201話 王者の資質
猟奇の死霊使いのギークは、完全に虚を衝かれた格好となり、ただただ放心状態で空っぽになった愛用の棺を眺めていたが、ようやくとばかりに、みる影もなく灰塵に帰した門扉を振り返った。
「……えっ?い、今のって……なに?」
と、ほとんど呟くように言って、開いた口が塞がらないとばかりに、隣の巨漢にすがるような視線を向けた。
「ん……なんという速度と脚力だ。あの一見、優男風にも見える黒鎧、どうやら只者ではないようだ」
半眼で溢したザックの粗削りな美男の顔とは、まるで毒酒でも含んだように、戦慄に険しく歪んでおり、無骨なロングソードを握る手にも不自然な力が籠っていた。
「うひゃわー、驚きー。ちょっとあの飛びかたは異常過ぎだろー。
うーんコイツは野蛮過ぎるー。てかー、アイツー、ものっそい怪力の持ち主だぞー。
んこらー、ギークのお馬鹿ものー、そら見たことかー。
やっぱりアイツー、ただ者じゃーなかっただろーがー。きすおぶです(KISS OF DEATH)、みたいなー」
相変わらずまったく本性の読めぬ、能面みたいな無表情のキツタカだったが、流石に先のドラクロワの前蹴りに肝を冷やしたか、油断なく王座から数歩、後退った。
だが、自由闊達とした足取りで、再び壇上の王座に舞い戻ったドラクロワは、そんな冒険者等の見せる警戒の色などには目もくれず、眼下にて小さな彫像と化したカミラーの背を一瞥し、短いため息などを吐きつつ、頬杖の指を顎で圧して鳴らした。
「フン。カミラーよ、あの不出来なキャパリソンめが、ああまでなってしまった以上、今更ながらに悔やんでも仕様があるまい。
まぁ、あらゆる屍術をお家芸とする一族の長であるお前には明白であろうが、最早アレはキャパリソンにしてキャパリソンに非ず。
言わば、単なる傀儡でしかないのだからな」
魔王は己の破天荒過ぎる所業など少しも悪びれず、ただ淡々と事実のみを指摘した。
「はっ。その不可逆なこと、元より了知しております……。
なればこそ、卑しい人間族の分際で、我等同胞の亡骸を辱しめた、軽薄な餓鬼を含む、彼処の三匹だけは断じて赦せませぬ……」
カミラーは殺意も新たに、強欲なる冒険者等を睨み付けた。
「ウム。では、あとは意欲的なお前に任せるとするか。
んー、あの傀儡を失った色黒の死霊使いは、今や碌々(ろくろく)観せる芸もなかろうな。
となれば、ここから強いて強いて選るなれば……。
ウム、最前からあのエルフの女が襟巻きにしておる、面妖な白蛇が気になるくらい、か。
では、そこの見るからに鈍重そうな''うどの大木''なども後廻しでよいから、先ずはアレと戯れてみろ」
魔王は、まったく乗り気でない温泉旅行に付き合わされ、妙に臭い(主に、安い煙草とビニールの腐った香り、また、それらに隠し味的に、陰気な老練のドライバーの首もとから沸き立つ、古い蒲団のような垢臭の混合)タクシーに揺られた挙げ句。
やっとこさと降りると、これがまた微妙に傘の要る小雨──
で、絶妙に黒目の位置を塞いで着いた水滴の鬱陶しい眼鏡で見上げた、どうしようもなくひなびた宿の角部屋に通され(謎の三階)。そこの無駄に豊満、かつ美人な女将から(かといってかなりの年増なので、ワクワクはZERO!!でもスゲーいい人そう)、要らぬ年代物の金庫の解説を施された後、供の者から、見事な鈴なり柿の彫ってある煎餅入れ、そこに、いつ封印されたかも知れぬ、まったく得たいの知れない茶菓子の三種のうちから「どれでも好きなの選んでいいよ!」と溌剌と言われた時のような顔で、心底冷めたように下知を済ませた。
これに聞き及んだ冒険者等は、お互いの困惑した顔を見合せるや、なんと豪胆にも、一様に不敵な微笑みを見せのである。
「っへぇー。キミも中々言ってくれるよねー?
ははっ!さっきはよくも空気も読まず、不意打ちみたいなカンジで、このボクをコケにしてくれちゃったよねー。
はっ!それが今度はさ、偉っそうにキツタカをご指名ときたかー!
──とキミさ、ハッキリ言って本っ当笑えないんだけどっ!!
はぁ、んじゃーキツタカ、やるなら遠慮なくどーぞー!ボクはキャパリソンが再再利用出来ないかを確認してくるからさっ!!
……まったくさー、フツー、折角の他人の見せ場ってもんを、あぁまで無神経に一蹴出来るもんかね?
キミ、絶対友達少ないでしょ」
ギークは怒りも露に、壇上のドラクロワをキッと睨むや、直ぐ様身を翻し、ボロのローブの端を靡かせつつ、口惜しさを念仏のように垂れながら、暗澹とした廻廊へと小走りに駆け出した。
キツタカは、その闇に飲まれゆく青年の背を流し目で見送ると、さも面倒臭そうに鼻息を漏らした。
「あー、こんちくしょー。生意気にー、まっさか、このリーダーキツタカ様を指名してくるとはなー。
おうおーてめー、中々にいー度胸してるじゃねーかー、みたいなー。
ん、よーし。じゃー、すっごーいめんどくさいけどー、はりきってブッ殺してやるんだからなー。
っん、行っけー、イツクシマー。先ずは、あのチビガキから噛み砕いてよーし」
キツタカは僅かに仰け反り、ドラクロワの下方から、まさしく悪鬼羅刹の形相で、油断なくも歩み来るカミラーを指差した。
すると、まるでそれに応ずるかのように、"イツクシマ"と呼ばれた、ゆうに七メートルを越える半透明な白大蛇の全身──その碁石を敷き詰めたような白鱗の隙間から洩れていた紫の燐光が、いやましに煌めいた。
そして、キツタカの細首から緩やかに離脱して、そのまま音もなく宙を泳ぎながら、標的のカミラーへと急接近して往くのだった。
そうして、その至近距離の宙にて滞空したかと思うと、そこで見事な大トグロを巻いてから、カッと威嚇するように大口を開き、巨大な氷柱のごとき二本の牙を剥いてみせたのである。
その弩迫力たるや凄まじく、並みの人間なら、ひっと一声を上げて仰け反り、たちまち腰を抜かしていたことであろう。
だが無論、その直下の齢五千の吸血姫は微動だにせず、凄まじい赤光を放つような真紅の瞳で、蛇ごときがなにするものぞ、と睨み上げただけだ。
「ウム。あの如何にも肉感希薄で、朧な図体の透け具合から視たところ、やはり幻獣の類い、か。
フフ……さて希有なる白き幻獣よ、このカミラー相手にどこまでやるか……」
ドラクロワは叢雲のごとき大蛇を見上げ、幾らか興が乗ってきたように両眼を細めた。
「はっ!この怪しげな畜生風情が何であろうと、即座に八つ裂きにしてみせまする!!」
と、短く啖呵を切ったカミラーは、コルセットの細腰を屈め、天地上下に対峙した幻獣の白とはまた一風異なる、真珠色の鉤爪の両手を広げ、それらをやや後方に引き、いよいよ戦闘態勢に入った。
「ん?あの小娘、正気か?」
とっくに納刀などは済ませ、堂々たる腕組みで出番を待つザックが、白い竜もどきと女児との対比を眺め、思わず呆れたように唸った。
「ん?なんだーお前ー?あたしのイツクシマ相手にー、魔法じゃなくて、野良猫みたいに引っ掻きでやり合おうってのかー?
うーん。はぁ、さてはー、お前。ものっそいバカだろー?」
一瞬、唖然としたキツタカの言も尤もと云えた。
この不可思議な半透過生物である、"幻獣"とは、使役者である上級エルフのキツタカと同じく、この星の一般的な人間族らが住む、明確なる形のある世界、それに、ぴったりと重なるようにして在るといわれる、所謂"精霊界"の住人であった。
確かに、こちら側の世界からして、幾らか視認は可能である。
が、それとしても、彼等がその存在の座標・立ち位置を精霊界に移した場合、こちらからは攻撃はおろか、それに触れることすら叶わないのである。
そして、この幻獣の厄介なところは、標的に攻撃するその瞬間に、まさに瞬時にしてこちら側の世界へと移行し、その身体に物理的な損傷を与える、といった戦法を得意とする点であった。
この特異な性質上、これに専ら有効とされる対抗手段とは、只の三つがあるだけだ。
先ず一つは、幻獣には幻獣。つまり、同じく精霊界に移行可能な生物を使役し、それに追尾をさせ、同質の攻撃を当てることである。
そして二つ目は、幻獣を操る術者自身を攻撃して倒し、その幻獣使役魔法自体を無効とすることである。
そうすれば、幻獣は本来の自我を取り戻し、それらは総じて、使役者より強いられていた眼前の闘いに於ける必然性を見失い、只その朧気な姿を晒すだけの存在となる。
この二つ目の対抗手段こそ、この度のカミラーには向いており、容易く達成できるように思える。
なにしろ、ただ猛然と迫り来る幻獣をヒラリとかわし、得意の亜光速で以て、幻獣使役に集中する術者へと飛びかかり、それを掻き裂けばよいだけなのだから──
だが生憎と、此度の幻術師であるキツタカは、古代上級エルフの血を色濃く受け継ぐ一族の出であり、これが戦闘中には、使役する幻獣そのものと共に、先述の精霊界へと移行してしまうので、カミラーがどんなに速く駆けようとも、それを直接攻撃しての術の妨害は、先ず以て不可能だった。
つまり、キツタカが嘲笑う通り、これにまともに対抗するには、その三つ目。一般的に精霊魔法と呼ばれる、両世界に共通に作用する力である、"魔術"による攻撃が必須であり、それを眼前にて息巻くカミラーのように、よもや野獣のような鉤爪を頼りにして掻き裂こうなど、確かに愚の骨頂でしかなかった。
要するに、強力なる魔法耐性を標準装備としながらも、同時に自身からは一切の魔法を射てぬバンパイアであるカミラーにとって、この幻獣イツクシマは相性が悪すぎた。
だが、その難敵の雪色幻獣は、まるで情けなど知らぬように、大口をいっぱいに広げて、薄桃色の口内を見せつつ、落ちてきた。
無論、これにカミラーは一切の迷いもなく、瞬時に迎撃態勢へと移行する。
格闘に於いては圧倒的に有利とされる頭上から雪崩来るイツクシマ、その真っ黒い目玉を掻き裂かんと狙いを定めるや、軽やかに床を蹴り、高く、そして暗い天井めがけて矢のように跳躍しながらも、迫り来る死の顎門との正面衝突は避け、巧みにそれと交差してみせた。
その刹那──
猛烈な打撃音が木霊し、天翔けるカミラーは、皆の視界から瞬時にして消え失せた。
そして、その衝撃音と殆ど重なるようにして、この謁見の間、その西側の壁より凄絶な破壊音が、激しい振動を伴って轟く。
なんとカミラーは、雲のように手応えのない、途方もなく巨大な霞の滝となって高速で流れ落ちた白の大蛇とすれ違った直後、瞬時にこちら側へと実体化を果たし、ヘアピンのごとく燕を返した、イツクシマのトゲの逆立つ頭部、その唸りを上げる猛烈な横払いの頭突きを、儚げな女児のごとき小さな背にまともに喰らい、結果、流星となって分厚い石の壁を突貫したのである。
「おー、いきなり殺っちったかー?」
背後の景色を薄く透かしたキツタカが眼を見開くそこへ、悠然とイツクシマが舞い戻ってきた。
そして、相も変わらず女エルフの首周りに取り憑くと、その頭の後ろで高々と鎌首をもたげ、白き塔となって下界を睥睨した。
「あーあー、あのクソ生意気なチビガキめー、ほんと一瞬で壁にめり込んじゃたぞー。
んふふー、ねぇーねぇー、どーすんのー?やーい黒鎧のてめー、威張ってふんぞり返ってないでー、今どーんな気分かを言えーい」
キツタカが、くすんだ真鍮の指輪だらけの両手指でこさえた、奇妙な三角の印を解きつつ喚いた。
だが、王座のドラクロワは、この事態に及んでも眉一つ動かさず、ただ黙然と白の幻獣を眺めているだけだった。
「しかし……あの小娘。自在に伸長する爪と、目覚ましい跳躍力から察するに、並みの人間ではなかろうな、とは思ったが、流石にあれほどの衝撃をもらっては、それがなんであろうと、先ず即死。
さて、次はこの俺の出番か……」
ザックは憐憫など少しも知らぬ者のように言って、王座のドラクロワをじいっと見据え、再度ロングソードの柄に手をかけた。
「ウム。この度は、ただただ単純に相性が悪かった、としかいえぬよな。
まったく予想の範疇を超えることもなく、ただの一合にて勝負あり、か」
さも退屈そうにドラクロワが溢した。
「どーだーどーだー?あいつー、クソ生意気にー、すっごい跳ねやがったよなー。ありゃ人間族とは、ちょーっと違うかもー。
んー。あっそだ、まさかしてー、ネコとかのライカンかー?みたいなー。
だがーしかーし、あのチビガキがどんなに素早くともー、このご立派イツクシマがー、いつ、どの瞬間にこっちに来るかは、このあたし以外には誰にも分かんないんだからなー。
どーだー参ったかー?みたいなー。
へへへー、おいでーイツクシマー。どもどーも、お疲れさーん」
勝利を確信したキツタカが、ノロノロと不健康な細腕を掲げて広げ、愛しい相棒の頭を抱擁せんと招いた、が。
「はれー?おーいイツクシマー、お前なーんか変だぞー、どーしたどーしたー?」
長年連れ添った使役獣に、なにやら名状し難き違和感を覚えたキツタカが、ポカンと頭上を見上げると、そこの白竜のごときイツクシマは、すっくと鎌首をもたげたまま、ただ小刻みにうなずいているように見えた。
だが、よくよく注視すると、成人男性の一抱えはありそうな太い首、そのビクビクと痙攣する白い鱗の喉には、それを端から端へと横切るような四条の裂目というものが刻まれており、今やそこからは七色の炎が、美しい陽炎となって大気に裾野を広げつつ流出しており、そこの景色と入り混じりながら踊り、また溶けていた。
「えー?まさかしてー、その首のってー……あのチビガキのつけた爪痕なのかー?
えー?ウソだー、そんなのウソだろー」
キツタカの間抜けな狼狽を浴びる朧な大蛇は、ノロノロとその巨大な頭部を降下させてゆく。
そうして遂には、キツタカの両腕をすり抜けつつ、音もなく床へと倒れ伏し、そこで爆発的に燃え盛る虹色の焔と化して精一杯に輝き、辺りに色とりどりの光の玉を扇形にばら蒔いてから、忽然と消え失せた。
「うあーあー、いやだー、イツクシマー。もっと一緒に暴れようよー、もっともっと沢山の弱虫をぶち殺そうよー」
キツタカが両頬に手をあてながら間延びした嘆きを上げた。
と、その悲痛な別れを無情に引き裂くように、また凄まじい破壊音が鳴って、先の破孔が穿たれた西の壁が弾けた。
そして、もうもうとした石煙を纏った、ほんの女児にしか見えない小さな影を吐き出したのである。
「うーん。なるほど、の。まさしく幻の獣と書いて幻獣か……。
フン。じゃが、それとて──コホッコホッ」
石粉と埃とに汚れたカミラーが、左の頬を手の甲で擦りながら生還したのである。
「ひっく……うおー、アレー?このチビガキー、なんで生きてるのかー?
どぅひゃー、なんて頑丈なヤツだー。ちょっと信じらんないぞー?コイツー、普段なーに喰ってんだー?」
眉なしの無表情で落涙するキツタカは、バンパイアの驚異の復元能力に驚愕した。
「ん、これは素直に驚いた……なんという治癒再生能力なのだ。
ふっ、あの小娘。確かカミラーという名前だったか。
ふふ、そんな……いや、まさかな」
流石に勇猛無頼な金色鎧も、ただ驚嘆して唸るしかなかった。
そう、すでに読者もお分かりの通り、カミラーは、幻獣イツクシマがキツタカの指示により、攻撃の為、どうしようもなくこちら側へと移行し、実体化したその半瞬──
その針の先ほどにも充たぬ瞬間を狙って、死の鉤爪を振るっていたのである。
だが、この精妙巧緻の極みといった戦法だが、断じて超速度の一本槍のみで実行出来るものではなかった。
これを為すには先ず、肝心要のインパクトのタイミングを見計らい、そこで半瞬あるかないかの実体化の隙間に、過たずカウンターを放つという、超天才的な戦闘の勘が求められた。
そしてなにより、これがカミラーにしか不可能であるというのは、その襲い来るイツクシマの攻撃力が"未知数であった"という点にある。
言うまでもなく、インパクトの瞬間を狙うということ、是すなわち、どうしようもなく"一発もらうしかない"ということである。
だからこれは、驚愕の不死性能、肉体復元能力を備えたカミラーにしかなし得ぬ、人外の離れ技であった。
だが、これが大博打。もし、先の幻獣イツクシマの一撃が、一瞬で斬首をさえ含む、カミラーの五体をバラバラにするほどに凄絶な破壊力を秘めていたとしたなら、さしもの吸血貴族の頂点にあるカミラーであっても生還は果たせなかったであろう。
ゆえにカミラーとしても、幾ばくかは命懸けの賭けに出ていたのに違いはないのだが、今、彼女は王座のドラクロワに厳かに歩み、そこで婉麗しとやかに頭を垂れただけである。
だが、その世にも美しい女児にしか見えぬ顔に、一種苦痛ともとれるような色が垣間見えた。
確かに、バンパイアの復元能力は驚異的だ。が、肉体を損傷・破壊され、それがある一定の程度にまで癒える間に知覚する痛みは、並みの人間と変わらないという。
或いはそれが彼女を辛くさせたのか……。
「余りに無様な戦闘を御見せしてしまい、誠に情けのう御座います。
よもや、よもやこの私が、あの無駄乳めの得意を真似ることになろうとは……」
憂愁の色に陰るカミラーにとっては、身体的苦痛よりなにより、あの本来は対敵であるところの、光の勇者マリーナが得意とする、"正確無比に敵の殺気を捕捉する"という異能力に、自らがほんの僅かに及ばなかったことの方が、よほどこたえているようだった。
つまり、一切の攻撃魔法を使わず、並みの戦士では触れることすら叶わぬという、あの強敵の幻獣イツクシマを、ものの見事に、只の一合にて成敗せしめてみせたものの、たったの一度切りとはいえ、間違いなくその身に被弾を許したという、明らかな"仕損じ"があったからだ。
無論、この世に起こって、過ぎた事象に、"もしも"を馳せること自体無意味であり、まさしく幻想であろう。
だがしかし、確かに、これが本身のマリーナであったなれば、きっと紙一重でインパクトを回避したであろう。
その極めて高次元の領域に於ける、純然たる巧拙の差。それがこそが今、誇り高き彼女を苛烈にも責め立ていたのである。
だが──
「ウム。お前が幻獣相手に勝利するには、確かにアレしかなかったな。
んん、天晴れ。あの刹那の砌にて、咄嗟にアレを選んだお前は何処も間違ってはおらん。
フフフ……なぁに、要は勝てばよいのだ、勝てばな。
ウム、大儀であった」
魔王ドラクロワは、カミラーほどに高い矜持もなく、また完璧主義者でもなかった。