世界樹の意思
1
――何故、僕だけ生き残った
――たくさんの偶然と少しの必然
――よく分からないよ
――いろんな人が貴方を生かそうとした。貴方を大切に思うから
――違う、それは僕が感染しなかったから。誰だって自分より大切な人を生かしたかった。僕だって......
「けど、貴方だけが生き残った」
意識に問いかける声が急にリアリティーを増した。その違和感にゆっくりと瞳を開く。
ぼやける視界。それが次第に像を結び始めるにつれて、目に飛び込んでくるありえない光景。
失ったはずの少女の瞳が自分を覗き込んでいる。
「君......なのか......?」
掠れた声が自分から漏れる。
「うん...... でも、少しだけ違う」
彼女の言っている事が解からない。
目を見開き彼女を見つめる。そして気付く。
何かが違う。面影はある。似ていると言っていいのかもしれない。けど、自分がよく知る少女では決して無い。
一転の曇りもない白い肌。『人』としてはあまりに完璧すぎる容姿。自分を覗き込む深いグリーンの瞳が細められる。神々しいほど美しさを宿したそれは、彼女がもはや『人』でない事実を自分に伝える。
この大樹の根本に導かれていると気づいたときから、こうなるような気がしていた。自分を呼ぶ声は、あの少女の物ではないと、仮に逢えたとしても、もう別の存在なのだと、何処かで気付いていたのかもしれない。
「君は......」
自分の問いにことさら悲しげに瞳を閉じた彼女。そして掠れた小さな声が漏れた。
「今の私は、この木の配偶子」
2
久しぶりに見る夜空。しかもそれは記憶の中のものより遥かに美しい。人工の灯を失った世界で皮肉なほど強い輝きを見せる星々。
眼下には、僅かな月明かりを受けて青白い輝きを放つ雲海が何処までも広がる。
巨大な葉を生い茂らせた太い幹が、至る所で雲を突き抜け広がる様は、光海の上に島が浮かんでいるかのような光景を作り出す。まるで幻想郷。
彼女の手の動きに操られるように天から降りて来た弦に座り、ここにいざなわれた。
これだけ高空だと言うのに息苦しさはおろか、寒ささえも感じない。それが彼女と共にいるためなのか、もしくは自分も人ではなくなっていると言う事なのか、それは分からない。
自身を包み込む紛れも無い温もり。長い間忘れていた感覚。まして彼女は薄布一枚すら纏っていない。直接触れた肌から伝わる感触は脳を直撃し、原始的な感情を呼び起こす。
自分は世界がこうなる以前、彼女とこうすることを望んでいたはずだ。それは当分叶うはずの無い妄想でしかなかった。それが今、叶おうとしている。
けど、何かが違う。自分が望んだのはこんな形ではなかった。
――だから、私の役目はこの星で唯一生き残った貴方と交わり、新たな種子を無限の彼方へとばらまくこと。
人に似た身体はそれを可能とするため。貴方がそれを受け入れやすいように、私の意識が選ばれた。容姿が以前の私に似ているのもそのため――
彼女の言葉をどう処理していいか分からない。
その矛盾は自分の身体を小刻みに震わせる。まして彼女は役目を終えれば枯れ果てると言うのだ。
けど、自分がそれを拒んだとしても彼女に与えられた時間は一晩しかない。
そしてそれが果たされなければ、次に現れるのは、残骸から強引に遺伝子を奪い取る捕食者だと言う。けど、その方がマシかもしれない。彼女のいないこの星で、死ぬことすら出来ずに孤独と共に彷徨うくらいなら。
震えの止まらない身体を白く細い腕が包み込む。
「本当はこんな形じゃない方が私だってよかった。それでも、この役目が私じゃない誰かじゃなくてよかったって感じる......」
囁くようにそう言った彼女。
「何故...... こんな事になったんだろう......」
自分の口から出た弱弱しい声。
「私達が繁栄を掴むまでに数多の生物を絶滅に追い込んだのと同じ。
種子はここへ幾億の時を超えてたどり着き、息吹き、自身の成長に必要な事を成したに過ぎない。そして私たちはそれに抗う術を持っていなかった。ただ、それだけ......」
「ずいぶん、淡泊なんだな......」
「私の意識の半分はこの木の物だから...... 私は私であって、私じゃない――」
そう言って、人では決して有りえない輝きを放つグリーンの瞳をことさら悲しげに細めた彼女。そして続ける。
「......強い孤独を感じるの。絶対的な孤独。それは凄く強いイメージで、多分この木がずっと感じてきたこと。
果ての無い闇を永遠と漂って、ようやくたどり着いた光。けど、そこに縋り付くように根付いた途端、自身の回りからあっと言う間に光が消えていく。まるで光が自分を拒むかのように......」
彼女の言葉と共に自分に流れ込んでくる暗く深い闇。それは自分が一人で彷徨ったこの何か月もしくは一年より遥かに深く冷たい物だ。
大樹に触れた瞬間感じた温もり。それはその闇の深さと同じ分だけの暖かさを秘めていた。
けど......
自分達にとってはあまりに理不尽な神の如き存在だった。
「何故......」
幾度と無く感じ、答えの出ない問が口から漏れる。
「それがこの木の性質だから......
この木は間なく朽ちる。この星の全てを吸い尽くしたから、もう自身の命を繋ぎとめておくだけの物はこの星には残されてない。
でも、一つの滅びが新たな始まりを呼ぶ。この木が朽ちることで、この星の歴史はまた始まる。この木を憑代に新たな命が息吹くの。自身が運んで来た数多の星の生命の情報と共に。
だからこの木を『生命の揺りかご』って呼ぶ星の人もいるみたい。この木は生命をリセットしリスタートさせる。そしてその星の生命の情報を無限の彼方へ拡散する。
それにね、条件が良くても命の存在しない星は沢山ある。種子はそこに息吹き、新たな命を宿すの。そんな記憶がこの木の中にはある」
彼女は一度言葉をくぎり、瞳を閉じた。そして再び開かれた瞳が強い意志を宿して自分を真っすぐに見つめる。
「私たちは滅びた。でも、これで終わりじゃない。
私は貴方が生きた証を宇宙へと広げたい。『人』と言う種が確かにこの星に存在していた証を。
それが私の役目だし、願いでもある。この願いが私自身の願いなのか、それともこの木の意思なのかは分からない。
けど、確かに私は今、そう思ってる。
それにね、思うの。この世界がこんな風にならなかったとしても、私は貴方が生きた証を未来へ繋ぎたいっていずれ思うようになったと思う。だから......」
深いグリーンの瞳から零れ落ちた涙が月の光を反射する。
「僕は......」




