スケート
売れない小説家とちょっぴりメンヘラな彼女のささやかな日常のお話です。
一話完結、数分で読めるようにできるだけ短めに書いています。
読んでもらえたら嬉しいです。
それは滑ると言うよりも歩くことに似ていた。まるでペンギンのような歩き方だ。ゴッゴッと鈍い音を響かせて、ブレードのついた靴を氷に突き刺しながらゆっくり、ゆっくり進んでいく。片方の腕でバランスを取り、もう片方の手でしがみつくようにして輝夢の背中を掴んでいた。肌触りのいいベージュのファーコートに細身のパンツスタイルの輝夢が僕の身体を横から支えてくれているおかげで、なんとか滑ること(ほとんど歩行に近い)が出来ていた。
少し休憩するため、外周の手すりに掴まる。その間に輝夢は一周してくると言って颯爽と走り去っていった。多くの人で賑わうアイススケートリンクを滑っていく彼女を見失わないように目で追う。軽やかに人混みをかわしながら滑っていく輝夢を見ていると、まるで妖精が銀盤の上を飛んでいるようだった。
「ど、どいてください〜い!」
「え?」
声がした方を見ると、見知らぬお姉さんが一人、僕の方に向かって大きく腕を振りながらものすごいスピードで突っ込んできていた。もはや今からでは避けることは難しい。僕は手すりを背にして、あらん限りの力を振り絞り、かろうじてその女性を受け止めることに成功した。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですかぁ?」
「いえいえ。まったく問題ありませんよ」
心配そうにする女性に、まるでスケートの熟練者のような爽やかな笑顔を向けて僕はそう言った。現時点で未だに密着したままの状態なのだが、何か柔らかい感触が鳩尾のあたりに当たっているような気がしてチラッと視線を落とすと、それはそれは見事なキリマンジャロの谷間が目に見えて思わず卒倒しそうになった。僕は慌てて視線をそらすと、女性は恥ずかしそうに離れて頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました。失礼します」
そう言って去っていく女性を見送ったその瞬間、背中に悪寒が走るのを感じた。
振り向くと、輝夢が遠くを見るようにして立っていた。やがて彼女は僕に視線を向けると、微かに笑みを浮かべて近くまで滑ってきた。
「お、おかえり」
努めて冷静にそう言った。しかし彼女は無言のまま僕の手を引いてスケートリンクの中央に向かって滑っていく。
「じゃあ、がんばって」
ただ一言、そう言い残して輝夢はリンクから去っていった。
「え?」
そこは見渡す限りの氷の海。補助なしでは滑れない僕は置き去りにされて茫然自失した。手すりまでの距離はかなりある。絶海の孤島に打ち上げられたロビンソン・クルーソーの気持ちが今なら少しわかるような気がした。
「輝夢ちゃあああん!」
叫んでみても、彼女はすでにリンク外。やけに広く感じる銀盤の上で僕は大きなくしゃみをした。
何度も尻餅をつきながら、最終的にアメンボのように這いつくばって恥も外聞も捨てて氷の上を進んでいき、どうにか外周に辿り着いた時、故意ではないと言え彼女とのデート中に見知らぬ女性に対して不健全な態度をとってしまったことを激しく後悔した。ブレードのついた重たい靴を脱いで周りをキョロキョロして探すと、受付の先にある入り口のところに輝夢の姿があった。
「ら、輝夢ちゃん。置いていくなんてひどいよ〜」
その瞬間、彼女はぐいっと僕に詰め寄った。
「当然の報いでしょ?」
「うっ。怒ってる、よね」
そう聞くと、知らない、と言ってそっぽを向いてしまった。僕は近くにあった自販機で温かいカフェラテを買ってきてそれを輝夢に与えた。
「ごめんなさい! でも仕方なかったんです。フリョの事故と言いますか……」
両手を添え、丁重にカフェラテを差し出し、頭を下げながらそう言うと、彼女は一応それを受け取ってくれた。
「ぶつかられたのは仕方ないとして、あの密着時間は、ない」
たぶん、女性に触れていた時間は数秒から数十秒だったと思う。
「ごめんなさい。向こうがなかなか離れてくれなくて」
「あーもう、むかつく!」
そう言って突然、輝夢は僕の胸を軽くポカポカと何度かパンチした。
「胸が当たってた」
自分から正直にそう言うと輝夢は僕の生首に熱々のアルミ缶を押しつけた。
「あっつ!」
「焼印入れてあげようか?」
身の危険を感じて飛び退く僕を見据えたまま、輝夢はそう言った。
「ごめんなさい。変な想像は断じてしてない。それに、輝夢ちゃんの可愛さには敵わないよ!」
僕はこれでもかというほど、君の方が可愛いという気持ちを真剣に伝えた。
「は? 当たり前でしょ」
あっさり返される。こう言う時の輝夢はすごく自信満々になる。
「あ、そうだ。駅前に出来たカフェでパフェ食べようよ輝夢ちゃん」
その時、彼女の顔色が変わったのを僕は見逃さなかった。
「また、そうやって、なかったことにしようとして。だいたいそんな……。パフェくらいで輝夢の気持ちはおさまらないんだから……」
「もちろんお詫びに僕がおごるよ。いこう?」
しばらく考えていた彼女はそっぽを向きつつ、無言のまま、僕の隣に来て腕を組んだ。どうやら納得いただけたようである。僕はほっと胸を撫で下ろした。
「美味しいかな、パフェ」
「どうかな……。ていうか、とりあえず行くだけだからね。言っておくけどまだ許したわけじゃないからねっ!」
「はい、わかりました!」
僕は彼女にバレないようににっこりしながら、スケート場を出るとカフェを目指して出発した。




