その感情の名前は、なぁに
感情というのは、酷く厄介だ。
悪いことしか運んでこないのに、今で人間の文明が出来てからの悲劇は全て感情が原因だというのに、それでもなお、切り離そうと思えないのが一番厄介だ。
それで、こちらのことなどお構い無しに掻き回し、全てを奪っていく。
そう、物事が悪くなる原因は全て感情だと言ってもいい。
「それでそんなに、不貞腐れてるの」
「不貞腐れている訳じゃないんだよ、うしくん。これは、正当な怒りなんだよ」
「正当な怒り、ねぇ」
友人であるうしくんは、隠すこともなくクツクツと笑う。
存外、穏やかな笑い声を上げる人だと気付いたのは、今からもう半年も前のこと。
それまでのうしくんは、姿が見えなくても笑い声だけが聞こえるような、そういう、ちょっと怖い人だった。
授業中は他のクラスメイトが座る、私の目の前の席に腰掛けたうしくんは、それで?と優しい声で続きを促す。
それを見て、うしくんはどんな態度で授業を受けるのだろう、とちょっと気になってしまった。
多分、意外と真面目に、それでもやっぱり不真面目に受けているのだろう。
違うクラスの私には分からないそれが、ちょっとだけ残念に思えた。
「それでも何も、それが原因だもの」
「まぁ、だと思ったけど」
「うしくんまで、馬鹿にするの?」
「してねぇよ。ただ、お前らしいなぁって思っただけ」
うしくんとの共通の友人なんかは、腹を抱えて大爆笑したのだが、うしくんはこんなにも穏やかに返してくれるのだから、本当に彼は想像以上に人が良い。
こんな、放課後の大切な時間を、友人と呼ぶには距離感がいまひとつな私に費やしてくれるのだから。
それは、たった一つの言葉で片付けてしまうには惜しい程、人が良い。
それを口にすれば、うしくんは少しだけ驚いたような顔をした後、目を細めた。
何かを企んでいるような、意地悪そうな、彼以外から向けられてしまえば、思わず後退りしてしまいそうな表情を浮かべる。
「そう見えてたら、俺としては割と助かるんだけど」
「だから、見えてるんだよ」
「そう?なら良いけど」
「良いの?」
「良いに決まってんじゃん。そう見せたいんだから」
「ふぅん。変なの」
「お前よりは変じゃないでしょ」
「そう?」
机の上に置いてあった鞄に手を伸ばしたうしくんに続くように、私も机のサイドに引っ掛けてあった鞄へ手を伸ばす。
うしくんの家と私の家は、学校を中間地点に反対側にあるので、今日のお喋りはここまでのようだ。
うしくんと居ると、残念、という感情が何度も浮かんで仕方ない。
他の場面では悲しくなってしまうようなそれも、うしくんと居る時のそれは、何だかふわふわとして地に足の付いていない感覚で、やはり、感情というのは分からない。
準備出来た?そう聞いてきたうしくんに、首を縦に振る。
「ここまで言っても『もしかして』すら考えないお子様のお前よりかは、変じゃないでしょ」
「は」
教室のドアに向かううしくんの表情は見えない。
からかっているような、本意のような。
どちらにも取れてしまいそうな軽々しいそれに、間の抜けた声を漏らしたまま口を開き、思わず鞄を持つ手から力が抜けた。
彼を凝視して、髪の間から覗いた耳が赤に染められており、その真意が読めない程、お子様ではない。
そして、やはり、感情というのは酷く、厄介だ。
どきどきして、訳が分からなくて、それでも、嬉しいなんてごちゃごちゃした感情で掻き回してくる。
目眩がするような感情の起伏でも、それが悪いとは思えずに、ああ、きっと今日はもう少しだけ彼とお喋りが出来るんだろうと思う。
後は私に分かることなんて、それくらいだ。