214話 闇に堕ちし者
214話 闇に堕ちし者
全身から噴き出す殺気で周囲を朧に歪ませるドラクロワが、"翡翠の蟋蟀亭"に恐ろしげな戦闘長靴の響きをばら撒きながら、厨房脇を抜け裏口へ往く。
それにやや遅れ、無音の影のごとく付き従うのは、世にも美しい女児にしか見えぬカミラーであり、また愛用の武器、魔法杖を引っ掴んで慌てて追い付かんとする光の勇者三名と、その従者の二人だった。
一団は、古い木造建築特有の湿気た臭気、それに炭、脂、茶、また芳しき香辛料などの雑多な香気が渾然一体となってわだかまる、その薄暗い通路を行軍した。
そうして直ぐ、先頭のドラクロワは目当てのオーク製の扉前まで到達。
一切の淀みなく暗黒色のガントレットが上がり、その真鍮製のドアノブを握り、無造作に回す。
と、開け放ったそこは、少し遠くに飲食店らしき店々、また牧歌的な民家の裏手が建ち並び、それらに囲まれるようにして、秋月に煌々(こうこう)と照らされた農場じみた菜園があった。
その空間には、周辺の通りよりとどく、ミス南部前夜祭の夜遊びはまだまだこれからと、いやましに熱を増しゆく雑踏の賑わい、またそれらを目当てに活気づく露店群のチャルメラの響き等々が、足元の香草の根で鳴く金鐘児の音と、ほどよく雑ざり合い、なんとも云えぬ甘美な憧憬の夜を演出していた。
やや風が冷たい、か──
そこに、剣呑な空気を帯びつつ、ゾロゾロと踏み込んだドラクロワ達一行だったが、それらの見据える視線の先には、すでに土の上に立つ大小の影の一群が待ち構えていた。
無論、それらはあの可憐な美貌のゴルゴン三姉妹のメデュサ、エウリュアレ、ステンノであり、それらを守護するような謎めいた大柄な"黒外套"がいた。
「はぁ、ようやくおでま……」
タメ息まじりに皮肉を以て迎えんとしたメデュサだったが、はじめに飛び込んできた露払い役カミラーの美貌、そしてなにより、月下にこそ本領発揮をして、今おそろしいほどに冴え渡るドラクロワの魔性美に二の句が継げなかった。
それはエウリュアレもステンノも同様にあり、ともに目玉がこぼれ落ちんばかりに刮目し、ヒッと息を飲んでいた。
それを五間ほど遠くの下方から見上げるカミラー。
その燃ゆる紅玉のごとき爛々(らんらん)と輝く瞳の恐ろしさよ。
「己らが、ゴルゴンとかいう身のほどをわきまえぬ餓鬼娘らか……。
ええいっ!! 頭が高い!! この御方をどなたと心得る!!」
と、文字通りの牙を剥きつつ、一気にまくし立てる小さな魔王崇拝者であった、が。
「ウム。なにやら、お前達の下郎に光の勇者がおると聞いたが、その男がそれか?」
珍しく気早なドラクロワが、眼下で息巻く忠臣をさえぎり、早速とばかりに本題へと直結させる。
「……くっ!! な、なんという、なんという美男……」
流石に、徹底して美しさこそが正義と標榜する壮麗なるゴルゴンの一門。
その今期代表のメデュサは、突如現れたドラクロワの人外の美にあてられ、狂おしき羨望に身を焼かれ、ただただ戦慄をする外なかった。
「ヘェ。こりゃまたとんでもない色男さんのお出ましときたもんだ……。
ん、オレの名はジビエ=マルカッサン。お目当ての光の勇者"だった"男さ。
ん、以後お見知りおきを、てな……」
六尺(約180センチ)越えの筋骨逞しいインバネスは、粋な帽子を取り、その男臭い野生的な顔に、やにさがった笑みを浮かべ、慇懃にお辞儀をしてみせた。
と、その気取った所作で、ゆるいカールのかかった焦げ茶色の長髪が流れるように揺れた。
「あえ?あ、あなたが光の勇者……そ、そんな……」
なにより早く反応しては、直ぐに訝しむユリア。
「はぁ、ジビエ。私はまだ話せとはいってませんよ。勝手な言動は慎みなさい」
なんとか平静を取り戻したメデュサが、ゴルゴン一族の用心棒へと鋭い叱責を放った。
「ん、これはとんだご無礼を、お嬢様。と──」
マルカッサンは広い肩をすくめ、おどけた調子で頭を垂れた。
「はぁ。で、件のミント茶葉ですが、それを独り占めにしている、強情極まりない老婆とはどこですか?」
メデュサがやや首を伸ばし、断じてドラクロワと目を合わせぬよう、その傍ら付近を見渡すのだが、無論それらしい老女などいるはずもない。
「えっ? ロ、ローバ? えっ、なんだいそりゃ?」
粗忽健忘者なマリーナが、月明かりに黄金の髪を舞わし、仲間内を見渡す。
「うん?茶葉を独り占めしている、老、婆、じゃとぉう?
お前達。よもや、よもや、このわらわのことをそのように……」
カミラーの提げた手の先で、メギメギと"なにか"が伸長した。
「そ、そんなことよりさっ! こ、この人が光の勇者なんだってー!?
でもさでもさ、光の勇者ったらさー、アタシらの仲間になる運命のー、あの伝説の勇者ってーことだよね!?
それが、なーんでこんなとこでヨウジンボー稼業なんかしてんのさ!? ホント、ねえ!?」
慌てたマリーナが強引に話を進めようと努める。
これに、ジビエ=マルカッサンと名乗った無精髭の無頼漢は顔を横向け、メデュサの顔色を伺う。
だが、お嬢様はそれには眼もくれず、対峙する女勇者達に、やや顎を上げて語りだした。
「はぁ。少し前、ある田舎の村に光の勇者が集結し、魔王討伐に向けて大陸を南下をしていると聞きましたが、それが貴方達という訳ですか。
ですが、それがなんだというのです?このゴルゴンにとっては、そんな風化した神話の成就など、ハッキリいってどうでもよいことです」
「はえ? ど、どうでもいい?」
つい、ユリアが聞き返した。
「はぁ。大体、古来予言の成就として祭り上げられた"偽勇者"の出現など枚挙にいとまがなく、少しも珍しいものではありません。
それを今さらながらに空威張りで、光の、伝説の、と宣うのなら、サッサと魔王を討ち取り、その首を大陸王に届けなさい」
といった具合のメデュサの勇者伝説に対する辛辣な所見に、エウリュアレ、ステンノもまったく同意であるとして、小刻みにうなずく。
「あえ?か、空威張りー!? ちょ、ちょっと待ってください! 私たちがいつ威張ったりしましたか!?」
生真面目なユリアは、さすがに聞き捨てならぬと反論する。
「フフフ……中々に手厳しいが、確かに御説ごもっとも。
やれ光属性だ、勇者だなど、口だけならなんとでもいえるからな」
マスクの下で不敵に笑い、首肯するシャン。
「アハッ! ゆうねぇーオジョーサン!」
豪胆なマリーナは、メデュサを指差し、中々に痛いとこを突くもんだと脱帽した。
「はぁ。もういいです。こんな下らないやりとりは、単なる時間の無駄でしかありません。
よいですかジビエ。生死は問いません。この冒険者たちを速やかに制圧し、"私たちの"茶葉を奪還するのです」
窮めて物騒な下知を放ったメデュサは、妹達に目配せし、サッと身を翻すや、早くも店内へと戻るべく歩を進めるのだった。
「ちょ、ちょっと待ってください! わ、私たちはですねー」
光の勇者伝説のみならず、ひいては、その根源たる七大女神達をさえ軽視されたように感じたユリアが、勝手平然と退場してゆくメデュサに食い下がろうとした。
「へいへいかしこまりやしたー。あとはこのジビエに万事お任せあれ、と。
で、そこの黒鎧の美男子さんよ。お聞きの通り、オレとしては素直に茶葉を寄越してくれさえすりゃあ、ここは楽にカタがついて、なによりなんだがな……」
なんとも気だるそうに、のっぽのワイルドハンサムが提案した。
「ジビエ!」
用心棒の不忠勤な発言に、エウリュアレが遠くから喚いた。
「へーいへい、と……。じゃあ、こっちもしがない用心棒稼業なもんでな、少しばかり痛い目にあってもらうしかねぇってとこだな」
ジビエは、いつもの泰然自若そのもので、むっつりと腕を組んだままのドラクロワを眺め、さも面倒くさそうに首を回した。
「ウム。痛い目、か。面白い。では存分にやってもらおうか……」
低く返すドラクロワ。
「ちょ、ちょっと待ってください! ドラクロワさんも、ジビエさんとかいうあなたも、まさかただのお茶の葉を賭けて、今からここで本気で争うつもりなんですかっ!?
そ、そんなのって、どうかしてますよ!!
そ、それに……」
慌てたユリアが決闘間に割り込んできた。
「それに、なんだいお嬢ちゃん?」
ジビエが皮手袋の指を鳴らしつつ訊く。
「え、あ、あの……そ、そうです! えとジビエさん。まず、あなたは本当に光の勇者なんですか!?
そして、もしそれが本当なら、なぜ魔王討伐という重大な責務を放って、名家とはいえ、そこで単なる馬番などに身をやつしているんですか!?」
ユリアはなにひとつ納得がいかず、ドラクロワの前に飛び出して両手を水平に上げ、通せんぼの形をとった。
「あー、だよねぇ。そーそー。せめてそれくらいは聞いてからだよね、フツー。ウンウン」
久方ぶりに筆頭の太刀筋が拝見できると、喜色満面で見守っていたマリーナも、流石にこれには同意である。
「フンッ! 光の勇者がなんじゃというのじゃ!! そんなものどっちでもよいわい!」 カミラーとしては、今更まったく詮議の価値など無しであり、ただ小癪な人間族の鼻を明かせれば、それだけでよかった。
「ちょっ! な、なんてこと言うんですかカミラーさんっ!!
全然どうでもよくはないですよっ!!」
「ん、なんだか拗れてきそうだな、と。オレとしちゃあ、とっとと、おっぱじめたいんだがね」
このジビエという用心棒、どこまでも野暮図な無頼である。
「いけません!! ドラクロワさんもドラクロワさんです!!
大体、こんな些細なことがきっかけで売られた喧嘩を買って、本気で剣を抜こうなんて言語道断、光の勇者として決してあってはならないことです!!」
「ウム。ユリアよ、お前の云わんとすること、分からんでもない(棒読み)。
それに、俺とて、この場でヤツの命まで取る気はない。
ただ。少々、つけあがった小娘らをだな」
「い! け! ま! せ! ん!」
「ん、じゃあお嬢ちゃん。面倒くせえからお答いたしやしょう」
ジビエも、このままではなんともやりにくいようで、呆れたようにタメ息を吐き、モジャモジャ頭を掻き回した。
「ん、そうだな。まず、このオレが本物の光の勇者かどうだかの話なんだがね。ん、これがまた残念ながら本当なんだよ。
これでも実家に帰りゃあ、勇者の家系図と、あーあとなんだっけか? そ、あれだ、"助産婦の血の証言書"だっけか?
ん、ちょいと探しゃあ出てくると思うぜ」
ジビエは焦げ茶色の無精髭を擦りながら、このクソ真面目が、といった眼でユリアを見下ろして言った。
「はえ? ち、血の証言書!!? え、じゃ、じゃあ貴方は、ほ、本物の……」
ユリアのやや垂れた眼が限界まで開かれる。
「あのユリア様、一体……」
「あの、何の話をなさっているのですか?」
一般民間人のアンとビスは、目映いばかりに自発光輝いて産まれた子をとりあげた助産婦だけが、そのものズバリ、自らの血をインクとして記すという、極めて稀少なる"光属性出生証明書"の存在を知らなかった。
「うん。極々一部の者しか知らぬ、家系図と血の証言書を周知していたか。
ジビエとやら、どうやらお前という人間は、私たちの仲間に加わる運命にあるようだな」
という言葉とは裏腹に、シャンの眼には露骨な殺気が宿っていた。
そう、このジビエ=マルカッサンという男からは悪党、それも一人二人ではなく、数え切れないほどの命を手にかけてきた、猟奇の鬼特有のキラキラとした眼の輝き、また噎せ返るような死臭というものが、その哀れな犠牲者達の怨嗟と共に渦を巻いて見えるようだった。
「そ、そんな! なら、なら……なぜ!?」
ユリアが、到底受け止めがたいと困惑しつつ後退る。
「ん、驚いてるなお嬢ちゃん。ははは、じゃ驚かせついでに、ちょいとだけ、このオレの身の上話をしてみるか」
ジビエが邪悪な笑みを浮かべると、月明かりにも黄色い、不潔な歯列が垣間見えた。
「オレの家、ん、もちろん勇者の家系だったが、ありゃ特別七大女神達に篤く帰依する親だったな。
それがつい光属性なんてのを産んじまったもんだから、それにとんでもねえ磨きがかかっちまってな。
ん、親父もお袋も、いわゆるひとつの"狂信者"にくりあがっちまったんだな、これが。
で、家にあるものは、なんでもかんでも片っぱしから貧しく恵まれない奴等に配るし、一日中女神どもを拝み倒しっぱなしで、これがろくに働きに出もしねぇ。
当然、このオレに対しての期待はスゲエものがあったぜ。
お前は選ばれし伝説の英雄なんだから、お前の人生とはお前のものであって、お前のものではない。
光の勇者たるもの、あれを覚えろ、これを身につけろ、この罰あたりめが、そんなことはするんじゃない、そんな仲間とつるむんじゃない、魔王を倒すその日まで色恋などもってのほかだ、てな具合で──
このオレをとんでもねぇ聖人君子に育て上げようって必死、いや命懸けだったぜ、ありゃ。
ん、オレはマジでこの身を呪ったぜ。なにせ、このオレは信心深さとは無縁で産まれついたようで、この先の一生を、どうカッコつけても面倒な人助けでしかねえ、そんな光の勇者伝説なんかに縛られて生きるのなんざ、真っ平ゴメンだったもんでな。
で、ある日の事、なんもかんも嫌んなって、親父と揉めちまって、そのうち、ありがちな揉み合いってのになって、で、つい、な……。
ん、まぁそうなりゃ、何から何まで女神どもにとっつれた憐れなお袋も、これから先もドン底の貧乏暮らしで、そのうえ寂しい寡婦になりさがったって訳でよ、ん、こりゃあ後も先ねぇだろうなあと思ってな。
ん、物心ついたときから折檻されまくった恨みもあって、その勢いで後を追わせてやったよ……。
で、破れた葡萄酒の革袋みてえに、背中からピューピュー血をこぼすお袋が、やけにノンビリと倒れやがんなぁ、ってボンヤリと見てたらよ、これでやっとこさオレは夢の自由を手にいれたんだっていう、そういう実感がドンドンと押し寄せてきてよ、その場でうかれて小躍りしたよ。
そう、ついに享楽快楽の人生の始まりだぜ、てな。
で、そのまんま家を飛び出そうと思って、何か金目のものはねぇかな? いやあるわけねぇか、って文句を垂れながら家ン中を引っかきまわしてたんだが。
ふと眼のはしで何かが動いたように見えたんだ。
まぁたネズミかと振り返ったらよ、なんと! 床にブッ倒れた親父とお袋の真ん中にある血だまりが、ブクブク、ボコボコと沸いてるじゃねえか。
オレは喜びすぎて自分の頭が変になっちまったんじゃねえかと思って、落ち着けー、落ち着けーって自分に言い聞かせながら、その場で立ったり座ったりしながら、狭い部屋ン中でグルグルと回ってたな。
で、そうこうしてるうちによ、その汚ねえ赤い水溜まりの中から、何かがこう、グーっと立ち上がってきたんだな、これが。
流石のオレも、ギャッと喚いて、腰を抜かして後ろに倒れたね。
そんでなんだこりゃって見上げると、その真っ赤な柱みたいなのが、段々と人みたいな形になってくじゃねえか。
ん、まるっきり、なんだこりゃのまんまだよ。
で、オレ夢でも見てんのかなー、てな感じで、もう驚くとか怖いとかを通り越して、呆然とソイツを見上げてたよ。
あれ?これタンコブになんねぇかな?とか後ろ頭を撫でながらな。
で、ついに親父くらいの背丈になった生臭いソイツがよ、今度は、ピタッペタッて感じで歩きだしたんだ。
ん、そうそう、まだなんだこりゃのまんまだな。
で、ゆっくりとこっちに向かって来るじゃあねえか。
で、ソイツ。しまいにゃあ床のオレに覆い被さるようにして腰を屈めてよ、オレの顔に血を滴しながら、ニチャアと真っ暗な口を開け、こう言ったのよ。
えー、勇者ジビエくん。そうキミキミ。本日は親殺し真におめでとう。
ついては、どうかな?今日お熱いうちに、いっそ光の属性など放棄してみては?
今、キミの承諾さえあれば、それの代わりに大いなる魔を授けられるんだが?ってな。
うわっ夢にしてはコイツ口臭すぎだろ! え!? なに言ってやがんだコイツ? いや待て待て、今喋ったぞコイツ、とか猛烈に錯乱したんだが、あの時のオレとしては、まさしく渡りに舟ってやつだったな。
となりゃよ、ほら、後はまあ、オレこーいうの初めてなもんで、おまかせでって言ってさ、めでたく取引成立てな具合だよ。
ん、まったくソイツのひでえ生臭さときたらよ、今でもしっかと覚えてるぜ、てな」
お仕舞いに、ジビエは大きな鼻の先を指で弾いた。
「キミキミ……生臭いとは失敬な。我々はああいう罪業の血潮の中でこそ、真、素晴らしい契約が結ばれると、そう信じておるのだよ」
その耳を塞ぎたくなるような甲高い声とは、誰がどう聞いても、この猟奇の語り部ジビエ=マルカッサン、その背後の闇から響いてきたものに違いなかった。