109話 独創的カデンツァ
この辺境の町ダスクからの出立には、酒場の貧相なボロエプロンの萎びた主人と、手を振る度に豊満なバストを、バインバインと誇らしげに揺らして、全く意図せずしてカミラーの舌打ちを誘発させた、微妙に美しい下女という、この二名の者達以外には、特に何人のお見送りもなかった。
そんな訳で、光の勇者団は例のごとく暗黒の魔黒馬車へと、うら寂しいながらも、実にスムーズに搭乗出来たのである。
彼等が一路向かうのは、芸術の都カデンツァであった。
その中規模都市へは、先のダスクから南下して、そこから更に東へと、可也走らねばならぬ遠き地であったが、いつも通りドラクロワはそんな道程など、全くもって意に介さず、馬車の長い座席に寝転んで、カミラーに注がせる高価な葡萄酒を水のようにあおっていた。
女勇者団は、それには決して気取られ覚られぬように、ヒソヒソと計画について話し、時々、ムフフ……と無気味に笑い合っていた。
だが、当の標的ドラクロワは、只々暇そうにしているだけで、時折、窓の真紅のカーテンを指で払っては、真横に矢のごとく流れる外の景色を眺めているだけであった。
車両中央の長テーブルでは、シャンが瞑想者のごとく固く目を閉じて、その脳裏にて何かの楽器をイメージしているのか、その細い腕と手指とを無心になって振っていた。
その向かいには、普段は爆音のイビキを轟かせて眠るか、誰かの放つ、つまらぬジョークに腹を抱えて笑うかで、寝ても覚めても実に賑やかなマリーナがいた。
だが、この度は常ならず、カミラーから羊皮紙と羽ペンとを貰って、らしくない神妙な顔つきで「動かないで!」と、時々アンビスの双子姉妹へと喚き、その粗削りながらも中々に才気溢れる肖像画を描きながら、すっかり作家然とした顔となり、如何にもそれらしい感じで唸っていた。
そして、車両の最後尾では、ユリアが胸前で手を合わせて「はぁー!はぁー!」と声の調子を整え、窓に向かって得意の聖歌を繰り返し歌唱している。
こうして、皆がそれぞれの芸術面での牙と爪とを研ぎ、恐ろしき『ドラクロワ赤っ恥計画』とは、その深度・進度を増しつつも確実に進行中なのであった。
さて、黒い恐竜のごとき四頭の暗黒馬達の引っ張り回す縦長の馬車は、翌々日の午前になって漸く、その水と芸術の都に辿り着いた。
その都とは、蒼い空と噴水の印象的な、整然と並ぶ建造物を、もれなく白で統一した、誠に美しい町であった。
そこの通用門では、いつもの「こ、これは……光の勇者団の証!!」と、ご近所回りの老人のかざす御印籠よろしく、大陸王の認可勲章である、蒼く輝く鋼鉄の五芒星が、絶句する自警団等にモノを言い、速やかに入場許可の通過儀式を終わらせた。
さて、この円形に拡がる芸術の都は、その通り名に恥じぬ所であり、基調色こそ白ではあったが、その至るところに、けばけばしき色とりどりのモザイク、煉瓦が組まれていた。
そうして隙有らば、それらを見慣れぬ旅行者の眼を、色彩の槍で刺激してくるという始末であった。
そして、そこを行く住民等も、年寄りから赤子まで、皆が珍妙な極彩色のファッションと化粧とで着飾っていた。
そこは正しく、目の覚めるような鮮烈なる美意識が行き交う、孔雀が極楽鳥と擦れ違うがごとき、多種多様な"個性"の犇めく、芸術が爆発する都だった。
そして、その独特の風土・特色とは、その商店街にも見事、あやまたずに伝播されており、そこには画材、建材、派手な服飾品、また楽器等を取り扱う店が多く、その種々の品々の値も質も滅法高かった。
また、その芸術の風というヤツは街路樹にまで至り、眺めていると気の狂いそうな、派手な短冊のごとき飾りつけが、木々の枝葉に繁茂するようにして盛り付けられていて、まさに祭りの神木のごとく、五月雨にぶら下がっており、その葉一枚一枚にすらも色とりどりの染料が塗りたくられていた。
その、いっそ馬鹿馬鹿しくなる程に鮮烈な、ビタミンオレンジの幹を眺めながら肩をすくめたドラクロワは、その鮮やか過ぎる色彩の暴力のような街並みと、そこの住民等とにゲンナリとして
「ムウ。こんなに落ち着きのない街は初めてだな。
歩く者共も皆、常軌とやらを逸しておるわ。
なぜ道端で絵を描く?なぜ街角で踊る?演奏する?
この乱狂の都のカデンツァとやらは、この俺には、この上なく不快で、極めて趣味の反りが合わん。
大体、俺は子供の頃から、絵も音楽も大の苦手だったからな。
こんな酔狂人ばかりの乱痴気騒ぎの街などは早々に退くとするか……」
そう言うと、なんと彼にとっては桃源郷である筈の葡萄酒と身を浸す湯殿とが待つ、宿屋兼酒場すらも探査をせず、あまつさえ、ザッと暗黒色の踵を返して、黒色麗美な馬車へと戻ろうとするではないか。
これには女勇者団も、ギョッとして、その一番のノッポが、露骨な"とおせんぼ"をして
「ちょちょちょっ!ま、待ちなよードラクロワー!
た、確かにちょーっと賑やかなトコだけどさ、こんな街でしか飲めない、面白い葡萄酒があるかも知んないよー?
それにさぁ、馬車にはアンタの大好物の風呂もないし……。
ま、おかしな街だけど、ここはゆっくりのんびりとさ、えー……。
あっ!そ!きき、気分転換っつーの?なんかそういう感じでさ、一泊、二泊してみても、い、いいんじゃないかなぁー?アハアハッ」
"しどろもどろ"とは、まさにこのことである。
ドラクロワは猛烈な渋面でそれを静聴していたが
「マリーナよ。お前、何か様子が変だな。お前がそんなに慌てて何かを話すのは不自然に過ぎる。
ウム。こいつは……そうか、分かったぞ」
その紫の眼光は、鋭いを通り越して、剣呑極まりなく、病気で弱った仔犬辺りなら、忽ち横死させ得るほどに強烈な殺気を孕んでおり、それでいて飛び切り鋭敏な色にも煌めいていた。
マリーナはその余りの圧力に、腕、肘を防御するように前へと掲げて仰け反り
「いっ!?ななな、なんだい?」
と思わずたじろいだ。
カミラーは、ゴツンッ!とその場に跪き
「ド、ドラクロワ様!申し訳ございません!!」
と、電光の速さで、ビビッドなモザイク煉瓦へと屈んで、己の浅はかさを呪い、悔いるように、そこに崩れるようにしてひれ伏した。
ドラクロワは白い美貌を恐ろしく険しくして
「お前達。さては結託して内密に影で動き、奇想天外な仰天の宴でも策しておるな?
よせよせ!俺は元来そういうのが苦手な質でな、カミラーよ。お前も一枚噛んでおるのなら、こういうことは、ヒソヒソと暗々のうちに進めず、前もって俺に伝え教えぬか。
いやはや、なんとも、フフフ……ハハハ!そうかそうか!
馬車内が何処か異質な雰囲気であったのはそういうことであったか。
ウムウム。苦しうない。
しかし、あの代理格闘遊戯で、堂々の覇者となった俺を、全く予期せぬ宴でもって祝そうとはな……。
ウム。こやつら、中々に憎らしい事を考えおるものよ。……フフフ」
と、独りよがりに合点して、すっかりと気分を良くしたのか、差し当たっての酒場を模索しながら、勝手に先を立って歩き出した。
それを認めたシャンが、紫のマスクの面を波立てて、蒼穹を映した上質なトパーズみたいな眼を細め
「フフフ……。ドラクロワが手前勝手に、都合良く早合点してくれたお陰で助かったな」
と、カミラーを見下ろしながら小声で囁いた。
その後ろでは女勇者達、それからアンとビスが細い腰を折って、小刻みに震えつつ、今にも吹き出してしまいそうなのを必死に堪えていた。
そこへ突然、光沢のある黒いシルクハットに、赤と黒の縦縞スーツのバネ髭の男が現れた。
その男というのは特に大男に非ず、決して若くもなく、陽気で快活そうな笑顔で長い黄金色の襟足を揺らして
「こんにちは。これはこれはお洒落なご一行様ですなぁ。
私、この街の自警団を指揮しております傍ら、趣味・道楽半分のチンケな画廊を営んでおります、カゲロウ=インスマウスと申します。
皆様の装いが余りに粋で、かつ独創的であり、そこはかとなくお茶目であられて、この猥雑な街に少しも染められていないのに感心し、ついつい声をかけてしまいました。
何卒、非礼をお許し下さりませ。
こちらには冒険でいらっしゃったのですかな?」
痩せた六十がらみの紳士は、観ている者も愉しくなるような、そんな屈託・邪気のない、シワの笑みを向けてきた。
ドラクロワは、その油も埃も皆無な片眼鏡を睨み付け
「ウム。魔王とやらを成敗する旅の途中であるらしい。
それより、カゲロウとやら。お前がこの街の名士であるのなら訊きたい。
なにかこう、一風変わった葡萄酒を出すような、そんな佳い酒場を知らぬか?」
初対面で"お前"呼ばわりされたカゲロウは、珍物件を見付けたユリアのごとく、ドラクロワの暗黒色の甲冑を惚れ惚れと眺めながら
「うーん。なんとも独創的に美しい鎧ですなぁ。それから、そのペンダントがこれまた独創的な趣があって抜群によろしい!
この街の頓珍漢なケバケバしさを芸術と錯覚・混同している、多くのバカ共には分からないかも知れませんが、この独創的な美しさときたら、これ正しく至宝でございますなぁ。
あ、いや、これは失礼。葡萄酒、それも気の利いた、この地方ならではの、ピリリとした独創的な味のモノがご所望にございますなぁ?
うーん。あの店がよいかー?いや待て、あの店か?
うんうん!それならば、ピッタリのよい店がございますぞ!
では、麗しき皆様との出会いを祝して、お近付きの印に、私が一杯ご馳走致しましょう!」
シルクハットを胸に掲げて、キザなお辞儀でハゲ頭を見せ付けた。
ドラクロワは、ふと観たドキュメンタリー番組のナレーションの声が何処かひっかかり、よくよく反芻するうちに、あぁっ!あのアニメ・洋画のキャラクター・吹き替えの声優だな?と、ピーンと頭の中で繋がったときのような、そんな淡い微笑を見せて、女勇者達を振り向いた。
「ウム。このような演者まで用意しておるとは、中々に手が込んでおるな?」
と、紳士を指差し、自らが見初めて、ライカンの装飾職人から買い上げた、漆黒の瞳を想わせる、お気に入りのペンダントを誉められたのも相まって、可也の上機嫌となり、先のラタトゥイユ達と同じ存在である、正しく夢幻なるサプライズパーティーに勝手な期待を寄せた。
これに女達は、申し訳ないような、なんとも言えない顔になったが。
そこでまた、カデンツァの老いた顔役のカゲロウが割り込んで来て
「うーん。これは素晴らしきご明察!
仰有る通り、その店と申しますのは、"演劇"と音楽、それから踊りも最高峰のモノを見せるとのことで、大変に評判でしてな。
それから勿論、お捜しの誠に香り高き地酒、葡萄酒を取り揃えたる名店にございます!
私、皆様の冒険者ならではの独創的な大活劇的の武勇伝をお聴きしたく、年甲斐もなく、ウズ、ウズとして参りました!
それから、少し腰を落ち着けて、この街で最近起きている怪事件についても皆様のお耳に入れておきたいところですし、少々日が高いですが、早速と案内させていただくことと致しましょう!
ささっ!こちらです!」
老人は握り手が金龍を象った、黒いステッキを振って、強いて促した。
だが、芸術下戸のドラクロワはその店のアピールポイントを聴いて、にわかに恐ろしく不機嫌な顔になった。
しかし、"独創的な味の葡萄酒"という誘い文句には抗えなかったという。