするでもなく、自然に静寂な時を演出する。

「吾が目的を果たさんが為、闇夜に紛れロギスタニア城へと足を運んだのじゃが……ちと、不手際な事態に遭ってしもうたわ」

 それが何を表しているのか、シイナには言われなくとも理解している。リュウオの目的を阻んだのはシイナ自身なのだから当然だ。

 魔族の群は、リュウオの言葉に耳を傾けるだけでなく、同時にその隣に佇むシイナの姿にも注目していた。彼女が何者なのか知りたいのだろう。

「ヘレナ=ロギスタニア王女の寝室に忍び込んだまではよかったのじゃがな、そこで吾は大きな失態を犯してもうた。それはじゃな……」

 繋いだ手とは反対側の手を伸ばし、大きな素振りをしてみせる。その様子から察するに、残念がっているようにはとても見えない。いったいどのような失態を犯したのか、魔族の群は言葉の先に紡がれる答えを待った。

「連れ去る人間を、間違えてしもうたのじゃ」

 首を横に振り、肩を落として残念さを表現する。無論だが、それも全て演技だ。

 呆気に取られるかに思えた科白だが、それも無用な心配だった。

 リュウオが笑みを零し、しくじりを恥ずかしげもなく披露してみせたかと思えば、それに共鳴るかのように笑い声が木霊する。耳をすませてみれば、二人の後ろに立つトルエカも苦笑しているらしい。振り向かずとも表情が目に浮かんでくる。

「吾は間抜けじゃ、ほんにどうしようもない間の抜けた王じゃわい。……じゃがな、」

 それ以上笑うのを堪えて、リュウオは高々と手を上げる。すると周囲を包み込んでいた笑い声が瞬く間に潜めていく。これが魔を統べる王の支配力、その表れだ。

「その代わりと言ってはなんじゃが、吾は一つ……否、一人の人間を、見事連れ去ることに成功した。それが誰じゃかわかるものはおるか」

 城の主の問いかけに答えるものはいない。その答えには、ここにいる魔族の誰もが気づいているので、答える必要がないのだ。予測していた通りの反応の無さにリュウオは嬉しそうに頷くと、横に立つシイナにそっと耳打ちする。

「すまぬが、汝を抱くぞ」

「え、抱くって……」

 シイナはほんの少し身を強張らせる。

「安心せい、そういう意味ではない」

 勘違いしていることに気づいたリュウオは、シイナの不安を取り除くように、優しく頭を撫でる。そして腰に手を回すと、もう片方の手で両足を持ち上げた。

「先ほどと同じ格好をするだけじゃよ」

 城に戻るまでの僅かな間ではあったが、シイナは空を舞う旅を経験した。そのとき、シイナはリュウオに抱きかかえられていた。それと同じ格好をしてみせるというだけの話だ。

「な、何故……今ここで?」

「こやつらに汝を自慢したかったからかのう」

 恍けているのではないことは、シイナの身体を抱きかかえるリュウオの感触から知れるだろう。城の外から二人を見上げる魔族の群に、その姿をはっきりと見せつける。

「占師の娘、シイナ=ラヴィリンスじゃ」

 シイナの名を口にすると、魔族の群は次の科白を待たずに満場の喝采を博した。

 何が起こっているのか、シイナには理解できない。できるわけがない。何故、自分が連れ去られることによって、彼らは声を上げて喜んでいるのか。自分はヘレナ=ロギスタニア王女ではなく、ただの占師だ。このような歓迎を受ける憶えは何一つない。

「不思議か、じゃがそれも時期に理解しようぞ」

 くくっ、と喉を鳴らして眼を細める。つい数刻前までは、心の奥底に靄がかかっていたというのに、シイナと出逢うことによってそれも全て消え去ってしまった。

 シイナが視たリュウオの死期は、恐らくは疑いようのない事実であろう。それはシイナが占師であることが何よりの証拠となる。だが、同時にリュウオは感謝もしていた。

 眼を閉じて暗闇に身を任せてみれば、彼女の姿が浮かんでくる。忘れることのできない想いを胸に、あの日以来ずっと苦しんでいた。

 そんなとき、リュウオの前に姿を現したのがシイナだった。

 死を迎えるのがリュウオに科せられた運命だというのなら、シイナと出逢った事実もまた運命であることに変わりはない。

「さあ、今宵は宴じゃ。皆存分に楽しもうではないか」

 城の外だけでなく、城内に潜む全ての魔族に向けて、リュウオは宴の始まりを告げる。

 それを合図に、魔族の群は騒ぎ始めた。宴の準備をしているのだろう。

「窮屈じゃったのう、すまぬ」

「いえ、別にそんなことはありません……」

 リュウオは胸に抱きかかえていたシイナを優しく降ろすと、少しばかし頭を傾けてみせる。

「トルエカ」

 側近の名を呼ぶと、トルエカは小さく頷き、城の中に戻っていく。

 それを見たリュウオは、何かを待ち望むかのように肩肘をつき、賑やかな宴の始まりを満足そうに見下ろした。

 暫くすると、トルエカが広縁へと戻ってくる。手にはトレイを持ち、その上には二つのグラスに瓶が一つ。

「うむ、ご苦労」

 持ってきたグラスを二つともリュウオに渡すと、瓶の栓を抜いて、静かに注いでいく。

 グラスには真っ赤な液体が注がれている。鼻をつくような刺激があるが、嫌ではない。

「汝も飲め、魔族が造る酒じゃ。人間のものとは味が異なる故、気に入るか分からんがな」

 酒の入ったグラスを手渡そうとする。しかしシイナはそれをうまく受け取ることができずに落としてしまった。

「……すまぬ、汝の眼を忘れとった」

「構いません、もう慣れましたから」

 逆に申し訳なさそうに、シイナは苦笑いしてみせる。だが、慣れているにしては不器用な点が多々あるとリュウオは感じていた。ひょっとすると、シイナは眼が見えなくなってからまだ日が浅いのではないだろうか。

「のう、汝よ」

 自分のグラスをシイナに差し出して、トルエカにもう一つ新しいグラスを持ってくるように指示を出す。その間、リュウオはシイナの眼が見えなくなった経緯を尋ねてみることにした。

「汝は何故、眼が見えなくなったのじゃ。生まれつきのものか」

 当然だが、シイナの眼が見えないのは生まれつきのものではないと知っている。占師であることが何よりの証拠だった。

 けれどもそれを自分の口から指摘するほどリュウオは間抜けではない。

 シイナが話してくれるのを待った。

「いえ、これは生まれつきではありません」

 シイナは首を横に振り、否定する。自らの目的を全て話してしまった後なので、今更隠し事をする意味もないと考えているのだろう。

「貴方も魔を統べる王であるのならお気づきかもしれませんが、わたしは占師です。普通の人間とは異なります。それが意味するものは一つです」

 占師たるシイナが持っていて、普通の人間が持たざるもの、それは一つしか残されていない。

「……魔契約者、か」

 やはりか、とリュウオは溜息をつく。予想通りの結果に、些か不満気な様子だ。

「そう、わたしは魔族との契約を結んだ、魔契約者です」

 ――魔契約者。

 それは本来、人間が持ち得ない魔力を手にした者を言い表している。

「元々はわたしも、どこにでもいるような普通の人間でした。勿論その頃のわたしは占師としての力も持っていません。……ですが、ある事件を切っ掛けに、わたしは魔族との契約を結ぶことを決めました」

「……ほぅ、吾はそれを聞いてもよいのかの」

 念のために、リュウオは口を挟んでおく。シイナの気持ちに揺らぎがないか見極めるためだ。

「わたしは魔族ではありませんが、たとえそうだとしても貴方と似たものを持ちえているのは事実です。むしろ人間に知られた方が不測の事態を招くでしょう」

 小さく喉を鳴らし、息を整える。

 それからシイナは、ゆっくりと、自分の過去を話し始めた。

「ラヴィリンス家の人間は、代々ロギスタニア王家に仕える占師として、魔族との契約を結んできました。但し、魔力を得るにはそれ相応の代償が必要となります。わたしが占師として生きゆくために支払った代償、それが視力です」

 視力と引き換えに、シイナは占術を得た。

「なるほどの、汝の眼が見えなくなるのは必然じゃったというわけか」

 皮肉な運命もあるものだと、リュウオは感じた。ラヴィリンス家に生まれてしまったがために、視力を奪われてしまうことになったのだ。たとえ行く先を視通せる力を得たとしても、その引き換えに失ったものが大きすぎる。

 だがしかし、そうではないとシイナは呟く。

「これは必然でもあり、けれども必然ではありません。わたしが視力を失い、占師になったのは、わたし自身の意志によるものですから」

「汝が、自ら志願したと言いたいのか」

 リュウオからの問いかけに、シイナはしっかりと頷いた。

「わたしには、歳が二つ離れた姉がいました。名を、ノイン=ラヴィリンスといいます」

 その名がシイナの口から出たとき、リュウオは肩を揺らした。

「ラヴィリンス家の人間は占師となり、ロギスタニア王家に仕えなければなりませんが、それは第一子に限られていました。つまりわたしは、本来であれば占師として生きゆく運命にはなかったのです」

 第一子としてラヴィリンス家に生まれたシイナの姉、ノイン=ラヴィリンスが、既に魔族との契約を結んでいた。シイナには同じ道を辿る必要はなかったのだ。

「解せぬ……。ならば何故、汝は暗闇に身を任せたのじゃ」

「それは、」

 その先を口にするのは躊躇われる。人間同士のいざこざとはいえ、そこに魔族を引き込んでもよいものかと悩んだ。ただ、ここまで話しておいて止めるのはシイナとしても満足のいかないものとなるだろう。

 意を決し、シイナはその科白をはいた。

「わたしの姉、ノイン=ラヴィリンスが殺されてしまったからです……」

「殺された……じゃと?」

 眉をしかめる。今までにないほど、リュウオはシイナの言葉に反応を示した。

 空気の流れが変わったのを感じたのか、傍を警護するトルエカの額に汗が浮かぶ。

「わたしの姉は、占師となる代償として、声帯を支払いました。言葉を話せなくなる代わりに先を視通せる魔力を手に入れた姉は、ヘレナ=ロギスタニア王女の信頼を得ることになり、専属占師としての道が約束されていました。それに何より、姉は自分自身の未来を視ることができました。わたしには得ることのできなかったものです」

 シイナは魔族との契約を結ぶに辺り、視力を代償として支払った。しかし視力を失ったことが影響を及ぼしているのか、他者の未来は視ることができても、自分の未来だけは視ることができなかったのだ。

 たとえ言葉を話せなくとも、手を用いたり紙に字を書いたりして伝えることはできる。その点においても、ノインはシイナよりも優れた占師といえよう。同時に、シイナは歴代の占師の中でも唯一、自分自身の行く先を視通すことのできない出来損ないでもあった。

「ですが、ある日を境に……姉はおかしなことを言い始めるようになりました」

 おかしなこと、とシイナは称した。それが果たして本当におかしなことだったのか知る者は、もはやどこにも存在しない。証明できる人間はこの世を去ってしまった。

「なんと言うたのじゃ」

「魔族と……契りを、交わすと……」

 魔契約者になるために契約を結ぶという意味ではない。

 ただ単純に、人間同士が惹かれあい、共に結ばれるかのように、魔族を相手に契りを交わすと言っているのだ。それが人間にとってどれほど愚かしいとされているか、分からないわけがない。処刑されてもおかしくはないだろう。

 そうなるであろうことには気づいていたのか、シイナ以外の人間には決して打ち明けたりはしなかった。

 勿論、シイナ自身も口を洩らすようなことはしない。姉の命が掛かっているのだから当然だ。

「それだけではありません。父と母は気づいていませんでしたが、姉は毎晩人目を忍んでどこかに出かけているようでした」

 二人の部屋は二階にあり、外に出るには階段を下りて玄関を通らなければならない。しかしながらノインは階段を下りるようなことはせず、二階の窓から外に出ていたのだ。

 ノインの様子が気になって部屋をノックしたが返事がなく、その代わりに窓が開いていたのが根拠だった。

「姉が何をしようとしていたのか、わたしは知りません。問いただしてみれば或いは、真実を教えてくれたのかもしれませんが、それも今となっては手遅れですね。……それから暫くして、姉が自殺したことを知らされたのですから」

「汝よ、矛盾が生じておるぞ。ノインは何者かに殺されたのじゃなかったのか」

 シイナは、ノインが自殺したと告げた。先ほどは殺されたと言っていたが、確かにこれでは矛盾が生じることになる。

 だが、それは間違ってはいない。嘘は何一つ言っていないのだ。

「……ええ、確かにわたしは姉が殺されたと言いました。それは紛れもない事実です。ですがそれでは、ロギスタニア王家が嘘の報告をしたことになってしまいます。この嘘にわたしが気づいたのは、報告を受けて暫く経ってからになりますが……、では何故、自殺に見せかけなければならなかったのでしょうか」

 謎解きのような不可解な事態に、リュウオは間を置かずに答えを導き出す。

「ロギスタニア王家の中に、曲者がおったということじゃな」

 そう、その人物こそが、ノイン=ラヴィリンスを殺した張本人なのだ。

「正確に言えば、それはロギスタニア王家の人間ではありませんが、王女と近しい関係にある人物であることは確かです」

 虚偽の発言によってロギスタニア王家の人間とシイナを混乱させた人物は、いったい何の目的があってノインを殺したのか。また、殺されるだけの理由があったのか。

「魔族と契りを交わすなど、人間からしてみればおかしな言動でしかありませんでしたが、あの頃の姉は幸せそうでした。でも、だからこそわたしは真実を知りたかった。幸せの最中にいた姉が自殺をしなければならないわけを……」

「……そして、汝は決めたのじゃな。占師になると」

 リュウオの言葉に、シイナは強く頷いてみせる。

 真実を知るために、そして何があったのかを視るために、シイナは魔族との契約を結び、魔契約者となったのだ。

「えてして、汝は真実を視たわけか」

 占師となるために支払った代償は、シイナを暗闇の世界へと誘った。

 眼が見えないということに初めのうちは戸惑い、何もかもが疑わしき存在であると感じていたが、やがてそんなことはどうでもよくなった。

 視力が無いのであれば、代わりに耳で聞けばいい。空気の流れを感じ取ればいい。今までは眼に頼り切っていたシイナだったが、アカズになるのを切っ掛けとして、その他の感覚が特に優れるようになっていた。

「わたしは姉の代わりとして王女の専属占師となりました。悪いとは思っていましたが、真実を知るには都合がよかったのです。……そして、遂にわたしは見つけました。姉を殺したであろう人物を……」

 確信が持てないのは、シイナが過去を視通すことができないからだ。他者の未来は視ることができても、その者が過去に何をしてきたのか知る術は無い。

「そこで、汝は何を知った」

「……王女は、その人物が婚約者であることを教えてくれました。わたしは特に何も考えずにその人物と握手を交わそうと手を差し出したのですが、その人物はそれを拒否しました」

 占師に肌を触られることで、未来を視られるのが怖かったのだろう。他者に自分の未来を知られるのを嫌がる人間は多々いるので、それは至って一般的な考え方だった。

 しかしだ、シイナはそのとき、その人物が別の理由によって接触を拒んでいることに気づいてしまった。それは直感的なものではあったが、不確定要素が幾つも重なり、明確な答えを示しているかのように思えたのだ。

「わたしは、その人物に触れることができないかと頭を悩ませました。しかしながら眼が見えないわたしにできるようなことは何もありません。気がつけば朝が訪れ、暗闇が辺りを包み込んでいきます……。そんな日々を送っていたわたしの許に、千載一遇の機会が巡ってきました。それこそが、今宵の出来事へと繋がるのです」

 今宵の出来事とは、リュウオが王女を連れ去りに来ることを表している。

 シイナはその日、王女の身に何が起こるのかを視た。リュウオが闇夜に紛れ寝室へと忍び込み、王女を連れ去ってしまう未来が視えたのだ。慌てふためく王女と婚約者を前に、シイナはこれを好機とみる。婚約者に触れる機会があるとすれば、今しかない。この瞬間を逃せば、次はないかもしれない。そう考えたシイナは、王女の未来を変えるためにも婚約者の未来を視る必要があると強引に迫った。王女自身がそうすることが唯一の救いであると疑わなかったことから、シイナは婚約者と接触することに成功した。

 そして、真実を視た。

「そこで、汝は何を視た」

「貴方には言えません。決して口にしてはならないことです」

 語らなければならないところが抜けているが、それを話してしまえば、シイナが王女の替え玉として連れ去られた意味がなくなってしまう。

「何故、言えぬ」

「貴方が知れば、ロギスタニア王家だけでなく、国中が混乱を招くかもしれません」

 シイナはそれ以上言葉を紡ぐのを拒んだ。

 しかしそうなれば不満を露にするのはリュウオだ。このままでは何も分からずに話が終わってしまうことになる。

 リュウオとしてはそれだけは避けたい。最後まで話を聞いて、真実を知っておきたかった。

「では王女には言うたのか、そやつと接触し何を視たのかを」

 どうにかして聞き出そうと、リュウオは質問をぶつける。

「……いえ、王女にも言っていません。言えるわけが……ありません」

 だが結局のところ、シイナが視たものを口にすることはなかった。自身の目的でさえ話したというのに、姉を殺したであろう婚約者について何も語ろうとしないのは何故なのか。

 リュウオには理解することができなかった。

「……ふむ、まあよいわ」

「すみません」

 全てを話し終えずに、シイナは頭を垂れる。

 その姿を見て、リュウオはくくっと笑みを零した。

「浮かぬ顔をするでない、気が滅入るぞ。行く末が視えてしまうからそうなるのじゃ」

「ですが……、占師にならなければ真実には辿り着けませんでした」

 真実を得た代償は計り知れないが、ただの人間でしかないシイナにはそうする以外に道は残されていなかったのだ。

「ならば問おう、真実を知った今尚、汝は占師であり続ける意味があるのかの」

 その問いかけには、シイナも反応するのが遅れてしまった。

 自殺をする前、ノインはいったい何を視てしまったのか。そして何故自殺しなければならなかったのか。そのわけが知りたくて、シイナは魔族との契約を結んだ。

 魔契約者となった人間は、契約対象となる魔族の持つ魔力の十分の一を扱えるようになるが、その代償として光を失った。けれども後悔はしていなかった。これで真実を知ることができる。そう考えると、自然と勇気が出た。

「占師であり続ける意味……ですか」

 だがそれも今となっては終わったことだ。

 ノインを殺したであろう婚約者と接触することにも成功し、シイナは真実を得た。もはや占師であり続ける意味はないのだ。

「元々、汝は占師になる運命ではのうたじゃろうて」

 リュウオの囁きに、シイナは目蓋を閉じて首を横に振った。

「占師になることがわたしの運命ではなかったとしても、わたしは自分の意思で占師になることを決めました。だから今更後戻りはできません」

 その言葉を待っていたのか、リュウオは意地悪そうに笑ってみせる。

「ならば汝よ、吾と契約を結んでみるか」

「……貴方とですか?」

 まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。見えることのない眼を見開いて、リュウオの声が聞こえる方を向いた。

「汝は知っておるか、人間と契約を結ばんと考える魔族は滅多におらぬのじゃ」

「そうなのですか……」

 それは初耳だった。

 ラヴィリンス家では魔族と契約を結ぶことが当たり前のように行なわれていたので気にも留めなかったが、魔族側にも制限のようなものがあるのだろうか。シイナは眉根を寄せた。

「考えてもみるがよい、魔力の乏しい魔族が、十分の一とはいえ魔力を与えようと思うか」

「あ……」

 確かに、言われてみればその通りだ。

 魔契約者になることで、人間は十分の一の魔力を扱えるようになるが、それは同時に、人間と契約を結んだ魔族が十分の一の魔力を扱えなくなることを意味している。

「強き者であれば、それも可能かもしれぬ。じゃがな、弱き者が己が魔力を代償に支払い、人間と契約を結ぶにはそれ相応の危険があるでな」

 魔力とは、魔族の象徴のようなものであり、自身の命と同じであると考えられている。

 その命を削ってまで人間と契約を結んだりすれば、その分他の魔族との魔力の差が生じてしまい、命の危険に晒される可能性も否定できない。下手をすれば、人間にさえ殺されてしまいかねない。

「人間側から代償を支払ってもらうとはいえ、そんなものは魔族からしてみればまったく価値のないものじゃからのぅ。強大な魔力を持つ魔族の中でも、気紛れで契約を結ぶ輩がほとんどじゃろうて。……そう、たとえば今の吾のようにな」

 音も無く腕を伸ばし、シイナの手を優しく握ってみせる。

 広縁に長く居すぎたのか、シイナの手は冷たくなっていた。

「そろそろ中に入るかの」

 その言葉を合図とし、トルエカがグラスを片付ける。

 依然として、城の外では魔族の群が宴を張り盛り上がっている。

 リュウオに連れられるまま、シイナは城の中へと入った。

 室内には暖炉があるが、火は灯されていない。けれども不思議と寒くはなかった。これも恐らくは、ここにいる魔族の中のいずれかが魔力を用いることによって可能としているのだろう。

 眼が見えないシイナを気遣いながら、リュウオはゆっくりとした歩調で歩いていく。

「椅子を用意させたでな、ここに座るがいい」

 座るように促され、シイナは椅子の位置を手で確認する。

 手触りのよい質感と弾力が指に伝わる。大きさからみて、どうやら二人用のようだ。これは椅子というよりもソファに近いかもしれない。

 ゆっくりと腰掛けたその隣に座っているのは、言わずもがなリュウオだ。

「更に言えばのう、ここからが魔族と人間が契約を結ぶに際し面白いところじゃて」

 ある種の自信のようなものを言葉の端から感じ取れるが、それはリュウオが魔を統べる王であることが最大の要因といえるだろう。そうでなければ、次のような科白を口にはしまい。

「魔族との契約とは、より強大な魔力を持つ魔族に優先権が存在しておる。つまりじゃ、汝が契約を結んでおる魔族よりも、吾の魔力が強大であれば、その契約を上書きすることも可能というわけじゃな」

「契約の上書き……。そんなことが可能なのですか」

「嘘を吐いてどうなるというのじゃ、吾になんの得もありはせぬ」

 シイナが契約を交わした魔族が、魔を統べる王であるリュウオよりも強大な魔力を持っているわけがない。それは言われなくとも理解している。だからこそリュウオは、このような話を振ってきたのだろう。だが、いまひとつ信じることができない話だ。何か裏があるのではないかと疑ってしまいたくなる。

 勿論、問題はそれだけではない。

 一度でも魔族と契約を結んでしまえば、人間は代償を支払わなければならない。 そしてもし仮に契約の上書きが可能だとすれば、それまでに契約を結んでいた魔族から得ていた魔力は失い、その代わりに新たな契約を結んだ魔族の魔力を得ることになるわけだが、それは同時に二度目の代償を支払うことにも繋がる。

 つまるところリュウオは、眼が見えないシイナに、更にもう一つ何かを失えと言っているようなものだった。

「汝よ、契約を結んだ魔族の名を言うてみぃ」

「……真名は知りませんが、ラヴィリンス家はあの魔族のことをミロクと呼んでいました」

 その名に聞き覚えがあるのだろう。シイナの口から出てきた魔族の名を耳にして、リュウオはくつくつと喉を鳴らした。

「ミロクとはのう……、これはまた大物が釣れてしもうたわ」

 大物、とリュウオは表現した。魔を統べる王たる存在に、そのような表現を許される魔族は、滅多にいまい。ラヴィリンス家の人間が占師になるために代々契約を結んできた相手というのは、果たして何者なのか。

「奴はの、吾と等しい存在――魔を統べる王じゃ」

「ミロクが……魔を統べる王……?」

 反問すると、リュウオはその通りだと頷いた。

「魔を統べる王は貴方一人ではなかったのですか」

 驚きを隠せないといった様子で、シイナはリュウオに詰め寄る。

「その認識が既に間違いじゃ。吾が支配下に置くのは、此処ロギスタニア大陸に限られておるでな、それが意味することは汝も理解できようぞ」

「一つの大陸に、一人の王が存在していると……」

 これも全て初耳ではあったが、リュウオの言葉には真実味がある。それはリュウオが人間ではなく魔族であることが理由として挙げられるだろう。

「汝が契約を結んでおる魔族、魔を統べる王ミロクはの、東の大陸――エルバストロスに存在する魔族の群の王じゃ。本来、支配下に置く大陸以外には干渉せぬが暗黙とされておったわけじゃが……さて、奴はいったい何十年前……否、何百年前からそれを破っておったのか。人間に代償を支払わせてまで、何を求めておるのかのぅ」

 少し嬉しそうに思考する。シイナにはそれが一暴れしたがっているかのようにもみえた。

 他の大陸の情報は、滅多に入ってこない。何故ならば、魔族に襲われるであろう危険を侵してまで、大陸間を移動しようと考える人間がいないのだ。

 他の大陸との交流といえば、ロギスタニア大陸の東に位置するエルバストロス大陸が唯一だろう。しかしそれも魔族の手によって阻まれてしまうことがほとんどで、その他の大陸に至っては海を渡らなければならず、交流を持つことさえ不可能な状態にある。

「じゃが驚いたぞ、よもや吾と等しい魔力を持ちえる魔族との契約を結んでおるとはの」

「自分が知らない間に、わたしは魔を統べる王と契約を結んでいたのですね……」

 人間や魔族の行く末を視通すことができれば、自身の思うがままに生きてゆくことができるだろう。言われてみれば確かに、ラヴィリンス家の人間は特に優れた魔力を持っている者がほとんどだった。契約を結んだ相手が魔を統べる王なのだから当然だ。

「しかしじゃ、汝が契約しておる魔族がどのようなものじゃろうと、吾にはまったくもって意味のないものじゃて」

 たとえ魔を統べる王が相手だとしても、リュウオは臆することはない。

「さて、話が長うなったが……汝よ、吾と契約を結ぶか」

「断ります」

 きっぱりと、シイナは断ってみせる。

「ほぅ、何故じゃ。ミロクとの契約により視力を失うた汝が、今更別の代償を支払うのが怖いわけではあるまいな」

 眉間に皺を寄せて、真意を聞き出そうとする。

 するとシイナは、ある意味予想通りの言葉を口にした。

「わたしはラヴィリンス家の人間です。姉亡き今、わたしには占師として生きていかなければならない義務があります」

 義務、という言葉を用いた。

 リュウオの話に心が揺さぶられたのは事実だが、今ここで新たな契約を結び、更に代償を支払うことにでもなってしまえば、姉の敵を討つことが困難になるだろう。

 この眼で敵を見ることはできないが、必ず自分の手で決着をつける。それがシイナに課せられた義務でもあった。

「……ふぅ、やはり血は争えんのぅ」

 少しばかし残念そうに、リュウオは深い溜息を吐いた。シイナはその呟きに反応する。

「それは、どういう意味ですか」

「場所を移そうぞ」

 椅子から立ち上がり、リュウオはシイナの手を取る。回廊へと戻り、シイナが躓かないように気をつけながら、ゆっくりとした足取りで奥へと進んでいく。

「さあて……、先ほど話した内容と少し重なるがの、ほんの僅かな間ではあったが、此処には一人の人間がおった。そやつがまたおかしな人間でのぅ、魔族を怖がることなく、たった一人で此処までやって来おったのじゃ」

 回廊を進み、階段を下りていく。

 広間中央の黒の扉を開いて、二人は玉座の間へと入った。

「そやつはの、今の汝と同じ言葉を紙に綴りおったわ」

「……ま、まさか」

 玉座の後ろには、更にもう一つの扉が用意されていた。

 その扉を開いた先にあったもの、それは小さな墓石だ。

「見えぬか? ……いや、見えなくともよい。そやつも、汝にだけは見られたくなかったようじゃからのぅ」

 墓石の前に立つと、リュウオは手を離した。

 自由になった両手を前に出し、シイナは墓石に手を触れて、そこにあるものを確かめていく。

「汝の姉、ノイン=ラヴィリンスの墓じゃ」

「貴方だったのですか! 貴方が、姉を攫って……っ」

 後ろを振り返り、リュウオがいるであろう方角に向けて声を荒げる。

 ノインが自ら命を絶ったと報告を受けたシイナは、哀しみに明け暮れていた。

 だがそれに追い討ちをかけるかのように、亡骸が何者かの手によって奪われてしまった。

 そう、シイナが捜すこの世には存在しない人物とは、ノイン=ラヴィリンスなのだ。

「否定はせぬ」

「どうして……、どうして攫ったのですかっ」

 怒りを抑えきれなくなったのか、シイナはリュウオの腕を掴み、ありったけの力を込めた。

 それを優しく振りほどき、リュウオはシイナの頬に触れる。

「少しだけ、昔話をするかのぅ……」

 墓石の前で膝を折り、両手を組んでみせると、リュウオは唾を飲み込み、息を整えていく。

 妹であるシイナに心のうちを打ち明けるのには躊躇いを齎していたが、それでは怒りに我を忘れつつあるシイナを納得させることはできないだろう。

 程よい緊張を持ったまま、その言葉をシイナの耳に届けることに決めた。

「汝の姉、ノイン=ラヴィリンスと吾は、契りを交わすと誓うた間柄じゃった……」


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