ホワイトデー
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話。
一話完結にして数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
読んでもらえたらとても嬉しいです。
ジュウウッ!
フライパンの上で分厚い牛肉が焼ける音が部屋に響く。同時にスマホが鳴った。ロック画面に浮かんだメッセージを見ると、駅に着いたという輝夢からの連絡だった。おそらくステーキが焼き上がる頃にちょうど帰ってくるだろう。今日はホワイトデーだから、少し奮発して良い肉を買ってきた。すでにテーブルの上には前菜のサラダや飲み物などが置いてある。キャンドルを置いて雰囲気もいい感じだ。冷蔵庫には特製のデザートも用意してある。
「ただいま〜!」
元気な声がして、輝夢が帰ってきた。火を止めてハグをして出迎える。
「すごくいい匂い」
僕にくっついたまま嬉しそうに目を細めて小鼻をピクピクさせている。
「輝夢ちゃんのために、腕によりをかけて豪華なディナーを用意しました」
彼女の顔がさらに明るくなった。
「ほんとに? やった」
そう言って彼女は僕の首に腕を回した。
「じゃーん」
皿に盛り付けた焼きたての牛肉を輝夢の前に並べる。
「すごい! ステーキだ。おいしそ〜」
両手を叩いて喜んでいる輝夢を見て僕も嬉しくなる。
「いただきます」
二人で一緒に手を合わせてからそう言って健康のために軽く野菜から食べたあとで、あらかじめ切り分けてあったお肉を一口食べてみた。
「やばっ。超おいしいよ、りっちゃん」
顔をほころばせる輝夢の言う通り、口に入れた途端、溶けて肉汁が溢れて、なんとも言えない旨みが口の中に広がった。
ある程度食べ終わったところで、僕は冷蔵庫から、作り置きしておいた特製のデザートを持ってきた。
「えっ。いちごのパンケーキだ!」
瞳を輝かせる輝夢を見て、したり顔になる。
「ホワイトデーだし、作ってみたよ」
「作ったの? すごい! ありがと〜。ふわふわだぁ。難しかった?」
「簡単だったよ。動画見ながら作ったから」
輝夢は嬉しそうにナイフとフォークでパンケーキを一口サイズに切り分けると、白い手でそれを口に運んだ。
「やばっ、おいしい〜! りっちゃんパティシエになったら? 才能あるよ」
大袈裟な、と思いながら自分でも一口食べてみると、案外いけるかもな、と勘違いしそうになるくらいパンケーキの完成度は高かった。
輝夢がデザートを食べ終わったのを見計らって、僕はポケットに忍ばせておいた彼女への手紙を取り出した。このまま渡して読んでもらおうかとも考えたけれど、恥ずかしいので自分で読むことにした。どこかで見た光景だな、と思いつつ、僕は輝夢の隣に腰掛けて手紙を広げた。
「輝夢ちゃんへ
僕たちが付き合って初めてのホワイトデーですね。特別な日を二人で過ごせることが、とても嬉しいです。初めて会ったあの雪の日、体調を崩して路上で座り込んでいた僕に水とハンカチをくれたことを今でも昨日のことのように鮮明に思い出します。輝夢ちゃんと出会ったあの日から僕の人生は始まりました。
輝夢ちゃんは綺麗で、可愛くて、優しくて、勇敢で、思いやりがあって、一途で、みんなから信頼されていて、一生懸命で、僕なんかにはもったいない素敵な女性です。こんな僕と一緒にいてくれて本当にありがとうございます。
僕がだらしないばかりに、輝夢ちゃんを嫉妬させたり、怒らせたりしてしまうことが多いこと、いつも申し訳なく思っています。愛情表現が下手で不安にさせてばかりでごめんなさい。売れない小説家と一緒にいるせいで輝夢ちゃんにたくさん負担をかけてしまって、本当にごめんなさい。
でも、もし許されるなら、それでも言わせてください。僕には輝夢ちゃんが必要です。輝夢ちゃんは僕にいつも自信をくれます。心の綺麗な輝夢ちゃんといると僕まで心が綺麗になります。人生が色鮮やかになります。輝夢ちゃんがいてくれるから仕事も頑張れます。輝夢ちゃんは僕にとって必要不可欠な存在なんです。
頼りなくて、わがままで、申し訳ないけど、輝夢ちゃんを守れる男に必ずなるから、どうか、これからも一緒にいてください。いつも遅くまで仕事を頑張ってくれてありがとう。世界で一番、愛してるよ。
律」
危なかった。読んでいる途中で感極まってしまって泣きそうになった。ふと、顔を上げると、輝夢は滂沱の涙を流していた。それを見て、今度は流れ出る涙を抑えることができなかった。ティッシュを渡して彼女の頭を撫でると輝夢は僕に抱きついてきた。
「こちらこそありがどおごじゃいます」
輝夢は僕にしがみついたまま嗚咽した。彼女の背中をそっと撫でてあげながら申し訳ない気持ちになった。
「いつもちゃんと伝えてあげられなくてごめん。僕の悪いクセだと思う。大好きだよ」
ディオティーマが愛する人に贈った言葉がある。
『地上の子は太陽の力によってのみ生きて居ります。私はあなたによって生きています。』※1
僕も同じだ。
「輝夢も大好き」
「いつも支えてくれてありがとう」
彼女は首を振った。
「輝夢の方こそりっちゃんに支えられてる。りっちゃんがいるから頑張れるの」
震える声に心が締め付けられるようだった。たぶん、輝夢でもここまで泣いているのは珍しい方だと思う。彼女が泣き止むまでの時間、僕は彼女を抱きしめたり、頭を撫でたりしながら、寄り添っていることが許された。言葉にすることの大切さを実感しながら。
※1 岩波文庫『ヒュペーリオン——希臘の世捨人——』ヘルダーリン 作 渡辺格司 訳




