人血は嗜好品
おい。どういうことだよ、シェラ。
どうしてオレたちに牙を剥く?
フェリナの頭上には真黒な玉が浮かんでいる。
彼女はそれをシェラにぶつけるつもりらしい。
初めてみるタイプの魔導攻撃なので、その威力は不明だ。
「待て待て」
慌ててフェリナを止めた。
ここはオレに任せてくれ、と声には出さずに手底を向ける。
フェリナはしぶしぶ両手をおろしてくれた。
「なあ、シェラ。どうしちまったんだ」
「殺すのは許さない」とシェラ。
「そいつを殺さないとオレたちが殺されてしまうんだ。そこをどいてくれ」
「どかない。わたしが追い払う」
「シェラが追い払ってくれるってことか?」
彼女は無言で首肯し、ふたたび土の魔物に向くのだった。
「立ち去りなさい。耳は聞こえているはず。言葉も理解できているはず」
しかし土の魔物から応答はない。
本当にこいつは言葉がわかるのだろうか?
土の魔物は一歩前に踏みだした。
するとシェラは奇妙な行動にでた。
喬木の太い幹を両手で抱える。
なんのつもりだ?
腰を屈め、踏ん張っている。
その姿勢から一気に背中を反りあげた。
なんと大木を引っこ抜いてしまったではないか。
彼女の怪力ぶりには感服させられる。
引っこ抜いた一本の大木を、さらに横から振ろうとしていた。
おーい、無理だ。ここは樹木の密生する森だぞ。
いくら怪力だからって、振り回すには周囲の木々が邪魔となる。
しかしそれら木々を力任せに倒しながら、見事に大木を振り抜いてしまった。
彼女の怪力はオレの想像以上だった。
振りの勢いは衰えることなく、土の魔物の腹部を強打。
土の魔物の巨体が地面に沈む。
それでもまた立ちあがった。
「もう一度言う。立ち去りなさい」とシェラ。
土の魔物が身を屈める。泥の汗の流れが増した。
まるで体が溶けるように小さくなっていく。
やがて魔物の体は消えてしまった。
土の魔物の立っていた場所を、シェラが踏みながら確認する。
「これで大丈夫。行ってしまった」
本当に行ってしまったのか。
オレもその場所を指で掘って確認してみる。
地面は単なる泥だ。深く掘っても変わらない。
シェラの言うとおり、もうここにはいないようだ。
オレたちはふたたび歩きだした。
◇
日が暮れつつある。そろそろ夜のことを考えなければならない。
「なあ、シェラ。野宿したいんだが、雨風の凌げるようなところってないかな」
しかしシェラからは「ない」と素っ気ない回答。
さて困ったぞ。
「せめて地面がぬかるんでいない場所はないのか。こんな泥の中じゃ横になれやしない。毎晩、シェラはどこで寝てるんだ?」
「わたしはほとんど眠らない。でも疲れたときにはルフの巣で休むことがある」
「ルフの巣? 連れてってくれないか」
しかしシェラは首を左右させた。
「巣に近づくのは危険。人間はルフに食べられてしまう」
「じゃあ、食われる前にルフとかいうのを殺し……」
「許さない」
「そうだったよな」
シェラは魔物を殺すことを許してくれない。そりゃ当然だ。逆の立場ならば、オレも同じように請うだろう。人間を殺さないでくれと。
「木の上は寝床としてどうでしょう?」とフェリナ。
落ちないように縄かなんかで体をくくりつけて寝る、ってことか。
かなり寝心地悪そうだ。
却下した。
すると今度はシェラが提案する。
「一晩歩き続ければ、乾いた地まで行ける。そこならば眠ってもあまり汚れない」
一睡もせずに、遠くまで行かなくてはならないのか。
オレとシェラなら問題なさそうだが、あとの二人は夜通し歩けるだろうか。
しかも寝るのは日中となるが……。
イリシュとフェリナを目で確認する。
それぞれ無言で首肯した。
二人とも思っていたよりタフなようだ。
ならば今夜は眠らずに歩き続けようか。
するするっと何かが近くを横切った。
「魔物か?」
シェラが首を横にふる。
「単なるイタチ」
「イタチかあ。そういえば腹が減ってきたな。捕まえようぜ」
「許さない」とシェラ。
「あれは魔物じゃなくてイタチだろ」
「殺すのは駄目」
そういうことか。
シェラは魔物を殺すのを許さないというのではなく、魔物も動物も死なせたくないのだ。たぶんヒトも。
けれど植物については気にしないようだ。
さっき大木を根っこから引き抜いていたもんな。
おやっ? だったら……。
シェラに尋ねてみる。
「かつて山姥の小屋でオレを襲おうとしたとき、躊躇したのもそのためか」
「そう。殺すのが怖かった」
やっぱりか。
「殺そうとしたのはグルドゥーマの魔法のせいだったよな」
しかしシェラは首肯のあと、別の理由をつけ加えるのだった。
「かけられた魔法のせいだけではない。襲わずにいられなかったのは、もう一つ」
「まだ他にもわけがあったのか」
舌舐めずりしたかと思うと、恍惚とした眼差しを送ってきた。
な……なんだ?
「リグは血が格別に美味しそうだったから。その顔を見ていると興奮してくる」
「や、やめてくれよな」
血の味を外見で判断しないでほしいものだ。
彼女はくるりと背中を見せた。
「待っていて」
そう言って立ち去っていく。
どこへ行くつもりだ。
帰ってきたときには、両手にフルーツを抱えていた。
イタチの代わりに、食えということだろう。
ありがたいことだ。
フルーツではあまり満腹感を得られないが仕方ない。
ただ四人で分けるとなると、一人当たりは少量だ。
「わたしは大丈夫です。あなたたちで食べてください」とフェリナ。
「えっ、腹は減ってないのか。ずっと歩きっぱなしだったのに」
「わたしの場合、必ずしも口から栄養を摂らなくてもいいのです」
「馬鹿な。じゃあ、どうやって……?」
フェリナは大樹の前に立ち、幹に手底をそえた。
「こうやって生気をもらうことができますので」
魔導の一種だろうか。たまげたものだ。
食わなくてもいいとは便利な能力だな。
「それじゃこれらのフルーツは三人で……」
「わたしは植物を食さない」
シェラがそう言った。
つまりこれらはオレたちのためだけに採ってきてくれたようだ。
「シェラはさあ、この前『人血は嗜好品にすぎない』とか言ってたけど、本当になんにも食わずに、生命を保っていられるのか。やっぱり多少は必要なんだろ? まあ、あれだ。たまーにならば、ほんのちょっとくらい、オレの血を吸わせてやってもいいぞ」
シェラが横に首を振る。
「何も要らない。リグの血も喰らうつもりはない。ただヒトの赤い血を見ると、それが無性に欲しくなる。いったん口にすれば止まらなくなり、最後まで飲み干してしまう。その気持ちを抑え込むには苦労する」
「シェラの前じゃ、あまりケガとかできないってことだな」
「極力、わたしに真っ赤な血を見せないでほしい」とシェラ。