金沢旅行
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結です。数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
よければ読んでもらえると嬉しいです。
木虫籠の張り巡らされた特徴的な建造物が並ぶ茶屋街は、国内外問わず大勢の観光客で賑わっていた。家屋に挟まれた重厚な石畳の通りも情緒があってまるで江戸時代にタイムスリップしたようだった。
そんな茶屋街の景色に溶け込むように、淡い紫色の着物を着た輝夢が目の前を歩いている。艶やかな長い黒髪を和装に合わせて後ろで結んでいて、露わになったうなじに視線が行くたびに心臓が跳ねた。着物姿の彼女はいつにも増して清楚で、それでいて艶麗だった。
今日は僕の誕生日のお祝いも兼ねて、金沢に旅行に来ていた。朝一の新幹線に乗り込み、先ほど到着して旅館に荷物を預けたあと、さっそく市街地に観光にやってきたところだった。
お昼ご飯に食べた回転寿司が想像以上に美味しくて、回転寿司の常識が覆った僕は、茶屋街に移動してきた今も北陸の海の幸に打ちのめされた余韻に浸りつつ、金箔の乗った豪勢なソフトクリームを持った輝夢を写真に収めるのだった。アイスを食べたあとは江戸時代から続く『国指定重要文化財』にも選ばれているお茶屋にお邪魔して、抹茶と上生菓子を頂いた。深みのあるお茶の苦味と上品な菓子の甘さが口の中で溶け合う。江戸時代の人もこんな風にお茶とお菓子を味いながら雅やかなひと時を過ごしたのかと考えるとロマンを感じずにはいられなかった。
お香の良い香りが揺曳する店内の開放的で優雅な空間にも癒された僕らが次に向かったのは日本三名園の一つ、兼六園だ。広大な霞ヶ池に映し出された快晴の空、金沢のシンボルでもある徽軫灯籠など、風情のある日本の風景に心が浄化されるようだった。園に流れるゆっくりとした時間が知らず知らずのうちに心に生えた棘を拭い去っていく。
ずいぶん前に石川県が舞台のアニメを観てから、憧れに似た感情を抱いていて、ずっと行ってみたいと思っていた場所がこの金沢だった。実際に今回、初めて来てみて、より一層この土地が好きになった。澄んだ空気も、美味しい食べ物も、優しい地元の人たちも、伝統的な建物も、爽やかな風も、花の雨のように降り注ぐ柔らかな陽の光も、全てが美しい街だと心の底から思った。
夕方、宿泊先の旅館に戻り、温泉で旅の疲れを癒したあと部屋に帰ると、すでに食事の準備が整っていて、浴衣に着替えた僕らはさっそく席についた。能登牛や地元で採れた山菜の天ぷらなど伝統的な創作料理が食欲を刺激し、視覚でも楽しめる食べものがずらりと並んでいた。
「おいしい」
焼き蛤を食べた輝夢が頬に手を当てて顔容を蕩けさせていた。
能登牛の炙りを食べると、骨の髄に染みるほど美味しかった。
しばらくして、仲居さんがケーキを持って入ってきて、僕は思わず声を上げて驚いた。
「りっちゃん、誕生日おめでとう」
いつの間に用意したのかが全くわからない三本の蝋燭が乗ったチョコレートケーキと笑顔を浮かべる輝夢の顔を交互に見ながら困惑していると、彼女は蝋燭の火を消すように僕に提案してきた。一息に吹き消すと、もう一度輝夢からお祝いの言葉と拍手をもらった。
「ありがとう、輝夢ちゃん」
思いもよらないサプライズに感動していると、彼女はおもむろにカバンの中から赤いアンティーク調の封筒を取り出した。
「あのね、お手紙書いてきたから、読んでもいい?」
照れたように封筒で顔を半分隠しながらたずねてくる輝夢に僕は微笑みながらうなずいた。
可愛らしいメッセージカードを広げて、少し緊張した面持ちで彼女は話し始めた。
「りっちゃん。お誕生日、おめでとう。初めて出会ってから四年が経ったね。恋人として、りっちゃんのお誕生日を一緒に過ごすのは今回が初めてだけど、りっちゃんの彼女として、こうやってお祝いすることが出来てすごく嬉しいです。
初めて会った頃は、りっちゃんと付き合うなんて全然思ってなかったよ。でも、りっちゃんのまっすぐな気持ちと行動に少しずつ惹かれていきました。今はりっちゃんの恋人であることが嬉しいし、付き合ってよかったって、心から思います。
書くことがたくさんあって迷うけど、りっちゃんの好きなところを言いたいと思います。
いつも輝夢のことを考えてくれるところ、輝夢が出来ないことを率先してやってくれるところ、わがままを聞いてくれるところ、守ってくれるところ、真面目なところ、面白いところ、忘れっぽいところ、朝が苦手なところ、仕事に一生懸命なところ、夢を叶えたところ、そして一番好きなところは輝夢のことが大好きなところです。
良いところも悪いところも含めて大好きなりっちゃんと一緒にいれることが、輝夢の生きる力です。いつも本当にありがとう。これからもずっとりっちゃんの隣でお誕生日をお祝いさせてね。輝夢が必ずりっちゃんを幸せにしてあげるよ。これからもよろしくね。愛してるよ。輝夢」
頬を流れる涙をバレないように拭いながら改めて自分が彼女からの手紙に弱いことを思い知る。真心の言葉というのは人の心を打たずにはおかない。受け取った便箋に書かれた丁寧な文字を見て、彼女の深い愛情を感じるとともに、日頃の感謝や愛が溢れてきた僕は、座卓の向こうにいた輝夢のところまでトコトコと歩いて行って大切な宝物に触れるようにそっと抱きしめた。
「ありがとう、輝夢ちゃん。大好きな輝夢ちゃんにお祝いしてもらえて本当に嬉しい」
背中に感じる手の温もりにこの上ない喜びを噛み締めながら、輝夢とこの旅が出来て良かったと心の底から思った夜だった。また来ようと、二人で約しあった。まだ道の途中、これからいろんなことがあると思うけれど、僕らならきっと大丈夫——輝夢となら不思議とそう思えるのだった。
旅行から帰ってくると輝夢から年の数だけプレゼントを渡された。大好きな人からのプレゼントというのはもちろん嬉しい。けれどそれ以上に、ここまで時間と労力をかけてくれたことが本当に嬉しかった。僕の心の真ん中にある彼女への愛がまた一つ大きく膨らんだ。かつてないほど思い出に深く刻まれた三十回目の誕生日になった。




