250話 パラダイムシフト
「えっ!? ちょっとなにコレ!? えー? ど、どーなってんのー?」
殺気を読むことにかけては超人級であるマリーナは、己が視線の先、月下の枯れ草の雪戦場にて、三つの暴風のごとくに縦横無尽に駆けながら、猛烈に弾き合いを続けるカミラー達を必死に目で追っていた。
そして先のように、カミラーが自らの複製達、そのどれかを、不死の頂点たるバンパイアとはいえ、流石に一瞬はひるまざるを得ないという脳、あるいは心臓を首尾よく貫いた結果、その個体の殺気が消失する、その僅かな隙が生まれるのを、今か今かと待っていた。
だが──何故か今になってから、先ほどすでに処刑済の二名の場合とは明らかに異なり、一向にその殺気亡失が訪れない──
どころか、更には、同時多発的に、あの音速超え特有の事象である、けたたましい炸裂音が乱発され、それが余りに長く続くので、懸命に集中を継続しながらも、何をどうするのが正解なのかと、焦りは募るばかりである。
「ウム。奴らめ、小癪にも、それなりに"学習"、いや猿真似とやらを始めおったか。
まぁコレはコレで、一方的な処刑を見せられるより、幾分マシではあるか──」
ドラクロワもカミラー複製らの必死の抵抗とねばり具合を見て取り、今や本家カミラーの圧倒的優勢が崩れつつあることを認めたようだった。
その、まさしく戦禍の直中で真紅の刺突剣を振るうカミラー自身も、単なる出来損ないの寄せ集めと高を括っていた己の複製等が、見る見る加速度的に対応力を身につけ、巧みに剣先から逃れるだけに留まらず、ともすれば反撃の突きをさえ放ってくることに、云いようのない癇の高ぶりと鬱陶しさを覚えていた。
この現象とは、ありとあらゆる芸術、スポーツ、また文化、技術等に共通するモノである、ひとつの段階──
いわゆる、圧倒的先駆者がみせる新境地に対して、最初は「なんじゃコリャ、そんなのアリ?」から始まり、直ぐにそれがスタンダードになってゆく過程、現象である。
ことここに至るまで、確かに複製カミラー等は高い代償として、二人の同胞が滅ぼされるという、痛恨の授業料を支払ったとも云える。
だが、その御蔭で、本家カミラーが見せるように、自分達ももっと疾く、激しく、云わば無茶苦茶に駆動してもよい、いやそうすべき、という天啓にも似た開眼に至ったのである。
その結果、先のシュリを仕留めた際の"上級バンパイア程度"が発揮するくらいの高速移動を誇るという、云わば生まれ持った標準装備的な才に胡座をかいているだけ、という領域から大いに逸脱し、更なる高みである、本家カミラーに迫る神速をさえ会得し、超高速世界の住人になりおおせたという訳だった。
つまるところ、こうして新機軸、新概念というモノにより人、また界隈、世界はあっさりと、ガラリと様相を変え得ることができるという一例である。
「ぐぬぅ!」
唐突に、未だ途切れることなく、超高速で機動中の本家カミラーが一声唸った。
それというのも、遂に複製カミラーの片割れが放った暗黒色の一槍、そのグロテスクで微細な鰭をもつ鋭利なる穂先が頬に触れるのを許してしまい、その右頬の肉と、内奥の奥歯の数本とをこ削ぎ取っていったからである。
無論、人間族並み以上に痛覚があるとはいえ、バンパイアの最高位であるカミラーにとり、この程度の損傷はまさしく掠り傷レベルであり、彼女の驚異的復元能力により、ものの十秒もあれば完治させ得ることが可能である。
だが、今問題なのはそこではない。この失態による深刻なるダメージとは、誉れ高きバンパイア貴族の現当主が、精妙なる己の複製からとはいえど、本身の神速機動中において、顔面に手傷を負わされたという、そのプライドに対して深い穢れを負わされた、というところだった。
カミラーは瞬く間に復元、新調されたばかりの奥歯を、また砕けるほどに噛み締め、激しい羞恥ゆえ、今、狂わんばかりに憤怒していた。
そう、並の人間族には到底確認、視認のできない極僅かな手落ちだったが、今回の闘いは特別である。
それというのも、この度はあの魔王が堂々観戦しており、無論当該の失態にも間違いなく気付いているのだ。
そして、その一瞬の慚愧に足を取られるようにして陥ってしまったが故、カミラーはほんの四半瞬、それこそ針の先より小さな単位ではあったが、刹那、纏っていた"混じりっけなしの殺意"というモノのなかに、魔王狂信者ゆえの痛恨の思いという、矮小なる異物が生じ、それを切断させてしまう。
これに、額に珠のような汗を無数に浮かべながら、"開けよ我が心眼"とばかりに、尋常ならざる集中を続けていたマリーナが、待ちわびた複製カミラーのいづれかの殺気消失かと錯誤し、つい反射的に本家カミラーに向け、先の処刑と同様の惚れ惚れするような斬撃を放ってしまった。
「たわ、け」
無論、それをむざむざと身に喰らうカミラーではなく、マリーナの斬馬刀のごとき大剣による斬撃を察知し、ヒラリと身を躱す──
つもりが、流石は今や剣聖の域に達したマリーナが放つ、魂を込めた屠殺の狩り刃にして、まさしく必殺の一閃である──流石の最高位バンパイアの動体視力を以てしても、躱したつもりが、その実、躱し切れず、その長大な刀身の切っ先により、宙に流れた左腕を根元からほぼ切断されてしまう。
「んあら? わー、ゴメン!!」
と、不可逆なる一閃を放った方のマリーナが、早くも殺意の色違いとも云うべき、名状し難き手応えと違和感を覚え、己の犯した同士討ちを詫びた。
「きっししっ!」
この隙を確かに感知したカミラー複製の片方が、暗黒色兜の内でしたり顔となり、今いる己の有利な地点であるカミラー背後から、黒い電光のような突きを放った。
だが──
「アギャ!!」
と絶叫をあげたのは、なぜか突いた方の複製カミラーだった。
それもそのはず──あくまで見える者が見れば、だが、本家カミラーが咄嗟に、錐のように身体を猛回転させたゆえ、皮一枚程度で胴体に繋がっていた左腕は千切れ果て、それが唸りをあげて飛んだ結果──
その離脱した左腕は白い小槍となって、極寒の夜気を切り裂きながら、真一文字に飛翔し、後方のカミラー複製の顔面を保護していた庇を突き破る形で、完全なるカウンターとなって突き刺さり、見事、その鉤爪の二本がカミラー複製の眼球二つを刺し通していたからである。
「ンニャニャッ!! よしきたぁ、この殺気の色!! 今度こそ!!」
逃さないよ! と唸ったマリーナが、極限集中より全身全霊をのせた一閃を放った。
果たして、そのマリーナの最大出力の返す刀が、今度こそ両の視力を失って仰け反るカミラー複製、その延髄を容赦なく捉え、また見事な斬首を極めたのである。
これにより、この度のカミラー複製の首も切断面から噴水のごとき血液を噴き上げたあと、すぐに眩い火の粉を多量に撒き散らしつつ、滅びながら闇夜の彼方へと吹き飛んで行った。
「はっ!? なーにーっ!? ウソウソ! な、な、なーんであの子の方がやられちゃってんのよぉ!?」
バンパイアの優れた動体視力を以て観戦をしていた闇錬金術師ジョゼファが、そんな馬鹿な、とばかりに叫んで、驢馬の鐙にて地団駄を踏んだ。
「おわぁー!? ま、またやられ、たのかー!?」
今や最後のひとりとなったカミラー複製も、流石に戦慄し、思わず神速機動を止め、唖然としつつ、同胞の頭部が鼠花火のように高速回転しつつ遠く飛びゆくのを見送る外なかった。
そして、
「なんでー!? もーなんでなんで、"おんなじなのに"コッチがドンドンやられなきゃなんないんだよー!? オカシイ!! こんなのオカシイよママァ!!」
先刻、貴重な増血ドーピングである、あの銀狼の血液まで摂取しておきながら尚、本家カミラーに及ばないことに合点がいかず、激昂し、狂ったように漆黒の槍で雪原を乱打する。
「たわけ。オカシイことなど何ひとつないわい。
あれこれと小賢しくたくらんでは、小癪にも、わらわの疾さの足元に、ようようやっとで漕ぎ着けたようじゃが、所詮は付け焼き刃というもの。
そもそも、わらわとはまず、数千年と積み上げてきた"格闘練度"が違うわい」
隻腕の本家カミラーが、いつ回収したか、つい先ほど投擲したはずの自らの左腕を手にし、その切断面同士を、グッと合わせつつ、絶対的格差について述べた。
「イヤイヤ、ふー。ホンットさっきはゴメンねーカミラー。
なにせ、アンタとさっきのソックリさん、殺気とかまで、まるでソックリだったからさー。
あー、ソレ、もうくっついたカンジー?」
大刀を担いだマリーナは、片手を挙げて詫びながら、軽やかにカミラーの傍らまで歩み寄った。
「ふあぁ!? 何を抜かすか無駄乳よ!! このわらわがお前ごときの一太刀を躱し損じたと、そう思うたてか?
あのなあ無駄乳、先のあれはワザとじゃワザと。"あ、え、て"お前に腕を斬らせて飛ばすため、意図してお前を利用したまでじゃわい。
ウヌゥ? まさかお前、お前ごときの腕前で、このわらわに一太刀つけ得たと、まっさか、本気でそう自惚れておるのかえ?
ふあー。まったく、お前という奴はどこまでめでたくできておるのじゃー」
カミラーは心底呆れ果てたとばかりに頭を振って、マリーナの浅はかさを嘆く様に喚いた。
だが──何かを弁解し、取り繕うとするときほど、ひとはやけに台詞が多くなるものである。
さてさて、真実はどうだか分からない。
「あ、ワザと? あーそ? あ、そっかそっかー。まー、そらソーダよねー!
フンフン、サッスガはカミラーだね。ホント、よくあのムチャクチャ跳び回る中で、トッサにあんな手思いついたもんだよねー、マイッタ、マイッタ。
──で、最後ン残ったアノ娘だけどさ……どーする?」
マリーナは妙策天晴と、カミラーが"兵は詭道なり"とばかりに主張するのを、少しも疑うことなく、ガクガクと頷いては褒めそやした。
そして、急に神妙になって、大粒ルビーをはめ込んだ眼帯とは反対の左目を、ギラリと鋭く光らせ、未だ戦慄から解けぬカミラー複製へと向き直った。
「ヒャッ! く、くっそーっ!! おーいてめー、気安くこっち見んなー!! だいたい何なんだお前もー! よっくも、みんなをやってくれたなー!!」
最後のカミラー複製は、一瞬マリーナの猛虎のごとき眼光に、ギョッとしてから、切歯扼腕の極みに至り、憎さも憎しと、深紅の女戦士を指差した。
どうやら複製カミラーの精神構造の中には、出し抜かれた悔しさはあっても、同胞の滅びに対する悲しみといった類いは存在しないようだった。
「ンー、ねえねカミラー。あのさー、この娘もヤッパリ、やっちゃうカンジー?」
マリーナは、幼児ほどの小さな暗黒甲冑が、しきりに悔しがって、駄々っ子のようにピョコピョコと跳ねたり、小さな手で握った槍の石突で大地を乱打したりするのを眺め、今更ながらに情けをかけたいような、そんな微妙な心持ちになってきていた。
ましてや、その悔しがる一見可愛らしいとさえ云える矮躯ときたら、声も、兜の庇の隙間から垣間見える美貌をも、すべてはカミラーと同じだったから、また尚更である。
「かー!! 何をぬかすか無駄乳よ!! そんな決まり切った事を聞くでないわっ!!」
本家カミラーとしては、あの特殊な感覚──余りに己と近い個体の存在を、一瞬たりとも断じて許せ得ぬという、そんな世にも稀有な激情に捕らわれたままであり、今更なんだと一喝した。
「あ、ウン。ヤッパそっかぁ……。まーあのバンパイアのオネエサン、またアノ娘と組んで、自由キママに、なーにしでかすか分かったモンじゃあないし、ねェ。──ウン」
マリーナは依然として乗り気ではなかったが、闇錬金術師ジョゼファ=メレンゲの本性──自身の野望を叶えるためなら他者の尊厳はおろか、その生命すら一切顧みないという、かの魔界の庁ですら矯正不能と判断した兇気と猟奇性を想起して、伝説の光の勇者という立場上、決してジョゼファ等は見過ごせないと思い直し、ギュッと音が鳴るほどに大剣の柄を握り締めた。
「アッハハハハ!! 待って!! ちょーっと待って! 貴方達の単純さったら可っ笑しくてしょうがないわー!!
コホン、あーのーねー? こーの私達が万策尽きて、もうお仕舞いだーなんて、ホーンキでそう思って、勝手にお情けでもかけようか、いや辞めようかって、伝説の勇者様だかなんだか知らないけど、厚っかましくも、一丁前に義務感なんかを感じちゃってるわーけー!?
ハァ……カミラー様も含めて、貴方達ったら本当に救いようがないくらい馬、鹿、ね!!」
月下にて腰を折り、妖美に嗤ったジョゼファは、また恐ろしいほどに眼光を紅くし、嫐るのもいい加減にしろと啖呵を切った。
「えー? ちょっと、アンタなに言ってんの? もうカミラーのソックリさんは、アソコに立ってるひとりっきりなんだよ?」
マリーナは、自己の逡巡を大いに揶揄されたことに気付き、つい論を俟たないジョゼファの劣勢を指摘する。
「ん、だーかーらー! ホンット貴女ってば、見たまんまの、蛮族おマヌケの鈍くさ単純、浅はか愚鈍女ねー!!
だいったいねー、始めっからして、この寒空の下その品性の欠片も感じさせない、極端な部分鎧はなんなの!? 全身鎧じゃ蒸れて汗疹ができるから、恥ずかしげもなく、そーんな破廉恥な装備してますー、とでも言うのかーしーらー!? まったく低俗お下品の代表みたいねー!!
ハァ、いいこと!? コッチには、まーだまだ凄すぎて日の目を見ずにホコリ被っちゃってるくらいの奥の手ってモノが、ごまんとあるって、そーゆーことなーのー!!」
ジョゼファは毛ほども臆さず、妖美なる美貌に禍々しき鬼気を纏わせて罵詈雑言を放った。
「バンゾク、おマヌケ、ドンクサー? うおあー、確かに! ナンカさ、ソーユーのチッコイ頃からよーく言われてきたわー!
そ、それにさ、アタシのアセモのことまでなんで知ってんのッ!?
ウーン、こーんな短い時間でアタシのコトをそこまでイロイロ見抜くなんてさー、アンタってばホントスルドイひとだねぇ!! アッハハハ!!」
マリーナは、コリャ一本取られた、やるもんだと正真正銘、心底感心した。
「ン阿呆かぁ!! イヤ、純粋汚れなき、奇跡の阿呆じゃったわ!!」
カミラーは、マリーナの独特過ぎる着眼点と返しに心底呆れ果て、つい吐き捨てた。




