プロポーズ
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結です。数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
読んでもらえたら嬉しいです。
僕たちが付き合って一年が経った。ついにこの日がやって来たのだ。
今日、僕は輝夢にプロポーズする。
駅のトイレで身だしなみを整えながら、頭の中でこれからの行動を何度もシュミレートする。
大まかな流れとしては、輝夢と合流後、ディナーを済ませてから予約しておいたホテルに向かうことになっている。プロポーズはそのホテルで行う予定だ。
「ひとつひとつ、落ち着いてクリアしていこう」
そう自分に言い聞かせてからスマホをチェックすると、そろそろ駅に到着するという輝夢からのメッセージが届いていた。ホテルでの準備もあったため、今まで輝夢とは別行動だった。急いで待ち合わせ場所に向かう。
外は晴れていてうっすらと昨日の雨の匂いが感じられた。陽がほとんど落ちかかった薄明の空の下、往来を行き交う人々をぼんやりと眺めながらポッケに手を突っ込んで彼女を待つ。五月とはいえ、夜になると少し肌寒く感じた。
しばらくすると、アイボリーホワイトのタイトなワンピースに、黒いヒールを佩いた輝夢が艶やかなストレートの長髪をなびかせながら颯爽と現れた。女性らしい線が印象的な装いの彼女はさながらモデルのようで思わず見とれてしまう。
「りっちゃん、おまたせ」
上品で大人っぽい見た目とは裏腹に、無邪気な笑顔を向けてくる彼女の美しさを表現する言辞を僕は持ち合わせていなかった。
「僕もいま着いたとこ。じゃあ、いこっか」
差し出した手に彼女は嬉しそうに腕を絡ませる。甘い香りに包まれて胸がトクンと音を立てた。丁重にエスコートして、僕らは目的の場所へと向かった。
路地を抜けた先に現れたのは、まるで隠れ家のようなフランス料理店だった。中に入ると雰囲気のある間接照明と深淵を思わせるネイビーブルーのクロスが掛かった丸いテーブルがいくつか置かれてあった。馴染みのない高級感あふれる店内の様子に気押されないようにしっかりとした足取りでスタッフに案内されてたどり着いた席で、奥の椅子を引いて輝夢を座らせてあげた。
向かい合わせの席について、職場での出来事など、たわいない話に花を咲かせていると、さっそく前菜が運ばれてきた。大きなお皿の中央にシェフ特製の料理が輝きを放つように置かれていた。
そのあともさまざまな料理が運ばれてきて、味はもちろんのこと見た目にも楽しめるものばかりで、さすが高級コース料理といった感じだった。普段なかなか食べられないだけに、大満足のディナーになった。
なによりも、大事な記念日を素敵なお店で過ごせて嬉しいという輝夢の言葉に、悩みに悩んでここに決めた甲斐があったなと、一安心したのだった。
でも、本番はいよいよここからだ。
予約したホテルに到着する頃、僕の緊張はピークに達しようとしていた。
「おっきなホテルだね。どんなお部屋だろう。わくわくする〜」
そんな僕の様子を知ってか知らずか、立派な外観を仰ぎ見ながら楽しそうにしている輝夢を伴って、エントランスからエレベーターに乗り、上階へ向かう。
部屋に入ると、まず目を引いたのは大きな窓から一望できる東京の街の夜景だった。
「わぁ! 綺麗!」
窓に張り付くようにして眼下にある眺望を見渡している輝夢の背中に向かって、
「気に入った?」
と、声をかけると、彼女は髪をなびかせて振り向いて親指をグッと上げた。
「すっごく気に入った。センス良すぎるよ、りっちゃん」
彼女は満面の笑みを浮かべて褒めてくれた。
「ちなみにお風呂からも夜景が見れます」
ドヤ顔で伝えると彼女は胸の前で手を合わせて喜んだ。
「ええ! ほんとに?」
「うん。見ておいでよ」
そう言うと輝夢は元気よくうなずいてお風呂の方へ歩いていった。
そのあいだに、クローゼットに隠しておいた手紙と真っ赤なバラの花束と指輪の入ったケースを取り出す。手に取った瞬間、人生のどん底だった時のことや、輝夢とのこれまでの日々が蘇ってきて感極まって泣きそうになった。
「すごーい! 綺麗〜!」
お風呂場から聞こえてくるハイテンションな輝夢の声にハッとする。気を取り直して急いでダブルベッドと夜景の間に立って彼女を待ち構える。そこへちょうど、見学を終えた輝夢が戻ってきた。
「りっちゃん、お風呂——」
彼女は僕の抱えた花束を見ると、その場で立ち止まって息を呑んだ。笑顔で手招きすると、驚いた様子でゆっくりと僕の前までやってきた。
「輝夢ちゃん、一周年のサプライズプレゼントです」
そう言って花束を渡すと、輝夢はそれを受け取ってくれた。
「ありがとう、りっちゃん……」
感慨に浸るように、うっとりとした表情で嬉しそうに花を見つめる輝夢に言った。
「手紙書いてきたから、読んでもいい?」
「うん」
僕は少し照れながら、最初の一文を声に出した。
「輝夢ちゃんへ
一年前のこの日、僕の告白をOKしてくれてありがとう。
美人で、可愛くて、思いやりがあって、おしとやかで、かしこくて、びっくりするくらいヤキモチ妬きで。
そんな世界一の女性の彼氏として一年間過ごすことが出来て、心から幸せでした。
このあいだ、僕の好きなところの一つに『輝夢のことが大好きなところ』と言ってくれたけど、輝夢ちゃんに出会っていなかったら、僕は一生、人を愛する方法がわからないままだったと思います。人を好きになることの素晴らしさを教えてくれてありがとう。
小説家として、いつまでも結果の出せない僕のことを見捨てずに今日までたくさんの愛で支え続けてくれたことは生涯忘れません。
もっともっと成長して、立派になって、僕が必ず、輝夢ちゃんのことを世界で一番幸せにすると誓います。
一年間、付き合ってくれて本当にありがとう。これからもたくさん素敵な思い出を一緒に作っていきましょう。
愛してるよ。
律より」
手紙を読み終えると、輝夢は頬を伝う涙をテーブルの上にあったティッシュで拭っていた。
「いつもありがとう輝夢ちゃん。おかげさまで最高の記念日になったよ」
そう言って渡した手紙を受け取りながら輝夢は答えた。
「こちらこそだよ。本当にありがとう。りっちゃんとじゃなかったら、こんなに楽しい記念日デートはできなかった」
笑顔で見つめ合う。一拍おいて、僕は言った。
「実は、もう一つ輝夢ちゃんに渡したいものがあるんだ」
そう告げて僕は不思議そうに首をかしげる彼女の前にひざまずいた。
「えっ?」
目を丸くする輝夢に、上着のポケットからケースを取り出し、蓋を開けた。光輝を放つ指輪が姿を現した。
「僕と、結婚してもらえませんか?」
輝夢は口元を手で押さえながら号泣した。
「お願いじまず」
嗚咽しながら、とめどなく溢れる涙をどうすることも出来ずに肩を震わせて立ち尽くす彼女をそっと抱きしめた。バラの花の香りが鼻腔をくすぐった。
喜びや安心感、彼女への愛しさ、さまざまな感情が胸の奥から押し寄せてきて僕ももう、涙を抑えることが出来なかった。
結ばれた二人を祝福するかのように、窓から見える街の光が逆さまの星空のようにいつまでも輝き続けていた。
月日は流れ、じりじりと地上を燃やし尽くさんばかりに太陽が燦々と降り注ぎ、蝉の合唱が轟渡る昼下がり。
都内某所で行われる講英社の出版祝賀パーティに招待された僕はあまり乗り気ではなかったが輝夢に説得されて仕方なく参加していた。慣れないスーツを身にまとい、名だたる文筆家たちに混じって会場の片隅で緊張を紛らわすためにスパークリングワインをちびちびと飲んでいると、とうとう自分のスピーチの番が回ってきてしまった。
意を決して登壇すると、全員の視線が自分に集まってきて気圧されそうになった。目を合わせないように遠くを見ながらマイクの前に進み出る。
「本日はこのような栄えある祝賀会に参席させて頂き、誠にありがとうございます。大先輩方を前に、私のような若輩が話をするのは場違いのような気がしていて、担当の方には何度もお断りしていたのですが、どうしてもというので手短に喋らせていただきます。
私は不登校で引きこもりでした。何をやっても長続きしない、親に迷惑ばかりかけるダメな人間でした。そんな私が小説家として自分の書籍を世に送り出すことが出来たのは、これまで、こんなダメな自分を信じ、支え続けてくれた人たちのおかげです。心から感謝しています。
私は小説が嫌いでした。書かれていることを想像するのって面倒だし、今は本の他にも魅力的なエンタメがたくさん存在しています。その中であえて本を選ぶ理由がずっとわかりませんでした。でもある一冊の本に出会って、価値観を変えられました。その本に描かれる壮大な物語や美しい言葉の数々に、心を掴まれ胸を踊らされ、生きる活力をもらいました。本には人を感動させる力があることを知りました。
あわよくば私の小説も、深い闇の中にいる人たちにとって、一条の希望となれたならこれ以上の喜びはありません。
最後になりますが、刊行に尽力していただいた編集部の皆様に感謝の言葉を申し上げて、私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました」
拍手に包まれる中、深く頭を下げて、僕はそそくさと演壇をあとにした。
祝賀会の帰りにケーキ屋さんに寄って、頼まれていたケーキを買って家に向かった。帰宅すると輝夢が玄関まで迎えにきて、今日一日の労をねぎらってくれた。
「それで、祝賀会はどうだった?」
二人並んで夕飯を食べながら、僕は今日のことを輝夢に一から十まで全部話して聞かせた。
「輝夢ちゃんの言うとおり、やっぱり参加して良かった」
「それは良かった」
輝夢は微笑みながら僕の肩にもたれ掛かった。
「いつか輝夢も参加してみたいな。小説家の妻として」
「輝夢ちゃん……」
妻という響きが少し照れくさくて顔が熱くなってしまう。甘い空気に包まれる中、二人の視線が重なる。
「……そしたら、りっちゃんがドレス姿の美人な小説家の先生に鼻の下を伸ばさないように見張っていられるのに」
急に張り切って拳を握りしめる輝夢に、口に含んでいた料理を吹き出してしまった。
「ちょっ! きたなーい!」
「だって、輝夢ちゃんが変なこと言うから」
笑いながら台拭きでテーブルを拭いてくれていた輝夢の手が止まる。
「まさか今日本当にそういうことがあったんじゃないよね? それで動揺したんじゃ……」
「へっ?」
急に輝夢のまとっていたオーラが変わって射るような視線で見つめられて心臓が止まりそうになる。
「そんなこと、あるわけないじゃんっ⁉︎」
「ほんとかなあ」
ジト目を向けられて、何も悪いことはしていないのに焦って箸を落としてしまう。
「ああ! 怪しい〜!」
そう言いながら輝夢は笑った。挙動不審な僕の動きが面白かったらしい。つられてこっちまで笑ってしまう。
彼女といると、毎日が楽しくて仕方ない。
こんな幸せがずっと続いたらいいな。ずっとずっと、永遠に。
「あ、パパからメッセージだ」
二人ではしゃいでいると、輝夢がそう言ってテーブルの上のスマホを手に取った。僕は幸せの余韻を噛み締めながら、冷えた麦茶を喉に流し込んだ。
「ねぇ、りっちゃん……」
急に真面目なトーンになる輝夢を不思議に思い、「どうしたの?」と聞くと思いがけない言葉が返ってきた。
「パパから、婚約の話は聞いてない、ちゃんと説明しなさいって……」
青天の霹靂とはこのことである。
全思考回路が一斉に停止して、しばらくして少しずつ動き出すと、気まずそうな輝夢ちゃんの苦笑いの表情が目の前にあって、僕は泣きそうになった。
ついにこの時がきたのだ。輝夢のご両親への挨拶。この道を避けては、愛する輝夢との結婚という目標に到達することは決して出来はしない。彼女に真剣な眼差しを向けながら、ゆっくりと、しかし確実に物語は次のステージに向かって動き出そうとしているのを確信した。
今回で「小説家の恋人」は最終回になります。
ここまで読んでくださった皆様に心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。




