使い捨ての
はやぶさ7ごうです。
こちら、私のまったくの気まぐれ文集ですが、長らく更新してなかったので。
病んでます。
私は日常が嫌いだ。
思えば、昔はよかったものだ、なんてじいさんみたいなことを思っている。小学生や中学生の時は、思い返すと、実にまばゆい日々だった。日々が新しくって面白くって、どきどきしていたな。高校生の時なんか、彼氏が出来て、明るくて甘酸っぱい……ああ、あれが、甘酸っぱい思い出なんだ。今になってわかる、日々の尊さ。本当に楽しかったな…。
いつからだろう、社会人になってからかな。普通に勤めて、普通の仕事をして、普通に生きて…。新鮮さも無いし、面白さもないし、一方的に消費して生きてるみたいだ。自分の成長なんてわからない。停滞している。昔は成長して、夢や目標に向かって努力しよう、みたいなことを感じながら生きれていたのに、今じゃ形骸化した夢を貪る傀儡じゃないか。
生きてるの?
私は、生きてるの?
問いかけた。虚空に手を伸ばし、一人の部屋の中、口を突いて出た言葉。
頬を涙が伝う。心臓がきゅーっとなる。
回答はそれだろう。
深夜2時を回った。
ツイッターの画面を更新しても、画面は変わらない。動いているのは秒針を規則正しく鳴らしながら進む時計だけだ。
自分の右手には、カミソリがある。
私は 視線を自分の左手首に移す。
生きていても仕方がない?
生きていればいいことがある?
『生きていれば』、だ。
私は死んでいる。心がそう呟いている。
私の心は死を受けているのに、無様に私の肉体が傀儡として未だ生を全うしているのだ。
生が辛いんじゃない。精神の死と肉体の生の乖離が辛いんだ。
一緒に戻ろうよ。
カミソリの刃を手首へ近づける。
拍動が次第に速くなる。
部屋に鳴り響く秒針のリズムと齟齬する自分の拍動に吐き気を覚える。
でも構っていられない。この苦しみから救済するのだ。自分の手で。
触れる。
さくっとした感覚の直後にマカロニを切るような感覚が右手に走る。
同時に左手に激しい痛みと、寒気が生じる。
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
しかし、痛みの中で、私は確かに何かを感じた。
それはじきにわかった。
私の中で埃を被った生が動き出す。
何とも心地いい。精神と肉体の再会の日だ。祝うべき日だ。
及んで気づく。
鋭い自殺とは、生に最も近づきながらも死に最も近づく行為なのだ。
生きている!私は今最も生きている!
痛がり、苦しみ、悶え、震える、こんなにも生を感じられる!
ああ、なんて、幸せなんだろうか………。
だが、その生も制限時間付きだ。
構うものか。
私は生きられた。精神が蘇った。精神と肉体が今、ひとつになれたのだ。
半開きの目で左手を見る。
鮮血が卓上に流れている。私の生命が流出していく。
最後に、生命を、感じられて、よかった……………。
使い捨ての生の価値を胸に、私の精神と肉体は共に堕ちていく。
※作者自殺してません
シーンは完全に妄想なので、実際とは違うかもしれません。ですが、これは私なりのいち解釈です。
だからといって私は自殺を美徳としたいわけではありません。死んだらできなくなることがあまりにも多い。しかし、私は自殺、ないし痛みに価値を全く求められないとは思えない。その考えをかたちにしてみたものです。
主人公は痛みに生を覚えた。しかし、読んだ人にはそうであってほしくないです。
生を失った精神は、刺激によって生を取り戻す、その刺激が自殺である必要はありません。もっと簡便な刺激でよいのです。実際の人間はそうあって、そうあることで生を保ってほしいです。そうでなければ、同一ループの日常を生きる人間達に生はあり得なくなってしまう。