39話 上書き保存
魔王は双子からの讚美、その母親からの感謝の美酒に酔いに酔いしれた。
そうして喉が嗄れるほど高笑って、一息着くと急にシリアスな空気に着替え、静まり返った青い森の風に薄紫の長い頭髪をなびかせながら星を仰いだ。
何気なく左手を振って、カロッカロッとしか泣かないその先の中指の銀の鈴を見詰め
「ふむ。そろそろ時空鈴の効果が時の流れる力に圧し潰される頃だな。
お前達と俺がここに来たこと、それにより邪神の手の者が一匹滅んだことなどで、未来は多少変わるかも知れんな。
アン、ビス。世界がどう変わろうとも俺の貴さを忘れるなよ?」
小さな白いフリルブラウスの双子は膝立ちで、ハッとし、月光に輝く血も凍るような蒼白き美しい魔王を見上げ、それぞれ白と黒のおかっぱ頭を首が千切れんばかりに左右に振る。
その色黒の方が再び平伏し
「勿論です!!このご恩はどんな世界の何処へ放たれようと、たとえ病に打たれこの命を失おうとも決して忘れま、せ、」
褐色の姉は言葉の途中で唐突に、何かが飛び出すのを押さえるように、パシン!と口元を手で覆う。
「ビス!?どうした、の!?」
白金のおかっぱ頭の妹も、なんの前触れもなく込み上げてきた強烈な嘔吐感と不快感に口を押さえる。
若い母親は何事か!?と小さな腰を折る二人の我が子達の顔を、屈んで下から見ようと必死に首を捻った。
「アン!ビス!どうしたの!?気分が悪いの!?どこか痛むの!?
勇者様!これは!?」
娘達の痙攣する小さな背を見て、思わず訝しんで美しい魔王を振り仰いだ。
だが、ドラクロワが立っていた場所、その月と樹々が作った大きなスポットライトの中心に立つものはなく、ただ暗黒色の破れかぶれの天鵞絨マントが無造作に置かれ、丸でうずくまる黒い野獣のごとく、月光にただ蒼白く輝いているだけであった。
魔王は肘掛けのない木製の椅子に掛けていた。
組んだ腕の左上腕にあてた右手の先、その繊細な白い中指にはまる、漆黒の指輪に極小の輪でぶら下がった小さな銀の鈴は、丸で奥歯で噛み潰されたように、いびつにひしゃげていた。
目の前の木目の灰褐色のテーブルには、乳白色の長い蝋燭の灯火を点す、月桂樹を模した、蝋燭も入れて50センチほどの三ツ又の銀の燭台が二基。
手元には砂漠色の洗いざらしのランチョンマット、その右側に使い込まれた銀のナイフ、フォークとスプーンが整然と並び、マット中央にはニンジンとジャガイモの小島の浮かぶ冷めきったスープがあった。
だが、六人掛け机の上の主役は飽くまでも葡萄酒の空ビン達であり、その八本に安い煙草の煙が、ユルリと巻き付いている様は、さながらこの城塞都市リンドーの模型のようであった。
傍らの未開封の葡萄酒ビンを抱えたピンクの盛り髪がゴージャスな、丸で幼女にしか見えない美しい五千歳のバンパイアが、魔王のアメジストの瞳の輝きに何か異なる光を見てとり
「魔王様、どこか遠い所からお帰りあそばされたようですね。ビンが空にございます。さぞやお疲れにございましょう。ささっ、もう一本。
その木箱はそこからお持ちになられたのですか?今、突如卓に現れました。寸法から窺うに、上等な酒でしょうか?」
何気なく箱に目をやり、直ぐにマントを失った魔王へと戻し、恭しく献花のごとく手持ちのビンを捧げる。
魔王は斜め左下の木の床、右上の積年の客の煙草で黄ばんだシャンデリアとを見て、鷹揚にそのビンを受け取りながらテーブルの脇、一メートル程の長方形の白木の箱を見下ろし
「うむ、そんなところだ。
俺は舞台でなく、ここに戻ったか……。あの勝利も時の砂嵐に露と消えたか……」
少し、いや、かなり残念な渋面で白い手の先、よく研かれた紫の爪の尖った先を、葡萄酒のビンの栓に、シズッと刺してポン!抜いた。
それをラッパを吹くように逆さに掲げ、幾らか飲んで、シャポン!と下ろし
「あの三色バカはまだか?」
カミラーは少し先のテーブルで頭を抱えるガラの悪そうな男達を見て
「それにございますが、なにやら先ほどからあのように騒いでおります」
そのテーブルでは、左に眼帯の革鎧の男が、タン!とグラスを叩きつけ
「かー!!やっぱ許せねぇ!!あのクソ女勇者達め!なんで勝っちまうかなー!?
しかも、一人は伝説のウルフマンとか、ホント冗談じゃねぇよ!
そんなたいそうな奥の手まで出されたんじゃ、俺達ゃどーにも予想なんか出来たもんじゃねぇ!!」
向かいのドワーフが赤い顔で、床に届かぬ短い履き潰し気味のブーツの足をブラブラとさせながら
「全くだ!この大会の常勝無敗といやぁ、黒い稲妻のアデスとタマルで決まりと思ってたんだがなぁ!!俺ぁこれですってんてんだぜぇ!どーしてくれんだよ!!」
空になった、樽を模した木製エールジョッキを肘で倒しながら、テーブルに突っ伏し、モジャモジャ白髪のはみ出る牛角冑の頭を抱えた。
ドラクロワはそれを無表情に黙視していたが
「シャンのやつめ。一級品のバカといえどウルフマンはウルフマンか。
本物のアデスとタマル相手に勝ったということか。
では、アンとビスは戦士には育たなかったのか……。
ん、カミラーよ、お前の一族はウルフマンを滅ぼしたのではなかったのか?」
ロリータファッションの女バンパイアは少し考え
「ウルフマン。誠懐かしい名称にございます。
私個人としては特に興味もございませんが、ご先祖様達は彼奴等を忌み嫌っておられたようです。
なんでも、ウルフマンと我等の種族は深く辿れば、根源的にはその起源は同じらしく、ある二人の魔族を祖にすると聞きまする。
古代、その二人の子の毛深い兄が、美しい弟を裏切って、当時の魔王様より拝領賜った土地を独り占めにし、」
その時、歴史の授業を破って、けたたましくこの地下の席への階段を、バタバタと降りる賑やかな複数名の足音が鳴った。
先端に明らかに魔法によって宿った光を輝かせる、眩いルビーを穿たれた捻くれた木製の杖を掲げるのは、小動物を想わせる愛らしいソバカスの少女。
「あっ!やっぱりここです!いましたいましたー!!おーい!カミラーさーん!」
そう言って手を振る、サフラン色のローブのユリアの後ろにマリーナとシャンの姿。
一番大きな足音で階段を踏む、金髪碧眼の分かりやすい美人は20坪程の空間に魔王を認め
「そっか地下だったのかい。へー!ホント便利だねー、その探知魔法ってのは」
殿のスレンダーな深紫のレザーアーマーは、階段を案内した給仕の女に振り向いて
「うん。では我々はあの席にしてくれ。この店で一番大きなジョッキにエールを泡を極力少な目、それと林檎の搾り汁に蜂蜜を少し、それからミントの香のカクテルをそれぞれ」
最後の辺りを高く結った魔光に煌めく金髪に放ってやる。
マリーナは即座に振り向いて
「十杯づつだ!」
シャンがメモをとる胸ぐりの大きく開いた、豊満な前掛けの大柄な女給仕に
「だ、そうだ。あの席に頼む」
給仕は羽ペンで羊皮紙の伝票に×と10を書いて
「かしこまりました。直ぐにお持ちします」
チリチリ頭を結った頭に羽ペンを一本簪のごとく差し入れ、唇の分厚い中年女は気立てよく、口周りだけニコッとして応えた。
ガラの悪そうな眼帯のグリーンのレザーアーマーの男が片方だけの目を細め
「おい姉ちゃん。悪いけどよ、その眩しいの消してくんねぇか?」
鼻からパイプ煙草の煙を吹きながら迷惑そうに言った。
ユリアは慌てて鳶色の眼を剥いて
「す、すみません!!すすす直ぐに消しますから!!」
目を閉じ、何事か魔法語を呟くと音もなく杖の探知照明は消えた。
どうやら知っている者が近ければ近いほど、先のルビーが明度を増す仕組みになっているらしく、それはなるほど確かに眩しかった。
地下階に舞い降りたマリーナは、半裸に近い深紅の部分鎧で袖などないくせに、腕捲りの仕草でドラクロワ達のテーブルにズカズカと歩み寄り
「さーて!今日は飲むよー!!ドラクロワ!今日こそアンタを参ったさせてやるからねー!!アハハハハ!!」
腕組のシャンはトパーズの目を細め、この女にしては珍しく、マリーナの無謀な挑戦への熱い意気込みに、そのマスクを波立てていた。
ガラの悪そうな男達はお互いのキズ面を見合わせて
「おい、ガキとガキ女ばかりになっちまったぜ」
「賭けもスッ転んで、ここの払いもキツいくれぇだからよー。どっか安いとこに場所変えようぜ」
「あぁ。じゃ俺の家で反省会だな……」
「けっ!反省会って、お前ぇのかかぁの面のか?」
ドッドッドッと脛が鉛になったような足音を響かせながら上へと登っていった。
地下の席は荒くれ者等の残した煙と伝説の勇者様一行の貸切状態になった。
皆が着席し、キングサイズの飲み物が殺到したところで、ユリアが林檎汁のグラスを掲げて立ち上がり
「えーっとその、七大女神に捧ぐー、組み手大会の……えー、大会の優勝者に飛び入り参加のマリーナさんとシャンさんが見事に勝利されたということでー、えーと、あの……。つまりその……。あっ!乾杯ですー!!」
「乾杯!!」
マリーナは待ちきれないとばかりに樽を模したエールジョッキに吸い付いた。
魔王は、(なぜ毎度毎度、一番口の重いこいつに乾杯の挨拶をやらせるのだ?)
と毎夜の疑問を思いながら、また葡萄酒のビンを逆さまにした。
そうしていると、またもや階段を降りる複数の足音がした。
今度は五人の家族連れのようだ。
中年の優しそうな痩身の夫婦、その妻はにこやかな人の良さそうな褐色肌、その夫は空の左手袖を垂らしていることから、隻腕のようだ。
それから、その娘らしき、肌と髪の色が正反対の双子のように似た美しい二人。
そして快活そうな少年で五名様だ。
大きな植木と煉瓦の出っぱった遮蔽柱壁からはみ出て、階段を見る格好で座していたユリアが、その家族等の前に出た顔を認め、小声で仲間へ向けて
「あっ!あの方達!きっとライカンスロープさんですよ!!だって皆さん、お耳がピーンですー!」
蜂蜜色の頭に人差し指を両方立てて、ウットリとその僅かに垂れた大きな目を輝かせた。




