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第四章

 ――ウィシュナ。どこへ行ったの?

 自室で天井を見つめながら、ぼんやりと考える。

 遺体が見つからないということは、どこか遠くへ運ばれたかもしくは――考えたくはないが――見つからない程に、細切れにされてしまったか。おぞましい光景を想像して、首を振る。

 あの血溜まりを見るまでは何となく、もしかしたら生きているのではないかと期待とも呼べない淡い感情を抱いていたのだが……現場を見て、そんな思いは吹き飛んでしまった。ありえない血の量。あれが全てウィシュナから流れ出たものだとしたら、命を落とすには十分過ぎただろう。

『それじゃあ、また後でね』

 ウィシュナの最後の言葉だ。彼女に「後で」はなかった。約束の時は永遠に訪れないのだ。「後で」なんて言わずに、ずっと話していれば……

「……後で?」

 ティアロは後悔という名の思考を中断する。浮かんだ疑問を口にして、眉根を寄せた。

「後でって……何のこと?」

 彼女にとっては「また明日」が別れの言葉として相応しかったはずだ。現に、いつもそう言い合って別れている。挨拶というよりは、もはや意識すらしていない、記号のようなものだ。

「また明日」も私達は学校で会い、勉強をしてお喋りをして、別れる。ウィシュナは宿舎へ、ティアロは自宅へ。

 言ってみればあの言葉は、そのような当たり前と信じて疑っていなかった、いつも変わらずそこに存在しているはずの「明日」への道しるべなのだ。それなのに「後で」とは、一体どういうことなのか。

「どうして気づかなかったの、私は!」

 自分に苛立つ。髪を乱暴に掻いて、唇を噛んだ。

 ――明日、ウィシュナの部屋へ行ってみよう。何かあるかもしれない。

 決心したそのとき、無遠慮なノック音が響いた。

「……お嬢様」

「なによ、ジース」

 刺々しいティアロの返事に、扉越しに嘆息する声が聞こえてきた。「入ってこないでよね」釘を刺して、用件を尋ねた。

「レイスト家から夜会の招待状が届いております。如何なさいますか?」

「レイスト……ファーノのとこか」

 学友というだけで、彼女とはそれ程親しいわけではない。学院では家柄ごとにグループのようなものが出来上がっているが、ミンセット家くらいになると他者とつるまずとも易々と蹴落とされたりはしない。言ってみれば、いつでも擦り寄られる側だ。「めんどーくさいなぁ……」憂鬱に呟いた。

「恐れながら申し上げますが、レイスト家といえば最近勢力を伸ばしている様子。良い関係を築いておくのも良いと思いますが」

 二言目には、これだ。発言力を強めるだとか、勢力を伸ばすだとか……ジースの頭にはそれしかないのだろうか。彼のそういうところが一番嫌いだった。

 ミンセット家よりも力の弱い家は、誰もが第二のウィシュナになろうとしている。まだそれ程あからさまではないが、ティアロの隣を狙っているのは丸分かりだった。ファーノもその中のひとりだ。

「旦那様も、お嬢様にご出席なさるよう仰っておりますよ。夜会は十日後です」

「それまでに準備しとけって言うんでしょ? 分かったわよ」

 ティアロはため息をついた。貴族も楽じゃない。




「ティアロさん、来てくださるんですって?」

 教室でぼうっとしているとファーノが機嫌良く話しかけてきた。教室がざわつく。

 一瞬何のことかと考え込んだティアロだったが「ああ……十日後の?」気のない返事をする。すでに九日後となっているが、訂正する気もない。

「ええ、期待してくださいませ。きっと楽しい夜になりますわ」

 豊かな金髪をさっと掻きあげて、目を細める。見た目は典型的な良家のお嬢様だが、その笑顔の下にどんな野心を隠しているのか。考えただけでティアロはうんざりする。今あえてこの場で話しかけてきたのだって、レイスト家とミンセット家の繋がりを誇示したいだけだろう。まだ何も繋がってないしあまり繋がる気もないのだが、それは父が決めることであり、ティアロはティアロの交友関係を維持するだけのことだ。

 つまりそれは、第二のウィシュナは決して現れないことを意味する。

(あーあ、馬鹿みたい……)

 無言で席を立ち、教室を出た。

 すれ違う生徒達の中から、無意識の内に薄紅色の髪を探してしまう。

(確か、あそこの角だったかな)

 廊下の突き当たり。曲がろうとしたティアロにウィシュナが思いっきりぶつかってきたという、なんともありがちな出会いだった。お互い派手に転んで、あまりに見事な転びっぷりにしばらく言葉が出なかった程だ。当事者たちよりも周囲の人間のざわつきの方が大きかっただろう。

 そのうちに我に返ったウィシュナが『ご、ごめんなさい……前を見てなくて。お怪我はありませんか?』ぼそぼそと謝ってきた。恐縮しきった様子に怒る気も失せて『お尻を打ったけど。大したことないわ』立ち上がった。

『本当に?』

 胸元に揺れる黒の十字架を握り締めて、ウィシュナが尋ねてきた。後で気づいたが、十字架を握るのはウィシュナが涙をこらえているときの癖だ。

『大丈夫だって言ってるでしょ。私が嘘を言ってるとでも?』

 どうせミンセット家の娘に怪我させたとか、そんなくだらない心配をしているんだろう。どいつもこいつも、ミンセット家ミンセット家とうるさい――少しきつめに反論した。

『う、ううん……そうじゃなくて……で、でも、後で痛かったりしたら、私寄宿舎に居るから……ウィシュナ=ディーニを訪ねてください』

 そのときのウィシュナの言葉が忘れられない。

『あの、それと、一応あなたのお名前を教えて頂けますか?』

 聞くところによれば、彼女は転校してきて間もない時期だったらしい。ティアロの顔を知らなくてもそれは当然だ。普通に暮らしていれば、地方領主の娘と中央貴族の娘ではどうやったって顔見知りにはなれない。

 ティアロはほんの気まぐれで、翌日彼女の部屋を訪れた。ウィシュナは驚いて、やっぱりどこか痛むのか、傷は深いのかと泣きそうな顔で捲くし立ててきて――ただ遊びに来ただけだと告げたときの、彼女の呆けた顔は今でもよく覚えている。

 そして今、あのときと同じように彼女の部屋の前に立っている。合鍵は管理人から受け取っている。検証は済んだようで、警備隊の姿は特に見当たらない。ティアロは深呼吸をして、鍵を差し込んだ。

 軋んだ音が扉から発せられ、閑散とした部屋が姿を現す。前から私物はほとんどなかった。備品の机やベッド、クローゼット以外の家具も特に置かれていなかった。

 よく備え付けのものだけで満足できるものだと、何気なく言葉にしてみたことがあるが、

『そうかしら。十分過ぎるほどよ』

 必要最低限。それがウィシュナの考え方だ。

 そのせいか、彼女の物が持ち出されても、部屋の印象はさして変わらない。

 けれど、確実に――ここから失われた「生活感」がある。もう二度と取り戻せないウィシュナの気配を掴み取ろうとするかのように、ティアロは足を踏み入れた……が、次の瞬間後ろから肩を掴まれる。

「誰よ!?」

「お嬢様、探しましたよ」

 肩越しに振り返るとジースの呆れ顔があった。「またあんたなの?」いつもいつも邪魔ばかりして、本当に苛立つ。剣呑に言い放つと、世話役はこれ見よがしにため息をついて「また、はこちらの台詞ですお嬢様。正門でお待ちになっていてください、と何度申し上げたら分かるのですか」首を振った。

 ティアロは乱暴に彼の手を払うと向き合って睨み上げる。

「どうして私がここに居ると分かったの?」

「ご学友の方に聞いたのです。寄宿舎に向かわれた、と」

 その言葉に小さく舌打ちする。以前からこの男はティアロを探して学院内をうろうろすることがあった。

 ウィシュナの部屋はティアロの第二の我が家のような場所で、そんな安らぎの空間をこんな男に土足で荒らされるのは我慢ならない。だからこそ彼に隠れて慎重に足を運んでいたのに、相変わらず嫌なところで仕事が早い。

「ウィシュナの部屋がよく分かったわね」

 学院の敷地内に入るには正門で許可証を受け取らなければならない。それを持っていることで身分は保証されるが、さすがに部屋までは教えてくれないはずだ。

「……ティアロ様のご親友ですから、部屋は知っておりました」

 少しの沈黙の後に呟かれた言葉に眉を上げる。

 親友だとは認めてないくせに。カチンときたティアロはジースを突き飛ばしてドアを閉めた。たたらを踏んでいるジースに向かって、

「私は鍵を返してくるから、馬車で待ってなさい」

「いえ、お嬢様。私が行きます」

「……ティアロ=ミンセットの命令が聞けないっていうの?」

 底冷えするような鋭さを持つ声。こんな声が出せたのかと自分でも驚きだったが、ジースも剣呑な気配を感じ取ったようで「了解しました」と去っていった。

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