浮気
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結です。数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
読んでもらえたらとても嬉しいです。
「えっ、いまから?」
驚いた輝夢の声が部屋に響く。
「うん。急だから、断ろうかと思ったんだけど、今後のことも考えると、一応顔だけでも出しといた方がいいかと思って……」
編集部の人から飲みに誘われたことを正直に伝えると、輝夢はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「そんなあ……。じゃあ輝夢は一人でご飯食べるの?」
上目遣いをされながらそんな風に言われるととても心が痛んだ。
「大丈夫。そんなに長くはならないよ。それにメンバーも男だけっぽいし」
男だけという言葉に安心したのか、輝夢は一瞬だけパッと笑顔になったあとすぐにまた悲しそうな顔で「やっぱり寂しいよ〜」と言って僕に縋り付くように顔を胸に埋めて幼児のように頭を左右に何度が振った。
「わがままでごめんね……」
僕は彼女の背中を優しく撫でた。
「輝夢ちゃんが謝ることは何もないよ」
すると彼女は顔を上げて僕を見た。
「早く帰ってきてね?」
甘えた声でそう言う輝夢に後ろ髪を引かれる思いだったが、着替えなどの準備を済ませてから僕は家を出た。
外は小雨が降っていた。近くの公園に差し掛かると、すでに青く色づき始めた葉桜が目に入った。最近、雨風が強い日が続いていたせいもあってほとんどの花は地に落ちて、道端は桃色の絨毯になっていた。季節の移り変わりというのは早いなと、しみじみ感じる。散りゆく桜を見ていると無性に切なくなるのはどうしてだろう。スマホに悲しげな表情のスタンプが二つ送られてきているのを見て、何かお土産を買って帰らないとな、と思いながら僕は編集部の人たちとの待ち合わせ場所へと急いだ。
数時間後。終電で帰ってきたほろ酔い状態の僕を、輝夢は満面の笑みで迎えてくれた。まずこの時間まで起きていてくれたことが嬉しかったし、お土産のちょっと高級なアイスを受け取って、ご満悦になる彼女を見てひと安心するのだった。
しかし。この幸せな時間が地獄に変わるだなんて、この時の僕は知る由もなかった。
翌朝、ベッドで深い眠りについていた僕は腹部にかかる物理的な重圧による呼吸困難によって目を覚ました。細くしなやかな足で踏みつけられる自分の腹部を見て、この息苦しさの正体を理解した。ただ、どうしてそうなったかはわからない。僕は今、輝夢に踏まれているようである。そんな状況にあって、青ざめた顔で彼女をみると、グレーのキャミソールとショートパンツのルームウェア姿の輝夢は怒りを露わにして、踏みつけた足と軸足で上手くバランスを取りながらゴミでも見るようなジト目で僕を見下ろして立っていた。
「ごふっ! ら、輝夢ちゃんどうしたのっ」
「これ、どういうこと!」
そう言って僕の眼前に突きつけられたスマートフォンの画面には、とある画像が映し出されていた。それは間違いなく昨日参加した飲み会の集合写真だった。
「どうして輝夢ちゃんがこの写真を……?」
疑問をそのまま口に出すと、輝夢は一言「りっちゃんの職場の人のストーリーに上がってた」と言った。
「ああ、そういうことか。でもよくアカウントがわかったね……」
「りっちゃんのフォロー欄は全て把握済みだよ」
さすがだ、と感心しつつ引きつった微笑みを向けると、再び腹部に重圧がかかって息が止まりかけた。六、七人の男女が映った写真を人差し指と親指で拡大して見せられる。そこには酔っ払って顔が赤くなった僕と、とある女性が実に楽しそうな雰囲気で隣同士で座っているところが写っていた。僕はそっと布団を顔が隠れるくらい深く被ったが、秒で剥ぎ取られてしまった。
「りっちゃん、男だけだって言ってたよね。どうして女の人がいるのかな?」
この時の彼女の笑顔ほど怖い表情はこの世には存在しないだろうと思った。「どうしてだろう」と、とぼけたことを言ってしまったがために、輝夢は僕の肩を軽く叩いた。
「本当は女の人がいる飲み会なのに、男だけって言って嘘ついたんだね?」
「それはちがうよ! 知らなかったんだ、女の人がいるなんて!」
「……ほんとかなぁ」
「これはガチ。お店に行ったら編集部の人の知り合いっていう子がすでにいたんだよ。信じてくれるでしょ?」
僕は起き上がって輝夢に抱きつこうとしたが「触らないで」と拒絶されてしまった。
「それなら、帰った時に一言あってもよかったじゃん。女の人いたって」
「それは……、怒るかなぁと思って言えなかったんだよ〜」
憤慨した彼女を前にするとどうしても情けない喋り方になってしまう。
「輝夢はね、黙ってたことに怒ってるんだよ。言ってくれてたら普通に怒んなかったよ。だって仕事の付き合いなんだし、仕方ないよねって思えたもん。秘密にされてて、一人でSNS見て知ったときの輝夢がどんな気持ちだったかわかる?」
「嬉しかった?」
恐れを知らずに煽っていくと、「なんでよ!」と、すぐさま今度は胸の辺りを叩かれた。
「悲しかったの!」
半泣きの輝夢の表情を見ているとさすがに可哀想になってきたので、ベッドの上に正座して頭を下げた。
「本当にごめんなさい。行ったら普通に女の人もいたんだ。もちろんだけど、何もなかったよ。次からは包み隠さず起きたことは必ず全て輝夢ちゃんに報告します」
重い沈黙が続く。極限環境微生物になったような気分だった。
「わかってくれたなら、もういいよ。顔あげてりっちゃん」
言われた通りに顔を上げると、輝夢は僕をそっと抱きしめてくれた。嬉しくなって僕もそっと彼女を抱きしめ返した。体を離して見つめ合うと輝夢の綺麗な顔が目の前にあって心臓が跳ねた。先ほどまでと打って変わって穏やかな時間が流れはじめる。
「りっちゃん、息くさい」
「うそっ」
すぐさま手をかざしてブロックすると、彼女は吹き出しながらまた僕に抱きついてきた。
「顔洗ってきて。ご飯食べよ。今日は輝夢が作ってあげる」
「ありがとう。僕も手伝う」
そうやってなんとか危機を乗り越えた僕らの休日が始まった。今日も朝から彼女の愛を確かめることが出来て、なんと幸せな一日のスタートなんだろう、と思う暢気な僕であった。




