受賞
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結です。数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
よければ読んでもらえたら嬉しいです。
死にたい。からっぽの財布の中身を見てそう思う。輝夢と二人で共有している通帳にはほとんど彼女からの振り込みしか記載されていない。そこからお金を下ろす。生活のためだと自分自身に言い聞かせて。今日も罪悪感に押しつぶされそうになる。
しばらく小説は書けていない。去年の暮れに応募した賞も何の音沙汰もないのでたぶん今回も落選していると思う。小説が書けないとひどくみじめな気持ちになる。鬱蒼としたコンクリートジャングルに囲まれた公園のベンチに腰掛ける資本主義社会の細民は、この地球上で最も役に立っていないような気分になってため息を漏らした。
「人生の成功が物質的な豊かさで決まるとしたら、これほどつまらない世界は宇宙全体を探したって見つからないね」
にゃーん、と通りすがりの野良猫がこっちを見て返事をするように鳴いた。愚痴ばかりこぼす僕を嘲笑っているのかもしれない。
「僕に何ができるっていうんだよ……」
硬くて冷たいベンチに座ったまま、吐息とともに漏れた言葉は白昼の公園の空気に溶けて消えた。
どこを見るでもなく平日の駅前を流れる人通りを眺めているとポケットのスマホが振動した。画面には知らない番号が映し出されている。出るかどうかためらったが、不思議とこの時は見えない引力に吸い寄せられるように指が勝手に『応答』をタップした。
「はい」
「長谷川律さんの携帯でしょうか?」
「そうです」
「私、講英社の澤野と申します。先日行われた小説大賞の件でお電話させていただきました。今、お時間の方、大丈夫でしょうか?」
緊張しているような、そうでもないような女性の声が聞こえてくる。たしか講英社の小説大賞といえば、年末に応募した賞だ。
「時間なら、大丈夫です」
いくらでも、と言いかけてやっぱりやめた。
「ありがとうございます。長谷川さんの応募作品のタイトルなんですけど、『戦場のリカオン』でお間違いなかったでしょうか?」
「はい、間違いありません」
一体、どういう用件だろう。講英社という名前を聞いた瞬間から心臓を直接掴まれたような動悸がしている僕は次の言葉を今かいまかと固唾を呑んで待ち望んだ。
「おめでとうございます。長谷川さんの作品が、第三十回講英社小説大賞の大賞に選ばれました」
スマホを耳に当てたまま、僕は立ち上がっていた。凄まじい衝撃が全身を貫き、気絶しそうになった。
気が付くと電車に乗って輝夢の職場に向かっていた。さっきから手の震えが止まらない。
電車を降り、駅の構内を飛ぶように駆けながら彼女の働くオフィスが入っているビルの近くにやってきた。
輝夢の職場をこの目で初めて見たが、周辺のビル群に劣らないかなり立派な建造物だった。
「来たのはいいものの、普通に仕事中だよな……」
一番最初に報告したくてやってきたけれどさすがに仕事を邪魔してまで連絡を入れるほどのことかわからなくなって不審者のようにビルの前でウロウロしているとスマホが震えた。通知を見て驚いた。彼女からの電話だった。
「輝夢ちゃん——」
「もしもし、りっちゃん、何してるの⁉︎」
職場だからか声を抑えてはいるが、食い気味に聞いてくるあたり、興奮している様子なのがわかる。予期せず輝夢の声を聞けた途端になんだか安心して泣きそうになってきた。
「何って?」
「だって今、会社の前にいるじゃん」
「なんでわかったの?」
「上見て、上!」
言われた通りに顔を上げると、たくさんある窓の中の一つに、こちらに向かって嬉しそうに手を振る小さな輝夢を見つけた。
「……輝夢ちゃん、受賞した。大賞だったよ」
感情が抑えられず、うまく言葉が出なくて辿々しくなってしまう。
「えっ⁉︎」
大きな声が出たことに自分でも驚いたようで、周囲の様子を気にしつつも窓に手を置いて僕に視線を注いでいた輝夢は、「そこにいてね!」と言って通話を切ると早足で立ち去っていった。
しばらくしてビルの入り口から飛び出してきた輝夢は一直線に僕の元へと駆け寄ってきた。走っている勢いのまま胸に飛び込んできた彼女を僕は精一杯抱きとめた。
「年末のやつ? 大賞?」
確認のため、一度体を離して僕の顔を覗き込む輝夢は、いつになく感情を昂らせながら尋ねてくる。
「うん。さっき出版社の人から連絡があった」
僕が映った綺麗な切れ長の瞳が潤んだ。
「おめでとお……よかったね、本当に、よかったね……」
人目も憚らず涙を流す輝夢を再びそっと抱きしめる。喜びや嬉しさ、達成感や安心感といった様々な感情がごちゃ混ぜになって自然と頬を伝って落ちた涙は彼女の身体に吸い込まれていった。
輝夢の細い肩に乗った重荷が少しでも軽くなっていたらいいなと思う。ずっと信じて待ち続けてくれた彼女の大きな大きな愛と恩に報いることができたのがたまらなく嬉しかった。
何度も諦めそうになったし、何度も投げ出そうかと思った。その度に持ち堪えられたのは、輝夢の期待に応えたいという一心だった。いくつもの苦しみの夜を超えて僕はようやく、一つの結果を世界で一番大切な人に届けることが出来た。
僕は今、自分に与えられた使命を実感していた。そうだ、僕には書くことができる。ほかに何もできなくたっていい。格好悪くたって構わない。命の限り書き続けて、この子を守っていくんだ。
街路に聳える桜の木に小さな桃色の花びらが光っていた。




