17話 アンとビス
老人は車椅子にキィッと座り直し、ひじ掛けに両ひじをつき
「さて、困りましたな。いえ、出場なされる手はずはこちらで何とか出来ないこともございません。
ただ、お勝になられました場合は、今回で70回を迎える、この神前組手大会の王者が伝説の勇者様方という栄えある事となりますが。
万が一でございますが、勇者様方がもし、土をつけられるようなことになられました場合、この星の希望であられます、闇を払う勇者様方が少々名が知れているとはいえ、このような田舎街の祭で敗れたということが知れ渡りますと……全人類に絶望にも近い落胆を与えかねません。
いや、困りましたな……」
シラーは痩せ細ったシワの右手の親指と人差し指、中指の三点で額を押さえたが、その下のずる賢そうな顔は全く困ってはいなかった。
それどころか、その白髪の薄くなった頭の脳裏には、この若者達が敗れ、それによってこの神前組手大会がいよいよ高名な物となり、それが王の耳にも届き、王都に大会の企画運営の責任者たる自分が喚ばれ、王から勲章を戴いている姿が想い描かれていた。
マリーナが赤茶色の金縁のティーカップをカチャンと下ろして
「それなら心配ないね。要は勝てば良いんだよね?
シャンも言ったけど、アタシ達は勇者として、こーんなちっこい頃から鍛えられて育ったし、なによりさー、この旅で確実に強くなってると思うんだよねー」
殆どドラクロワに任せっきりで、特別なにもしてきていない女戦士は、何故か謎の自信を持っていた。
ユリアは、その引き締まった体の美しいブロンドの女戦士と領主を代わる代わる見て
「あのー、この神前組手大会の優勝候補ってどんな方々なんですか?ヤッパリ筋肉モリモリの凄い方達なんでしょうか?
マリーナさんも結構凄いけど大丈夫ですかね?」
シャンは怯えるユリアを横目に見て
「ユリア、強いのと筋肉とは必ずしも比例する訳ではないぞ?
私は一族では最強だったし、スピード、格闘センスが単純な腕力を凌駕するのも幾度も見てきた」
ユリアは人差し指を唇にあて
「なーるほど。スピードと格闘センスですかー」
と女アサシンの細身を眺めてうなずいた。
マリーナは広い肩をすくめて
「ま、格闘大会の優勝候補なんてさ、なんかメス熊みたいなヤツなんじゃないの?」
「フフフ……」
幽かに笑う声は、美しい彫像のようなスリムな長身の二人のメイドから聞こえた。
領主シラーがそれをかき消すように黄金の指輪の手を上げ
「シャン様。誠、仰る通りにございます。
ユリア様、ここ五年連続優勝の今大会の優勝者候補でございますが、既にお会いになっておいでです」
「えっ!?会ってる?」
ユリアが間抜けなソバカス顔。
シャンがマスクを波立たせ
「うん。先ほどから只のメイドではないだろうと思っていたが、やはりそうか」
座位のまま老人の背後、鼻の高いメイド服を見上げた。
灰色のメイド服の、どことなく砂漠の国を想わせる、すらりとした美しい使用人の向かって左が
「シラー様。自己紹介をさせて頂いて宜しいですか?」
墨の様に真っ黒な、山と尻の高低差の激しい眉、長い睫毛の褐色の鼻の高いメイドは、つんと取り澄ました口調で言った。
老領主は僅かにうなずき
「よいですかな?勇者様方」
マリーナは手指、首をボキボキと鳴らし、深紅のグローブの人差し指でクイクイとまねきながら
「もちろんさ!へー、中々良い面構えしてんね!さ、名乗んなよ!」
ユリアがそれを見て
「ちょっとマリーナさん!?それ、自己紹介を聞く人の雰囲気じゃないですよ?」
シラーは向かって左の色黒に耳打ちする
「どうだ?勝てそうか?」
メイド服は屈んで聞いて、漆黒のボブを揺らし
「シラー様。私、王都は初めてです。着て行く服がありませんわ」
シラーは、オホッと吹き出し
「ホホホ!そうかそうか!やはりそうなるか。
フホホ……一番良いのを買ってやる!服など心配せんでも宜しい!」
向かって右、プラチナブロンドのボブも色白の顔で微笑んだ。
「伝説の勇者様方。私はアン」
次いで褐色の左が間髪入れず
「私はビスと申します。アンの姉でございます。以後お見知りおきを」
アンと一緒に、ネガとポジの合わせ鏡の如く、癇に障るほど馬鹿丁寧に漆黒のボブの頭を垂れると、そのカチューシャのフリルの奥に、ドーベル犬のような尖った耳が見えた。