133話 稀代の詐欺師、再臨
マリーナは左の頬を掻いて、分かりやすい美人顔を傾げた。
そうして、思わず落涙し、ウググ……とうつむくアンとビスとを不思議そうな顔で染々と眺め
「んん?アンとビスも、この人とおんなじカンジの夢みたいなのを見たのかい?
っへぇー。アタシとはまるっきり違うんだねぇ。
うんうん、そう言えばカミラーも、アンタ達も髪の色が変わってないみたいだしねー。
ふーん、おんなじドラクロワの演奏を聴いても、ひとりひとり響くトコが違うみたいだねぇー。うんうん、コリャなんともフシギだね。
えっ?アタシー?うん、アタシはねぇ、なんかスッゴい速さで夜の空を飛んでたんだよー。
なんかさ、自分がデッカイ矢になったみたいだったねー。
でもねぇ、そっから先は特になーんも覚えてないんだー。コレホント。
アハッ!おっかしな話だよねー?」
そう言って、手元のエールジョッキを引っ掴み、ゴクリとあおったが、その液体の余りの生温さに、ウエェ!と呻いて渋面となった。
その回顧の様を聴き、ハッとなったユリアは
「そーです!そーです!私も思い出しましたー!
マリーナさんの言うように、確かに私達三人は、天空を走る三条の雷光の矢になって飛翔して、やがて私達三本は旋回運動をした後に一本の槍に合体・融合して……。
それから……それから……。
えっ?それからなんでしたかね?あっれー!?私、その先を少しも思い出せませんー!
えと、思い出そうにも、なにかこう、頭の中に濃い霧か霞でもかかったみたいですー!
えーっ!?折角、ドラクロワさんが巻き起こしてくれた超面白体験なのにー!
ぐがぁー!ももも、勿体なさ過ぎるぅー!!」
そう呻くようにして、顔の両脇に亜麻色の三つ編みの下がる頭を抱え、苦悩するかのような面持ちで、必死になって記憶を手繰り寄せようと、正しく煩悶・懊悩としていた。
その姿を半瞬、ギンッ!と物凄い眼光で以て睨め付けたシャンは
「そうか。二人ともその先を覚えていないのか。
うん、残念ながら、私も同様のようだ」
と、眉の辺りで横一直線に切り揃えられた亜麻色の前髪を揺らし、短く静かに言った。
(フフフ……彼処で遭遇した存在達の事は覚えていない方が良いのかも知れんな。
もしも、あの方々が私が仮定する存在であられるとするならば、特に信心深いユリアなどは狂喜乱舞を越えて、即座に発狂死しかねないからな。
うん。マリーナも含めたこの二人がそれを覚えていない、というのは、彼女達が驚嘆すべき凄まじき事実を、なるほどなるほど、と安穏に受容出来る領域を遥かに凌駕する、この恐るべき現実の衝撃によって、その精神が崩壊するのを防がんとする、言わば本能的な防衛措置・防御機構の働きによるモノなのかも知れないな。
うん、どちらにせよ、ここは二人に合わせ、すっかりと失念した振りを極め込むのが妥当なところ、か……。
それにしても、このドラクロワという男といると、色々と変わった体験が出来て愉快なことこの上ないな。
フフフ……その類い稀なる珍奇な体験というヤツも、遂には次元・限度を越え、行くとこまで行ったか……フフフ……さぁて、この恐るべき男とは一体、何者なのだろうか?
コイツこそは自他共に認める、掛け値なしの本物の"大英傑"という奴だな。
フフフ……声に出して言ってやりたいが、コイツはまた、笑い出すと長いからな……)
と、先程のピンク色の空の下での畏怖すべき存在達との大邂逅と出来事とを、飽くまでも知らぬ存ぜぬとし、独り秘しておくこととした。
ハーブティを上品に啜るカミラーは、その女アサシンの上質なトパーズを想わせる、不思議な輝きを放つ瞳を眺め、その独特な色に顕れた微細なる機微に何かを感じ取ったようではあった。
が、スゥ……と真紅の瞳の目を細めてそれを黙殺すると
「流石は天下一の魔導覇者なるドラクロワ様のご演奏にごさりました!!
見事、この三色馬鹿娘等を融合させられ、あまつさえ多重なる次元をも突き破らせてしまわれるとは!!正に仰天の特大偉業にござります!!
私、改めてこうしてお仕え出来る事を至福の誉れと感じておりまする!!」
ピョンと椅子から飛び降りて、その場にて直ぐに片膝をついて平伏した。
ドラクロワはそれを無感情に見下ろして
「フン。カミラーよ、世辞はよい。
もしここに、俺に音楽と演奏とを指導した者等が居り、そのいずれかが、このブラキオの円熟期の最高傑作である本物の楽器を以て弾けば、お前達を遠く彼方、それこそ世界の層などは、正に紙の重なりのように容易く貫いて、果ては、あの七大女神達の元へと送るほどであろうよ。
口惜しいことだが、俺にはそれほどまでの力量はない。それはこの俺が一番に自覚しておるわ。
では、以上を以て、俺が芸術的手腕を披露するのはこれ迄とする。
異論は一切認めん!」
封蝋に指輪の印を捺して封印するかのごとくに宣言し、まるで大掃除前に手ぶらの仲間を見付け、それに箒でも投げて寄越すようにして、究めて稀少なる超絶魔導楽器である、ブラキオの馬頭琴をシャンへと放った。
それを、パシッと受け取り、黒く染めた爬虫類革のソフトケースへと丁寧に戻す女アサシンを見ながら
「さて、つまらぬ座興は終わった。
カゲロウよ、いつまでも呆っとしておらんで、手早く店の者共を呼び戻し、この卓に邪道・異端の極みなる味、あのカデンツァ銘の葡萄酒を供させろ。
この俺の顔に見飽きたなら直ぐにな」
と、未だ呆然自失とする老人に手厳しく指示した。
こうして、あの「ドラクロワ赤っ恥計画」なるモノは、それの単なる大失敗どころか、逆に仕掛けた者達の赤っ恥へと変じて戻り、今ここに完全なる幕引きとなったのである。
ドラクロワは新たに届けられたカデンツァの葡萄酒の瓶を逆さまにしながら、今回も自らが魔王であると疑われても、なんらおかしくはない、幾つかの"綻び"とも呼べるほどに強力に過ぎた能の露呈というモノ等を回顧しながら、僅かに自己省察をしそうになった。
が、目の前で宴の仕切り直しに、実に無邪気にはしゃぐ女勇者達とその従者等を眺め
(ウム。こいつら漏れ無く、相変わらずの馬鹿揃いで助かるなー)
と、心に湧いた矮小なる懸念らしきモノを、その心中の隅っこに蹴り飛ばしたという。
さて、それからは少しの歓談があり、ドラクロワの腕前により引き起こされた、超越的なる大変事の数々について、あれやこれやと熱く語られ、楽し気な昼酒の会が続いた。
そうして話すうち、専らその話題とは、先にカゲロウより依頼された怪事件の解決へと展開していった。
「へぇー。満月の夜にだけ現れて、弱い女だけを狙って斬っては、コソコソと姿を隠すなんてねー。
なんだいソイツー!?ホント、何処へ出しても恥ずかしくない、まるっきりの変態ヤローじゃないのさー!?
そんなトンでもない迷惑ヤローをこれ以上好き勝手にのさばらせちゃーおけないねぇー!
ドラクロワ!モチロン、やるんだろ!?」
マリーナは両の手指を、バキボキと鳴らし、"望月魔人"征伐に参加する意を顕にした。
ドラクロワは目を伏せてうなずき
「ウム。至極面倒だが、なんと言っても俺は伝説の光の勇者、だからな。
この他愛もない小事を手早く解決してやろうとは思う。
そうなれば、この卑小なる凶行犯の割り出し、となるのだが。
前にも言ったが、俺は何かを思案・思索するに及ぶ際、ある癖があってな、」
ここでマリーナが、この女らしからぬ勘の良さを見せ、女性にしては大きな手を打ち
「あー、アレだね!?なんか黄金を触ってたら、ピコーンッ!て、いい考えが閃くってヤツだよねー!?
よーし!ちょっと待ってねー。えーと……確かー、この下着の下に……あった!あったよ!!」
と、バカリと大股を広げ、足元の革の袋を引き寄せ、それに手を突っ込むや、ゴソゴソとやって、あのあらゆる分野に膨大な知識を蓄積し、遠大なる過去に、ひとつの王朝を手玉にとって滅ぼしたという、億万の策謀と知略を保有する、悪魔的頭脳の永遠思考型の疑似生命体。
魔王自らが"コーサ=クイーン"と命名せし、額に穿たれた大きなマーキスカットのエメラルド以外には、全く飾り気のない黄金の仮面を引っ張り出したのである。
この黙せし恐るべき哲学的策略家の登場に、感受性豊かな老人のカゲロウは、片眼鏡の目を凝らすと、超危険物を目の当たりにしたかのようにして怪訝な顔を作って
「こ、これは一体……い、いやぁ、なんとも独創的な底知れぬ鬼気に、寒気と身震いが止まりませんな……。
ドドド、ドラクロワ殿ぉ。この魔的なる逸品とは一体……」
と震撼・戦慄して青ざめる老人を
「ウム。只の面だ。気にするな」
と恐ろしく冷淡に一蹴し、魔族間にのみ通じる思念波をコーサ=クイーンへと送り、このツルリとした黄金仮面に、無限思考に沈み、耽溺するのを中断させ、此度の怪事件の現時点でのあらましと概要とを丸投げに授与し賜うた魔王ドラクロワであった。