116話 屍龍。嫌な予感しかしない
マリーナ達四名が、編成弦楽器隊の奏でる、古風なケルト式音楽を耳に覚え、恐る恐る目を開くと、そこは華やかなりし貴族の館を思わせる、大理石の美しい堂々たる豪奢な室内空間であった。
だが、ここがどの地方の何処の街かまでは不明だ。
さて、そこをざっと見渡すと、その場の男女達は、老いも若きも明らかな富裕層であり、其々(それぞれ)が競い合うようにして、貴金属ときらびやかな礼装を纏い、犇めくようにして集まっていた。
その空間に分け行った瞬間より押し寄せるものとは、芳醇でふくよかな葡萄酒の薫りを初めとして、食欲を刺激する香辛料と油、そしてパンの焼けた香り等が、渾然一体となった大奔流であった。
つまり、そこは贅を尽くした美食の祭典。正しく、酒池肉林の大食堂であった。
その間の最奥に丁寧に設えられた、貴賓席みたいな、一般の卓からは一段も二段も高い、高雅な気品に充ち溢れる円卓には、この館の主であろう、貴族然とした佇まいの老夫婦が座していた。
更にそこの大円卓には、同席の参列として、この食堂一杯に集結した、いかにも育ちのよい、名士らしきお歴々の中にありながらも、ちっともそこの高潔なる空気に馴染めず、窮屈で着なれない礼服で座した、一目で野趣溢れる"冒険者"と見てとれる五人組が居た。
その中でも飛び抜けて体格のよい、しきりと身をよじり、礼装の襟元を開放して広げたがるのを、隣の女魔法使いみたいなのからたしなめられる、坊主頭の大男が居た。
この巨漢、その名をバッカスという、七大女神達により特別に祝福されし家系である、歴とした勇者であった。
さて、そこの円卓の傍らでは、深緑の道化師みたいな服を着た、カタツムリみたいに先の反り返った靴の小男が深く一礼して
「えー。お集まりの紳士淑女の皆様。本日は、領主エンデバル様の領地を脅かし続けた、ドラゴンゾンビ(龍の屍に暗黒魔法の闇儀式を施し、不死化された大怪獣)の討伐に成功されし、五名の勇者様達を褒め称える会ということで、皆様にはお忙しい中お越し頂きました。
では、エンデバル様よりお言葉を賜りたいと思います」
そう言って高台の円卓の中央、そこの白髪頭に遠慮がちな黄金の冠を戴いた、剛健そうな老いた領主に敬礼した。
下段にて居並ぶ名士達は、それに高らかな拍手をもって応じる。
エンデバル尊老は座したまま、それらにヒョウ柄の袖から出した右手、その人差し指だけを伸ばした、熊手みたいにした掌を掲げ、それらを鎮めさせ
「ごきげんよう皆の衆。今宵は多忙なる中、儂の招きに応じ、この唐突なる会に駆け付けてくれ感謝する。
だが、積年の永き日々に渡り、我等の領地を乱し、穢らわしき腐れと、甚大なる被害をもたらしておった、彼の化け物、屍龍めが、派遣した勇者団により遂に倒されたので、即席とはいえ、この祝いの席を設けた次第である。
勇者団には此度の偉業的功績を称え、その労苦を労うと共に、この勢いを殺さず、余勢を駆って、あの憎き魔王めを討ち取られることを哀訴嘆願する会である。
思い起こせば、あの自然の摂理に反した怪獣により、」
「ブェックションッ!!」
領主の長くなりそうな挨拶は、野性的な美男である、勇者席に座した、金髪丸刈りのバッカスの放った、無遠慮かつ盛大なクシャミによって遮られた。
その無精髭の偉丈夫は、刈り上げた頭の後ろを、ボリボリと掻いて、鼻を啜り
「あー、いや、こりゃ失礼つかまつった。領主殿、お気になさらず続きをどーぞ」
と、少しも悪びれずに、台詞ばっかりで短く己の非礼を詫びて、マメだらけの分厚い戦士の掌を上げた。
黒髪を高く礼式に結い上げた、その男の隣席の女魔法使いは、糸のように細くカットした柳眉を、悲し気なハの字に下げて
「バッカス。あなたのその大風で不躾な、デリカシーのなさというモノも、尊重しなければならない、七大女神様達の能えた、一個の個性なのかも知れない。
けれど。お願いだから、こういう場では、もう少し気を遣ってもらえないかしら?
毎回そんな調子じゃ、同じパーティの私達までも、あぁ、ヤッパリ冒険者風情とは野山で剣を振るうだけの野蛮な荒くれ者の集まりなんだな、と思われてしまうのよ。
私達が一般の商いを営む者達に比べて、大きく冒険で稼げるのなんて、極々短い、若い間だけなんですからね?
いくら剣の腕が立っても、いつまでもそんな風だと、名誉ある名士の仲間入りなんて夢のまた夢ね。
それに、勇者戦士バッカスの背を見て育つ、あなたの娘さんの"マリーナ"ちゃんまで、無神経でデリカシーを知らない、野蛮な女戦士になっちゃうわよ?」
飽くまで小声ではあったが、この女魔法使いは、既に取り返しがつかない状態になっている、絶望的に悲しい未来を危惧してみせた。
バッカスと呼ばれた男は、ザリザリと坊主頭を撫でながら
「わーてるっわーてるっつの。俺だってよー、わざとクシャミした訳じゃねぇんだよ。
あー全く、ここの名物料理にゃまいったぜ。
んん、悪かったよカロリーナ、だからそんなうるさく言わねぇでくれよぉ。
ま、アイツ(マリーナ)のこたぁ心配いらねぇよ。アイツは光の勇者として生まれた身だぜ?
そらぁもー、ほっといてもトンでもなく、女神様のように上品な女戦士に育つに決まってらぁ。
んんっ、そりゃ俺が保証するぜっ」
大きな親指を立て、極めて無根拠かつ能天気に語る戦士バッカスだった。
この男、正しく"この親にしてこの娘有り"といった言葉を地で行く、甚だ武骨・ワイルドな性質であった。
さて、気を取り直した領主の挨拶が仕切り直され、長々としたそれが終わると、堂内全員が黄金の杯を手に取り、漸くバッカスの待ちかねた乾杯となったのである。
それを立って静観する勇者団の家族、そして奴隷の下人達、更には給仕人達であった。
その人垣の隙間から、円卓を覗き見る小さな影が四つ在った。
それは女児サイズになったマリーナ、ユリア、そしてライカンの双子である。
それ等の姿は、とても愛らしい三頭身にデフォルメされており、さながら大人ぶった幼稚園児のようであった。
が、真に恐るべきは、その装備・着衣さえも見事にサイズダウンさせたブラキオシリーズの魔力であった。
ユリアは、常より垂れ気味に拍車のかかった大きな目を開き、黒革の眼帯ごと小さくなった、女戦士の愛らしい顔の横に寄って
「マリーナさん?ここが、この地点がマリーナさんの悔恨の分岐点なんですか?
何だか、ただの祝賀会にしか見えないんですけど。
これから此処で、一体何が起こるんです?」
温かいスープの提供のため、慌ただしく動き出す給仕女達を眺めながら訊いた。
紅い部分鎧の半裸の女児は、収穫したてのトウモロコシみたいな、金毛の直下立った頭で深くうなずいて
「ん?あー、ここで間違いないと思うよ。
確かー、親父の話だとねぇ。何だか、ちっともココにお呼びでない、おっかしな客が来て、かなり手ひどくヤられたけど、何とか追っ払ったぜっ!とか言ってたね。
そんなことよりさ、見てよこの身体。
大人になった、さっきまでのアタシと比べりゃ、まだまだちっこいけど、割りとノッポだよね?
この頃のアタシってばさ、近所の男の子達に、このデカ女ーっとかってよく言われててさー。
そんで、全然アタシらしくないんだけど、当時のアタシは、ちょーっとそれが気になっちまっててねぇ。
仲良しの娘達みたく、女の子らしー痩せっぽちに憧れたりなんかして、ガラにもなくウチのご飯を残したりしてたんだ。
アハッ!今からしたらカワイらしい昔話なんだけどねー?
で、トーゼン、この宴には来なかったんだよね。
でさでさ、後から聴いた親父の話だと、この宴では、ハズレなしのトンでもない、"大ごちそう"が次から次に出て、前菜からデザートまで美味いのなんのって、そらもう地上の天国みてぇだったぜっ!とか言ってたんだよねー。
だからさ、何とかしてここに戻って、アタシもその、大ごちそうってのを腹一杯に、って、アレ?みんなどーしたんだい?」
幼い姿の女戦士は、仲間達が小さな肩を落としてタメ息を吐き、正しく呆れ返っているのに気付いた。
ユリアは小さな三つ編みの下がる頭を、沈痛・悲痛な面持ちで抱え
「マ、マリーナさん……あなたって人は……。
世界を変異させる危険性を承知で、覚悟を決めて過去へと飛び込んで来てみたら……何て事もない、只のご馳走の食べ逃しだったなんて……。
まぁ可愛らしいというか何と言うか……マリーナさんらしいですよ!本当っ!
でもまぁ、世界を大変革させそうな未曾有の天下分け目の事象に関わりそうでもないようですね。
うんうん。過去の改変といっても、その精々が、少々ここのお料理が減るだけという、極々些細な変化でしかないでないでしょうから、これはこれで良かったのかも知れませんね?
いやいやー、それにしても、流石にコレは何か勿体無さ過ぎません?
アンさんとビスさんには、どうしても改善したい、今より変えたい悔恨の過去はなかったのですか?」
ソバカス女児は、うんざり顔で灰銀のメイド服の双子に訊ねた。
褐色の丸っちい肘・膝、短い手足のビスは頭を振り
「いえ、私達のなら既に改変済みなのでご心配なく……。
それよりマリーナ様。切願が叶って良かったですねー」
それは精一杯の愛想笑いであった。
「えっ!?既に改変済み?それってどういうことですか?」
と蜂蜜色の首が捻られるのを余所に、まさに千載一遇。特大の好機を無駄遣いにしたマリーナは、これぞ喜色満面の笑みというヤツで、ニッコリ、ハツラツと微笑み
「うん!じゃあ皆を親父に紹介するからさ、早速、アッチのテーブルに行ってみようよー!」
高台の円卓にて、エールジョッキを信じられない速度で次々に空にしては豪快に笑い、老いた領主の背を、バンバンと叩いて咳き込ませている、黒い礼服の丸坊主の益荒男を指差した。
ユリア達は気を取り直して、今はただ、折角の時間旅行を、精々、心行くまで楽しむことに切り替えて、少なからず食指の動いた、その"地上の天国"とやらのご相伴に預かろうと、チビッ子マリーナに追従しようとした、そのときである。
忽然と現れた小さな影に度肝を抜かれ、正しく絶句させられたのである。
「これ、そこな小汚いガキ娘共。ちと訊きたいことがある。
わらわが手塩にかけて造り、この地の腐海の森の黒エルフ等に借与したる、雌屍龍の"ドラクローズ"を滅したのは、彼処でバカ騒ぎをしておる、見るからに野蛮そうな者等かえ?」
そこには、ピンクのゴージャスな盛り髪で、スカーレットのロリータファッションを幼い身に纏った、真紅の瞳を赤熱する石炭のごとく爛々と輝かせる、世にも美しい女児らしき者が、真珠色の爪の指で奥の円卓を差して立っていた。
それを振り返ったチビッ子四名。
マリーナ、ユリア、そしてアンとビスは、その女児らしき者を見て唖然とし、高レベルの石化魔法を喰らったように、ただそこの場に固まるしかなかったという。