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【喜怒哀楽短編集】

潮騒の海硝子

作者: 姥妙 夏希

2011年3月11日、14時46分18秒。


何事もなく平穏に暮らしていた僕達の生活は、突如として一変し、大切な人をその怖いくらい大きな波によって理不尽に奪われていった。


***


「お兄ちゃん...!お兄ちゃんっ...!!」


妹の助けを乞う叫び声が聞こえる。けど、僕は何も出来ない。必死になって手を伸ばし、助けを乞うている小さな躰などまるで放っておいて、自分だけ助かろうと走って逃げたのだろう、記憶にはないが気付けば僕は家から遠く離れた山にいた。最愛の妹を置いて逃げた卑劣者としてレッテルが貼られるのも当たり前と言えば当たり前であった。


***


家へ帰ると、何時ものように母がキッチンのダイニングテーブルで項垂れ、頭を抱えて「何であの娘が...。」と呟いている。僕は母の肩を撫で、「ただいま。」と言うと自分の部屋に行った。


瑠璃に、妹に会いたい。


瑠璃は5つ下の小学生に入りたてだった。可愛いランドセルを下げて、毎日勉強をするのが楽しいと言って学校に行っていた。もし今も生きていたら、彼女は12歳、小学校を卒業する年になっていたはずだ。


でも、彼女の命を理不尽にも奪ったのは僕だ。


今は2016年で、僕はあの日から高校生最後の年に差しかかっていた。時間の流れが早いことに驚きもするし、またより一層瑠璃に対する後悔の念が強まる。ごめん、と幾ら誤っても到底許されるものではない。毎日、日を重ねる毎にそう思い、妹がいない空っぽの毎日を生きるのが辛かった。一回、死んだら償えるとも思った。


「でも、何をしてももう瑠璃は戻らないんだよな...。」


息を吸おうと天井を仰ぎ、そう僕は呟く。昔、瑠璃と一緒に笑って天井を見ていた時を思い出す。



「瑠璃、ほら、これが水瓶座だぞ。それから、あれが瑠璃の乙女座だ。」

「わあ、お兄ちゃんは物知りだね!」


星座図鑑を床に広げて、一つ一つ星座を説明していく。勿論、小学校に入りたての瑠璃に星座と言っても分からないとは思うが、瑠璃と話すとそれだけで楽しいのだ。何かを話したい、とつい思ってしまっていた。


「お兄ちゃん、此処からでも星座、見えるかなあ?」

「瑠璃、外に出ないと星座は見えないんだぞ。」


天井を見上げてそういった瑠璃に、そう忠告する。瑠璃はぽかんと口を開けていたが、急にぷっ、と吹き出すと「外でしか見えないのに中で見ちゃった!」と笑い始めた。笑わない努力をしていた僕も、妹の笑顔につい吹き出して笑ってしまう。やがて、笑いの波が過ぎると、僕らはふー、と大きく息をした。


「ねえ、お兄ちゃん、じゃあいつか一緒に星座を見ようね。」


妹が、綺麗な一等星のような輝いた笑顔でそう言った。



(...。)


見たい。


妹と一緒に、星座を見たい。

妹と一緒に、笑いたい。

妹と一緒に、色んな所に行って、色んなことを教えてあげたい。


涙が頬を伝い、床に滲みていく。片付けを怠けて床に置いたままの物に、涙が落ちていく。名もない涙を流し、僕は涙を流す資格などないと思いつつも、止まらない涙が床や物を濡らしているのを黙って見ていた。


「!?」


不意に涙が落ちた物の一つが光った。青くて透けた、優しい色をしている。僕は光っている物を拾って、何が光っているのか確認した。


(...海硝子(シーグラス)?)


指の中で光を発しているそれは、透き通った海硝子(シーグラス)だった。光と同様、青くて優しい色をしていて、僕は呆気にとられてそれを見る。海になんて、久しく行ってもいないし、友達から土産として貰った物でもない。誰がいつ、拾ったものだろうか。


「うわっ!?」


急に指の中で、海硝子(シーグラス)が強烈に、激しい程白く光って光が膨張したと思ったら、それが急激に僕を引っ張った。僕は窓を閉めているのに吹いている強風と激しい強光に目が開けれず、目を瞑って流れる強風に身を任せた。


***


「...此処は...?」


目を開くと、僕はキッチンのダイニングテーブルにいた。先程までお母さんが項垂れていた場所だ、とお母さんを探す。ところが、お母さんは何処にもいなかった。何処にいるのだろう、と辺りを見回す。顔を前に戻した僕は、前に座って食パンを頬張っている少女に釘付けになった。


「る、る、瑠璃...?」

「え、何か言った、お兄ちゃん?」


瑠璃がそう言う。僕は訳が分からず、周りを見た。ちゃんと僕の家には代わりはないのだが...何だか、どの家具も全体的に新品同様のように綺麗だ。


「ちょっと瑠璃、ご飯食べながらお話するのは行儀が悪いわよー!」

「瑠璃は慌てん坊さんだからなあ、喉詰まらないように気をつけないと。ところで奈美恵さん、今日は何日かな?」


「今日は11日よ、正義さんも慌てん坊さんで忘れん坊さんね、もう。」


お母さんとお父さんが楽しそうにお話をしている。その姿を見て僕はぽかんと口を開けて只々見つめるしか出来なかった。何時もなら、お母さんとお父さんは暗い顔をしていて、常に瑠璃のことばかり考えていて、まるで歩いている死体のように只々無機質なのに...。


そう言えば、さっきお母さん、今日何日って言った?


「お母さん、今日、何日なの?」

「もう、さっき言ったじゃない。今日は平成23年の3月11日よ。ほら、早く瑠璃と学校に行きなさい。」


「平成23年!?!?」


甲高い声が出て、僕は驚いて喉を触った。まだ喉仏が出ていない。それどころか、首を触る手が...小さくて、幼かった。そう思えば、身長も何だか低い気がする。


「何よ、どうかしたの?ほら、ランドセル背負って。瑠璃が待っているじゃない。」


お母さんが訝しげにランドセルを差し出し、そう言う。玄関先では瑠璃がにこにこと笑顔を浮かべて、赤色のランドセルを背負い、僕を待っていてくれた。


僕は半ば強引に学校へと駆り出された。


***


此処は、本当に平成23年なのか?しかも、3月11日は、あの大震災があった日で、瑠璃は、瑠璃は...。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


瑠璃が繋いだ手をギュッと握ってそう聞く。僕は、妹の顔に泣きそうになりながら「何でもないよ。」と手を握り返した。もう見れないと思っていた彼女を見れて、嬉しかった。その時、不意にある考えが思い浮かんだ。


(瑠璃がもしこの大震災で命をおとすなら...!)


瑠璃を助けることが出来るかもしれない。その為にもしかしたら、この日にタイムリープしたのかもしれない。


「瑠璃、ごめんな、絶対に、兄ちゃんが助けてやるから...。」


瑠璃が分かってない様子で「うん、ありがとう!」と朗らかに答えた。


***


「津波だ!!!!皆逃げるんだ!!!!!」


学校で先生がそう叫ぶ音がして、教室にいた僕はハッとした。先生の避難指示を無視し、一年生の教室へと向かう。瑠璃を連れ去って、僕が逃げた山まで一緒に逃げるんだ。そしたら、きっと安全だし、瑠璃も生きれる、と思ったからだ。


ところが、一年生の教室に行くと、瑠璃はもういなかった。


黒板の時間割表に、【金曜日は4時間授業です。】と可愛らしい文字で書いてある。


しまった、4時間授業!


瑠璃を助けることで頭がいっぱいで忘れていたが、金曜日は4時間授業だった!僕は急いで家へ帰ろうと立ち上がった。持っていたランドセルを教室に置いて、校門を走り出た。息が切れて、肺が苦しい。お腹が痛い。でも、走らなければいけない。


もう、二度と、僕のせいで大切な人を亡くさせはしない。


角を曲がると、もう大きな波は近くまで来ていた。大きな、黒い波が静かに揺らめき、まるで大きな怪物のように無慈悲に家や人を飲み込んでいく。助けを乞うて叫んでいた人の声が聞こえなくなり、家の破壊音が残る様に、僕はそれを見つめることしか出来なかった。躰の奥底から、激しい恐怖が湧き上がってくる。


足が動かなきゃいけないのに、根が生えたように動かない。


「妹を助けるといったのは僕だぞ!!動け!!!」


心の中で、自分自身で叱ると、僕は足を動かして家へと向かった。


***


「瑠璃!!!」


家に入ると、もう水が家中を浸水していた。階段を水飛沫を飛ばしながら駆け上がり、瑠璃の部屋へと行く。お願いだ、間に合ってくれ。一縷の望みに縋り付きながら、僕はそう思う。


「どうしたの、お兄ちゃん?お水が沢山バチャってきて冷たいよ。」


...いた。瑠璃は、お気に入りのお人形を抱えてそう言っていた。足元が水に浸かっていて、所々服が濡れているのを見ると、きっと波が何度か来たのだろう。僕は焦りながら辺りを見回した。もう山に行っても間に合わない。何か、他に助かる方法はないだろうか、と模索する。


「あっ、海硝子(シーグラス)!!!」


あれがあれば、未来に戻ることもできるかもしれない。そう思ってポケットに手を突っ込んだが、何もなかった。探しても、何もない。津波がもうそこまで来ている。


逃げれない。


「る、瑠璃...。」


瑠璃を見た。7歳で、小学校に入りたてで、元気が良くて、笑顔の瑠璃を。


未来ではもういない、瑠璃を。


「ごめんな、兄ちゃんまた助けられなくて...。」

「また...?」


「兄ちゃん、前に津波があったときにも、瑠璃を助けられなかったんだ。逃げたんだ、怖くて。瑠璃を、瑠璃を...見捨てたんだ。」


そうだ、見捨てた。


妹の助けを乞う叫び声が聞こえる。けれど、必死になって手を伸ばし、助けを乞うている小さな躰などまるで放っておいて、自分だけ助かろうと走って逃げた。それが、僕のあの日の記憶だ。


そして、きっと今も自分だけ生き残ろうとしているんだ。


最悪だって分かっている。瑠璃を一度見捨てたのに取り戻そうなんて、馬鹿げているしそんなの自分のエゴでしかないのだって、分かっている。僕は瑠璃を抱きしめると、呟いた。


「最低なお兄ちゃんで、ごめんな...。」


「違うよ、お兄ちゃんは見捨ててないよ。助けに来てくれたよ。」


凛とした声が聞こえた気がした。眼の前にいる瑠璃の眼に、先程とは違う生気が灯っている。瑠璃は真っ直ぐと此方を見て、頷いている。


「...え?」


「お兄ちゃんはね、私のことを助けに来てくれたんだよ。最後まで、庇おうとしてくれていた。それを違う未来に変えたのは、私なの。」


瑠璃がそう言って、手のひらに握っている何かを差し出す。キラリ、と柔らかい光が反射した。


「...海硝子(シーグラス)?」

「そう、海硝子(シーグラス)。時間を巻き戻してくれるの。」


「何で、瑠璃が?」


「私が、お兄ちゃんに生きてほしい、って思った結果なの。お兄ちゃんを海硝子で助けようと思って、5年後の未来から来たんだよ。」

「じゃあ...。」


「そうだよ、12歳の瑠璃だよ。お兄ちゃんに生きて欲しいの。お兄ちゃんは、この日助けに来てくれて瑠璃だけを逃してくれたんだよ。でも、お兄ちゃん自身は亡くなっちゃったの。私は、お兄ちゃんを助けに来たんだよ。」

「でも、そしたら瑠璃が死ぬじゃないか!」


「どちらにせよ、近い未来で私も死ぬの。12歳で、津波で息ができなかった時の後遺症があって。もうそう生きれないわ。」

「瑠璃...。」


「だから、生きて、生きてよ。私の出来なかった分まで、沢山お母さんとお父さんに親孝行して、仲良くしてよ。私の出来なかった分まで、人生を楽しんでよ。」

「嫌だ、瑠璃、まっ...。」


「さようなら、高校生のお兄ちゃん。ひと目でも会えて嬉しかったよ。」


ばいばい、と呟くと同時に、瑠璃の手が僕を押し、彼女自身の躰は波に飲まれていった。手を伸ばそうとするが届かず、波とともに瑠璃は何処かに去っていき、後は只々静寂が残った。


世界から、音が消えた気がした。


2回目の大切な人の死に、僕は呆然として床を見つめた。助けられなかった、という思いが自分を責め続け、後悔の念を増長させる。その時、コツン、と何かが手の中にある感触があり、僕は手を開いた。


青い海硝子(シーグラス)が、キラキラと光っている。


僕の躰は、一気に全部その海硝子(シーグラス)へと引き込まれていった。


***


こんなこと、勿論駄目だって思う。僕が、人生を楽しむ資格なんて無いと思う。でも、それが妹の望みなら。それを僕は叶えようと思う。お母さんやお父さんにも、親孝行をしようと思う。


だから、今日はその一歩。


お母さんと、お父さんと沢山話をするんだ。


一歩ずつでも良い、妹の叶えたかった未来を。妹の生ききれなかった分まで、僕が。


精一杯生きようと思うんだ。



***



「ほら、瑠奈見えるか?これが水瓶座だぞ。それから、あれが瑠奈の乙女座だ。綺麗だろう?」

「うん、きれい!お父さん、物知りだねえ!」


娘の瑠奈が、あなどけない笑みでそう叫んだ時...。僕には、娘に重なっている影が見えた。たった7歳で亡くなった大切な人の可愛い笑みを。


「...綺麗だな...。」


気付けば涙が一筋溢れていた僕は、娘に「お父さん、なんでないてるの?」と聞かれて「何でもないよ、お婆ちゃんの所に行っておいで。」と言った。娘が言いつけに従って、孫の元気さに微笑んでいるお婆ちゃんの所に行く。


空を見上げると、あの日見えなかった星座が輝いて僕等を明るく照らしていた。僕は持っていた海硝子(シーグラス)を握ると、微笑んで言う。


「星座、一緒に見れたね。」


夜空が、一瞬あの日誰かが微笑んだ一等星のような笑顔に見えた。

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