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226話 酒は人間の本性を解き放つ

 壮麗なる尖塔に、清らかな神の使いを想わせる白い鳩らの舞う、そんな白亜の鐘楼(しょうろう)のごとき建築物があった。

 

 それは、この"聖都ワイラー"の魔術師ギルドであり、北区の円形広場の程近くに巍然(ぎぜん)と建っていた。


 そして、その遥か地下深くには、男女の垣根を越えた妖美の大魔導師、ロマノ=ゲンズブールの隠れ家兼魔導研究室があった。


 その地下室にしては不自然なほど、まるでナインサークルズ魔法大学の図書館のように広々とした空間の中央

──

 そこには、鉄枠で固く封印をされた本を模したような大きな卓があり、その脚の一本に(しつら)えてある、奇妙にネジくれた杖のような止まり木の先には、深緑の光沢に煌めく大鴉(おおがらす)が留まっており、聞くも不快なダミ声で喚いていた。


「カーカー!! お師匠様! お師匠様ぁ!!」


 なんと、このコンドル程にも大きな化け鴉は、まったく品性も知性も感じられぬとは云え、物真似などとはかけ離れた、明確な大陸共通語を放っていた。


 つまりは、この謎の生物とは、決して只の大鴉に(あら)ず、まさしく魔導師擁(よう)する使い魔の部類である。


「なぁ、お師匠様ぁ! そんなにバカみたいに(こん)をつめちゃあ、そのうちどっか悪くなさりましょうぜ!」

 と、キリンのような青黒い舌を尖らせ、わんわんと喚く鴉だったが、彼の飼い主である、三十代あたりの美貌の露出狂女にしか見えぬロマノ=ゲンズブールは、ただ黙然と書に(ふけ)っているだけだった。


「ボッロミーニ。貴方という鳥はまったく、もう少し静かにしていないと、また晩餐の等級を下げるしかなくなりますよ?」


 極めて面積の少ない、薄織りの上下の下着のみのロマノは、優雅な頬杖で書に眼を落としたまま、あまりに渋い低音の美声で、(かしま)しい使い魔を(たしな)めた。


「カーカーカーの(かしこ)まりー! もうリザードマンの尻尾肉だけはご勘弁でさー!」

 どこがどう畏まっているのか、余計に羽ばたいては黒羽を降らすボッロミーニであった。


「しかし、貴方の言うように、確かにこの研究にも(いささ)か飽きてはきましたね。

 ンム。こうも成果が上がらないでは張り合いがないというものです」

 ロマノは浅くため息を漏らし、ボトンと大きな書を閉じて、燭台の灯りにも美しく煌めく、真中で分けた長い黒髪を後ろへと流した。


「そうでしょう、そうでしょう。こうも長ぇこと同じことばかりをやってると、そのうち頬が()け、眼は落ち(くぼ)み、終いにゃあ目尻にアタシの足跡のような小皺(コジワ)が深々とー、ゲアッ!!」

 失言のボッロミーニの長々とした(クチバシ)の先に、パッと眼も(あや)な、オレンジの火花が炸裂した。


「ンム、なにか言いましたか、ボッロミーニ?」

 ロマノはうだつの上がらぬ研究テーマに対する苛立ちもあってか、必死に頭を振って火の粉を散らす使い魔を睨んだ。



 今現在、この大魔導師ロマノが血道を上げて取り組んでいる課題とは、なにをかくそう、人間という生き物を全方位的に超絶強化(ブースト)させようとする、そんな実験的意欲案件であった。


「よいですかボッロミーニ。このエ・リンギの書にも記述がありますが、超古代に、あの七大女神達の気まぐれかなにかで、この星が出来て直ぐに現れた、あるひとつの種族、所謂(いわゆる)"人間"ですが──


 なんと、その原初の者等は、今よりずっと強靭にして狂暴であり、それでいてまた魔法にも長じ、なんと一切の触媒も、詠唱をも用いず楽々と魔法使役をしていたようなのです」


「はあ……そーですかって。いや、ちょいとお待ちなさいな、お師匠様ぁ。

 身体も滅法(めっぽう)丈夫で、おまけに魔法も堪能とくりゃ、そりゃハナから人間なんかでなく、単なる魔族じゃーありゃしませんカー?」


 流麗なる造形が見事な水差しに、長い嘴を突っ込んで冷ましていたお調子者の使い魔だったが、やはり、そんじょそこらの鴉とは一味違ったようだ。


「いえ、彼等は断じて魔族などではありません。

 何故なら、一定の信頼のおける古代文献によると、彼等は生まれつき強力な神聖属性を宿していたとありますからね」


「ははあ、はあ。なーるほど、ご立派な神聖属性とねぇ。そりゃあまたケッコウなことで。

 カー、じゃ天部の線は?」

 生意気に、光輝く黄金のネックレスを巻いた首もとを、ガリガリと掻きつつ、尚も反駁するボッロミーニ。


「ンム、残念ですが、それもまた違います。なにしろ原初の人間達は今と同様、翼もなく、何より、お上品なあの天部共とは異なり、それはそれはたいそう野蛮で、目につく生物、それが魔王配下の上級魔族であろうとも手当たり次第に襲いかかっては、見境なく危害を加えていたようですから。

 フフフ……つくづく、はた迷惑な生き物さんですねぇ」

 やや丸顔の魔導師が、ゆるい拳を口にあてて悪戯っぽく微笑むと、鴉の使い魔ですら、一瞬ドキリとするほどに妖艶であった。


「あーあー、そーですかいそーですかい。でー、なあんでその人間様達ゃー、長い、長ーい時をかけて、今のように貧弱? あいや中途半端? カーんだかそんなツマンナイ感じに仕上がっちまったんですカー?」


 まさしく濡羽色(ぬればいろ)も美々しい使い魔は、まず巨人族のオーガーには体格、またドワーフより筋力に劣り、魔力にはエルフ族、俊敏さではホビットに数歩遅れをとる、なんとも平々凡々、いや中庸的なる人間族の特性について触れた。


「そう、謎と云えばそこなのです。何故だか彼等人間族は、長い時を経て"理性と社会性"という武器を身に付けた代わりに、古代に所持していたとされる、秀でた蛮勇力と魔力とを徐々に失っていったのです。

 で、その原因にあたるモノですが、私としては、彼等のある特異なる"器官"の発達がそれに大きく起因しているのでは?と、大方そう論決しています」

 言ったロマノは、繊細な銀のブレスレットの光る手を伸ばし、見事な切子加工の入ったグラスを取り寄せ、スッと、白の葡萄酒で唇を湿らせた。


「カーカー。たく、お師匠もお人が悪いですぜ。ここまで話しておいて、今更出し渋りはないでしょうガー」


「フフフ、いえそんなつもりはないですよ。では勿体(もったい)ぶらずに話しましょう。

 その器官というのは、どうやら彼等の持つ"大脳"のようなのです」


「だい、のー? カー? それって頭の中のブヨブヨした、アレ、ですかい?」

 使い魔は人間のように表情豊かに瞬きしながら、真っ黒い鉤爪の先で以て、自らの頭を指した。


「ええ、そうです。どうやら彼等人間族は、社会性、いや社交性とでもいいますか。それを大きく成長させ、他のどんな種族より社会を発展させ、結果この大陸では最も数多く繁殖し、国土、商業、また文化、風俗などを広げています。

 どうやら、その連帯力の根源となっているのが、云わば──」

 ロマノは少し上向き、しばし相応しい表現を探る。


「そう。"新しい脳"、その文化的とも云える新しい脳こそが、まるで古い脳、つまり勇猛なる攻撃性の激しいそれを上から覆うようにして統御(とうぎょ)しているのです。


 そうして幾星霜(いくせいそう)、遂には古い脳は完全に退化をしてしまいました……それが今の人間なのです」

 左の拳骨に右の掌を上から被せ、云い得て妙、とばかりに、ひどく満足気にうなずく魔導師だった。


「カー。じゃ、お師匠様は何か人間の頭ン中、そこの脳味噌をアレコレと(いじ)っていなさると?

 つまりはそーいう訳ですかい? カー……ちょいとソリャ、ねー?

 ンカー!? ももも、もしやアタシが毎度、助産師、売春宿の裏から運んで帰ってる、アレが……あの包みガー!?」

 と、つい、ない眉をひそめる大鴉だった。


「まぁ有り体に云えば、そうです。

 ですが、これがまた難関で、単に胎児の古い脳の領域を肥大化させ、その蛮勇力を向上させても、今度は新しい脳による制御限界を容易く越えて暴走をした挙げ句、ただただ思いつくままに攻撃魔法を散弾しながら猛り狂うという、そんな矯正不能な裸獣(はだかけもの)にしかなりません……。


 そこはやはり、私、このロマノがかかわる以上は、そんな単なる太古の"焼き直し"などではなく……もっと知的で高尚な、とても高い次元で洗練をされた、そんな高等生物を生成したいのです」

 蠱惑(こわく)な渋面で、隣のおぞましき研究室を指差すロマノ。


「カーカー、さっすがはお師匠様だぁ、そりゃまた志の高いこってー。

 アレ? じゃあそのお目付け役の新しい脳とやらを、古い脳と(おんな)じ様にでっかくしてやりゃ、ソレで済む話じゃねぇんですかい?」

 なにを悩むかお師匠、と使い魔は両目の間に皺を寄せた。


「あはは、その通り。私もそれを幾度となく試しました。

 ですが、そうなると何やら強制的に肥大化させた両脳に、今度は彼等の繊細なる"精神"の方が追い付かず破綻(はたん)

 結果、ただただひたすらに自傷を繰り返し、飽くことなく自死を夢見る、そんな極度に不安定な精神の個体にしかならないようなのです。


 まぁ言うなれば、恐ろしい暴れ馬と、ひどく我の強い御者とが、絶え間なく、それこそ無間(むげん)に頭蓋内で荒れ狂う、まあそんな状態ですからね。

 ンム、これには完全に参りましたね。さて、どうしましょ?」

 

「どうしましょってアンタ、お師匠様に分からねえモンが、このアタシなんかに分かる道理なんかーありゃしませんぜ?


 カー、それよりお師匠様ァ? そろそろ、その、ま、ここはひとつ、夕食(ゆうげ)とやらにしましょうや?

 なにかウマイもんとウマイ酒でも入れりゃ、また新たな創意工夫が芽生えて来ることも有りましょうぜ? ねぇ?」

 食糧庫の鍵を持たぬ身の鴉が、己の唯一にして最大の生き甲斐である"晩餐"に至るには、ただ飼い主に哀願をする外ないのだった。


「はぁ、そうですね……」

 生返事の見本のような声を漏らしたロマノは、この頼りがいのない使い魔とのやり取りにやるせない虚しさを覚え、また古書へと戻った。


 こうして、その夜は深々と更けてゆき、やがてロマノは実験室に戻り、ひどく物憂げに、特殊な培養液で満たした壺に()かる、頭蓋を剥かれたある胎児を見下ろしていた。


「ほう、素晴らしい。これはまた両脳とも格別に大きく育ちましたね。

 なるほど、この子は私の促進魔法と抜群に相性が良いようですね。

 ですが無念、やはりこれだけではなんにもならないのです…………」

 流石の元大将軍様も、精も根も尽き果て、折角の逸材を眼下に、ただ呆然とする外なかった。


 とするその一方で、そこの()り鉢型の三階構造の遥か頭上にて、御預けを食わされて久しい腹ペコ大鴉が、今や必死になって正体不明の魔具、珍品が陳列する棚を漁っていた。


「カー! ダメだ駄目だ! もー、あーなったお師匠様にゃ何一つ頼れやしねぇ。

 こーなりゃ自力で(もっ)てなんか食い物を探さにゃ、こないだみたいに日干しの木乃伊(ミイラ)鴉になっちまわー。

 ン?待てよ、ありゃなんだ?」


 ひもじさに狂わんばかりのボッロミーニは、装飾豪奢なある棚の奥に、何やら秘蔵をされているらしき、深紅の地に銀の薄浮き彫りも美々しい、ある一抱えの小箱を見つけ出した。


 この秘宝らしき宝箱とは、正真正銘、秘宝中の秘宝であり、ドラクロワの先代魔王リュージャンに仕えていたロマノが、ある"大きな代償"と引き替えに、魔界が誇る最高峰生物である、双頭の暗黒水晶竜を召喚し、見事その危機を救ったとして、魔王秘蔵の宝物殿から第一級の品が選ばれ、功労賞として与えられたという、まさしくその品であった。


 直感的に、これは断じてタダモノではないとしたボッロミーニは、この際、口に入るものならなんでもいいと、(たま)らず深紅の化粧箱をこじ開けた。


 すると、そこの真ん中に鎮座したるそれは、一見すると、成人の中指大ほどの、飾り気のない"琥珀片(こはくへん)"にも見えた。


 だが、ちょっと見たところ"素朴"とも云えるそれこそは、古代のある時、決死の覚悟でリュージャンの魔王城まで侵入したものの、魔王討伐にはあと一歩及ばず、あえなき最期を遂げたとされる、ある勇者パーティのメンバーが一人、"大聖女ユリ"の魂を、当時の魔王が座興まじりに結晶化さたという、その名も"神魔石ユリ"という逸品であった。


「カー! こ、こいつぁなんともキレイな琥珀だカー! 

 いやさ! アタシにゃー段々コイツが"鼈甲飴(べっこうあめ)"にしか見えなくなってきたー!

 カー! もうなんでも構わねえから、ひとつ(ほお)ばらせてもらいますぜ!」

 化け鴉は、長大な(くちばし)の先にて神魔石を器用に取り上げ、少し宙に放ってから、パクリと口にふくんだ。


「ンー……コン畜生めー、コリャまた味もスッポもしやがらねえ、ぞ…………ッアギャッア!!!」


 やはりモノが大聖女なせいか、どちらかといえば魔属性にあたる使い魔ボッロミーニ。

 突然口内を襲う激烈な浄化力に、まるで赤熱(しゃくねつ)の石炭をふくんだような痛みを覚え、飲み込む寸前だった神魔石を勢いよく吐き出した。


「まったく……うるさいですよボッロミーニ。本当に貴方という鳥は、」

 使い魔の金切り声に、つい三階を見上げるロマノだったが、その視線とすれ違うようにして、なにか煌めくようなモノが降ってきた。


 なんと、その神魔石は矢のように彼の眼下の培養液壺へと落下し、そこの剥き出しの胎児の脳。その右脳と左脳の真ん中を貫いたのだった。


 刹那、ロマノは下方から、眼も眩むような凄まじい閃光炸裂を浴びた。


「なっ!?」


 ロマノは両腕で反射的に顔を覆ったが、その魔族の肌は、いたるところが燃え尽きた炭のごとく白々と焼けていた。


「な、なにが? 一体何が起きたというのです? はっ! こ、これは!?」

 ようやく視力が戻ってきたロマノが壺の中をまじまじと注視すると──


 あの脳が剥き出しとなっていた筈の哀れな胎児は居らず、その替わりに、無垢にして、燦然と輝く玉のような胎児が、依然としてロマノを焼くように仰向けで浮いていた。


「こ、これは! この輝きはまごうことなき、忌々しい神聖属性の聖光……。

 ま、まさか、これが噂に聴く、あの"伝説の光の勇者"!?」


 そう、このロマノは図らずとも、ひとりの光の勇者生誕のお膳立てをしてしまったのである。


 それから、その胎児は大聖女ユリの宿る場所(イヤ)として相応しい名を与えられ、この聖都ワイラーの、ある石女(うまずめ)勇者とその亭主とに預けられ、そこで直ぐに並々ならぬ魔法賢者としての才覚を表し始めたという。


 (ちな)みに、この時の凄絶なる聖光の影響で、両の脇の下を散々に焼かれた大魔導師ロマノは、生涯にわたって体質を変えられ、常に麝香(ジャコウ)の香りを放つようになってしまったという。

 そんなお話──

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