246話 倫理? 知らない言葉でーすーねー
皆がドラクロワへ冷たい視線を送る中、シュリが雪を踏み、ズイとばかりに前へ出た。
──いつからか、細雪は止んでいる。
「あーあー、そうかいそうかい、なあるほど。あんたが拷問なんかしない質だって、そう言い張りたいってえとこまでは、ま、よーく分かったよ。
だけどね、まず、ウチの里のモンが、あんた達のような何処の馬の骨かも分からない余所者を歓迎するはずなんかないんだ。
何たってさ、この里は、ざっと千年以上は部外者禁制で通してきてるんだからね。
そのうえで、この里にもう用はないと云い切ったからにゃ、何のゴタゴタひとつもなかったなんて、そーんな訳はないんだ。絶対に、ね。
つまり里に立ち入ったときに拷問したかどうかなんてなぁ、今んなっちゃ、もうどうでもいいことなんだよ──」
流石は荒くれ者たちを一手に治める女傑シュリである、その堂に入った貫禄ある詰め具合とは、聞く誰しもが慄然とさせられるほどの凄みがあった。
だが──
「フーン、ゴタゴタねー。じゃ、まず私がここに来た理由から説明して差し上げないとねー。
オッホン、この私ジョゼファ=メレンゲには尊く崇高なる"理想郷"がある!」
急にわざとらしくも居住まいを正したジョゼファが、唐突に何かを物申し始めた。
「あん? り──何だってえ?」
無論シュリは、ジョゼファの可笑しな語り口に、話の腰を折られたとして不快に思い、つい眉根を寄せる。
「そう、この星に生きるどんな生物も、いつかは必ず死という避け難い運命を迎え、愛する家族、仲間と別れ別れにならねばならないという事実──
それが、この私には断じて受け入れられないことなの。
高度に知能や感情、文化が発達している生物が迎える理不尽なる死、滅び、それに抗い、立ち向かうため、この星の知的生命体のすべてを不滅にすること、それこそが私の理想──」
と、ほとんど演説口調で始めたジョゼファ、その真紅の瞳は妖しく煌めき、半ば恍惚とした狂的光すら発していた。
「あえ? ふ、不滅? 貴女は、それが救世ということにつながると、そう言いたいんですか?」
ユリアがジョゼファの最前の自己紹介を想起し、思わず問い返した。
「そうよ、可愛らしい魔法使いさん。で、私の長年の研究では、個々の生命体としての特徴は、主にその血、また肉のとても小さな欠片の中など、それぞれに隠すように秘められていることがすでに分かっているの。
つまりね、強い生命力と復元能力を持つ生命体の標本をできる限り採集し、それらを掛け合わせ調合して、探究、研究を重ねてゆけば、いつか必ず、決して死なない、不滅にして制限なしの増殖力を備えた特定の因子に突き当たるはずなの。
そして、その因子を抽出して既存の知的生命体に投与することにより、不老不死を移植、同化させることができるはずだと、そう堅く信じているわ」
熱く具体的に理想を語るジョゼファの瞳は、いよいよ墓所の陰火、狐火の如く、爛々と燃え盛ってゆく。
「うん、それで、その理想を現実に変えるための研究材料採集の一環で、この銀狼の隠れ里に侵入し、既に過不足なく標本を入手し終えた──
ゆえに、最早この里にも、我等伝説の光の勇者団にも用はなくなったと、そういうことなんだな?」
シャンも律儀に確認をしながら、尋常ならざる鬼気を帯びてゆく。
「けっ! そーんな死ににくい生き物の血肉を鍋で煮込んだくらいで不死身の元が作れるんなら、もうとっくに世の中不死身の生き物で溢れかえってるはずだよ!!
さ、もー気味の悪い能書きは沢山だ!! いい加減あたしが聞きたいのは、そのおかしな目的のために里のモンを何人殺ったかだいッ!! さぁ覚悟して答えな!!」
恐ろしい剣幕のシュリが遂に抜刀を果たした。
「ハァ、貴女ってば、どーしてそんなに攻撃的なのー? 折角この私がこれ以上ないってくらい有意義な講義をしてあげてるのにー。ホント失礼しちゃうわー。
あー、きっと私の話の本質までは理解が出来ていないのね? ウンウンそうなら、ま、いいわ。
えーっと、そうねー。この里の住人達ったら、この世界の永遠救済の為だと一生懸命に協力をお願いしても、幾らでもお金を出すと言っても、まるで今の貴女のように底意地悪く反抗的だったものだから、つい──若くて屈強そうなのを見繕って──そうねー、十人くらい? パパッと滅んでもらった、かーしーらー?」
ジョゼファは、真正面から自らに向けられた、ギラリと煌めくドキドキするようなシュリの白刃を見おろしながらも、一切の遠慮もなく平然、滔々(とうとう)と己が犯した殺人を自供した。
「クッよくも!!」
一声吼えたシュリが、一足飛びにジョゼファに迫った。
その速度たるやまさしく迅雷、誰ひとりとして止めること叶わぬほどの俊敏さであり、シュリは瞬間移動のように馬上のジョゼファに迫り、バンパイアはおろか、あの魔王さえ滅ぼすという斬首を極めんと、横薙ぎの一刀を振るう。
だが──
そのシュリが突如、まるで目に見えない壁、いや網に衝突して捕らわれたかのように、抜き打ちの姿勢のまま、ジョゼファの至近距離の空間に固定された。
「キャッ!」
ユリアが思わず叫ぶ。
見れば、跳んだシュリの肢体、その両肩口、左脇腹、右大腿を漆黒の槍四本が貫いており、それをしかと下方から支える4つの小さな影があった。
そう、ジョゼファの両脇にて驢馬に乗って控えていたはずの、あの奇妙なまでに矮躯なる黒の四騎士が、信じられない速度で動いて槍を突き出し、ジョゼファに触れるすんでのところでシュリへの迎撃を果たしていたのである。
そして数瞬あり、さながら酷い磔刑のようにされたシュリ、その手に握られていた曲刀が赤き雫を伴って零れ落ち、直下の枯れた草の大地に、ズッと突き立った。
「本当、ガサツで躾のなっていない娘。私が銀狼の里から無傷で帰ることが出来ているっていうことは、それ相応の武力を保有してるって、どうして気付けないの、かーしーらッ?」
ジョゼファは、自身の鼻先で、ゴボリと吐血したシュリの苦悶の面を見ながら、呆れ返ったように頭を振った。
「シュリ!!」
シャンとマリーナがほぼ同時に声をあげた。
「ち、畜生、な、なんだってんだ……い。そ、その糞餓鬼ども、は……」
銀狼特有の檸檬色の眼を見開くシュリが、文字通りの血反吐を以て口惜しげに呻いた。
「ウフフ、無知で無学そうなあなたは知らないでしょうけど、この娘達はバンパイアの当主にして頂点であらせられる、かの高名なる"カミラー様の複製生物"なの。
むかーし昔、カミラー様の侍女と私は通じていたことがあってねー、カミラー様が御父上と武術稽古の末、ひどく負傷された折に、侍女にその稽古着をくすねさせてね──
その血から採ったカミラー様の因子を、胎児よりもーっと前の段階の胚というモノを苗床にして植え付け、丁寧に慎重に育成して、見事カミラー様の複製生物を造ることに成功したの。
ハァ、あの時も興奮して暫くは鼻血が止まらなかったこと、まるで昨日のことのように覚えているわー。
ウフフ、そこの魔法使いさんたら、面白いくらいビックリ仰天してるようだけど、私の話がデタラメじゃないってことは、今のこの娘達の疾さで、ある程度は証明できたはずよ?」
艶然と微笑むジョゼファは、ユリアのみならず、確かに皆が仰天する真事実を公表した。
「んええーーーッ!!? あああ、あの人たちが全部、か、カミラーさんなんですかー!?
そそそ、そんなの、あ、り!?」
驚愕したユリアが、思わず桃色兜をかぶった本人を見下ろした。
「──知るか」
問われたような格好になったカミラーだったが、ただうるさそうに、壮麗な桃色兜の内で低く唸っただけだった。
「で、繰り返しになっちゃうけど、もうこの里にも貴女達にも特に用はないし、敢えて揉めるつもりもない訳なのよ。
ねーねー、お願いだから、黙ってそこを開けて、私達を通してもらえない? てー、ハァ、多分、無ー理ーよーねー?」
ジョゼファは素通りなど到底叶わぬであろう場の空気に、ため息を吐きつつ両肩を竦めた。
すると、それを合図のようにして、カミラーの複製とされる四名が同時に動き、シュリはボロ布のように投げ棄てられた。
「シュリ!! ユリア! アン! ビス! 直ぐに回復魔法を頼む!!」
真っ先にシャンが飛び出し、シュリの落下に飛びつくや、その痛ましい深傷を認め、後ろの仲間へと叫んだ。
シャンは幼馴染のシュリの強情な性格を熟知しており、あくまでシュリ自らによる獣人深化での回復など、まず期待出来ないと察したのである。
「は、はい!!」
無論ユリア達は一も二もなく、その朱に染まった雪の場へと無心で駆け出した。
「あらあらまーまー、皆して急に取り乱しちゃって大変な騒ぎねー。
じゃ次はー、そ、あそこの野蛮そうな女戦士さんが手があいてるみたいだから、先にパパッと殺っちゃうー?」
ジョゼファは己が駒である複製カミラー等の持つ絶大なる武力の顕示を重ね、そして思い知らせれば、きっと光の勇者団は抵抗を諦めて道を開けると見込み、さも面倒という口調で、次なる見せしめの的としてマリーナを選定し、突撃を命じるのだった。
「──ママ、ママ」
だが、そのカミラーの複製とされるうちのジョゼファに一番近い一人が、ガチンと暗黒色の兜の庇を跳ね上げ、誠カミラーに酷似した素顔、その雪に負けぬほどに白い白い顔を露わにし、燃える様な真紅の瞳で主を見上げ、何かを懇願するように口を開いた。
「ウフフ、あの躾のなっていない娘の血を嗅いで飢えちゃったのね? 分っかるわー。
でもね、貴女達カミラーが、純粋な銀狼の血を摂取すると、一体何がどう作用するかまだ確認できていないから、今はもう少ーし、我慢我慢。
そうねー、あの女戦士さんの血ならどれだけ摂取してもいいわ!! ウンウン! ヤッパリソレがいいソレがいい!! じゃ早速、とーつーげーきー!!」
ジョゼファの恐るべき酔狂の指令に、まさしく血に飢えた複製カミラーの四騎士がマリーナへと殺到した。