58話 大魔導師の弱点
老醜の魔導師ウィスプは、断じて出鱈目ではないカミラーの確かな槍さばきを見て、腹の中で思わず唸った。
ピンク地に金の美麗な装飾の施された小柄すぎる甲冑から、対峙するカミラーを子供か、低身長のノーム族の者かと思っていたが、それにしては鉄の槍を稲穂のように軽々と舞わせている。
となると、筋肉質で剛力なドワーフ族かとも思ったが、この甲冑は恐ろしく華奢である。
ウィスプは、この巧みな槍術の者の正体を一向に掴めずにいたが、その辺りで考えるのを止め、思考を投げ棄てた。
この幼児のような者が何かなど、仕止めた後、ゆっくりと確認すればよいではないか。
痩せた黒いローブの老人は小刻みにうなずきつつ、後方の足場を確認すると、意外に素早く後ろへと跳ね、槍から充分に距離をとり、得意の精神崩壊魔法の詠唱を始める。
だが、千を越える罪なき者らを実験体にして、ウィスプが完成させた31の精神魔法の内でも、先ほど唱えた"不死王女カミラー"は、なんと廃人化成功率100%を誇る、それらの魔法の最上位に属する物であった。
それをまともに喰らい、爆走する信じられないほど巨大な馬から落しておきながら、何事もなかったように槍を振るうピンクの全身甲冑。
ウィスプは正直なところ、精神崩壊魔法の次弾の装填が必要になる事など想定していなかったし、カミラーの強靭な精神力に未だ困惑していた。
だが、そうはいってもこれは戦い、加えて老人は肉弾戦を苦手としていたので、当惑しつつも、幾つかの精神魔法の中から得意なものを適当に見繕い、先刻から詠唱を開始し、発動まであと僅かというところであった。
屹立する、目隠しの漆黒の巨馬四頭を背景に、三メートルはありそうな朱色の槍を振り回すを止め、油断なく突きの構えで固定する、断じて只者ではない小さな武者であったが、いかんせん距離が開きすぎている。
確認するまでもなく、投擲を別にすればウィスプの立つここは槍の攻撃範囲外であった。
またもや豪槍を地に落とし、その場に崩れ落ちるカミラーの姿を連想して、邪悪な魔導師は早く見せろとばかりに、冷酷な笑みを浮かべたが、なんとカミラーは突然構えをとき、戦闘を放棄するように槍を立て、巨馬の鼻面を撫でた。
そして、ワハハと悪戯っぽく笑い、槍の穂先を「ほれっ」と巨馬の鼻面に突き付ける。
そこには何か震える物が刺さっており、黒馬はそれを一嗅ぎするや、ブルルルッ!と鼻を鳴らして歯茎を剥き出すという、馬がストレスを感じとき特有の表情を見せた。
「フフフ、これで下らん幻術も二度と唱えられまい。では地下に行くか」
愛馬アレイスターは、後ろ脚の膝を折って足掛かりを作り、ピンクの武者は階段のようなそれを踏んで鞍にまたがった。
ウィスプはカミラーの突然の戦闘態勢の解除という、不可思議な展開に詠唱も忘れ、首を傾げ、長い髭を擦る。
(このわっぱ、最前から一体なんなのだ?特に策もなく、猪突猛進に突貫してきたかと思えば、ワシの必殺奥義に精神崩壊せんし、奮然と槍を振り回したかと思えば、急に馬に乗るなど、やることなすこと自分勝手でホトホト読めんヤツだの……やはり、わっぱか……)
その時、ウィスプは急に、何やら喉の奥がひきつるような感覚を覚えた。
老人の舌は勝手に、ギューッと喉の奥へと退避、収縮するような、なにか苦いような痺れを口内に感じた。
次いで口一杯に、鉄の棒を舐めたような味が広がり、温い湯のようなものが口内に溢れてきた。
ウィスプは堪らず、ベッと床に吐き出した。
直ぐ足元の床へ、パシャッと広がったのは、灯火にも鮮やかな、緩い真紅の液体。
そう、血液であった。
老人はその赤に驚き、天井を眺めるようにして、舌の先で出血の原因を探るが、なぜかそれは出来なかった。
一体何が起きたのか?
老いているとはいえ、喀血する程の持病など患っていないし、特に吐き気もしない。
しかし、またもや口内は血液で一杯になってくるではないか。
正か!?と思った刹那、舌の根に強烈な痛みが走る。
堪らず、白髭の口元を押さえてまた床に血を吐いた所で、ペチャッ!とその足元へ、前方から何かが飛んできて張り付いた。
それはピンクの肉片らしき物であった。
ウィスプはここに来て、ようやくやっと自分が舌を切断された事に気付き
「んんんーーっ!!」と口内の激痛に膝をついた。
(そ、そんなバカな!?いつ!?いつワシの舌が切り落とされたのだ!?ま、正か!?こ、このわっぱがあの槍でやったのか!?あ、ありえぬ!!ぐぬぅっ!!の、喉がつまるぅー!!)
強烈な痛みと組織欠損へのショック反応か、舌の根の部分と喉の筋肉が激しく収縮し始め、気管まで退いて、そこで丸くなって痙攣を起こし、そのせいでうまく呼吸が出来ない。
老人は口から多量の血液を溢しながら、無我夢中で床を引っ掻き、血走った目でカミラーを睨み上げたところで、ゴンッ!!と脳天に凄まじい槍の強打を落とされ、その場に潰れるように崩れ落ちた。
カミラーはその朱色の槍をクルリと回し、体の脇に立て
「舌を切られてはまともに呪文詠唱も出来まい。
ハァ……。何やら色々とつまらんヤツじゃったのう……。
さぁてアレイスターよ、地下へ向かうか」
神聖魔法も含め、どんな魔法であろうと発動には魔法の杖、そして何よりも呪文詠唱の際の正確な発音が必要である。
神速の女バンパイア、カミラーによってこの邪悪な魔導師は、貧弱なただの老人へと堕ちたのである。




