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196話 あいや、今、本物来てるから

 不吉な暗黒の瘴気が湧き立ち、どんよりと渦を巻きそうな、そんななんとも禍々しい異形の王座に深々と座し、異様、いや本来の覇王の風格を放ってやまぬドラクロワだったが、今また(かたわ)らのカミラーから新たな葡萄酒の瓶を受け取って、またいつもの親指一本爪での栓抜きを()めた。


 そして、そのまるで水でもあおるかのような、まさしく豪放磊落(ごうほうらいらく)な飲みっぷりを惚れ惚れと見上げるのが、本来のこの王座の持ち主である、魔戦将軍キャパリソンであった。


 彼は、憧れの魔王が(くわ)えた逆さまの酒瓶が、みるみる空に成り行くのを只、(ぼう)と見ていたが、急に、はっとしたように半開きの口を閉じると、なにやらモゾモゾと所在な気に揉み手をし始めた。

 そして──


 「あ、あのぉ、ま、魔王様……」

 と、まさに恐る恐ると上目遣いに声をかけてきた。


 「ん?なんだ?あぁこれか?ウム、まぁ悪くない味である」


 答えたドラクロは、その手にした瓶の二本足で立つ、奇妙な蜥蜴(トカゲ)が画かれた絵柄(ラベル)を見下ろして、この男にしては珍しく、幾らか興が乗った風でキャパリソン献上の品の評価を述べた。


 「おお、流石は''葡萄将軍''の二つ名で隠れないキャパリソン殿の所蔵酒。こちらの魔王様から直々に''悪くない''の御賞味を頂戴されるとは、これぞまさしく極上の太鼓判にございますぞ」

 ドラクロワの二段下に控えしカミラーも、なんとも悦に入った面差しで、魔王軍の同輩のもてなしを誉めそやした。


 「あ、ありがとうござ、あいや、そうではなく……」

 キャパリソンは一旦下げそうになった黒光りする鶏冠(とさか)頭を掻き掻き、いかにも他意がある風に口ごもりながらうつむいた。


 「ん?なんだキャパリソン。貴様に預けたこの領地の管理になにか不備でもあるのか?

 ウム、貴様も一軍の将ならば、それらしく、いいたい事があるのならはっきりと申さぬか」

 ドラクロワの冷たい美貌に、陽炎(かげろう)のように淡い怒気が揺らぐのが見えるようだった。


 「んはぁっ!で、では、(おそ)れながらお(たず)ねいたしまする!

 あ、あの……き、聞くところによりますれば、その、ま、魔王様は、ある日を境に、まさに忽然と北の大魔王城から御出門遊ばされ、その行方は今日まで(よう)として知れぬ、とのことで、魔王軍は今や上へ下への大混乱をきわめておるとか……。

 そ、それが今日、なぜに斯様(かよう)辺鄙(へんぴ)なブルカノンに居らせられるのか、と……」


 などと、まさに必死になって、しどろもどろと言葉を選びながら訊ねる魔戦将軍を、いつも通りに冷厳と見下ろすドラクロワだった、が。


 「フン、貴様のような小身(こみ)の下級武将に教えてやる義務などないわ」


 この男にして、やはりといおうか、それはそれは無感情そのもので、すげなくも言い放った。


 「んはぁっ!こここ、これは、私ごときが、まことに僭越にございましたっ!!も、申し訳ございません!!どどど、どうかお許し下さい!!」

 

 どうやら、この星の覇者である魔王と、単なる地頭の魔戦将軍とでは、まさに天と地ほどにも隔たりが在るようで、ギョッとして肝を凍らせたキャパリソンは、憐れなほどに縮み上がるや、(ほと)んど命乞いのようになって平伏した。


 これを壇上から見下ろす格好の王座脇のカミラーだったが、彼女としては萎縮仕切ったキャパリソンに少し前の自分を見るようであり、それでいて無論、魔王ドラクロワに対し「それはあんまりです」などといった苦言を呈することもかなわず、ただ困ったような顔で魔族の二名を代わる代わる見ることしか出来かなかった。


 その気まずい風を横目で見やったドラクロワは、なんとも面倒くさそうに、ため息を一つ吐くや、優雅に足を組み換えた。


 「ウム、まぁなんだ、この良質の葡萄に免じて貴様にだけは特別に教えてやるか。

 あー、よく聞けキャパリソン。実はな、この俺がここに来たのはだな、他ならぬ極秘作戦の一環であってだな……ウム、これを初めから話すとなると、ちと長くなるか──」

 露骨に勿体(もったい)をつけながらも、キャパリソンに見せつけて催促するように、左手の空の瓶を振ってはかざした。


 「はっ!これはこれは、ありがたき幸せ!!

 んはぁ!!あいや、これは気が利きませんでした!す、直ぐに代わりをお持ちいたします!」

 キャパリソンは跳ねるように身を起こすや、小刻みに震える手で、無駄に(うやうや)しくグリーンの空き瓶を天からの授かり物のように()けとり、再度、深く頭を垂れてから、別室の冷暗所に蔵した葡萄酒のお代わりを取りに小走りに駆けた。


 その今やスッカリと威厳を失った、ほとんどコソ泥じみた猫背に魔王が言葉を投げる。


 「ウム、コイツがまた少し込み入った作戦でな。

 まぁなんだ、ウム、それ相応に喉が渇くであろうかと思う」


 この図々しい催促を聞いたキャパリソンは、謁見の間の門扉の手前でつんのめるような急制動をかけ、さっと振り返り、また深々と頭を垂れ、すぐに消え去った。


 キャパリソンは自慢の酒蔵の壁に一杯に飾られた、門外不出の傑作貴酒をあれこれと手に取り、どうにもやりきれない顔で好物の嗜好品である''檳榔子(ビンロウジ)''を(せわ)しなく噛みながら、大きなため息をついた。


 「やーれやれ……よもや、あの魔王様が、本物の天下人が、寄りにも寄ってここへと直々に御越しになろうとはのぅ──。

 なぁにがあるか分からんのが世の常とはいえ、驚天動地にも程があるじゃろ……。

 はぁ……ワシなど、あのお方の一挙手一投足の一々が、もぅ心底恐ろしゅうて恐ろしゅうて、なんとも身の細る思いじゃわい。

 んー、だが、これはこれ、考えようによっては、まさしく''もっけの幸い''。

 ふふふ……このしがない魔戦将軍でしかなかったワシも、この機会に魔王様に名前を覚えていただければ、あの魔王軍本部に登用されるのも夢ではないかも知れん!

 うおっ、キャパリソン!これぞ千載一遇の特大好機であるぞぉ!おお、おお!そうじゃそうじゃ!ここで出し惜しみは禁物悪手じゃー!

 フム……ではでは早速とワシの虎の子。この一等級の葡萄を(つつし)んで献上させていただくか、ん?」


 薄暗い貯蔵庫で独り野望に燃えるキャパリソンだったが、不意に何かの気配を感じ、後方へと振り返った。


 「ん?カミラー殿かな?これはお待たせして申し訳御座らん。

 あいや、もしや今の独り言を聴いてしまわれたか?いやいや、我等魔族においては''野心''も立派な美徳でーあるからして、まぁそのぉ……何卒、魔王様には──」


 だが、この冷え冷えとした酒蔵の扉前に立つ影は、それより遥かに大きく、また三つであった。 


 それらの仄明るい灯りに照らされた者らは、その場で彫像のごとく微動だにしないで、ただ奥のキャパリソンを見ているようだった。


 「んをっ!?な、なんだお前達!!この城のワシの兵士どころか、見たこともない奴等だな!!

 オイッ!貴様等!!一体どうやってここに忍び込んだ!?」


 一杯に酒瓶を抱えたキャパリソンは、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)等に喚いた。


 その三人の賊というのは、まず向かって右のが、褐色の顔に、血のように真っ赤な染料で面妖不可思議な紋様を描いた、呪術師、或いは魔法使いらしき痩身の男。


 続く真ん中は、雄壮な金色の板金鎧を装備した、見るからに筋骨隆々たる、長めの金髪が逆立った戦士風の大男。


 そして最後の左だが、これがまた極めつけに変わっていた。

 それというのも、その女狩人のような風体の人物は、信じられないほどに太く、また長い白の大蛇を馬鹿げたサイズの襟巻(えりま)きのように肩上に巻いていたのだ。


 その巨大かつ、おぞましき白い爬虫類とは、全身の鱗の隙間から紫色の淡い燐光を放つ半透明の巨大蛇であり、この大小二本差しの女狩人然とした者が、すなわち幻術師であることを物語っていた。


 そのやや頬のこけた若い女だが、やおら右の腕を上げ、キャパリソンを指差したかと思うと

 「やややぁー、貴様がー、魔戦将軍のキャパリソンかー、みたいなー」

 という、なんとも間延びしたような、どこか人を小馬鹿にしたようにも聴こえる声音で(もっ)(のたま)ったのである。


 そう、つまりここにきてようやく、キャパリソンがあれほどまでに恋い焦がれた「魔王様ごっこ」の開幕であった。

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