97話 殺戮天使
ドラクロワの腰掛けていた六人掛けテーブルの余地には、忽ちの内に、夏の今時分には大変に有り難い、地下水を有効利用して、特別冷やされた酒類と果汁のグラス群とが、正しく所狭しと運ばれた。
そして上気したルリにより「こ、これはサービスだ、です」と、シャンへともたらされた、頼んでもいない贅沢でハイカロリーな、香辛料と脂タップリの豪勢なおツマミ等でもって満載となり、目を丸めた女勇者達はお互いを見合って、ニッと微笑んだ。
「えーと。あー、この度はお日柄も大変よろしくぅ……。
えー、そのー。このダスクの町に到着して早々、おかしな武器屋さんで、そこのライカンさん達による襲撃に遭うもー。
えーと。アンさんとビスさんの猛攻によって、難なくその危機を脱しましてぇー。
えー……そのー……つまりは、その輝かしき勝利を祝しましてのぉー。
あっ!乾杯!!」
例のごとく、何故か皆を代表してユリアが挨拶を済ませると、すかさず光の勇者団による乾杯と相成った。
そしてその卓上での話題とは無論、女バンパイアの背もたれの後方に広がる、異様な存在感を放って止まない、代理格闘遊戯板となる。
この立体地図の四角い筐体、その摩訶不思議で魔的な効果・作用については、遊戯体験者のカミラーにより、的確にして端的な説明と解説とが施され、物々しい愚連隊達の見守る中で、女勇者達の瞳は見る見ると開かれていった。
特に、この手の珍物件には目がないユリアは、そこの魔具に恍惚・陶然となり、カミラーに選手交替を頼み込んだ。
だが、カミラーは頑として対戦席を譲らず、その見事な盛り髪の小さな頭を横に振り
「ならぬ。わらわもこの遊戯が愉快で堪らぬでな。
大体、どう見積もっても、お前のようなお惚け者からは、勇猛にして果敢な強者が生まれ出るとは思えぬ。
ここは万事、確かな実績のある、わらわに任せて、お前達は酒などかっ喰らいながら、わらわの士気を高める為の凱歌でも高らかに歌うがよいわ。
さて、そこに控えし醜男よ。待たせたな。
では、いざ尋常に!わらわの魔戦士により蹂躙されるがよい!」
左の薄桃色の袖のフリルを捲り上げて、再度、あの凄惨なる闘い振りを見せた、冷血の巨人貴公子を出陣させんとしたその時。
「カミラーよ。盃に注ぐ葡萄酒が尽きた、要領を覚えたお前がここにて壺を振れ」
と、ボスから直々に招請が言い渡されては
「はっ!直ちに!魔、いえドラクロワ様に壺振りなどさせたとあっては、当家の末代までの恥!
あの……ドラクロワ様。私の壺振りは、それほどまでに、その……要領を得て、おりましたでしょうか?」
魔王に必要とされたと感じ、思わず赤面するカミラーにとっては、あれだけ固執していた決闘遊戯といえど、今や光の速度で塵芥のような無価値な物へと成り下がっていたのである。
(ウム。こ奴は長命の真魔族のせいか、あの水晶球に触れて無意識的に招来させる、自身の父親に酷似した、あの黒装束の代理格闘戦士とやらは、他を圧倒する強さがあるな。
だが、いつの世も格闘というモノは、その争い合う闘士の能が拮抗しておらんと直ぐに飽きが来てしまうもの。
ここは一旦下がらせておくか……。
それに、ユリア達の本性というものも酒の肴としては上出来だ。これも確と観ておきたい。
まぁ、どれだけ優れた戦士が出て来たとこで、最後には全てを駆逐・殲滅する俺の前座でしかないだろうがな。
フフフフフ……)
一見、虚無主義を気取ってはいるものの、魔王ドラクロワとしては、良くできたこの遊戯盤上での格闘合戦を純粋に楽しみつつも、最終的には己への称賛を極上の味へと昇華させる為に、この決闘譜のシナリオを完全掌握・統御せんと、密かに画策していたのである。
さて、真紅のコルセットで引き絞った腰を入れた、張り切るカミラーによる入魂の壺振りのもたらす、さんざめく波音と鮮烈なる葡萄の香との大波及を背景に、鼻息荒くも戦闘席へとかぶり付くのは、言わずと知れたサフラン色のミニスカローブの小柄な三つ編み女であった。
これに呆れたような、いや、元からそういう顔だったような、何とも間の抜けた顔面のラタトゥイユ青年であったが
「君達さぁー、この遊戯盤上では格別に常勝無敗のチャンピオンたる、この僕を前にして、よーくも身内盛り上がりなんかして、こんな格別に淋しい思いをさせてくれちゃったねぇ?
その罪は、僕の格別なる最強無双の代理格闘の超戦士が裁いちゃうんだからねぇっ!?
アレッ?何かさっき、あの黒一色の格別に怖い人の事、ドラクロワとかドラクロアとか言ってなかったー?んー……。まぁいいか。
じゃあ、この代理格闘遊戯のルールは聴いたみたいだから、遠慮なくいくよー!」
こうしていよいよ、その齧って深爪にした平凡な若者の掌が、妖しい輝きを放つ黄色い水晶球に乗せられたのである。
「あー!も知らねぇから!テメー等は勝手に注いで好きに飲め!」
と、カウンター奥のルリはハスキーヴォイスで怒鳴って、極めて乱暴に、琥珀色の蒸留酒の角瓶をカウンターへと叩き付けるように並べ立て、完全なる職務放棄を宣誓すると、酒のおかわりは欲しいものの、決闘開始に間に合うようにと、モヒカンモドキ達はグラス片手に慌ただしくもそこへと殺到した。
さて、ラタトゥイユの手元では閃光が瞬き、黄色い険しい顔でそれを見下ろすカサノヴァが居た。
そして、決闘の盤上には黄に燃ゆる螺旋火柱が吹き荒れ、そこには忽然とプラチナカラーの逞しい闘士が参上した。
その戦士とは、サイズ的にはカサノヴァの黒豹戦士とさほど変わらず、全身鎧と突起のない兜を装備した、剛健なる勇士のシルエットに、まるで白金色の塗料を頭から被せて、その爪先まで一色に染めたような、煌めく金属的姿であった。
だがしかし、それは闘士というには似つかわしくなく、その滑らかな体表には、両手の先が鉤爪となった手甲以外には、武器らしきものは何一つ見当たらず、ただ猫の目のように大きく、吊り上がった形の眼窩から黄緑色の眼光が溢れているのみであった。
その他に特徴と呼べるものは、燃えるような双眸以外には、その雄々しき体躯を地上から中空へと浮かせる、背中の六枚の翼だけであった。
そして、その悠々とはためく三対の翼も、やはり白金の一色であった。
さて、双眸の輝きという一点においては、この代理格闘戦士に勝るとも劣らない女魔法賢者も、おっかなびっくりと水晶球に小さな手を乗せた。
すると水晶球からはあの稲光が、そして盤上では黄色い螺旋火柱が噴き上がり、そこには、ユリアの内奥から喚び起こされし戦闘士が出現した。
その者は、全体に艶のない石膏の白さを湛えており、奇しくもラタトゥイユの代理戦士と同じく、その背には小振りにして一対ではあるが、確かな翼を備えており、対峙するプラチナファイターと同様に宙を舞っていた。
その姿は小さく、ふくよかな幼児を想わせ、フワリと纏わり着かせた帯のような着衣、クルクルと巻いた豊かな頭髪も、その肌も瞳も、その全てが徹底して白一色であり、ゆったりとホバリングするその有り様は、まさに神の使いを想わせるように無垢でいて、まさに神々しき男児の像であった。
ユリアは瞳孔全開で、その白い有翼の幼児らしきものを凝視し
「うわっ!!何これ!?なにか清廉にして神聖なるモノが出ちゃいましたー!!
うわぉあーー!!何だこりゃあーー!
スゴいー!スッゴいですー!!たたた、愉しいぃー!!
ねねね!この高潔なる印象は、正しく私そのものですよねー!?
ヘェー!ヘェー!良っく出来てるなー!この魔法盤。
あっ、でもコレ……何となく男の子ッぽいですね。
ウーム。ナルホド、ナルホド。この代理格闘戦士さんって、女性が召喚したからといって、必ずしも女性的な姿で描出・具現化されるって訳でもないんですねー。
カミラーさんも男性的な巨人を発現させたみたいですし……。
それにしても……この男の子ってばー、私という純潔無垢なる者の人となりを顕しまくりですよー。
いやー、なーんて正直な魔具さんなんでしょ。
カミラーさんみたいな残忍さの暗黒結晶とは違いますねー!エヘッ!
でもその反面、ちょっと見た限り一流の美術品みたいで、あまり戦闘向きには見えませ、」
その時である。
ユリアの生み出した有翼の幼児の愛らしき微笑の形、その白い唇の両脇から下顎に向けて、シュッと二筋の黒線が引かれたかと思うと、そこの下唇と下顎とは、ジャキッと真下へとスライドした。
そして、その口腔からは鋼鉄のような質感の黒光した筒が、回転しつつも滑らかな動きで突出し、突如、左右の石膏の短い腕を肩から、まるで駄々っ子グルグルパンチよろしく、ガラガラと回し出したかと思うと、ズンドドドドドッ!と、その口の筒先から連続炸裂する火の花と金属の玉みたいな物が、雷鳴のごとき轟音を伴って、目にも止まらぬ高速で射出され、真っ直ぐに飛翔した。
それは、腕をクロスさせて頭部をガードする、ラタトゥイユの代理戦士のプラチナの身体へと次々と着弾した。
その凶弾の乱射は相手戦士の腕はおろか、肩や翼、胸部、腹部をも思う様に焼きつつも貫き、中空にて、モウモウとした血と煙とを巻き上げさせた。
何とか頭部だけはと、そこを必死で守っていたラタトゥイユの戦士も、これには堪らず、猫目の闘士に相応しく、ミギャーッ!!と、耳を覆いたくなるような、化け猫の絶叫のごとき悲鳴を上げつつ、仰け反ったのである。
この有り様に「なんだこりゃ?」と皆はあっと驚き、開いた口がふさがらなかった。
だが、ユリアの発現させた小さな有翼戦士は、未だ未だ攻撃の手を弛めず、今度は、弾丸の連射により赤熱したその同じ口の筒が、内側から目も眩むような光を溢れ出させたのである。
そしてそれは、石膏像のような幼児の顔も直視出来ぬほどに、眩い鮮烈なる十字光を発し始め、それは一瞬、筒先に集束したかと思うと、キュンッ!と音を立て、金色の光の槍となってそこから発射され、ガードが開いたラタトゥイユのプラチナ戦士の両鎖骨の中間を貫いたのである。
その光の槍はそのまま翼の生えた背中へと抜け、あまつさえラタトゥイユの顔面へと伸びたが、そこで何か見えない壁のようなものにぶつかって、そこで雷撃のごとく、白く網膜を焼くような閃光として弾け、ドッズウウウーン!!と爆音を轟かせ、その光の槍は木っ端微塵に吹き飛んだのである。
どうやら、代理格闘遊戯盤の戦士達は、盤の外へは如何なる攻撃・干渉も出来ないようだった。
こうして、一切の容赦なく撃ち抜かれたプラチナカラーの猫目戦士は、上半身の無数の貫通孔から、バシャバシャと赤黒い鮮血、背中からは白金の羽根と煌めく身体の欠片とを派手に撒き散らしつつ、直下の荒野へと落下したのである。
ラタトゥイユ、そしてカサノヴァとルリを始め、観戦していたモヒカンモドキの悪童達は、その腕や手で顔前を覆い、ユリアの生み出した化け物の見せた、見たこともない無慈悲な突貫攻撃と、その余りの戦闘能力とに驚愕し、正しくその場に凍り付いていた。
この有翼の幼児らしきもの。
それは聖なる無垢な外見的印象とは裏腹に、極めて獰猛であり、攻撃・戦闘的な存在であった。
マリーナはユリアの薄い肩に深紅のグローブの手の先を、ソッと置き
「あらまー。コリャ何てオソロシー怪物だい。
ちょいとこれからは、アンタに対する態度と言葉遣いを改めなきゃなんないかもねー?」
そう言って、チカチカする左目を擦った。