書籍化
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結です。数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
お時間がありましたら読んでもらえたら嬉しいです。
「輝夢ちゃん、ただいま〜」
家に帰るとブルーのエプロンをかけた彼女が出迎えてくれた。
「おかえり〜! 打ち合わせどうだった?」
洗面所で手を洗う僕の背中に向かって声をかける輝夢の方を振り返って言った。
「書籍化決まりそう!」
両手でガッツポーズしながら告げると、彼女の顔がパッと明るくなった。
「ほんとっ⁉︎ すごいすごい! やったー!」
輝夢はその場でぴょんぴょんとうさぎみたいに跳ねて喜んだ。そのまま手を取り合って僕らは狭い部屋の中でぐるぐる回った。
「いつ発売されるの?」
頬を紅潮させた輝夢がたずねる。
「今年の夏だって。これから推敲とか書籍化に向けて色々と進めていくみたい」
「夏かぁ。待ち遠しいね。でも、ほんとにすごいよ。おめでとう、りっちゃん」
「輝夢ちゃんのおかげだよ。輝夢ちゃんがいなかったらここまでくることは絶対になかった。ありがとう、いつもそばにいてくれて」
輝夢はにっこり微笑んで首を振った。
「あっ、じゃあ今日はお祝いでお寿司でも取る?」
「お寿司⁉︎ いいの?」
「もちろんだよ」
腰に手を当てて、親指を立てる輝夢の姿が神々しくて思わず額ずきそうになった。
というわけで、今夜は急遽、僕と輝夢の二人で慎ましやかな書籍化決定パーティが行われることになった。冷蔵庫にあったまだ栓の開いていないチャミスルと近所のケーキ屋さんで買ってきたいちごのショートケーキ、さらに届いたお寿司を並べると、豪華な食卓が完成した。
お寿司を食べ終えて、デザートに手をつけようとすると、輝夢が僕の口元にスプーンで掬ったケーキを運んできてくれた。ちょっと照れながら一口食べさせてもらうと、普段、何気なく食べる時には感じられない、甘美な風味が口の中いっぱいに広がった。
「おいしい?」
大きく頷いて肯定すると、彼女も同じスプーンで自分の分を食べ始めた。
イイ大人が、間接キスでドキドキしているのは秘密にしておいてほしい。
「そういえば今日さ、これから作品のこととか色々担当してくれる専属の編集者さんと顔合わせしてきたよ」
「すごい。担当の人が付くなんて、なんか小説家っぽい」
輝夢は驚いた様子でそう言った。
「すごく真面目そうな女の人だった。新人って言ってたけど、しっかりしてたし……」
次の瞬間、ポキッ、という音がした。輝夢が手に持ったプラスチックのスプーンを真っ二つにへし折った音だった。
一瞬にして空気が張り詰める。
「ら、輝夢ちゃん?」
「なんで……」
囁き声がよく聞こえなくて、「何か言った?」と、問い返すと、急に彼女は仁王立ちになって僕を見下ろしてきた。
「なんで、聞いてないのに言うのぉ! 言わなくてよかったじゃん、女の人とか……。知らなければこんな気持ちにならなかったのにぃ」
「えっ? あっ、ごめん!」
慌てて立ち上がって輝夢のそばに行くと逆に彼女はさっきまで僕のいた場所に逃げていった。そこから改めて僕の方に向き直るとビシッと人差し指を立てて捲し立てた。
「何よ、専属って⁉︎ もしかして四六時中一緒にいたりするの?」
「いや、それはない! 担当っていってもただ打ち合わせのときに顔合わせるくらいだよ」
以前、本を出版したときのことを思い出しながら誤解を解くべく必死に訴えた。
「ほんとに……?」
僕はこれでもかというくらい大きくうなずく。
「あくまで作家と編集者ってだけだよ。勤め先が同じってわけじゃないし、一緒にいる機会なんて滅多にないと思うよ」
輝夢はしばらく黙って考えていたが、おもむろに口を開いた。
「……男の人に変えられない?」
嫉妬で泣きそうな顔になっている輝夢が不憫で可愛らしく、胸の奥が締め付けられるような切なさを感じる。
「大丈夫だよ、輝夢ちゃん。ただの仕事上の付き合いだし、何も心配ないよ」
「とはいえ、予測できないのが人の心だよ、りっちゃん」
急に詩人のような言い回しをしてくる輝夢に冷や汗をかいていると、
「ごめん、困らせちゃってるね。りっちゃんの夢が叶ったんだもん。もっと喜ばないとだよね」
と、輝夢はその場に崩れるように座り込んで暗然としている。
「輝夢ちゃん。ごめん、気が利かなくて、悲しませてしまって……。でもようやく輝夢ちゃんを幸せにする方法を手に入れたのに、みすみすそれを逃すようなことは絶対にしたくない。だから僕を信じてほしいな」
僕は輝夢の隣に座って、彼女の頭をそっと撫でた。
するとどうにか落ち着きを取り戻したようで、僕に向かってやさしく微笑んでくれた。
その柔らかな笑顔に心から安心する。
「信じてるよ。今までも、これからも。……でも、もし浮気したら、去勢させるからね」
笑顔でそう言う輝夢に、僕は背筋が凍るかと思ったけれど、それで納得するのなら甘んじてその申し出を受け入れようと思う。
いつの間にか降り始めた春の雨が、心地よい夜想曲を奏でていた。




