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短編・掌編

伴侶

作者: たびー

狼子さま主催 描写力アップ企画へ提出した作品の改作。

旅の一場面。

神馬とその(つま)との旅路。

 砂嵐が去った。

 ハサンは砂避けに頭から被っていた布を外して砂を払った。

 は……と顎をそらして大きく息を吐くと、頭上には薄水色の空が広がっていた。

 思わずそのまま視線を巡らす。羊の毛を固めて作られた寒さと風を防ぐ帽子につけられた金の小さな板が、シャラシャラと音を立てる。

「わ……ぁ」

「どうした? 山がなくなって驚いたか?」

 神馬のオルガが長い白銀の鬣をゆらしてハサンの褐色の頬に湿った鼻面をあてた。

 ハサンは大きな目を見開いたままうなずき、オルガの首を抱き締めた。

 淡い砂色の大地は果てしなく広がり、地平線で空の青へと変わっている。

 オルガが立ち上がるのと一緒にハサンも腰をあげた。遙か南に尖塔があった。尖塔を支えるように、城壁がめぐらされているのがハサンには見えた。

 振り返ると、故郷の山の峰は北の空にわずかに白く光っている。

「少し急ごうか。日暮れ前に都に着かねば。なに、我らならすぐに宿舎に通される。正式な手続きは明日でもいい」

 人と言葉を交わせる特別な存在、神馬。神馬のオルガは再び武人となるのだ。

 ハサンは思わず胸のあたりの布を掴んだ。砂嵐前に見た、オルガの悲し気な瞳を思い出した。

 砂嵐の前に、ハサンとオルガは古戦場を通った。

 高地にある村から下りてきて間もなくだった。

 草の一本もない、岩だらけの地面から無数の剣が突き出し、錆びついていた。それから、折れた矢羽たち。矢羽は空から降り注いだ残骸だ。

 戦士たちの遺骸は葬られ、あるいは乾いた風にさらされ、すでに見えなくなっていたが、戦いに使われた武器だけが荒涼とした大地に残されているのだ。敵である翼人たちは天から地上へ矢を射る。地を走る者たちは地中から剣を生み出し、空へ放つ。

 地面から天を目指すようにして現れた剣の中には、かつてのオルガの(つま)が出現させたものもあった。

 オルガは亡き(つま)の匂いをさがすように、鼻で丹念に地面を探索しているように見えた。

 神馬はかつての伴侶を忘れない。忘れられないのだ。

 ハサンは山の牧場で山羊を追いながら、オルガをいつも見ていた。深く青い瞳のオルガが銀色の鬣をなびかせ、平原を駆ける姿は、どの神馬よりも精悍で美しかった。

 だから、まさかオルガが自分を(つま)に選んでくれるとは、夢にも思わなかった。今でも、覚めない夢を見ているように感じることもある。……けれど。

 神馬の(つま)となったものは、ひとたび戦となれば、神馬と一つになり闘う(さだめ)だ。

 自分にそんな大役が務まるだろうか。ようやく十三になったばかりのハサンは、足がすくむ。

「どうした、ハサン。家に帰りたくなったか?」

 ハサンは慌てて首を横に振り、滲んでいた涙を赤と青の糸で細やかに刺繍されている袖で無造作に拭いた。

「ほら、母たちが用意してくれた衣装が汚れる。だいじょうぶ、わたしが傍にいる。おそらくおまえは今までの乗り手の中でも、かなり若手だと思う。けれど、わたしが選んだのだ。誰よりも同じ音色で魂をふるわせるおまえを」

 神馬は自ら乗り手を選ぶ。選ばれたものは、男女を問わず(つま)と呼ばれる習わしだ。

 ハサンがオルガに乗ったのは、まだ一度だけだ。体が溶け合い大地を思うさま駆けまわったこと、熱い血潮が全身を駆け巡り、力がみなぎり、いつまでも駆けていられると思ったこと。

 いま思い出しても、鼓動が早くなる。光も匂いもすべてが色彩を持ち、目に飛び込んでくる光景は人として見るときと全く異なる様相を呈していた。耳からの音は何層にも聞こえ、人の汗の匂いも、家畜たちの獣臭さもすべて形を持っており、それを感じるには距離の遠近は関係なかった。

 そして、幼いハサンが受け止めるにはまだ早いだろう、戸惑うような陶酔も味わったのだ。

「さきの戦で前の(つま)を亡くしてから、誰も娶る気持ちはなかったが。ハサン、おまえに出会うまでは」

 そういわれると、ハサンの胸は熱くなった。そのままハサンとオルガは身を寄せ合って歩いた。

 夕陽がハサンの頬を照らすころ、荒涼たる砂礫は低い灌木が生える草地となっていた。そしてふたりは遠くに見ていた尖塔のある王都の門へとたどり着いた。

 こちらもまた、大きな山のように見えた。眼前にそびえる岩壁は左右に長く、壁面にいくつも小窓があった。そして窓には必ず十字に鉄の棒がはめられている。おそらく中は五層くらいになっているように感じられた。尖塔の頂には、見張りの兵士が数人立っているのが見える。

「翼人の襲来にそなえているのだ。ハサン、山育ちで目のいいおまえには、おそらく見張りの役が回ってくるだろう」

 オルガがハサンに優しく話しかけた。

 正面の門は小さく感じた。けれど黒檀の分厚い板を金属で縁取り、聖句が踊るような文字が金と銀とで描かれている表面は、荘厳さを湛えている。門は他にも何ヵ所かあるのかもしれない。

「なんとか日没まで着けたな。今夜は宿舎に泊まることになろう」

 ハサンたちのように、荷を担ぎ、荷車門を引く驢馬を急かす人々が見受けられた。ハサンの背丈の三倍ほどある門扉を近くで見ると、聖句の間には鏃がいくつも深く突き刺さっていた。

「……先の戦いの痕だ」

 ハサンのからからの喉がごくりと鳴った。戦となれば、都まで翼ある奴らは攻め込んでくる。

「ほら、門をくぐるぞ」

 オルガに促されてハサンは前を向いた。ハサンとオルガが門の衛兵の前を通り過ぎると、兜をかぶり槍を持った体格のよい衛兵たちは無駄話を止め、二人を見つめた。

「ハサン、おまえはわたしの(つま)だ。臆することはないよ」

 オルガの声は、ハサンの気持ちを落ち着かせてくれた。

「うえをごらん」

 門を潜ると、中は岩の天蓋でおおわれた町だった。壁に沿って段が刻まれ、緩やかならせん状の通路は、天井まで続いている。通路は店や住宅の前にあり、小さく区切られた住まいの入り口には、色とりどりの小さなランプがともされている。買い物帰りや宿を求める者たちが通路はごった返し、ざわめきでオルガの声が聴きとりづらい。肉を焼く油の匂いの混じった煙や野菜を煮込む湯気や煙がこもることなく流れていく。どこかに風穴があって、つねに風が吹いているようだ。

「天井からも明かりはとれる。奴らが攻めてきたときには、塞ぐのだ。ここは都の中心にあたる。四方の岩の中、地の底にも人が住んでいるのだ」

 たしかにぐるりと取り巻く通路のそこかしこに、岩壁の奥へと通じる路が作られている。地下への入り口らしい下へ行く階段も見えた。

「口を閉じて」

 言われてハサンは口が開いたままのなに気づき、慌てて手で押さえた。行き交う人々が、オルガの行き来の道を空ける。同時に、ハサンにも畏敬の眼差しを向けるのだ。

「正面の奥が王宮だ」

 樹木や花をかたどった彫刻が施された柱が整然と並んでいるのが見えた。

「その隣は神殿。あそこで我らの婚儀がなされる」

 皇帝直属の軍へと正式な登録をする。そして寺院で婚礼を挙げるのだ。婚礼衣装は村中の女たち総出で作られた豪奢なものだ。

 これまで村から神馬の乗り手は現れたことなどなかったから、長を始めとして、村人たちの喜びようときたら。お互い貧しくつましい暮らしの中で、皆は手持ちの中でも最もよい布や糸、玻璃や瑠璃を持ち寄った。上等な絹、柔らかくなめされた革。

 全ては、ハサンとオルガの婚礼のために使われた。

 皆がほめそやし、祝いを述べる中で、父は喜び酒を飲み交わしていた。母と姉も笑顔で料理を配り、礼を言っていた。けれど結婚衣装を整える仕事の間、母と姉は時折目元を拭っていたことをハサンは知っている。

 乗り手に選ばれたということは、戦が起こったならば、かならず出陣しなければならない、ということだ。

 そして、七つの命を持つといわれる神馬は死なぬが、乗り手は無事とはかぎらない。

 神殿の入り口の天井近くには勇ましい白と黒の神馬の彫像が飾られている。いつの間にやら人々から歓迎の歌が沸き上がった。

 新しい神馬と(つま)祝福の歌を。

 歌を聞きつけたのか、神殿の中からほかの神馬と夫たちも姿を見せた。

 その中から一頭の漆黒の神馬が踊り出て、オルガの首に顔をこすりつけた。オルガも無言で首を動かし、なつかし気に応える。あとからあとから、神馬と夫が続いた。

 黒馬の夫だろう、精悍な顔つきの青年がハサンに微笑かけた。

 誰もかれもが、したしげにハサンの手を握り肩を抱いた。

 いつしか、ハサンのなかにあった不安は春の雪のようにとけていった。

「ハサン、手をたずさえ共にゆこう。おまえとならば、言い伝えの天馬にもなれるような気がするよ」

 ハサンはオルガの首につかまり、口づけた。ハサンには、もう迷いはなかった。




いつか書きたいと温めているファンタジーの一場面。

これでもやはり中途半端な感じです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 春の雪のようにという例えがとてもしっくりきました。 独特の設定をすんなりわかるように物語世界に沿うように表現すること。 文章力だなぁと思います。 二人の立場から今後起こるだろうことが浮かびま…
[良い点] お疲れ様です。 長大な叙事詩の一場面と言うところでしょうか。 獣の奏者系のファンタジーですね。 [気になる点] ラフデザインとかイメージボード的な状態のようですので今は、中途半端感…
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