132話 我等は同胞。汝、共に発奮すべし!
この星を含む領域を相対的下層とする、多重構造からなる未知なる世界の層。
そのかなりの上層へと強制転移させられた三名の光の勇者達であったが、その内のマリーナが
「あぁ……。うー」
と、ドラクロワの隣席で長い手足をだらしなく伸ばした姿勢で呻いた。
そして「にゃあ、はむぅ……」とヨダレを拭うような仕草を見せ、黒革の眼帯の反対側。
その左目をゆっくりと開いて、ぼんやりと酒場内を見渡し、やがてその視界にドラクロワをとらえた。
「んー?あえー?あ、ああー、アタシ……帰って来たんだねー?
うんうん、ただいま、ドラクロワ。
アハッ!そうそっ!ねえねぇ!聞いてよ聞いてよー!!
何かさ、真っ暗い星空を泳いでたらさー、えーっと、そっ!すぐ隣に、シャンとユリアもいてさ、なんかみんな、白くてデッカイ溶けた槍みたいになって、ビューン!ビューン!!って飛んでたんだよー!
そんでそんでー!そのまま、ギューンッ!!てカンジで飛び続けてー。えーっとえーっと……。
アレ!?そっから先は覚えてないや。アハッ!ま、いっかー?」
そう、ハツラツと言って、席に崩れた身を起こして、椅子の奥へと座り直し、さもダルそうに長い首を振って鳴らし、同時に帰還したと思われる盟友のシャン、ユリアを眺めた。
テーブル上の二基の燭台の蝋燭の灯りだけでは確認し辛いが、この三名の頭髪は、いつもの金・蜂蜜色・漆黒という三者三様のモノから、揃って同じ髪色に変色しているようだった。
その色彩を例えるならば、紅茶にたっぷりのミルクを注いでかき回したかのような、正しく亜麻色の一色であった。
ユリアは、生まれつきの元の髪色との差が顕著なるシャンを二度見して、その頭部を指差し
「あれっ?あーっ!!シャ、シャンさん!?なんだか髪の毛の雰囲気が違いますよー!?
えーっ!?それどうしたんですかー?ちょちょちょ、ちょっとよく見せて下さいー!!」
と、殆ど飛びかかるようにして、席から立ち上ってシャンへと発進したが
「フフフ……。そう言うお前も、頭髪に変色が見られるぞ。
うん、ついでに言えばマリーナも同じ色だ」
女アサシンは腕組のまま、貫頭型の鼻上まで覆う深紫のマスクの顎をしゃくって、同一なる変容を指摘した。
そうして、三名による暫しの髪の弄り合い(主にユリア)が為されたが、ふとドラクロワの仏頂面に気付いたユリアが
「そっかー。この不思議な変化もドラクロワさんの演奏が作用した結果なんですねー!?
エヘヘヘへ。皆仲良しみたいで、なんだかとーっても素敵ですー。
あのー、コレッて一時的なモノなんですかねー?」
薬剤を用いて頭髪の色を抜く、或いは染めるといった、美容的変更を施すというそういう技術・概念のないこの世界の女魔法賢者は
「知らん」
と、恐ろしく冷淡かつ、すげなく返すドラクロワを
「へー、そうですかー」
と完全に無視して、カミラー、アンとビスにも同様なる変色が見られないかを探りに駆けた。
「ええいっ!この低知能娘!気安くわらわの髪に触るでないわっ!!
わらわの退光属性を食らいたいか!?」
と、無事、覚醒を果たした、ゴージャスなピンクの盛り髪のカミラーを苛立たせた。
それに若干タレ目がちの大きな目をひん剥いて
「あっひゃあっ!カ、カミラーさん!アレだけは止めてくださいよー!」
とバックステップ・緊急回避をするユリアを眺めていた老紳士のカゲロウは、テーブル上に落下していた片眼鏡を漸く装着し終え
「うーん。先ほどのドラクロワ殿の超絶的なる至高の演奏とは、なんとも素晴らしく、例えようもない程に独創的にございましたなぁ……。
この私などは、貴殿の演奏が始まった途端、直ぐに羽化登仙の夢心地となりまして、瞬く間に精神と自我とを粉微塵にされたようです……。
フフフ……そうして気付きますと、周りは漆黒の闇世界でした。
私、音も光もないそこで、暫し佇み、不安な気持ちになっておりますと、どうしたことか、なにやら段々と日々の心労、また自警団を指揮する立場の者としての責務からくる重圧など、そういった類いの実に鬱屈とした不安な気持ちが、訳もなく遮二無二募り始め、不吉なる暗雲・雷雲のごとくに立ち込めて来て、すっかりと私の心を覆い尽くしてしまったのです。
それらの自己否定的なる黒い波等は、ザバザバ、ゴォーッと、まるで私を圧殺するかのごとく、この老いて久しい身も心も、その総てを押し潰すような勢いで迫って参りました。
しかし、しかしその時です!
私の老いた眼が、ようようやっとで、その場の闇に慣れ始めた頃。
気付けば、何者かの集団が私を取り囲むように群を為しているではありませんか!
無論、私は、それら得体の知れぬ人の影達に戦慄・震撼し、その真っ黒い集団に正に恐れ戦きました。
そうしていると、なんとその内のひとりが、スウッとこちらに歩みより、やにわに私の手を取るや、こう申すのです。
やぁカゲロウ=インスマウス!!
我々は皆、一人残らずお前の味方だ!!今日はな、こうしてお前に逢うためだけに、はるばるここまでやって来たのだよ!!
我々は、お前の事は何でも知っているし、お前の日々の苦労と心労も、分かり過ぎるほどに分かっているのだ!!
早くに妻を亡くしたお前は、本当に寂しく辛い思いをしてきたな!!
我々には分かる!分かるんだぞー!!
カゲロウ!!お前はな、本当に、よーくやっているぞ!!お前は我々の誇りだ!!魂の一部なんだっ!!
そうだ!住む世界は違えど、我々はいつもお前の事を応援しているぞぉっ!!
だからな、これからも何かを心配したり、ましてや、我々の愛するカゲロウを責めたりしないでやってくれ!!
さぁ皆!!我々カゲロウ=インスマウスの団としてひとつになろうではないか!!
カゲロウよ!あぁお願いだ!今ここで共に叫ばせてくれいっ!!
カゲロウ万歳!!カゲロウ万歳!!カゲロウ万歳!カゲロウ万歳!カゲロウ万歳ーー!!
と、その老人らしき集団は鬨の声を想わせるような、そんな怒号じみた大合唱を轟かせました。
私はその場にて、オロオロと動揺しつつも呆然としてしまい、彼の放った言葉の意味がうまく汲み取れず、彼等になんと反応したらよいのか困惑してしまいました。
ですが、ですがその空気を震わせるような勁烈なる大合声のただ中に立ち尽くし、それらを身に浴びておりますと……。
なにかこう、例えようもないような高揚感と申しますか、もう、いっそ泣きじゃくりたくなるような魂の震えを覚え、ブワーッと全身に粟が立ちまして、彼等に倣うようにして、全く年甲斐もなく拳を突き上げたのでした。
その時の私は、なんとも独創的に不思議なる事なのですが、共に私の名を叫んでくれる周りの者達に異様な"親近感"を感じておりました。
それからはもう、彼等と連れ立って、このまま戦場の最前線にでも突撃したいような、そんな狂おしき昂奮に満たされ、私はもう、このまま死んでもいい!!とさえ思いました。はい。
で、生まれてきた事、また今日という日まで生かされて来た事など、そういった全てのモノに感謝したいような、そんな気分に満たされまして、心と魂が何処までも熱く、熱く燃え盛ったところで、急に夢から覚めるようにして、皆様の居られるここ、この場へと戻って来たのです……。
この不思議な体験は、誠に独創的に素晴らしいモノでございました!!
ドラクロワ殿!!貴殿のご演奏は、この老骨めに、確かに"生きる希望"を与えて下さりましたぞ!!
ほ、ほ、本当にありがとう!ありがとうございましたぁ!!」
そう喚いた老人は目を潤ませ、赤と黒の斜め縞のハンカチで皺の目頭を押さえた。
この奇妙な回顧・感想に眉をひそめ、不思議な顔をするマリーナ達であった。
だが、なぜかカミラー、そしてアンとビスとは深く大きく首肯し、口をヘの字に固く結んで、咽び泣く老人と同じく、その目を潤ませ、直ぐに、ポロリと涙の粒を落としたという。




