廃病院の産声 其の三
「………君には、真実を話さなくっちゃね」
烏百合宵と名乗った幽玄な男は、ニタニタと笑いながらそう言った。
「……気持ち悪い奴ね…」
「ま、そう怖がらないでよ。僕の名はさっきも言った通り、烏百合宵。幾年も前に、普通の人間としてここの医院の院長をしていた者だ。」
そう言い終わると、そこに座り給えよ、と古びた丸椅子に黒河を促した。
黒河は、警戒しながらも丸椅子に腰をかけることにした。
「でも実は僕は人間じゃなかった。その事に何年も気が付かなかったんだ。ね、僕は何だったと思う?」
「………………妖、の類かしら?」
「ご名答!そう、“僕”は、泣く子も黙る鴉天狗だった訳さ。何故だかその事には気付かず人間として生活していたけどね……そのことに気付いたのは、当時俺が21だと思っていた歳だった……」
彼は、悲しむ仕草をしながら、話を続けた。
「そして僕は、自分が人間であることに自信が無くなった。鴉天狗であることにも実感が持てなかった。僕は、医者という立場を使って、人間の構造を調べ始めた」
人間はどうやら、雌が腹に子を宿しているらしい。そうして人間が生まれるらしい。ならば、僕も、
「ね、君、人間ダロう?僕を産み直してはくれまいか?」
そんな、悲願にも似た歪んだ願いを彼は震える声で話した。縋るような、目だった。
黒河は、
「貴方のお言葉に、ひとつ気になる点があるの。」
「なんだい?」
「子供が宿せるのって、貴方の見解では人間の雌なのよね?」
「ああ。」
「なら、残念。アタシ、」
指に炎をゆらめかせながら、烏百合宵の方をじっと見た。
「生物学上は男なのよ」
足が重い。手が鉛のようだ。
体はもう、動かない。
「………クソ……がっ……!」
場所は変わって、
廃病院二階部分ではなおも塔上達が苦戦を強いられていた。赤城はまだ意識を失っている。そんな赤城を庇いながら、塔上は例の化け物と対峙していた。
しかし、そんな彼も限界が近い。
額からは血が滴り落ち、頼みの綱の短刀も奴の鋼鉄の体を前に歯が立たない。
「(赤城と黒河だけでも、此処から脱出させねぇと………)」
不意に、
塔上は誰かの名を呟いた。
それは酷く小さな声だったために、誰にも聞こえることは無かった。
塔上は覚悟を決めたような表情をして、
瞳が、紅く、光った。
「そこまでだ。冠」
不意に、後ろから顔面を掴まれた。視界が遮られて、敵も味方もよく見えない。しかし、この声は分かる。
「灰谷……先生……」
「おう。お前らの大好きな灰谷硝子先生だぞ」
この人は……
この人はなんで部下が貸した2000円も返せないで、部下が自分のことを好きだと勘違いしているんだろう。
助けに来る前に、早く2000円返せ。
そう思いながら、塔上は意識を失った。
「はぁ……こんなデカいだけの雑魚、倒せるようになってもらわんと困るぞ。お前ら」
やれやれ、と灰谷はため息をついた。
「ピギャァァァァアァァァァァァヌワァァァァァァ」
「黙れ騒々しい。【我が名の元に還り給え】」
灰谷は、そう唱えてから、大妖を一瞥した。すると、大妖は音もなく崩れ去って行った。
黒河は滅し、赤城が祓い、塔上が屠るならば
灰谷は浄化する。
灰谷が内に秘めている力は、古より神から与えられし【神力】。ありとあらゆるものを須らく浄化し、魂を在るべき場所へと導く力。
彼は、如何なる声も天へ聞き届ける。
生者の声も。
死者の声も。
「………黒河は何処だ?……」
「アッハッハッハッハッ!こりゃ、恐れ入った!まさか君が男だったとは!」
烏百合宵は、爆笑していた。
手を叩きながら、これでもかという程に笑っている。
笑いながらも、彼は確実に黒河を追い詰めていた。
当然のことだ。
約300年近くこの廃病院を根城とし妖力を貯め続けてきた大天狗に対し、黒河の力はあまりに弱かった。しかし、彼女は、彼は諦めなかった。
「貴方の見聞が広まったようで何よりだわ。性悪な望みなんか捨てて、さっさとくたばりなさいな!」
「そうはいかないよ。小娘。否、小童」
黒河の火炎攻撃は、宵の背中の黒い翼で跳ね除けられる。
「………先程の話の続きをしようか。君は断ったけどね。その誘いを受けてくれた女性だって居たんだよ。そう……名前はなんといったかな。確か、花瀬百恵……」
「(……花瀬……百恵!)」
百恵と言えば、赤城が受け取った資料や受付で見つけた手紙にも書かれていた名前だ。
「彼女は快く僕の頼みを引き受けてくれた。そしてなぜだか彼女は僕に様々な人間特有の遊び方を教えてくれた………。人間になるより人間を理解した方がずっと良いといって……隠れ鬼、面子、お手玉、あとはなんだっけ……でぇと?だったかな」
最後のはすこし趣向が異なってて、面白かったよ。と、宵は続けた。
「楽しかったなぁ……ああ……楽しかった……」
彼はうわ言のように呟いた。
まるで、それは成熟しきった大人が少年の頃を思い出すように。
遠い昔を思い出すような目線だった。
「どうして、▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓」
「(やっぱこいつ…!)」
黒河は一瞬で理解した。
此奴は自分たちに回ってきて良い案件の類では無い。この怪異は、妖は、凶悪だ。
凡そ人とは思えない、常軌を逸した考えの持ち主。
「縺昴≧縺?窶ヲ窶ヲ蠖シ螂エ縺御ソコ繧呈ョコ縺励◆縺九i縺?窶ヲ窶ヲ」
彼の背中には漆黒の翼が生え、爪は猛禽類のように鋭く長くなり、美しい顔は羽毛に覆われ始めた。
まるで野生の鴉の様に禍々しい生き物に成り果てた。
【黄泉還り】である。
妖は、妖の始祖は偶然死の世界で生まれてしまった生者だという。
妖と定義付けられるものは、皆始祖と同じ遺伝子を持っているため感情が昂ると黄泉に生きる人々に近い体つきになることが稀にある。
無論、妖力の強い妖に限る現象だ。
「……………(どうしよう、灰谷先生の到着を待つ……?それとも、他の幹部に応援要請を……)」
【頼んだぞ、俺の可愛いぼんくら共】
にや、と笑って灰谷は、恩師はそう言った。
ぼんくらでもいい。
ここで死んだっていい。
あの人の期待に応えられるなら。
「逋セ諱オ窶ヲ窶ヲ逋セ諱オ窶ヲ窶ヲ逋セ諱オ繧ァ繧ァ繧ァ繧ァ繧ァ繧ァ??シ」
黒河は、目を閉じた。
そして、【妖気】に意識を集中した。
妖気とは妖力の最小単位である。
原子や空気と同じように世界を漂うエネルギーのひとつ。それを操るのが黒河の力である。
黒河は、静かに手を翳した。
【妖気は強い妖力を持つものには寄り付かない。強い妖力ということはそれだけ妖気が密集しているということだからだ。妖気は、より少ない方……妖力が弱い者に寄り付く傾向があるんだ】
灰谷はそう言っていた。
「【我が内に宿る焔よ、彼の者を死灰になるまで焼き尽くせ。】」
「【灰神楽】」
黒河の右腕から、溢れんばかりの炎が生まれた。灼熱を纏い荒れ狂う炎は、やがて宵を覆い尽くした。
「こンの小娘がァァァァァァァ!!!」
しかし、宵も負けじと応戦する。
「【風よ、我が意に従え。】」
宵は風で黒河を攻撃しようと画策した。
葉を裂く様な鋭い風は黒河の体を掠める。
「【風よ、嵐よ、もっともっと吹き荒れろ!!!】」
その時だった。
黒河が放った炎が、より一層燃え上がった。炎の丈は宵を軽く越していった。
「あんた、馬鹿じゃない?」
黒河は、また右手に炎を用意した。
「炎は風で強く強く燃え上がるの。妖力で作った炎でもそれは変わらないわ。」
そして、とどめを刺すように炎を宵に着火させた。
「縺昴s縺ェ窶ヲ窶ヲ鬥ャ鮖ソ縺ェ窶ヲ窶ヲ窶ヲ縺昴s縺ェ蛻晄ュゥ逧?↑窶ヲ窶ヲ繧ッ繧ス縺」
そのまま宵の肉体は灰になり、その場に文字通り崩れ落ちた。周囲にはまだ炎の熱気が残っている。
「……そんなことさえ、分からなくなっていたのね………」
黒河は憐れむように灰を掬いとり、自身の試験官の中に彼の遺灰を入れると、コルクで蓋をした。
「お手柄だったな。黒河」
「お褒めに預かり光栄です!灰谷先生ー!!」
かくして、3人の任務は黒河の活躍と灰谷の手助けにより事なきを得た。
烏百合家は、【ファルファラ】に多大な支援をしている財閥のひとつである。そんな烏百合家の初代当主烏百合百恵の遺書からこの任務は始まった。烏百合百恵は、昔、山村でたったひとつの医院を営んでいた医者に恋をした。
しかし、彼は妖だった。
怖くなった彼女は祓い屋に相談をしたが早とちりした祓い屋は妖を退治しようとしてしまう。そのまま祓い屋も医者も彼女に会うことは無かった。彼女は淡い恋心を捨てきれず、勝手に彼の苗字である烏百合を名乗り始めた…………。と、言うのが大方の事の顛末であった。最期に彼女が彼に抱いたのは憎悪であったのか、恋慕であったのか、はたまた、
慈愛であったのかは今や誰にも分からない。
また、黒河らもそれを知ることもない。
知る必要も無い。
何故なら、彼らは何でも屋ではなく、祓い屋でもない、ただの犯罪組織であるから。
「灰谷先生……今起きました……」
「悔しいけど、今回はアゲハの一人勝ちだね……」
続けて、病室から治療を受けていた塔上と赤城がやってきた。どちらも頭には包帯、赤城に至っては右足を骨折しているので松葉杖だ。暫く任務には出れないだろう。
「あ、役立たず」
黒河はにべもなく評した。
「手前!!!!ちょっと活躍したぐらいで調子乗りやがって!!」
「うるさいわねぇ。あんな雑魚1匹倒せないやつがキャンキャン喚くんじゃないわよ」
「アゲハ……俺にはダメージ来ないやつで頼む……」
「あんたも役立たずに含まれてるわよ」
赤城、黒河、塔上がそれぞれの主張を展開する。死体処理班はどんどん騒がしくなる。
「……はぁ……やれやれ…今日も憂鬱だ」
サンドリヨンの憂鬱な毎日は、これまでも、これからも。
「サンドリヨンの憂鬱」 完
次作 「サンドリヨンの骨壷」
第一話 昇降機の絶叫