145話 育成失敗
アンとビスの行使した、比較的初級の部類に属する神聖治癒魔法により、頭頂部に生じた大きなタンコブと、頚骨に走っていたムチウチ症の痛みとが消失したのを確認したマリーナは
「うん、うん。あーコレ、もー大丈夫みたい。アン、ビス、二人とも、どーもあんがと。
いっやぁ、まさかさー、ホンットに空翔べるなんて思ってなくてさー。も、アタシャ自分が思いっきり羽ばたく感じをそーぞーしちまったんだよねー。
アハッ!でも、やっぱり人ってさー、何でもホンキで、こぅ、やれるっ!とかって思えばシッカリと出来るもんなんだねぇー。
あぁっ、えと、バラキエルさんだっけ?アタシがバッチシ自信を持てるよーなことを言ってくれて、どーもありがとう!
アンタのお陰でさ、アタシの夢が叶ったよー!!
アハッ!後はさ、どっか広くて屋根のないところで、おいおい練習して上手くなっていくかんねー!」
と、極めて快活・上機嫌に言って、女性にしては大きな、黄色い剣ダコの目立つ掌を、ヒラヒラと美しき統計学者に向けて振った。
ユリアは、つい先ほどマリーナが天井の埃と共に落下してからというもの、未だ興奮冷めやらずであり
「スッゴい!スッゴい!スッゴいですー!!
うんうん!これはホントにスゴい事なんですよ!!?
あぁ、何がスゴいのかと言いますとですねー!?今現在、ナインサークルズ魔法大学によって発見・更新・開発されている最新のどの魔法を駆使しても、所謂ひとつの"自在飛行"というモノは結構難しくてー、それも、かなりの魔力を消費する、とーっても上級なモノだったりするんですよー!!
うーん。だから純粋な戦士職のマリーナさんが空を飛ぶだなんて、これは通常では絶対に有り得ない奇跡なんですよー!?
いっくらマリーナさんの心が純粋だとしても、そういう光の勇者の精神力とか気概・気迫的なモノだけでは全く達成不可能な超常現象なんです!!
あっ勿論、バラキエルさんの特技の"とーけー"とかいうモノも充分スゴいんですけど、マリーナさんを飛行させて超越させるように後押しした、聖なるモノの方が気になりますね。
うーん。一体、それってなんなんでしょうねー?
うーん。うーん……。うーん………………。
はあっ!!もしかしてアレかも!!?あの、ついこの間マリーナさん達が飲んだアレ!
うんうん!!そーです!きっと、あの超稀少な聖酒"オーギュスト"ですよー!!
そーだ!そーだ!あの奇跡の神聖物の効能なら、マリーナさんだけでなく、今日シャンさんが見せた、あの超越的な魔技、"絶無"の発現も納得出来ます!!
ん!?えっ!?だ、だとしたら、も、もしもこの憶測が正しいと仮定するなら……あの時、聖酒オーギュストを飲めなかった私って……」
と、何か自分だけが取り残されたような、そんな悲しい疎外的な無念感に打ちのめされるユリアであった。
この長い論述・分析を聴いていたマリーナとシャンは、ハッとして顔を見合わせ、突然、虚脱・喪失感の底無し沼に沈み行くユリアを気遣って、何とかその仮説を否定してやろうと思案した。
が、咄嗟には新たなる希望の助け船を造船してやれず、只、苦い顔で困惑しただけであった。
だが、恐るべき統計術師のバラキエルは、秋の日の急速なる落陽を想わせるユリアの嘆き具合を優しく包容するかのような、そんな慈愛に満ちた笑みを浮かべて頭を横に振り
「あの、魔法使いの勇者様?私は、その"聖酒"云々(うんぬん)のお話しまでは測りかねますが、勇者様はその様に悲観なさらなくてもよいように思いますよ?
それと言うのも、先のマリーナ様だけでなく、貴女にも今日まで、まるで封ずるようにして秘匿されてきた、未だ花開かぬ、それはそれは素晴らしい"特殊能力"というモノが隠されている可能性がない、とも決して言い切れぬからです。
フフフ……ではでは、もしも差し支えがなければ、今度は魔法使いの勇者様の相を拝見させていただきましょうか?」
と言って、何とはなしに光の勇者団のリーダー、ドラクロワの顔色を伺い見た。
これに、僅かに眼を伏せたドラクロワの反応とは、言うまでもなく
「好きにしろ」
という、実にこの男らしい、無味乾燥にして、鼻息混じりの冷淡なる一言であった。
そうなると「ではでは」と、わざわざバラキエルが招くまでもなく、それに対峙する鑑定席へと舞うようにして駆け出し、ストンとそこへと軽やかに着席するのは
「きゃーっ!!やったやったぁー!!エヘ!ヨ、ヨロシクお願いしまーす!!
えーっと!えーっと!私、名前はユリアといいます!!
ウフフ!ですよねー?ですよねー!!?そりゃ私にだって、ちょっとくらいは素敵な可能性みたいなモノがあっても良いですよねー!?」
と、瞬く間に先ほどまでの陰鬱なる落胆の淵より躍り出て、今や興奮と期待とに沸き立つ女魔法賢者であった。
その背後を守護するようなアンとビス等は、このユリアの変わり身の速さに
「あら」「まぁ」
と、メラニン色素の配合率を除けば、そっくり瓜二つのお澄まし顔の口々に手をやって、全く同時に呆気にとられながらも、直ぐに愛らしい幼子を見守る様な表情となり、鈴を転がすような声で笑った。
これ等に少し離れたカミラーは、未だ訝し気な色の瞳で、バラキエルが手際よく並べるエメラルドカラーの怪しげなカード等を睨め付け
「ふん、バラキエルよ。先ほどお前の見せた統計的分析とやらは、中々に奇想天外で摩訶不思議なる、正しく妙技と言ってもよいものじゃったな。
じゃがの、そこの見るからに低知能そうな三つ編み娘とはじゃな、まぁ歳の割りにはそこそこに魔法を修めておる、只の人間族の娘でな、どうやらそこに能力の総てが動員・集結されておるように見受けられるでな、とてもとても、お前の言うたような"秘匿された素晴らしい特殊能力"とやらに回すような余力はないように思うがの?
それともアレか?その統計とかいうヤツで以て、こヤツの下着の尻にある、熊の縫い張り(アップリケ)でも当てよーてか?ギャハハハ!」
と、ユリアとしては些か恥ずかしい、彼女の魔術の師ロマノより直々に補充かつ賜わった、例の忍び事を暴露しては大いに破顔して仰け反った。
「ちょ、ちょっとカミラーさん!!ななな、なにを訳の分からない事言ってるんですかー!!?
ホ、ホント変なこと言うのは止めて下さいよー!!」
と、牙を剥いて、美男子の集結する間の真ん中で、ミニスカローブの裾を引っ張りながら、頬・顔と言わず頭髪の分け目の頭皮までもを真っ赤に紅潮させるユリアであった。
これに向かいのバラキエルも微笑しながら
「フフフ……。これはこれは、肌着に熊さんとは、いかにもユリア様にお似合いですね。
フフフ……実に可愛らしいことです。
ではでは、私の札の陣は整いましたので、例のごとく直感と無作為にて、これらより三枚をお選び下さいませ」
そう物柔らかに言って、この度はロの字型になった、十数枚ほどで構築されたカードの陣形を指した。
それを認めた、モジモジと左の尻を押さえていたユリアは
「うおぉー!!で、出ましたー!!魔法なしの予測鑑定ですぅー!!
あえっ!?今度はカードの配置が四角いんですねー!?
へぇー!へぇー!スッゴくワクワクしますー!!
じゃー早速!えーと、コレとコレ、それとーコレ!で、お願いしまーす!!
うっわぁー!コ、コレは楽しみ過ぎるぅー!」
バラキエルに指示された通り、可能な限り自らの大脳に絶え間なく明滅する思考を零にしつつ、実にテキパキと選んだ。
「ウオッホン!!あー、バラキエル殿。分かっておられるかとは思いますが、その鑑定の結果は我々にも迅速に開示して下されい!」
皆の代表者面の物好き老人のカゲロウが確りと釘を指して来た。
「えぇえぇ、それは勿論。フフフ……先ほどは大変に失礼をいたしました。
さて、ユリア様は……。フムフム……館回の陣にて、一枚目が張る土。
続いて二枚目が空洞、そして最後がコレとなりますと……ムホホホホ。
うーん。コレは、またまた素晴らしい相ですね。
流石は伝説の光の勇者様。私、今日この日まで生きてこれた事を嬉しく思います。えぇ、えぇ。
これは堪りませんねぇ……フフフフフ……」
と、ユリアの鑑定結果にほくそ笑み、またもや独りの世界に沈みこみそうであったが、それは老人の咳払いで阻止された。
「あぁ失礼。ではでは、直ぐに鑑定結果を解説させていただきます。
先ず、ユリア様の星は緋鯱で大。
これは、ユリア様本来の御気性が"極めて戦闘向き"とでも申しましょうか。その、何とも獰猛なるご性情を懐在させておいでであられる事を示しております。
それから、お選びいただいた、こちらの三枚から診るに……フフフ……。
ユリア様。おめでとう御座います。やはりございましたよ、貴女の隠された"特殊なる才"というモノが」
結果を語るバラキエルは、姿勢を真っ直ぐに正し、向かいの小柄なユリアを真正面から確りと見据えた。
無論、ユリアは若干垂れた眼を見開き
「んきゃー!!来た来たー!!やったやったぁー!!
そそそ、それって何なんですかー!?も、もしかして私ったら、ドラクロワさんもビックリな超大魔導師に成長出来るような、スッゴい素質とか何かがあるんですかね?
バラキエルさん!おおお、教えてくださいー!!私はこれから先、何をどーすれば良いんですかー!?」
攻撃的な気性云々(うんぬん)は置き去りにし、有頂天で解説の続きを求めたのである。
これを見たドラクロワは葡萄酒の瓶のラッパを下ろすや、白い美貌の顔を、フッと思案の相に変えた。
「な、なんじゃとぉ!?この低知能娘にも特殊なる才があるとな!?
そんなことより、これユリア!!お前というヤツは!言うに事欠いて、ドラクロワ様を越えるなどとー!
ええいっ!そんなバカな事があるかっ!身の程をわきまえいっ!!」
と憤然とするカミラーであった。
これに無言を貫くシャン、そしてアンとビスであったが、その傍らに居たマリーナが、タンコブの消失した頭頂部辺りを擦りながら
「まぁまぁ待ちなよカミラー。あのねー、まだ肝心のユリアの才能が何なのかハッキリしないんだからさー、ココはバラキエルさんの話の先を聞いてみよーよ?
んで、何なんだい?そのユリアの隠されたとくしゅな才ってのは?」
飽くまで、のんびりとした口調で言った。
これにユリアも、後方のアンとビスも夢中になってうなずく。
そうして、皆の視線が集中するバラキエルは、それに鷹揚にうなずくと
「ええ。ではでは謹んで詳細を解説させていただきましょう。
そうですね、さて、どうしましょう?
えー……うん。そうですね、例えば皆様の御友人やお知り合いの中に、こんな方はいらっしゃいませんか?
世にいう、"自分の凄さに全く気付いていない人"という、そういった、まぁ何とも勿体無いようなお方が。
フフフ……つまり、此方のユリア様とは、正しくそういうお方であられるのです。
これはどういう事かと申しますと、確かにユリア様は秀でた魔法賢者であられるのですが、本来は頭脳戦よりも"肉弾格闘"というモノに向いておられるかと思われます。
フフフ……にわかには受け入れがたいかも知れませんが、これよりは戦場にて、魔法賢者として後方支援的に闘われる事に加え、鋼鉄の拳闘手甲と戦闘靴を装備されて、最前列にて獅子奮迅に闘われる事をお薦めいたします」
彼の解説。その後半は、特別に揺るぎない自信に満ちた断言の風でさえあったという。
無論、これにユリアは思考停止からの大困惑となり
「えー!?私が肉弾格闘に向いている!!?
ウソウソ!!ままま、まさかの方向性の真逆ですかぁー!?
そ、そんなぁー!?今まで私は自分を頭脳派だと信じて、それこそ死ぬほど魔法と神聖語の勉強をやって来たんですよー!!?
そ、それが、それが肉弾格闘なんかに向いてるなんて……そんな、そんなバカな……。
私が小さい頃から、両親もお師匠様もそんなことは一言も……」
完全に狼狽し、長大なる不可逆的人生の浪費という大損失に目眩すら覚え、蜂蜜色の頭を抱えた。
「ギャハハハ!!バラキエルよ!お前の特技、わらわは益々気に入ったぞえ!!
んーんー!んーんー!ギャッハハハー!!んほー!!や、やはりそうじゃったかー!!?
この低知能娘とは、より高等な魔術より、泥臭い徒手空拳の取っ組み相撲の方が向いておったかー!?ギャハハハ!!
おほー!!あ痛たたたたー!は、は、は、腹が痛いわい!!こ、これ、バラキエルよ!わらわを笑い死にさせるつもりかー!!?ギャハハハー!!コリャ傑作じゃー!!」
と席から転げ落ちそうになるカミラーを横目に、呆然自失となったユリアの隣。
腕組のシャンが一歩前に出た。
「バラキエル殿。それはつまり、ユリアが組手格闘術に才がある、という事なのだな?
うん。確かに、にわかには信じられんな。
ユリアとは少しの間、共に旅をしてきたが、魔法、また神聖魔法も共にかなりのモノを使う卓越した魔法賢者なのは間違いない。
それでいて、それらの才能に追加して、更なる特殊戦闘才能がある、というのか?
うーん。ならば、このユリアとは大した傑物だな」
と、バラキエルの鑑定を幾らか懐疑しつつも、アンとビスとが撫で回す三つ編みの小柄な愛らしい仲間へと、隠しきれない羨望・嫉妬に彩られた視線を流した。
「そーだよそーだよ!!大体さ、こー言っちゃーなんだけど、ユリアみたいな女の子らしい体格なんかじゃ、出せる馬力も決まってるし、何でも知ってて、スッゴく頭がいい学者みたいなユリアなら、断然魔法使いが向いてるハズだよー!」
流石に"格闘"、しかも、それに特殊・特化していると聴いては、流石に黙っていられない女戦士であった。
そして「ウム」と、言葉短くも、確とその反駁の波に乗るドラクロワが居た。
なぜなら、膨大なる魔王軍の兵を指揮・監督、また適材適所に配属をする者の更に上に立つ魔王の観点から診ても、このユリアのように、ちっぽけな、見るからに肉体的に脆弱なる者が肉弾格闘に向いているなどとはとても思えなかったからだ。
だが、この一見、荒唐無稽に過ぎる鑑定を施したバラキエルは、彼らに一切怯むことはなく
「フフフ……ではでは、古来より疑わしきは"論より証拠"と申しますから、此方の天与の力を保有せし、第一級の武辺者なる、拳聖のユリア様には、その大天才的格闘能力を実際に明示していただきましょう。
リョウトウ、奥の体育訓練室に"密葬の毒竜"ザバルダストを呼びなさい」
と、ニコリともしない極めて涼しい美貌のままで、傍らの受け付け係りの美青年に、何やら激しく物騒な二つ名を持つ者の召喚を指示したという。