誇り
エレナ兵の死体が歩いている。両手を伸ばして寄ってくる。苦しそうにウォーと呻いている。ヤツらはオレたち生者の命を喰らいたがっているのだ。
このときオレたちを庇おうとするものがあった。
それは村人たちの死体だ。
村人たちがエレナ兵の前に立ちはだかる。彼ら屍同士が争う。しかしどういうわけかエレナ兵は生前とは違い、剣も槍も弓矢も持たなかった。誰もが素手だ。武器の扱い方を忘れてしまったからか? 武器を使用するという知性すら失ったせいか? それとも硬化した指先がスムーズに動かないためか?
とにかくオレも戦いに加わった。
ところが死体となったエレナ兵は、オレがいくら素手で殴ろうがダメージなんてない。まるで鎧でも着たように体が硬くなっているのだ。そのうえ力も強い。オレはまったく戦力になっていなかった。
それでも村人は優勢だった。数において圧倒的に有利なのだ。
しかも死者の場合、単純な力比べならば老若や男女に差はないようだ。
また、なんと村人は四体のオーガにさえも負けてはいなかった。
この光景にマリーサが驚愕する。
「死者が生者に味方するなんて! まだどこかに理性を残していたのか?」
彼女の思惑どおりには、事が運んでいなかったらしい。ざまあみろ。
ふと、オレはイリシュのことを思いだした――。
そうか。そうなんだ。村人たちはイリシュと同じケテア族。誇り高きケテア族。彼らの心の底にあった強い自尊や気高さは、死者となってもすべてが消えたわけではなかったなのだ。
マリーサが溜息を吐く。
「これだから、わたしはケテア族ってものが嫌いなんだよ。あれら死体に残り続けている意識を、もう少し削ぎ取ってやらなければならないのかね」
今度は棒を取りだした。人差し指ほどの小さな棒だ。
マリーサが棒を口にくわえると、その先から煙が出てきた。
煙はたちまちその場を包み込む……。
しばらくして変化が起きた。
何やら村人たちのようすがヘンだ。
村人たちはエレナ兵やオーガとの戦闘をやめた。
どうしたのだろう?
ある村人は胸や頭を手で押さえている。ある村人は地面を転げ回っている。
彼らの激しい苦しみ方は、見るに堪えないほどだ。
皆、もはや闘争どころではないのだろう。
異常な行動は村人の死体だけに限らなかった。エレナ兵の死体は呻き声をあげながら、敵味方の区別なく攻撃を始めた。オーガの死体も同様だった。すべての死者たちが狂いだしたのだ。これはきっとあの煙のせいだ。
味方同士による互いの攻撃は、ついに村人たちの間でも始まった。立てない者は膝をつきながら、体を起こせない者は這いながら、狂人状態で自分以外の他者を襲う。彼らはエレナ兵の死体がそうであったように、敵味方の区別がつかなくなったものと思われる。
村人たちはすっかり別人のように変わってしまった。
こうなった村人たちは危険だ。
オレたちは彼らから距離をとらざるを得なかった。
彼らから逃げる。だが、ウォーウォーと呻きながら追いかけてくる村人もいた。
逃げ遅れたポポロに、狂った村人の手が伸びる。
「やめて!」とポポロの悲鳴。
村人の手が止まった。その手が震えている。躊躇しているのか?
ウォーウォーとまた呻いた。他の村人も徐々に近づいてくる。
手を止めた村人は、さらなる奇怪な行動を起こした。
彼の手はポポロを襲わず、なんと自分の首を絞め始めたのだ。
手がそのまま首を引きちぎる。
それって生者で言うところの自害ではないか?
こんなのありえない。
首を失った村人は動かなくなった。
この行動は彼一人だけに限らなかった。他の村人たちも同様だった。
皆、オレたちに近づいては手を止め、彼のように自分の首を引きちぎる。
彼らはほとんど消えていたはずの理性を、どうにか絞りだしたのだろう。
ああ、これが誇り高きケテア族……。
そんな村人たちの自害が続く。
見ていると胸が苦しくなる。
やがてティトランが「わーっ」と泣きだした。
彼女の祖母も皆と同様、自分の首を引きちぎったのだ。
「もう見てはいけません」
フェリナが手でティトランの目を塞ぐ。
小刻みに肩を震わせているティトランとフェリナ。
その二人を見守るポポロまで、顔を歪めて嗚咽しだした。
オレは魔剣のグリップを握りしめた。
「出てきてくれ、ナッたち」
グリップが眩しく光る。
小さな光の粒が生じた。
「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
遠くからマリーサの叫び声。
「なんだい、あの光は! まさか魔剣?」
何を驚いてやがる。これがオレの魔剣だ。
刃はないけど他のどんな魔剣よりも美しくて強いんだ。
フェリナが問う。
「ナッを呼びだしてどうするつもりですか、リグ?」
「村人たちがあんなことになってる。小さなティトランには見せたくない」
「では?」
オレは首を縦に動かし、宙を飛び交うナッに請う。
「ナッたちに頼みがある。ティトランをイリシュたちの村まで運んでくれないか」
ウェウェテ村までは結構な距離だ。それでもオレはナッに期待した。
以前、大きな一角鎧獣の死体を、森の外付近まで運んでもらったことがある。
しかも今回は巨体ではない。距離があってもティトランの体は小さいのだ。
なんとかウェウェテ村まで送り届けられるのではなかろうか。
小さな光の玉がティトランの元に集まる。
やってくれるか? 頼む……。
ナッたちは彼女を持ちあげた。
「軽い」
「軽い」 「軽い」 「軽い」
「軽い」 「軽い」 「軽い」
「軽い」 「軽い」
「軽い」 「軽い」
どうやら運んでくれるようだ。ありがたい!
隣に立っていたフェリナが、オレの腕にガッチリ絡みつく。
なんのつもりだ? さらには体をぴったり寄せてきた。
「おい、フェリナ。こんなときに何をして……」
フェリナはオレに答えることなく、じっとポポロに視線を送っている。
ふふんと不気味に笑うフェリナ。本当にどうしたんだ?
ポポロが眉根を寄せている。
フェリナは気にせず、空を仰いだ。
「もう一つ、ナッにお願いがあります。そこにいるポポロもいっしょに連れてってください。ティトラン同様、ポポロも子供みたいに小柄ですから、たいして問題はありませんよね?」
ポポロがエーッと口を開ける。
光の玉はポポロにも集まった。
「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」 「ちょっと重い」
「ナッ」 「ナッ」
「ナッ」 「ナッ」
ポポロも舞いあがった。ティトランと並んでいる。
「どうしてよ。あなたは何がしたいの、フェリナ?」
「わたしはリグと二人で残ります」
フェリナはそう言って、オレの肩に頬を押しつけてきた。
「そんなの駄目よ、フェリナ!」
ポポロが慌てるようにこっちへ手を伸ばす。
もちろん距離があるため届くはずもない。
ポポロたちに手を振るフェリナ。
「ポポロは魔剣が使えないのでここは危険です。そのまま逃げてってください」
「フェリナだって魔導が使えなくなったのでしょ? だったらあなたもいっしょに来るべきよ」
「ナッが遠い村まで三人も運ぶなんて無理です」
ナッたち自身も同意する。
「無理」
「無理」 「無理」
「無理」 「無理」
「重たそう」 「無理」 「重たそう」
「無理」 「重たそう」
「重たそう」
「重くありません!」
フェリナは頬を膨らませた。
今度はオレがナッに言う。
「そこをなんとか頑張って、フェリナもいっしょに運んでくれないか」
するとフェリナが首を横に振る。
「いいんです、リグ。わたしはお断りします」
「だけど……」
「わたしがここにいるのは、リグを守るためです。あなたを一人にはできません」
しかしいまのフェリナは魔導が使えない。