241話 ヤブムカデ
突然攻撃してきた霜巨人に向け、油断なく歩みつつも、柳腰に帯刀した曲刀の柄に手を掛けるシュリがいた。
その異風な曲刀こそ、ここ南部特有の形状を持つロングソードであり、大小の二本差にして、鞘も柄も何やら滑るような黒の塗装が施されていた。
「あん? シャンのお仲間の女戦士さん、あんたときたらまぁ──おっそろしいくらいの殺気をぶち撒いて、今直ぐにでもあの巨人と一戦交えようってぇ、そういう腹なんだろうが、悪いけど、ここいら一帯の化け物退治に限っちゃあ、このあたしら餓狼伝説に任せて貰うよ。
あー、それとさ、あたしのこたぁシュリって、あんたもそう呼びな」
特にこれといって力むこともなく、自身の後ろに向かって、サラリと縄張り宣言をしたシュリ。
その瞳は極上トパーズの輝きから、また別の檸檬色へと様変わりしており、標榜する"餓狼"の名に相応しく、おそろしいほどに爛々と煌めいていた。
これに切歯扼腕、手負いのマリーナは、黒革眼帯と反対の左の眼を細め、さてどうしたものかと、やや顔を傾けた。
「──じゃシュリ、イキナシイッパツもらったのはこのアタシなんだけど、ま、ヒトサマの狩り場を荒らすってのもブスイってヤツだからさ、あの巨人、とりあえずはアンタに任せるよ。
それと、ソッチもアタシのことはマリーナでいいよ」
と返したマリーナも、いつもの軽口とは遠く乖離しており、そのサファイアを思わせる眼から尋常ならざる独特の剣豪鬼気を放っていた。
だが言い終えてから、フッと一息吹いて肩を竦めるや、一瞬で殺気を雲散霧消させた。
「──マリーナ、けっこうな向こう傷こさえてんのに、ほんと悪いね」
シュリはそう短く言った切り、異様なまでに身を低くし、標的の霜巨人へと一足飛びに駆け出した。
「あ、あの、シャンさん? 本当にあんなほっそりした女性ひとりに任せてしまって大丈夫なんですか?
あの、も、もしアレなら私も魔法でなにか、」
ユリアが咄嗟に対霜巨人戦の助勢を提案した。
「うん、まぁあのシュリが自分から買って出た訳だし、シュリもシュリで、あの怪物狩人組のお飾りというわけでもなかろうから、ひとまず好きにさせておいて問題はないだろう。
だが、我々としても一応、加勢の構えだけは取っておくとするか」
シャンは胴の前で腕を交差させ、音もなく、両腰に提げた愛剣の二振り"ケルベロスダガー"に手を置いた。
さて、その光の勇者団からやや遠い間合いにいた霜巨人だが、その名をツァトガといい、彼は今、猛烈に飢えていた。
ユリアも周知しているが、魔法ギルド、魔法大学所蔵の文献等には、一般に霜巨人とは、どちらかというと狩猟が苦手で、主に腐肉食であり、好き好んで人間族を襲って食用にするとの記録はない。
だが逆に、人肉を絶対に食べないとの明記もなかった。
さて、その、闘気が降る雪を溶かすような霜巨人ツァトガは、先刻マリーナへ向け手斧を投擲したがゆえに、また別の得物である、腰に提げていた赤錆の目立つ長剣を、ジャーという不吉な鞘鳴りを響かせつつ抜き、自らに向け、一切の小細工なしに真正面から迫る単身のシュリへと構えた。
また、そのシュリの突進速度とは、魔王ドラクロワをして目を見張るほどの高速であり、黒い民族衣装と頭髪とも相まって、純白の雪景色を背景に、さながら死神が放った漆黒の矢のようであったという。
そうして瞬時に霜巨人の至近距離、その左の革ブーツ爪先にまで迫ったシュリに対して、大巨人ツァトガの反応とは、その如何にも鈍重そうな外見とは裏腹に、予想以上に迅速であり、電光石火で迫り来るシュリを下から真っ二つにするべく、すくい上げるような長剣斬撃を放っていた。
だが、すでにシュリはその剣撃が上がるより先に駆けており、ツァトガに肉迫してから跳躍。
その左手に握った曲刀にてツァトガ着用の鎖帷子の隙間、その左脇の下辺りを深く斬りつつツァトガの背中側へと身を躍らせていた。
「ウグゥアッ!!」
堪らず吠えたツァトガが振り返り、シュリの頭上に鮮血の雨を降らせた。
だが、シュリはそれを浴びることなく更に駆け、ツァトガの巨大な右脚の脹脛に曲刀を逆手に握って半ばまで押し込み、その傷口に空気が入るよう刀身を捻っては抜こうとした。
刹那──
「パンッ」
異様に鮮烈な音がして、シュリの刃は根元から圧し折れた。
恐るべきは巨人を支える下肢の筋肉密度か、はたまたシュリの剛力か。
ツァトガは堪らず雪の地面に右膝をついたが、直後、その青白い脹脛に手をやったかと思うと、まるで痛みなど知らぬように傷口に指を押し当て、即座に鋼鉄の異物を捉えるや、造作もなくそれを引きずり出した。
かと思うと、その鮮血に染まった折れた曲刀の刀身を逆手に握り、やおら自らの岩のような左肩に叩きつけた。
見れば、そのシュリの刀身はツァトガの黒い鎖帷子を貫き、深々と筋肉の間を裂いて突き立っているではないか。
「あの行為、一体、何のつもりだ」
シャンはツァトガの見せた激しい自傷行為に疑問を抱き、今、巨人から距離を取りつつ、折れていない方の小剣を抜いたシュリを見た。
そのシュリの凛とした超美少女的容貌に、音もなく降る細雪──
それに真っ赤な血の雪絨毯とが混合した結果、その一角は目眩がしそうなほどに無残、かつ窮極的に艶めかしき極上の一枚絵が形成されていた。
「あ、あの霜巨人さん、きっと苦痛と怒りで興奮して、スッゴく暴走しちゃっているのかも、ですね」
ユリアは巨人の衝撃的狂態から目を背けつつ、持論を述べた。
「怒りで正気を失った──」
「──ということでしょうか?」
アンとビスも漸く常のお澄まし顔を取り戻し、小柄なユリアを挟むように、護るように注意深く構えていた。
と勇者団がそれぞれに観察するうち、なんとツァトガは、耳を覆いたくなるような雷鳴じみた雄叫びを上げつつ、右手に掴んだシュリの刃で、先程刺突させた左肩のみならず、自身の左腿、左脇腹、左手の甲、終いには左顔面をも次々と滅多刺しにし、見るも無残な赤き血巨人と化していた。
「ンー、マッサカして、アレがアレならー。コリャチョット、シュリ独りっきりじゃー、キビシーかもしんないね」
マリーナは何かを悟ったように、自身の顎を撫でながら遠い巨人を見つめた。
「コイツ、な、なにトチ狂ってんだい?」
シュリも予期せぬ巨人の暴走の理由がわからず、流石に当惑しているようだった。
「アハッ! アリャ間違いないね。前、あのおかしなジイさん魔法使いに飛ばされた世界で戦ったことがあるからアタシには分かるよ。
アイツったらさ、んエート、なんての? そ、カンゼンにキセーされてるんだよ!」
マリーナは、以前にワイラーの老魔導士ウィスプが唱えた精神魔法により飛ばされた別世界、そこで怪物狩人として鳴らした頃の、ある戦闘の記憶を呼び覚まされた様子であり、何やら鑑定家にも似た事情通顔で語ったのである。
「あえ? ま、マリーナさん? キセーって、それってなんですか?」
ミニスカローブの狂おしき好奇心女魔法賢者が、己を捕らえてていた恐怖という呪縛から瞬時に解き放たれるや、ほとんど喰い付くようにマリーナへ追求した。
「ウム。確かにあれこそは"闇黒肉百足"に違いない。
マリーナの言った通り、ある一定の大きな生きた肉体に入り込み"寄生"して、内部で繁殖、多くの場合、宿主との共生を継続するため、宿主の興奮時には外部へまろび出て、共闘するという習性が確認されている。
この俺も直に目にするのは初めてだ。となれば、最早、闇黒肉百足が宿主とあの状態になった今、唯の斬撃にて倒し切るのは困難を極める、何故なら──」
ここまで虚無主義じみた無関心を見せていたドラクロワだったが、今、遠い霜巨人の傷口を観察してから突然、らしくもない饒舌振りを露わにした。
と、それを見上げるカミラーがおり、彼女は桃色兜の内で密かに眉をひそめ、ドラクロワが解説した不気味かつ特殊な寄生虫に関する記憶を探っているかのようだった。
さて、上記にてドラクロワが語ったのとほぼ同時に、憐れな霜巨人に変化が現れた。
それは、彼が自ら刺突、或いは掻き裂いた複数の傷口から、およそ成人女性の胴くらいの太さで、炭のように黒い大百足が、リンパ液の霧、血煙とともに一斉に飛び出し、毒々しいオレンジの足を波立たせつつ、(あくまで尻尾は温かい霜巨人の巨体に根付いたまま)、揃って鎌首をもたげた。
かと思うと、緑の唾液か毒液かをふんだんに口中から溢しつつ、その数、都合十匹がシュリに襲いかかったのである。
げに奇怪で不可思議は、その闇黒肉百足の頭部は人間の髑髏に酷似しており、すべてが狂笑の相を浮かべているように見えた。
「このォ! 畜生ッ!」
シュリは、真っ黒い髑髏群が一塊になって迫るのに反応し、大きく右に回り込むように駆け、一番手近な闇黒肉百足の首を、手にした小刀で下からかち上げるように斬りつけた。
すると、見事その首は切断され、硬質な何かが強く擦れるような悲鳴を上げた黒髑髏は、緑の鮮血を撒きながら、ドッと雪の大地に転がった。
「あっヒャア!! す、スッゴイ切れ味ですぅ!! 」
ユリアが、シュリの見せた流麗なる身かわしと一刀両断に感嘆の声をあげた。
「アッハ! 確かにスゴイね。けどさー、アレがホントにアレなら、こっからがヤッカイなんだよねー。
ねぇユリア、ハゲシク楽しんでるトコ悪いケドさ、イッコ頼めるかい?」
言ったマリーナが、担いだ大剣を抜刀しながら、傍らの女魔法賢者に目配せした。
「あえ? た、頼める?」
無論、ユリアはその意図するところが掴めない。
見れば、今落ちたばかりの黒髑髏が、再度先程のような気味の悪い鳴き声を上げたかと思うと、絶叫の横顔から、ムックリと起き上がったのである。
なんと、その黒い髑髏の両耳辺りからは人間の掌に酷似した、毒々しいオレンジの花が幾重にも咲いており、それらは甲殻類の触手のように黒髑髏を支え、且つ俊敏に疾走をさえ始めたのである。
それは遠巻きに見ると、黒とオレンジに彩られた蛸のような怪奇生物が、シュリの足先に噛みつかんと必死に疾駆しているように見えた。
「アンギャー!! ななな、何ですかあのムカデさん! 首を落とされたのに平気で動いてますけど!!?」
ユリアが真っ先に絶叫を上げた。
「ヨシキタ! ンー、アイツ、ヤッパリただ斬ってもムダだったね!
ユリア! 今すぐアタシのこの剣に火の魔法をかけて!」
マリーナが手にした斬馬刀のごときルーンソードをユリアへ差し出した。
「火? はっ、ハイ!!」
ユリアは直ぐにマリーナの所望に勘付き、火炎付与魔法の詠唱に取り掛かった。
「そーそーコレコレ! でさ、チョット遠いけど、コレって、あそこのシュリの剣にも付けられるかい?」
マリーナは、シューッと大剣に炎が走り出すのを満足そうにうなづいて確認しながら、雪世界で舞うように回避を続けるシュリへと顎をしゃくった。
「──ハイ! 多分、出来ます!! あ、マリーナさん! くれぐれも気を付けて!!」
詠唱を結び終えたユリアは、もう飛び出した女戦士の背中に向け、必死に叫んだ。