表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

(なし)

 疎遠の知己の急報を聞いて即座に哀泣にむせんだり、弔詞でも読むような神妙な声で応ずる人間を僕は信用したりしない。誰だって個々の事情を抱え刻々と転変ずる多忙の毎日を送っているのに、そこに旧知の人間の突発的な危機を容喙したって、瞬時に情思を切り替えるのは不可能だと思うからだ。もしかしたらそんな心機転変の異能力者も存在するのかもしれないが、一般的には不可能であって、だから僕は、彼らを偽善者もしくは日和見主義者だと見做している。

 では僕はというと、そういうとき、何か極めて興味の薄い分野のうん蓄――例えば地下アイドルの美点や生態など――を拝聴させられた気分になるのだ。三文字で言えば「ふーん」だ。ただ僕も僕で、「ふーん」といった率直な返しをしてしまうし、また元来人に親和と安心を抱かせやすく、それゆえ反射的な相手の不満を引き出しやすい性質でもあるから、冷血だの鬼畜だのと、散々な侮言も頂戴してきた。初回は大学二年生のとき。祖父が心筋梗塞で倒れ、心肺停止の危地に陥ったときで、二回目が叔母の胃ガン切除のとき。三度目は社会人三年目の初冬のことで、高校時代の旧友が、入籍の二週間前にいきなり突然死したときだ。いずれも僕を微塵も動揺させなかった。で、いつもの如く呑気さを発揮して、結果「あんた何とも思わないの?」と非難の一語を頂戴する破目になったわけだが、幸いにも以来当年もって三十二歳になる現時まで、それに類する批判にはお目に掛かっていない。

 それがつい先日、四度目の叱責を賜ったのである。相手ははるばる故郷新潟より電話を掛けてきた伯父で、僕はその時、東京の自宅でスピーカーから流れるジャズの音色と戯れていた。ケータイはデスクから三歩の位置にあって、晩酌中の億劫さも手伝い、通話までに七、八度のコールを要した。

「美里がそっち行ってないか?」耳に通話機を当てないうちから伯父の声がした。

「美里?」美里とは僕の従姉である。「いや。来てないですよ」

「どこにいるか知ってるか?」

「……家にいるんじゃないんですか?」

「いなくなったんだ」

「いなくなったァ?」僕は酔余のままに笑って言った。「いなくなったってまたどうゆう? まさか不思議の国にでも迷い込んじゃったとか? でもそれにしちゃ歳が――」

「バカヤロウ! こっちは一大事だってのに、何呑気なこと言ってんだ、このバカヤロウが!」

 それで電話は切れてしまった。僕はケータイを元の位置に戻した。

 失言してしまったなという実感と、結局は等閑に付されてしまう無意味な反省をして、酒器の前に戻った。それしても伯父の焦りっぷりたらなかったなと回想した。普段の伯父は家父長制の下、第一子として誕生したこともあって、厳格で泰然としていて、重厚な茶瓶を前に腕組みしているところなど、威風辺りを払うといった人だったのに。それが直情的な悪言を自制できないくらい動転していたのだから、もしかしたら美里の身に重大事でも発生したのかしれないなと思った。何しろ伯父は、美里を格別の情愛で愛育してきたのだから。それこそ娘に近づく雑輩を、桃花ににじり寄る蛆虫どもと見做して、徹底的に叩き潰そうとするくらいには。伯父には明彦という美里の四個上の長子がいるが、その待遇の差等は見ていて可哀相になるくらいなのだ。

 それにしてもいなくなったとはどういうことだろう。拉致、誘拐、失踪、神隠し。まあそんなとこだろうが、仮に拉致か誘拐だったら、一笑に附してはおけない。

 僕は再度立って電話の前に行き、郷里の母に諜報しようと電話を掛けた。母はすぐに出て、田舎の老母らしいいくらでも要約できそうな説明を、極めて迂遠に脱線を繰り返しながら嬉々と語ってくれた。でもまあ、放恣な漫談に陥るのも仕方ないとも思うのだ。平生僕が便りのないのが良い便りを徹底していて、一度として無用の電話をしない連絡不精であるのが、母の饒舌を誘発させる原因なのだから。

 ともかく判明したのは以下の事実である。八月の上旬のある朝、平時と同様に美里は勤務地の役場に車で向かった。もちろん服飾や所持品に異変はない――紅白の格子柄の弁当包みも同じなら、前髪を清楚に留め置く紺色のヘアピンの硬質な輝きも一緒。玄関を出る直前の行ってきますの歯切れにも、隠密な思惑が策動している気配はない。しかしその日、美里の駆る丸目のデザインの軽自動車は帰着しなかった。いつもなら墳墓の静謐さで三台そろって車庫で休眠する時間帯なのに、いつまでも旧式のデザインの車の間に、空虚な不在のスペースが空くばかり。ピンクのあどけない梅花の咲く茶碗も仕舞われず布巾を被せられたままだ。

 もちろん伯父夫婦は心配して美里のケータイに電波を飛ばした。が、機械音声は電源が入っていないとの一点張り。不審に思った彼らは、次に職場に一報を入れてみた。が、ここでは逆に相手の喫驚が返された。美里は七月末日をもって、既に退社済みだというのである。

 もちろん伯父たちは困惑した――いや、伯父たちはというより伯父一人がと言った方が的確だ。伯母は安穏といおうか漫然といおうか、機敏とは真逆の性格様態をしていて、それは謹厳な伯父と連れ添う間に獲得した性質なのかもしれないが、とかく万事を鷹揚に扱う一面があった。緊急時でも「困ったわねぇ」なんて、微笑を浮かべて、まるで愉快に手をこまねくような感じなのである。それが今回にも発揮され、伯父が動転のあまり即刻警察に通報だと受話器を取って、百十番とは何番だ母さん! と声を張り上げた時、伯父を柔和に理性の世界に引き戻したのがこの伯母だった。寸時の夫婦会議が行われ、警察への一報は一晩の猶予を設けることに決まった。もちろん伯父は強硬に即応の必要性を主張したのだが、柔よく剛を制す如く、ここでも伯母の楽観的な穏健さが伯父の頑迷さをいなした。「そんなに動転していたら警察の方に笑われちゃいますよ」と、小児でも諭すような無邪気な言い方が、伯父の厳父たるアイデンィティの保護欲求に痛烈に突き刺さったのである。

 伯母は美里には美里の意思があると考えていたし、孝順だった美里が黙秘したまま行方をくらますわけがないとも考えていた。そしてその通り、翌朝早くも酷暑に突入しつつある外気の中、うんざりしたような郵便配達員が、美里からの葉書を無造作にポストに突っ込んでいった。そこには少女時代に習字教室で練達した見事な筆致で「探さないでください」と書かれてあった。が、おそらく、筆を執ってさえ嚥下した無数の情念があったろうと思われる。母が肉眼で確認したその葉書には、先述の一文が右詰めで小さく筆記され、続く中央部は、白銀の越後平野の如く無言の空白で白化していたのだから。美里はそこに何を書くつもりだったのだろう? しかし、まあ、何にせよ、その小さな紙片の到着によって、美里の失踪は自決によるものと断定できたわけだ。

 こうなると美里の追跡は絶望的だった。伯父は即刻県警に捜索願いを出したが、県警は動いてくれない。自発的な失踪者は、年間総計八万人にも上るからだ。秩序の維持が主業の警察にしてみれば、平和的失踪者の逐一に関与している暇はない。それで美里が寄宿しそうな伝手をしらみ潰しに当たっていって、ついに僕の家居まで疑惑の手が延びたというのが大略なのだが、でもこの手法を継続していっても金星は上げられないように思うのだ。僕だったらほとぼりの冷却するまで軽自動車内に蟄居すると思うからだ。

 それから数日が経過した。予想通り伯父から美里帰還の知らせは届かなかった。が、その代わり唖然とする提案が母より伝達された。痺れを切らした伯父が、探偵事務所に美里捜索の依頼をするから、その費用の一旦を僕に捻出しろというのである。その額なんと十五万。あまりにも専横な依頼で最初に胸裏に浮かんだ感想は、耄碌したなあ伯父さん、だった。かつては厳然たる良識の府として君臨し、その庇護を思えば嬉しささえ覚えるほどだったのに。

 で、もちろん僕は固辞した――固辞というのは相手の無分別な要求に対し、あまりに謙虚な表現だけれども。が、結局は承諾してしまった。その理由は諸種にある。まずは伯父に多大な恩義があって、それに報恩したい心情があったのと、もちろん美里の安否の心配も一要因ではあった。でも恐らくは、僕自身の金銭的困窮への侮りが主因だったんじゃないかと思う。

 僕の生家は決して裕福でないし、中流の大集団の中でも極めて中央に位置する家柄なのだけど、バブルの狂騒の只中でも勤倹を徹底した母のおかげで、これまで金銭的な窮乏というものに陥ったことがない。それは衣食住のほか学資の側面からもそうであって、一年間の浪人生活まで二つ返事で快諾してもらったほどだ。そして、一般的には成功と言われる難度の大学に合格し、実力というより大学の威光によって業界内で五指に入る企業に紛れ込むことができた。収入も安定している。そして、僕らは日本経済の長期的ほふく前進の下に育った世代だから、質実と節倹の精神を当然わきまえるべき必須教養として具備してもいる。お金は労働で漸増するもの。生来の楽天家である作用もあろうが、僕にはそんな能天気な妄信があって、だから伯父一家のためになら十五万円くらい拠出してやってもいいかなと思えたのである。

 ただその代価として一項の条項をつけた。それは依頼主を僕とすることであり、つまりは僕が美里の発見の第一報を耳にするということだ。美里失踪の動機を、僕は気に掛けていたのである。

 週末に探偵事務所に依頼したが、それから一週間と経たないうちに着信があって――彼は電話の向こうで「大変申し上げにくいのですが」と珍妙なことを言った――美里発見の第一報を受けた。酷似の別人と識別するために、昔海水浴に行った先で釣り上げたダツに左の二の腕を噛まれた傷痕を提示しておいたが、その点も違わず合致していて誤認ではないらしい。

 週末訪ねた探偵事務所でタブレットに表示された何枚もの写真を前に、僕は調査結果の詳報を聞いた。美里は新潟市郊外のアパートに仮寓していて、近隣のセーブオンでアルバイトをして生計を立てていた。黒子みたいな重々しい黒色の制服を着て、接客の指導中らしく、レジ内で大学生らしき茶髪の男子と同地点に視線を落とす薄幸そうな美女の写真。僕の知る美里当人だった。他に僕らが誕生する以前に築造されたらしい前時代風のアパートと、その一室の玄関を開けて、今にもその奥に消え行こうとする線の細い後姿。その住所を含めた報告資料一式を受け取って、僕は事務所を出た。

 伯父への通知は――瞬時の思案はあったのだけど――しないことにした。伯父一家とは同郷で近所の間柄であり、それゆえ美里とは盆暮れの帰省時には歓談の機会があって、その中で相互の近状を交換していたのだけど、僕の知る限り美里は、今まで一度も一人暮らしをしたことがない。そればかりか、妙齢幾ばくかを逸した今でさえ、午後十時の門限に緩く拘束されてたりする。伯父が頑として許さないのだ。曰く、女子の貞節は堅持をもって云々、伯父以外、伯母や僕一家を含めた全員が三十路を過ぎた成熟の女性に女子も糞もと苦笑の心持ちなのだけど、伯父は頑迷にも耳目を封じて三猿の如しである。

 もちろん美里は苦悩した。酒席で酔いが高じて伯父を軽快に皮肉っているとき、それまでの懇親だった雰囲気が一変して、「お父さんにとって私ってなんなのかな」と真顔の呟きが噴出したり、あるいは伯父の呪縛の害毒を非難している時、截然と言説を打ち切って哀切な嘆息を短く漏らしたりする。襲来する懊悩が大きすぎて、心身を一旦支配されるのである。そして己の失態に気付き、平然を示顕しようとして「まあ仕方ないよね、お父さんってちょっとアレだし」と諦めの微笑で配慮を見せたりする。で、僕も僕で真情より分別の隷属者なもんだから、瞬時に微笑を繕って「まあね、アレだからね」と追従をもってやり過ごしにしてしまう。

 なのに、美里がこれまで強行的に生家を出奔しなかったのは、多分、彼女自身の意志の薄弱さと伯父の強権による心理的支配、その二つがワーストマッチしてたからだと思う。付言すれば、美里の両親への恩愛も、その理由にはもちろんあったはず。

 だが、それがとうとう受忍限度を突破して、怒れる美里をして遁走させたように思うのだ、今回の事件は。ということはつまり、僕は父娘の長年の確執に巻き込まれて、巨額の援助に賛同させられたことになる。なんともバブリーな親子喧嘩で、協賛させられるこっちの身にもなってほしいものである。

 ただそれにしては、美里の逃亡はいささか本格的過ぎる気がした。美里は田舎の優良職種たる町役場の職掌までを、逃走の代価に献上しているのだ。束縛からの脱出劇としては過当な気がする。もしかしたら美里の身辺に、何か特殊の変事でも発生したのではないか。伯父への報告を留保にしたのは、そう思案したからだった。

丁度翌週は夏期休暇で、一週間丸々帰省の予定だった。帰郷の度、故郷の山海は目に新しいのだけど、大抵は一昼夜で満喫しきって、以降は再上京するまで終日無為の日々になっていたから、いい消閑事業にはなる。帰郷時、真っ先に挨拶に押しかける伯父の邸宅も、今回は後回しだ。伯父の邸宅――それは確かに邸宅と呼称するに相応しいもので、叢林の鬱蒼と生い茂る広い庭に、軒の張り出しの堂々とした屋根組みと、漆黒の鬼瓦、端然と格式高く屹立する門構えに、その奥の風情閑雅な和風建築。僕の茅屋など、この半分ほどしかない。そして、敷地の入り口からは、白色の舗装路がすっと伸び、その両脇には乳白色の可愛いらしい砂利石たちが、陽を白くにじませながら賑やかそうに侍っている。玄関には侵入者を監視する深閑とした緊張感が張り詰めていて、幼少の折、回覧版を回すときなど、随分とたじろがされたものだ。

 で、翌週、帰省の翌朝に、僕は高校時代に購入した老朽の原付バイクを駆って、美里のアパートを訪問してみることにした。僕の実家は岩室という村落の海岸にあったが、報告にあった美里の居宅は、そこからシーサイドラインを道なりに北上して、その途上で内陸に一本入った小道沿いにあるとのことだった。夏場はその付近の砂浜で、優美な斜陽と海面上の黄金の吹き溜まりを前に、大学生らしき男女が肩を寄せ合うロマンチックな情景を散見することができるが、実家を決別してさえ潮風の吹く地所を家宅に選ぶ美里の心情を想像すると、おかしくもありまた嬉しくもあった。親交が完全に絶たれたわけではないと、そう暗示されたように思えたのである。

 建物の前に着いて、エンジンをかけたまま、僕は調査報告の写真と目前のアパートを交互に看視してみた。塗装がはげて、所々腐食したむき出しの鉄骨や、くすんだ浅黄色の外壁、アルミサッシにスモークガラスの台所窓。そして玄関の戸は美里の背部を捉えたワンショットの、あの後ろ手にかけられた軽量そうなドアと同形で同色。うん、ここで間違いない。僕は砂利を敷いただけの簡素な駐車場の脇にバイクを止め、ミラーにメットをかけた。

 美里の部屋は、十二室ある二階建て建築物の二階隅、角部屋の206号室だった。僕は鉄板の階段を跫音高く登り、206号室の前まで行って、呼び出しボタンを押下しようとして――そこでためらった。呼び鈴を押して玄関から現出したのが、未見の凶漢だったらと、不意に恐怖を覚えたのである。僕は美里の失踪の理由を駆け落ちだとは想定していなかった。探偵は男の存在に言及しなかったし、自由の行使を容認されてる大人が、実父の禁獄から脱牢したくて失踪するわけがない。ましてや相手はあの保守性を極める美里なのだと、たかをくくっていたのである。が、すぐにドアホンを押した。圧倒の丈夫だったら、その時は間違いだったと虚偽を言って、後ずさりしながら退散しようと画策したのだ。でも、それは無用の愚慮だった。直後に抑制された澄んだ女性の声があり、そして丁寧にドアを開いて顔を覗かせたのは、紛れもない秀麗の美貌、美里その人だった。

「洋介。どうして――」

「うん。まあね、探してみたりしたよ」

 しばし瞠目していた美里だったが、懸念が急襲したらしく、裸足のまま大きく一歩を踏み出し、根拠地を探知されたスパイよろしく、そっとドアから外部を窺うように顔を覗かせた。もちろん僕のほかに誰もいない。

「一人なの?」美里は幾分安心したように言った。

「まあね」

「お父さんはどうしてる?」

「今?」

「うん」

「さあ。僕は昨日帰着したばかりだから、伯父さんが何してるかはちょっと想像がつかないな。でもまあ、今の時間だと」僕はポケットから携帯電話を取り出し、時刻を見た。午後三時四十五分。「午睡でもしてるんじゃない?」

「お父さんには教えた? ここのこと」

「いいや。お忍びでやってきたんだよ。もしかして秘密にしてほしいんじゃないかって思ってさ」

「そうなんだ。安心した」

 僕らはまだ玄関で立ち話をしていた。晩夏で夕刻に差しかかっているとはいえ、外気は依然暑湿がすごく、できるなら続きは屋内の冷房の効いた場所で行いたかった。先ほどから首筋を伝い、不快感を喚起するように背中をなぞる流汗の感覚が絶えないのである。といって、自分から余所様の居宅に上げろと強請するのは、ばつが悪い。

「よかったら上がる?」美里はわずかに身を引き室内に誘導するようにした。

「そうさせていただきます」

 僕は美里に先導される形で入室した。部屋は形状区分的には1Kで、三足分くらいの狭隘な玄関を通過すると、右方にガステーブルを設置する古風なキッチンがあり、左方にはトイレとバスが別個であった(内装は未使用のため分からない)。そして、キッチンの突き当たりに和室からの改修の残滓とおぼしき引き戸があって、それをスライドさせると住居区域に入る。部屋は殺風景だった。あるものといえば三つ折の布団と、キャンプにでも持参しそうな軽便な机、積み上がった書籍、零細企業で常用されるような肘置きのない事務用の椅子、パレットみたいな形状の楕円のテーブル。その上には線香花火の火花を模したみたいな観葉植物があって、無邪気な稚気的愛想を、誰にともなく勝手に振りまいていた。女性味のする物というとそのくらいで、伯父の束縛を逃れて得た自由の体現がこの粗末な居室と殺伐の生活様態だとすると、些少の疑義くらい呈すべき気がした。

「テーブルの前に座ってて。あ、座布団は椅子の上のをはいでいいから」

 そう言うと美里はキッチンに戻っていった。僕は座布団の提言を却下して、テーブルの前にあぐらをかいた。別に肛門に関連した持病もないし、自身を一種の厄災と見なす習癖のある僕だったから、人様の私物の配置を私益のために改変するというのは何となく気が引けたのである。背後では冷蔵庫の扉をはぐ音と液体を注ぐ音が二度、また冷蔵庫をはぐ音がして、美里が麦茶を持ってやってきた。

「座布団使わないの? お尻いたくなっちゃうよ?」僕の前にコップを置きながら美里は言った。

「問題ナッシング。けつは上司から毎日厳しい鞭撻を頂戴してるから、頑丈なんだ」

 笹の葉がこすれ合うような微かな印象の笑い声がした。それは美里が恒常的に喜びを表す所作であって、口角は微小に上方を向いていても、眉目は降下し、どこか愁然としていて、まるで喜悦や享楽のさなかに、哀愁にでも苛まれているような重層的で儚い笑い方だった。

「驚いたでしょ? なんにもなくて」

「まあね。でも本当に驚倒したのは失踪したってことかな。伯父さんから連絡貰った時なんか、何言ってんのか分かんなかったよ。伯父さんは用件言うなり短気を起こして電話切っちゃうし。まあ、あれは僕が酔狂で茶化したのが悪かったんだけど」

「お父さんが怒ったの?」美里は意外そうに聞いてきた。

「うん。血相欠いて電話してきてさ、美里はいねえガーって言うから、いねえガー、不思議の国に行っちゃったんじゃねえガーって言ったら、怒っちゃって」

「それは怒るよ。そんな言い方をしたら」美里は笑いながら言った。「でもあのお父さんが怒ったか」

「ね。意外っちゃ意外」

 それから――当然といえば当然なんだけど――美里はどうして居場所が割れたのか知りたがった。僕は伯父さんから焦燥の電話があった後の経緯を冗談を交えながら語っていった。ただ伯父さんへの資本供給の金額については、美里の良心の呵責を喚起しないよう、半値以下に割り引いてはおいたけれど。

「もう一度聞いておきたいんだけど、本当にお父さんには言ってないんだよね? ここのこと」

「言ってないよ。でも早々に和解した方がいいんじゃないかなあ」僕は部屋の各所を見回して言った。「この部屋を様子を勘案すると」

「うん」

 で、沈黙。それはつまり、美里に投降の意思がないということ。

 だが、なぜそうまでして独立を堅守するのか、いや、そもそもなぜ出奔へと至ったのか。僕の訪問はまさにその一点の解明にのみ力点を置いていたはずだったのだけど、いざその内実へ侵攻を決行しようとすると気重ではあった。僕にとって人の内奥の禁忌に抵触し、その逆鱗に接触するのは、想像してさえ恐怖だったのだ。僕は幼少期から父の怒号と罵声を浴びて育ったので、他人の怒気に遭遇すると否応なく縮み上がってしてしまう。それで屈辱的な譲歩の苦杯を嘗めねばならない機会も多かったのだけど、おかげで不和と対立の導火線たる題目にはかなり敏感になった。今では大半の人たちに好感を抱かせるちょっとした特殊技能にまで昇華させられたが、でも、今回のような案件では、どうしても目前で怖気づいてしまう。

 で、山積みの書冊に目が行き、「本読んでるの?」

「うん。暇を潰せるし、それなりに面白いし、読み疲れて寝たらなおのこと時間が潰せるし」

「なにそれ。生彩も生産性もなさすぎじゃない、それ?」

 彼氏でもと言いかけて僕は、それが禁句であるのを思い出した。美里は二、三年前に十年来の恋人と別れて、その傷心が未だ完癒してないかもしれないのだ。

 その愁傷の悲痛さは僕も実見していた。あるとき美里の一大事と伯父から急報があって、その週末、僕は新潟の病院まで美里を見舞いに行った。美里の一大事――盲腸に罹患したというのである。僕の訪問は術後の数日後だったが、盲腸程度、きっと平常の元気な美里に対面できるものと踏んでいた。でも現実は違っていて、消毒液臭い病室に入って薄緑の波打つカーテンの奥、そこには女囚みたいに断髪した美里が、魂の抜けきった虚ろな目つきで、掛け布団のただ一点をじっと見つめ続けていたのである。生来あごのラインより短くなることのなかった滑沢の頭髪が、今や耳殻も襟足も全面露出されてしまって、まるで男のするような髪型、そして、その表情は、悲嘆の放心が一瞬で看取できてしまうくらい虚ろ――確かにこれは一大事、ただ事ではない。でも、僕らの退室までは長く掛からなかった。会話に飢える迂闊の母が、田舎者らしい無配意の一言を、場に投じてしまったのである。

「大丈夫よ。時間が経てば、新しい恋人だって見つかるわよ」

 確かにそう言った。そして、美里は――これは本当に意外で驚愕したのだけど――憤怒を隠さない怨恨の目つきで鋭く母を睨んだ。そして、それから、すぐさま嗚咽を始めた。それで僕らは揃って場を放逐になったわけだけど、そのときが丁度、十年来の交際相手と離別した直後だったらしい。そういえば遥か昔、僕も一度だけ彼に御目にかかったことがある。名前は確か――加山、といったか。

 部屋には自粛によって話題の喪失した焦燥の沈黙が充満することになった。クーラーが辟易したように冷たいため息を吐き、麦茶の水滴がぷっくり膨張していって、やがて覇権を取った古代の秦国が弱敵よりも内乱で自壊したように、自重によって円柱のグラスを滑落した。二気筒らしき大排気量のバイクが、室内にまで爆音の鼓動と搭乗者の反知性主義の思想を届けてきた。美里は漠然と視線を虚空に漂わせたり、崩した足の足首部分にある虫指され痕を爪で刺したりしていた――まあ、美里の寡言は平常のことなんだけど。で、僕はというと、ある結論に着陸しようとしていた。それは決然と詮索の問答を開始することではない、敗走の準備を行うことである。

 このまま帰途に着けば、僕のこのたびの収穫は、美里の生存確認と麦茶一杯分の部屋荒らしに終始してしまう。だが、それでは男子の面目丸つぶれ。でもまあ、仕方ないとも思うのだ、それが僕の男性的器量の限界なのだから。

 でも、美里をこんな不憫な境遇に放擲しておくのは居た堪れなかった。近親でも知己でもあり、そんな旧知の貧困と窮乏が看過できなかったのだ。美里にはもっと平穏で安閑な境遇こそ好適のはず。だから、多少は美里の意向に反しても、伯母さんにだけは在所と実情を内報しておき、父娘の憤懣が沈静するまで雌伏してもらって、その後伯母さんを仲介者として和平交渉する――うん、これなら万事が穏当で、問題もないはず。

 そう決めて退室しようとした、その時である。

「ねえ」美里は唐突に言った。「海に散歩しに行かない?」

「え?」辞するに格別の理由はない。でも、どうして突然?「まあ、別にいいけど」

 僕らは外に出た。それから四隣の静寂に配慮した丁寧な施錠をして、浜辺に歩いていった。

 夏の午後四時三十分の海辺。それは太陽が熱烈な発光と照射を失い、その代替に夕日の優美な光明が柔らかく降り注いで、だけど気温と気分は最盛期の名残りをひきずってもいて、日中で最も放恣ながら、最も繁栄の幸福感を享受できる時。眼前の中空には太陽があって、そしてその直下には、まるで煌めく黄金の魚たちが、巨大な一列の魚群となって、歓喜のダンスに無数の背びれを絶えず水面に覗かせているような燦爛の道。足指に触れる砂はぬるく、粒状にまで細分化された砂中の石英が、幼児が構ってほしくて悪戯してくるように、眩い白点の信号を交互に送信してきていた。時折夕凪の海面を渡り来る風が吹きすぎていって、目深に被った美里の帽子を押さえさせたりした。

「どう? 東京の暮らしは。変わりない?」帽子の前部を折り上げ、美里は言った。

「全く変化ないよ。相変わらず多忙で横暴で下っ端扱いだけど、でもまあ、生ぬるくて。上々っちゃ上々かな」

「叔父さんと叔母さんはどう? 元気してる?」

「母さんは元気だよ。まあ精神……というか、自我の方は年々先細ってる感じはあるけど。なんていうかさ、完全に呆ける前に死んでくんないかなあって」

「そんなこと言わない」

「冗談だよ、冗談。半分ね。ああそういえば、美里のこと心配してたぞ、母さん」

「うん。叔父さんはどう?」

「親父?」僕はせせら笑って言った。「知らないな、まだ顔合わせてないし。まあ、あいつはあいつで好きにやってんじゃない?」

「そっか。相変わらずなんだね」

「そ、相変わらずなのさ」

 その相変わらずとは僕と父の確執、というより、僕の一方的な嫌厭の長期的状態を指示していたが、それよりも僕は、その時の美里の反応にある確信を抱いていた。母が心配してるとの忠告に、美里は「うん」とだけ即答したのだ。それは胸裏に不帰の決意がなければなされないはず。きっと美里は深慮に深慮を重ね、どんな忠言にも、全く動じることのない確然たる決意を既に堅持しているのだ。でも、なぜそこまで? 単純一時の父子間での我利衝突だと推察してたのに、そうではないのか?

「ねえ洋介、覚えてる? 昔こうして一緒に浜辺を歩いたよね。中学生くらいだったかな」

「え? ああ、うん」僕は慌てて思考を変転した。「いや、えーと、中学生? 歩いた? いや、そんなことあったかな?」

「あったよ。ほら、私が中三の時……そう、中学三年の夏休み。あの時、部活が終わって、友達と海入りに行ったでしょ? 洋介たちがいつも根城にしてたあの堤防の脇。洋介覚えてない?」

「あったような。なかったような」

 美里が中三といえば僕が中二のときだ。あの頃、僕は部活の男どもと連れ立って、午前の練習の憂さ晴らしに、日課のごとく、冷涼爽快なる海の塩水に身を沈めていた。

 仰角下がる程に白く霞んでいく青空、大空の盟主たる地位を誇示するような倣岸の積乱雲に、堤防の淵から見える遠望の山腹の深みどり、脚下に広がる蛇腹のごとき鈍重の波のうねり。僕らは助走をつけ、四五メートルはあるかという堤防の断崖から、その巨大なうねりの渦中にダイブした。みるみる近づく海の板、そして刹那の水を破る感触と着水音の濁り、全身を包む重量感たっぷりの冷たい水の感覚。そこから水を押し下げ浮上すると、静穏の海原に変声の済んだ男子たちの歓声がやんやと上がる。それが僕らの夏の午後の過ごし方。でも、その中に、ほんの僅か、女子のかん高い歓声の混在する日が、あったような気がする。あれは確か――。

「ほら、洋介が足の裏切っちゃって、大量に血を流したことがあったじゃない? 覚えてない?」

 それで僕は完全に思い出した。「ああ、あったねえ、そんなこと」

 その日も午前に部活をし、午後からは入水遊戯にいそしんでいた、もちろん通常の男どもだけで。するとそこに、青いワンピースの水着の上に白いTシャツをはためかせた美里が、その友人を連れて現れたのだ。美里は学年で五指には入る可憐の少女だったから、海外――アメリカ辺りかな――だったら、無数の歓喜の指笛が、漫然たる砂浜に騒然と鳴り交わされていたかもしれない。でも当時の僕らは、当年もって十四歳になる鋭敏な自意識を持て余す日本男児のなりそこないで、その意表外の出現を倒錯的に歓待することしかできなかった。つまり、堤防の突端で合議の形式をとってまごつき、僥倖を苦慮で擬態する、それだけだったのである。

 でも、当惑は当初の数分間だけだった。旧知の仲である僕と美里が接点となって、うまく融和した。だから異文化との遭遇の衝撃は、極めて軽少なものだったと思う。僕らは男女の性が分岐し始めたばかりで、異性への憧憬とともにそれを倍数化した畏怖があったし、それによって強引乱雑な接近や淫猥な悪計は戒められ、単純で明快で無邪気な交流が成立したから。僕は美里の連れてきた子と多く話した。というより、僕の影法師みたいに常時追跡してきて、僕の生活周縁の細部までを質問した。その逐一は記憶してないが、感覚的には驚嘆の分をも和気に変換したような安穏の「そうなんだあ」を繰り返してたように思う。彼女は犬みたいな腰の強い毛髪をしていて、それを肩まで伸ばし、末端から五センチくらいを三つ編みにするといった奇抜な髪型をしていた。堤防に不慣れならしく、テトラポット間の僕の軽捷な移動を称揚したり、フナムシが俊敏に道を空けてくれたそのせっかくの計らいを、無碍に遁走したりした。

 事件が勃発したのは夕方の四時ごろだったと思う。砂浜に縞の影が落ち、僕たちの陰影が十三頭身ぐらいまでに伸長していたから。それが誰だったかのかは分からない――美里か、はたまた美里の友人か、いや興奮冷めやらぬ幼稚な同輩の一人だったのかも――が、ともかくそのとき、堤防の先端からだけでなく、堤防を囲繞するテトラからは飛び込まないのとの意見が急浮上したのである。堤防の突端は農業用水の排出口になっていて、直下は水深三~四メートルの水濠が保証されていたが、その他の場所は、水没のテトラが暗礁となって、水底までいかほどか全く見当がつかない。安易に飛び込めばフジツボだらけのコンクリート壁になます卸しにされる恐れがある。でも、僕らは一瞬の目配せをもって決行を決めた。女子の期待の笑顔が興奮剤となって、温順だった牧牛たる僕らは、そのとき、暴勇無謀の狂牛に豹変していたのである。

 飛び込みが始まり、最初の一二回は慎重と怯えが混在した。が、連続した成功体験の蓄積が、傲慢と未知の解明の喜悦を呼んで、警戒心をたわめ、更なる少年の冒険心を惹起した。今思えば無謀にも程があるのだけど、それまでテトラの頂上から垂直に落下するのみだったところを、僕は、堤防を助走して、そこからホップステップジャンプでテトラの突起に次々に飛び移り、そのままの勢力と興奮を維持して、紺碧の水面に躍り出ようと画策したのである。

 仲間たちが順繰りに飛び込んでいき、そしてついに僕の番になったとき、その権利を放棄して堤防に引き揚げていく僕を皆は訝しんだ。

「おい、どこ行くんだよ?」

「待ってろ。今すごいの見せてやるから」

 おそらく上記ような情報戦があったと思われる。ただはっきり言えるのは、この意図を察知した美里が、危険の予感に恐怖したような制止の叫びを放ったことである。しかし、逆に男子たちからは、そんな先見不能の革新的遊戯の方法があったのかと期待に胸ときめかす歓声が連発した。決定的にこれがいけなかった、僕を功名心に奔走する駄馬に変えたのだから。

 僕は始点に立ち、それから決然とスタートを切って、過不足ない速度まで加速した。そしてジャンプし、予定のテトラに移る最初の一歩は上手くいった。しかし、続く二歩目、些少の角度調整を要する切り返しの着地で僕はちょっとの――しかし致命的な――失敗をした。曲面の接地点でバランスを崩し、ほとんど踏ん張りの効かない状態で跳躍をしなければならなくなったのだ。そして、海面を眺望する絶頂の三歩目。接地はできた。が、このときにはかかとは尻の肉に触れんばかりに近接していて、そんな屈伸のつま先立ちからでも僕は、華麗の円弧で飛んでやらねばならなくなっていた。そして飛翔した――設計の狂った鳥人間コンテストの機体の滑落を、飛翔と呼称していいならだけども。

 落ちゆく僕の眼下には、清澄な碧水の奥にフジツボの斜面が揺らめいていた。まずい、このままでは足から尻、背中までが損傷することになる! 僕はとっさの判断で右足を差し出した。それから次の瞬間、着水の衝撃と音波の混濁が襲ってきた。右足は着地と滑走の抵抗のために膝の屈折する感覚はあったが――でもそれだけ。僕は海面に浮上し、立ち泳ぎをしながら安堵の呼気を天に向かって吐き出した。すると今度は興奮の歓喜が沸き起こってきた。危機は去り、当然課されるべき失敗の科刑を、僕は受け流したのだ。

 そして接岸場所に向かって泳ぎ出そうと身体を横たえた、その時である。女子たちの戦慄の悲鳴が上がった。何かと思って見ると僕の横臥の足先に、暗澹たるもやが、不吉を暗示し、広がっていたのである。

 焦慮と驚愕はあったけれど痛覚はなく、が、とにかく僕は着岸し、上陸した。そしてそのまま自宅に直帰するかといえば――愚蒙にも程があるのだけど――しなかった。無痛をいいことに、仲間達の正式の手当ての忠告を聞き入れず僕は、釣り糸とタオルで足裏を緩く結束するだけで、仲間たちの歓娯を観賞していたのである。出血なんてすぐ止まる、そう楽観していたのだ。が、失血は止まらず、そればかりか疼痛の脈動が明白に足裏を叩き始めた。僕は不安になって立ち上がり、皆に辞去を申し出た。が、このときには既に、僕の去就の自由は僕の掌中から離れてしまっていた。堤防の先端から砂浜までを移動するその僅かの間に、電流マッサージ機で児戯するほどの拍動が、微速の歩行も困難なほどに全身を緊縛する熱い激痛へと変質していたのである。

 足の接地をどう工夫してみても裂傷が刺激され、痛みが走って亀裂部を加熱していく。自発の愚行の結果だから、今さら泣き言を言って、援助を乞うのも癪に障る。なのに僕の前途には、堤防を抜けて足を取られる砂浜を渡り、自転車にまたがって幅狭い国道の路側帯を独行しなければならない遼遠の帰路がある。その難渋の行程を思うと途方に暮れるより他なかった。どうやって帰ったらいいのだろう? 万事休すか?

 僕は自棄の心境でその場にへたり込み、後ろ手を着いて痛覚の逆鱗に触れないよう、そっと足を前に投げ出した。すると美里が駆け寄ってきて、想像するに足が痛くて歩けないのかなどの不名誉の問答と、だから注意したじゃないといった過失の追認を求める屈辱の叱責があったと思われる。今まさにその痛苦に苛まれているのだから、これ以上の加虐はよしてくれと、美里を疎ましく思った記憶があるからだ。で、僕はその煩い従姉から退避するべく、右足と他との衝突に注意しながら起立し、けんけんしながら前進した――そうか、けんけんで帰宅すればいいんだ!

 僕は小刻みな跳躍を繰り返しながら帰路を急いだ。美里は「ちょっと待ってて」と慌てて言い、夕暮れの斜陽を浮かべる堤防の終端に走っていった。そしてこれは、その記憶通り。中央に待ってての手掌を広げる逆光の美里と、その遠景に点在する和気に溢れた同じく逆光の仲間たち、そして慈母の如き柔和な太陽と、その下の童子の歓喜の喧騒みたいな無数の金波の集積、その戯れ。僕はその情景に限りない魅力を感じ、そこからただ一人退去せねばならない愛惜の強さに、知らず綿密な記憶を行っていたのだ。

 独歩していると幾分もしないうちに美里が駆け寄ってきた。しばらくは無言のうちに互いの意向の角逐――僕は美里を引き離したく、美里は僕の監督役を務めたい――が続いた。でも、早めのけんけんは、いわば早めのジョギングと同等で、僕は段々と息が上がってきた。そればかりか、失血量の問題からか、視界が夕闇のせいでない紫紺の斑点で濃く塗り潰されていき、終いには眼界が捻転していくような感官までが襲来した。特に倦怠感は甚大で、まるで五キロマラソンでも走破したかのような疲労感である。断続的に左膝に手をつき、小休止を挟みながら、家居までの大行程を悲観するより他なかった。堤防こそ踏破したが、未だ砂漠の入り口、先程から百メートルくらいしか前進していない。

「大丈夫? 肩貸そうか?」

 美里は中腰になって、僕の顔を覗き込むように言った。でも、僕はそれに即応の拒否を返答した、と思う。助勢の辞退は自動的に生じる天来の習性だったから。でも、美里は僕の顔相に事態の危急を察したのか、自然の流麗さで小さな頭を僕の右脇に滑りこませてきた。従姉とはいえ、弱冠の水着の少女に密着されるのが気恥ずかしく、僕はもちろん抗拒した。が、結局は押し切られた――いや、押し切られたように繕ったといった方が適切だ。内心では美里の助力を切に待望していたのだから。

 それから僕らは優美な光を背に浴び、二人三脚でゆっくりと歩いた。そして自転車置き場に到着すると、西日差す中、僕を前衛に、長い二つの自転車の影を伸ばして帰宅した。僕は助かった――即座に連行された市立病院で、緊迫のストレッチャーが往来する緊急外来の待合室の中、Tシャツに水着姿、肘や頬には呑気な遊興の砂粒の付着する僕が、いかにも場違いで、羞恥に絶えない思いはしたけれど。全治三週間、局部麻酔のもと合計二十針を縫う重傷。それが僕の負傷の全貌だった。

「すごい血だったよね。海に漂ってた血の航跡も凄かったけど、足に巻いてたの、あれタオルだったっけ?」

「うん、タオルだった。水色の」

「あれなんて出血でどす黒くなってて、顔なんかもう真っ青で。なのに大丈夫だって言って聞かないだもの。まるで幽霊が笑ってるみたいだった」

「仕方ないじゃないか。痛みが皆無だったんだから」

「まあ、そこが洋介らしいんだけど」美里は足先に視線を落として言った。「でもあれ、ちょっともったいなかったなって思うな」

「もったいなかったって、何が?」

「今さらだけど、朋ちゃんって、いたじゃない? 私と一緒に来た子」

「いたね。おさげみたいな髪型してた子でしょ?」

「おさげ? おさげなんかしてたかな? いつもは後ろで一つにまとめてたんだけど」

「いや、あの時はおさげみたいな髪型だったよ。こう中央で分割してて、で、先端だけ三つ編みみたいな奇妙な髪型してた。変わった趣向だなって思って覚えてる」

「そう。じゃあ、その時だけおさげだったんだよ、きっと。でも分かるかな。あのね、どうして私たちがあの日あそこに行ったか分かる? 洋介」

「いや、単に海水浴のために来て、かつ僕らの本拠地にしてる堤防で偶然鉢合わせたようにしか見えなかったんだけど。違うの?」

「違うよ。朋ちゃんはね、洋介に興味があったんだよ。で、私はそのお供。私たちって、ほら、親戚同志じゃない? それで強く頼まれて断れなくて。じゃなきゃ海なんて行かないよ。日焼けするし、疲れるし」

「ああ、そうだったのか。どおりで――」

 確かにあの日、颯爽と光臨した美里は、熱射の砂浜で、白雪のように滲む純白の素肌を呈していた。美里が中学に進学してからは家族ぐるみの海水浴にも不参加だったし、その日以来、僕らの海岸に美里が出没することなんてなかった。本当にあの日だけが特殊だったのだ。

「じゃあ」僕は言った。「確かにもったいないことをしたのかもしれないな。好意を無碍にしたんだから」

「そうだよ。でももう遅いよ。朋ちゃんはもう結婚してて、今や二児のママだもの」

「そっか。それじゃもう一夜のアバンチュールに誘惑してみるわけにもいかないね」

「うん。でも、もしかして、普段からそういうことしてたりするの? その、家庭のある人と一過性の関係を持つ、みたいな?」

「まさか」僕は大仰に肩をすくめて言った。「ないよ。それはない。僕にそんな勇気も甲斐性もないことくらい、よく知ってるだろ?」

「うん」

 二羽のうみねこが緩慢に細い翼をばたつかせながら、浅黄色の砂浜に素早い陰影を落として飛行していった。彼らは呼応するように交互に興奮したような鳴き声を交わしていたが、それが僕らの注意を引いた。足が止まり、そのせいで波の起こす気怠そうな砂の巻き上げと崩壊、その後の寂寞たる余韻が強くなった。

 僕らはまた歩き出した。

「でも何だかんだ楽しかったよね、あの頃」美里は言った。「青春だった気がする」

「うん、青春だった。間違いなく、青春だったさ」

 一九九〇年代中盤、それが僕らの青春だった。バブルの崩壊とともに世間の実相と乖離した狂騒劇が終幕を告げ、その余波が実社会の隅々にまで浸潤し、社会構造の根幹までをも大きく揺さぶっていた。当時五指に数えられる大手証券会社が破綻したり、中小企業の血流を担う地方銀行が次々と潰れていった。朝のニュース番組ではそれが連日取り沙汰にされ、美貌のニュースキャスターが深刻顔に「またも」「今度は」と不況の影の濃彩化を伝えていた。預金の引き出せなくなった人々が鉄柵の降りる窓口に雲集し、その門前で撤退のしんがりを務める支店長が怒号と罵声を一身に浴びるシーンが何度も放映された。

 それでも社会は熱狂の余熱の世相を呈していた。CDが飛ぶように売れ、毎年の歳暮には、その年の世情を代表するアーティストたちが、艶を競わんと力の限りの熱唱を繰り広げた。輝きを放ちながら桜花の如く回転する金銀の紙吹雪、上下左右を問わず曲調の変遷に併せて放射される数々の光線、楽曲の最後の残響がふっと掻き消えた瞬間の、聴衆の割れんばかりの大歓声。僕らはテレビの前で彼らを胸をときめかせて見つめた。若者は安逸だった。少女たちは僅少の拘束さえ忌避するように怠慢なルーズソックスを履き、そして、その足で我が世の春を謳歌せんと躁的な歓声を上げ、繁華の街に繰り出した、昼の街にも、夜の街にも。きっとそのうち何割かは数年後、大衆の困惑と苦笑を一身に集める地底人みたいなチョコレート色の体表に、喜々と覆われていたのに違いない。そして男たちは、常世のことわり通り彼女らの尻を追い掛け続けていた――人類の美的感性における未開拓分野の最先端を、旋風以上の亜光速で疾走する彼女たちに対し、いささか呆然とするほどの周回遅れを食わされてはいたけれども。他方、大人たちはバブルの狂宴の習慣を保持していた。朝には不況の悪相に暗晦の未来を憂いても、夕べにはその日の労務の満足感に気鬱の憑依がすっかり剥離して、愉快な遊興を求めてネオンの洪水とタクシーのパッシングの交錯する夜の街に吸い込まれていく。そして、労苦の慰安に瀟洒なホテルのバーなんかで、足を組みながら熱帯の海水を今汲んできたみたいな色のカクテルを前に、一夜のアバンチュールの相手や将来の伴侶たる運命の人との邂逅を、心秘かに熱望してたりする。僕は、私は、君に会うために生まれてきたのかもしれないなんて、そんな陳腐な称揚に、心ときめかす隙も用意してだ。そして始まるどこかで聞いた浮薄な体験、音量の大きい哀歓の訴求、でも大抵は誰とも遭遇せずに終わる。たまたま当たりくじに会遇したところで、甘美な思い出に昇華するのはさらに稀、多くは自己嫌悪を誘引する徒労の実感から、ほろ苦い悔悟の念に苛まれる。それでも、彼は、彼女は、望外の一遇に憧れを燃やして、またネオンとパッシングの交錯する雑踏の巷に、喜々と踊り出してゆく。

 それが僕の九〇年代、僕の過ごした青春の九〇年代中盤だった。社会には活力と、消費と、喧騒があふれ、それらより生ずる悲喜と甘苦の酒杯を、最後の一滴まで味わい尽くさずにはいられないといった混沌への希求の雰囲気が国中に充満していた。そうだ、僕は、いや、僕と年代を同じくする者みんなが、その興奮の活気を胸一杯に吸い込み、育ってきたのだ。

「いろんな物が輝いてた気がする」美里は中空の太陽を見上げていった。「あの太陽みたいに」

「うん、すごく若かったしね。もうピッチピチしてた。お互いにさ」

 僕はもちろんからかったつもりだった。妙齢を終え、その若々しい栄華の残香を濃密に引きずって決別しきれない三十路過ぎの当今、生傷のように過敏なその傷痕にわざと接触するのである。当然不愉快な顔容の抗議で即応されるものと思っていた。しかし、美里は襟足の黒髪を潮風に弄ばせたまま、繊手を帽子に乗せて、遠景の斜陽を静かに眺め続けていた。奇妙な停滞が続いた。もしかして怒らせてしまったのだろうか? でも、これまで年嵩の玩弄によって、真剣な憤慨に至ったことなんてなかったのに。

「……美里?」

「あのね、洋介」

 淑やかにゆっくりと振り返った美里の眉宇には、まごう方なき哀愁の気配が漂っていた。僕ははっとし、心的な受身の姿勢をすかさず取った。もしかしたら伯父との熾烈な確執の内幕が、いよいよ拝聞できるのかもしれない。

 美里は二の腕を掴んだ姿勢で視線を合わせないまま、刹那の逡巡の様相を見せた。この躊躇に遊泳する秀麗の双眸が、僕の視線と再びかち合ったとき、僕の知りたかった回答がきっと得られるはず。

 僕は身じろぎもせず時機の成熟するのを待った。

 明眸が、返ってきた。「洋介、明日ひま?」

「え、明日?」明日とどんな関係が?「いや、暇だけど」

「じゃあ、ドライブに行かない? 一緒に」


   (二)


 次の日、朝の十時半に僕は美里の貸室を再訪した。もちろん美里のドライブの提案に応じてだが、美里はあの時、何を抱懐してたのだろう? まさか往き遅れの我が身の振り先を、従弟たる僕に設定したのであるまいか。確かに僕は、柔弱で前途の展望に茫洋たる広がりを望めぬ凡夫ではあるけれど、それなりに優等な収入とその継続を――少なくとも当面は――保障されている。頼る伝手のない美里にとって、親子確執の大火に飛来してきた夏の虫と、見えないこともない。でも、だからって……。

 この仮説が浮かんだとき、僕は風呂場で洗髪をしていたのだけど、頭部を泡まみれにしながら思わず笑ってしまった。推量の方向性が、あまりに突飛で低俗過ぎるように思えたからである。でももしも、万が一にも、美里の胸中に沈潜する真情が、僕への恋慕の情、もしくは、僕を惑乱する邪知奸計の類だったら? 敢えて辞さない――かもしれない。ただ幼少の頃よりの恩怨や好悪の情の山積で、清新な恋愛とは無縁になるだろうけど、福分の多い多幸な結婚生活なら組成できそうではある。古来より、従姉弟同士の結婚は、鴨の味とも倣わされているのだし。

 昨日と同経路をたどってクリーム色の古アパートに着き、ロープのみで区分けされた砂利の駐車スペースにバイクを停めて、集合住宅の薄い鉄製の階段を上っていった。二階の通路は欄干のみで海岸方面に開けていたから、夏の朝の爽快な海浜の景色が一望できる。真夏の陽光を浴びて白い河川のように横臥する煌めきの砂浜に、その奥の沈着不動の青々とした雄大な海、水平線から黒々と体躯を覗かせるちょっと不気味な佐渡の島影。微かに波の崩壊する残響が、盛者必衰の無常を暗喩するように、長く遠く響いていた。僕は足を止め欄干に手を掛けたまま、その美観の起こす清風の、胸中を吹き過ぎるのを待った。すると通路奥のドアが静かに開いて、美里が顔を覗かせた。

「ちょっと待ってて」

 声を掛ける間もなくドアが閉まり、しばらくして再度きしむ音を立てて美里が出てきた。左肘に白桃色のがま口財布みたいなバッグをかけ、アキレス腱の露出した退色のタイトジーンズに、袖口に波状のレースをあしらった白の半袖シャツ。不意の訪問だった昨日と違って、華美になりすぎない丁寧な化粧もしていた。婉麗の佳人と形容して、全く違和に感じない。

「どうしたの?」余程不審な目を向けていたのか、美里がそれ以上の怪訝な目を向けてきた。

「いや、随分めかしこんでるなと思ってさ」

「うん。洋介と二人なら部屋着でもいいんだけど、今日は市中に出るから」

「そっか。そうだよね、納得。ところで、よく僕が来たのが分かったね」

「だって建物が揺れるから。部外者の場合は揺れるのよ、住人はみんな丁寧に歩くから」

 僕らは太陽の熱でのぼせてしまったような桜色の車の前まで行き、両側のドアを開放して暑気払いをした。で乗車した。僕が助手席で、美里が運転席。もっとも絶遠の衛星軌道から、右折だの左折だのと周密に指図してくるスマフォアプリの恩恵で、無知の助手たる僕の出番は皆無なのだけど。

 発進してすぐ国道の分岐に出会い、新潟市の中心部に向かうと言った手前直行するのかと思ったら、美里は逆方向にハンドルを切った。

「あれ? 新潟に向かうんじゃなかったの?」

「うん、まずは高校から行こうと思って」

「高校? 高校って、美里の行ってた高校?」

「うん。昔を懐かしみたくって」

 胸のすくような清涼の海を横手に、海風に運ばれてきた砂塵が側溝に堆積する直線をひた走りに走って、故郷の村落を通過し、鬱蒼とした山林の峠を越える。山道は層状をなす緑陰の直下をうねって進み、はむらの切れ目から瞬間垣間見える渓流の煌めきが目に眩しい。峠を越えると、そこからは普遍的に存在する遮蔽物のない大空と、万遍に広がる力強き稲穂の緑。その軽風にざわめく田園の只中を、まるでその線上だけが浅瀬で他は海溝だと皆が知覚しているように、車が縦列をなしてのんびりと縦断していく。そうした農道を緩行していくと、遠方に比較的豊満な質実の建物が見えてきた。軍需工場みたいな半弧の無機的な屋根の館に、積年の風雨塵芥に白壁の黒ずんで見えるコンクリート製の巨大箱型建築。

「もしかしてあれが美里の母校?」僕は聞いた。「あの、大戦時に戦車とか戦闘機とか作ってそうなやつが?」

「あー、言いたいこと分かる。なんか古びた感じだもんね。でもそう、あれが私の母校」

「十五年ぶりぐらい?」

「……のくらいかな。卒業してから来てなかったから」

「まあ既卒生に用事ないもんな。地元に残留してるならともかく、進学で上京しちゃった人間にとってはさ」

 即答の予想に反して意外の空隙があって、そして僕には不可解なことを言った。

「きっと来ることになるって思ってたんだけど。でも来れなかったな、結局」

 夏期休暇中の高校は閑散としていた。開け放たれた頑健そうな鉄門の奥には教員たちの駐車場があったが、平時なら整然と埋まるだろうその空間も多数が空いていて、まるで老婆の歯抜けの歯列みたいだった。奥の建物は二階建て。日光を薄く反射するガラス戸の向こうに、壮年らしき男性の往来する人影があって、どうやらそこが教員室らしい。美里は横着せずに停車中の赤いボックスカーの真横に綺麗に駐車した。

「私、見学の許可取ってくるから、洋介、ここでちょっと待っててもらっていい?」

「どうぞ」

 美里が出て行くと車中に深閑な気が満ち、代わりに運動部らしき男女の快活な掛け声と、ボールを床にバウンドさせる音響が混交して聞こえてきた。

 僕は往時を追懐するが如き美里の訪問を判じかねていた。懐かしき既往の追体験は、僕だって希望することはある。もちろん、そのための手続きなどを想像しただけで、たちまち霧散してしまう雑念的欲求ではあったけれど。でも、仮にその煩瑣が解決されたとして、そこに無関係の人間――例えば僕――を随伴しようと思うだろうか。いや、僕なら一己で訪問して、一己で懐古の感慨を堪能しようと思うのだ。だから、何ゆえ美里が部外者たる僕を伴ったのか疑問ではあった。

 しばらくして美里が戻ってきた。

「許可もらってきた。洋介、一緒に行かない?」

「もちろん。据え膳は皿までいただかせていただきますよ」

 美里は後部座席から昨日のつば広の帽子を取り出し、あご紐を首に掛けて校舎に向かった。入口に入ると黒ずんだ帯を落ち武者みたいに垂らした優勝杯と、猛禽類の鋭利な眼差しが重厚に刺繍された黄土色の優勝旗が、それぞれガラスケースの中で誇示するように展示されていた。床はコンクリート製で、経年劣化で完全な平坦ではなくなっていて、所々で歪んだ楕円の光沢を浮かび上がらせている。教員棟と教室棟は長い渡り廊下で連結していて、その途中に白熱の体育館―そこはきっと真正のサウナ状態――があって、僕らは教室棟の方に向かった。

「こっちよ」

 渡り廊下を末端まで進むと美里は迷わず右折し、一年生が在籍する教室を四ヶ所過ぎて、一―五と室名札の出ている教室へと入った。そして、白い木目調の机が本来の持ち主たちを魂魄を眠らせて待つような静寂の中、前から三つ、左から四つの目の机の所まですり抜けていって、その角にそっと手を乗せた。

「ここに座っていたの」そう言う美里の顔には、なぜか愁色漂う微かの笑み。

「……座ってたって、誰が?」

「加山君」

 ああ、そういえば美里と加山は、高校で出会ったんだったなと僕は思い出した。でも、なぜ加山がここで?

「ちょっと座ってみてくれない? ここに」

 所有者の男女の区別も判然としない他人の物品を操作するのに抵抗はあった。でも、その間も美里は僕に、何となく抗し難い静かな圧力の視線を向け続けていた。

「まあ……、構わないけど」

 僕は指示通りそこまで行って椅子を引き、腰を下ろした。美里は後方に桂馬飛びに移動した席に行き、自らもそこに腰を落ち着けた。すると寸隙あって、小さい笑いが後方から聞こえてきた。

「やっぱり小さいね」

「そりゃ加山さんと比較されても困るよ」僕は半身を捻転させて言った。「あんな幅広の大剣みたいな男と比較されたてもさ」

 百七十センチに至る前に成長を停止した体長、矮小の運動エネルギーしか生成しない六十キロの体躯。それが僕の貧相な体格で、それに比して加山は、百八十五センチ超の身長に、精悍な顔付き、肩幅も広く、四肢にも体幹にも膂力を生み出す修練の証明が、幾層にも緊密に巻きついている。

「そうなんだけど」美里はなおも楽しそうに言った。「でも、懐かしいな。加山君が前列に座ってると黒板が隠れちゃってね、それでよく社会の先生に『おい加山、板書終わったら伏せてろよ、後ろの人たちが見えないだろ』ってからかわれてた」

「嫌味な先生だね」

「でも加山君は気にしてなかったみたい。『あんなことでしか笑いが取れないんだろ』って憐れんでたくらい」

 それから不図スイッチが切れたみたいに僕への配慮が消失して、美里は懐旧の瞳で窓の外を眺め始めた。きっと美里の視界には、七色の彩光で装飾された無数のバブルが噴出し、その一つ一つの鏡面には、往時の緊迫の教室と、その中での重厚な加山の若き後姿が、以降の悲哀の運命を伴って、燦然と煌びやかに映出していたのだ。

 次に僕らは階段を上って三階に上がった。美里は三―四の教室前に僕を導いたが、今度は教室には入らず、廊下の窓を開けて下界を俯瞰する体勢になった。生ぬるい風が吹き込み、眼下にはグラウンドがあって、球技や陸上などの屋外部活に勤しむ生徒たちが、炎天の極暑をものともせず、溌剌と怒号のような掛け声を上げ交わしている。

「ねえ、知ってる? 私、高校の頃、野球部のマネージャーやってたのよ。ほら、あのダイヤモンドの三塁側の木陰に立ってる練習着の女の子、いるでしょ?」

 美里はグラウンドの最奥に屹立する堅固な深緑のフェンスの辺りを指差した。そこにはキャップを被り、上半身だけを練習着に纏わせた紺色のハーフパンツの人影が立っていた。

「あの子みたいにあそこに立って、よくライトの守備を見てた」

「ライト?」

「うん、加山君はライトだったから」

 その一言で、僕は加山が野球部だったことを了解した。

 当初美里は加山に魅かれている自分に気付けずにいた。ただ遠地から鈍重なステップで放たれる加山の高速の矢の返球と、その後のバックステップを踏みながら謙譲に、しかし自負に溢れて帽子を持ち上げる会釈の仕草に、思慕の疼きを感じただけだった。

 その恋愛の淡い色合いを自覚するのに時間は掛からなかったけれど、一旦明確になってしまうと、それは美里を当惑させた。十四五歳を迎える以前から男子たちに人気で、優等で信望のある男子とは、その応需に従って交際してきた美里だったが、それは好意を寄せられた感応によって醸成されたいわば鏡合わせの好意であって、美里が自発的に恋慕の情を抱懐したことは、実はそれまで一度もなかったのである。それが加山と出会って、未踏の見地に至り、困惑することになったのだ。

「だって遠くからそっと窺うこと以外、私にはどうすることもできなかったもの。加山君はいつも男子たちに囲まれてて輪の中心にいるような人で、簡単には近づけなかったから。もちろん話し掛ければ明るく応答してくれたけど、誰にでもそうするような公平な態度で、私のことを好きそうな素振りなんて全然なかった」

 それが八月の終わりのある日、練習後の一年の部員数人とグラウンドの整地を行っていたときに、突如加山に散策に誘われ、制服に着替えた後、近隣の遊歩道を一緒に歩くことになったのである。

 爛熟しきった赤熱の夕陽が遠く山の端に差し迫って、その一帯の空域を朱に薄く染め上げていた。暮れなずむ田園の草原が暑熱を収めた涼やかな微風に撫でられ、憩いの囁きを交わすように、乾いた清音を立てていた。夕闇に隠れた草むらの底部からは、鈴虫たちの絶え間ない可憐の輪唱が響いていた。美里は校門を出てから厳然とほとんど口を利かない加山を、一つの歓喜の予感と不安を共在させて訝かしんでいた。そんなことあるわけない、でももし、それが実現されたら! そう考えると美里は、恋の成就の喜悦や福音の不意の到来の困惑よりも、将来に対する漠然とした恐怖を強く感じた。少し前を行く加山の圧倒の背中に強力に牽引されながらも、焦燥で今すぐこの場を逃げ出したかった。息詰まる程の緊張の持続と漫然の追従の交錯する歩行の中、どうして知覚されたのか、美里はもうすぐ加山が停止すると直覚した。そしてその通り、加山はおもむろに歩みを停めた。振り返った加山の情熱と気迫に燃える瞳、そして顎の上向くほど顔を上げた美里の高揚と怯懦のせめぎ合う震える瞳が、その瞬間、一直線に絡まった。もはや何者もこの男女の純粋な想いの噴出を制止することはできない! 加山は一度自身の臆病さと最後の決別を期すように刹那の逡巡を見せ、それから無上の熱量を持つ激情の猛りを静かな愛の言葉に変換した。その瞬間、恐怖と焦慮に苛まれた美里の心は百花の彩光に沸き立った。そして、肉体を超越して拡充しそうになる豊満な歓喜を永遠のものとするように、胸の前に柔らかく握った手を添え、こう言った。「はい。私もあなたが好きです」

 相変わらず窓からは若者たちの活発な――ややもすれば粗暴ともとれる――喚声やホイッスルの高音が乱入してきていた。

 この話が終わったとき、僕は美里がなぜこのような極度に私的な情動の軌跡を僕に披瀝するのか疑問ではあった。本来なら、このような青春の栄光は、胸奥の宝物庫に保管して、老境の折にでも安楽椅子に揺られながら虚空に描いて堪能すべきもののはず。なのに、どうして僕になど委細を開陳したのだろう。分別と節操を堅守する美里には、異例のことである。もしかしたら今般の美里の出奔は、伯父にではなく加山に根本原因があるのではないか。

 が、僕はそれを直言しなかった。もしそれが本質だった場合、それは美里の傷痕に塩を塗る行為かもしれず、つまり僕は、美里の逆鱗に抵触するのを危惧したのである。

「なんか怒髪天に来るくらいの青春っぷりだね」本意を代替して僕はそんなことを口走った。「僕も野球やってりゃよかったかな」

 でも、これには驚くくらいの長考の沈黙が返ってきた。その間僕は、美里の虚心の横顔とその視線の刺さる彼岸の周辺を探ってみた。どうもライト近辺を指向しているらしい。

「洋介は何の部活入ってたんだっけ?」

「え? あ、陸上、だけど」

「陸上かあ。洋介らしいね、昔から足早かったし。野球だったらセンターかな」

「センターか。それってもてたりするの?」

「もてないよ。大体、大きい当たりに後ろを抜かれて観衆の落胆を一身に背負うのがセンターだから」

 そのとき、僕の脳裏に、懸命に跳ねるボールを追走する少年の後姿が映出した。応援席でボンボンを胸に押し当て、心配そうに趨勢を見守るチアガールの姿も。

「ホントはセンターが一番守備が上手なんだけどね」美里は続けていった。

「切ない話だね、報われないってのは」

「そうね。切ないね、報われないって」


 いい加減フロアの加熱に耐えがたくなってきたのと、単調で無目的な観賞に退屈してきたのとで僕らは一階まで降下した。他にも諸所を散策するのかと推察してたが、美里的には満願かなったらしく教員室の前髪の後退した男性教諭に礼を述べ退校した。

 すっかり茹で上がった自動車を先刻同様冷却する間、僕は日射に手をかざして美里に尋ねてみた。

「次はどこ行くの?」

「新潟よ」

 よかった、新潟ならば、しばらくは心身を蒸し上げる事態にはならない。そして、その予想通り道中は、多少車臭い安堵の涼風と、FMのDJの陽気な声調が快適に車内を循環する安閑の旅程となった。都会に蔓延する加速と興奮のリズムが和らげられ、牧歌的な緩和の果てに安眠するような沈静の景観がどこまでも広がる。広漠とした緑の稲穂、遠景に散在する人々の集落、巨大生物の繭のような夏の積乱雲。山腹の寺社には人煙が一筋、ぽっかりと立ち上っている。どれも太古の昔より受け継がれてきたものばかり。

「洋介はさ」前方の注意を逸らさず美里は聞いてきた。「高校の頃付き合ってる人とかいなかったの?」

「いなかったよ」

「どうして?」

「どうしてって言われても」僕は苦笑を噛み殺して言った。「僕に好意を抱いてくれる子がいなかったからじゃない? もしくは好意があっても、告白してくれる子がいなかったとか。いや、僕としては絶対に後者だと思ってるんだけどね、うん」

「じゃあ、好きな子は?」美里は笑って言った。

「好きな子か。好きな子は、いた、かな」

「どんな子だったの?」

「中学から一緒だった子だよ、バレー部の。ただ僕の場合、あれを恋愛感情と呼んでいいかは疑問だけど」

「どうして?」

「美里も知ってると思うけど、うちの親父ってキチガイだろ? 正真正銘の」

「なんだっけ? 何かの精神疾患を患ってるんだっけ?」

「そ。統合神経失調症。別名、宇宙人交感症」

「なにそれ。本当にそんなふうに呼ばれてるの?」

「呼ばれてないよ。僕だけ。でも症状を帰納すると、そう別称してもいいんじゃないかと思ってさ、とにかく理不尽、不整合、無静穏だから。例えば、黄緑色の歯ブラシがあったとするだろ? で、これを親父が使っていたとする。で、それをある日、母が古くなったからといって、無断でオレンジの新品に交換してしまったとする。すると親父は、これが我慢ならなくてさ、なぜ勝手に換えたんだ、まだ使用できたのに、俺はあれが気に入ってたんだって激怒して、それが段々混濁し始めて、歯ブラシを交換したのはなるべく早期に歯を駄目にし、自分の食い扶持を減らすためだとかになって、終いには予備の歯ブラシを全部破棄し始め、捨てた歯ブラシを出せ、さもなくばお前の歯ブラシを俺に寄こせって騒ぎ始めるんだ。予備のやつは毛先に特殊な合金が仕込まれていて、それで磨くと歯を研削するようになっている。でも、僕や母が使用中のやつは、無加工の普通のやつだからって言ってさ。笑っちゃうだろ?」

 あの日、母がどのように弁明しようとも、父はどこまでも母を詰問に追跡し続けていた――答弁にうんざりして退避した、浴室の中までも。

「そんなわけでさ、僕には慰藉が必要だったんだよ、親父と対極をなす人間味溢れる聖女がさ。その子はとても明朗で、人懐っこくて、でも真面目で道徳の確固とした子だったから、神聖視や憧憬の対象にはもってこいだった」

 僕の青春の幸福は、夕焼けの海岸で朋友たちと児戯に興じ合っていた、あの中学の時代まで。高校に入学するなり、父は精神の整合性を瓦解させ、ある日の清澄な朝、布団の中で精魂の抜けきった虚ろな目でよだれを垂れ流す父を母が見つけて、その悲鳴が四隣の静寂をつんざいたとき、僕の少年時代は唐突に幕を閉じた。そのあとに連結したのは戸惑いと苦悶と忍苦と仮面の日々。父は先述のような粘着な無秩序の騒乱を週に一回くらいは勃発させたし、その標的にされた者は、否応なく不条理の禍乱の中心に引きずり込まれた。特にその年、長年の勤務地を後にし、新支店に異動になった母には、その苦役が二重になって襲来した。いついかなる時も気丈で精神の剛健性を保ってきたあの母が、ある夜僕の前でその窮状を吐露しながら泣哭したのである。母は流れる涙を拭いもせず、こちらを一心に見つめて、哀願するように救済を懇願していた。本来なら人生の先達として強固な家庭の支柱に徹せねばならない側の母が、分別も抑制もかなぐり捨てて、童女のように泣涕する――「助けて!」と。

 もちろん僕は母を助勢した――いや、助勢したというよりは、それ以外の選択肢がなかったと言った方が正しいかもしれない。父は気狂いから解雇されて家庭の収入は激減していたし、ここで母まで免職されれば、一家の生計は完全に崩壊してしまう。それだけは回避せねばならない。

 でもその結果、僕の青春の煌きは、完全に失われてしまった。家庭では父の精神汚濁に余儀なく巻き込まれ、なおかつ母の労務の燃焼から排出される黒煙みたいな憤懣を吸引してやり、学校では家中の重苦を消化しつつ、新規の負荷を避けるためなるだけ無為無情動の隠棲に服務する。家庭では一家の不動の家厳を演じてやり、母には模範的良識的な夫の役割を演じてやり、学校では何一つ問題を抱えていない温順な生徒を演じてやる。それが僕の高校生活の全容であり、多聞に聞かれる燦然たる青春絵巻の全貌図。

 もちろん僕は父を憎んだし、嫌忌しもした。でも、怨恨を燃焼させるだけでは現実の負荷は軽減しないから、限界はすぐに来た。死による苦悶からの解放が甘美に見え始め、その暗い安寧に対する魅惑の拐引とも抗争しなければならなくなったのである。暗夜の国道で残像を引きながら猛スピードで疾走していく車のヘッドライトに、一体何度甘い誘惑を感じたことだろう?

 僕が美里に慰藉を必要としたと語った背景には、こうした暗鬱の事情が山積していわけだが、それを共感を喚起するように口述するのは至難の技だった。僕には恋なんてなかった。いや、それどころか追懐の折に、遠巻きに傍観に終始した恋慕への、ほろ苦い悔恨の情まで僕には存在しないのだ。

「その子とは」美里は言った。「仲良くなろうとは思わなかったの?」

「思わなかったよ」

「どうして?」

「多分、恋愛対象として見てなかったからだと思うよ。確かに視界に彼女を探したり、無意識にその子の姿を目で追ってたりはしたけれど、所有したいとは思わなかった。でも、それでいて魅了されていた。さっきも言ったけど、彼女は神聖視だとか憧憬だとかの対象だったんだよ。いや、親父の悪辣さを加味すると、多分信仰と言っていいんじゃないかな。僕は彼女のように明朗に、快活になりたかった。そして救われたかったんだと思う、あの苦役から。当時は随分参っていたから」

「なんか暗かったもんね、洋介」

「仰るとおり。弁解の余地もございませんな」

 ただ僕を窮地に追い詰めたのが僕の肉親なら、僕に救済の恩恵をもたらしてくれたのも僕の類縁者だった。つまり、父に対して唯一無限の強権を振るえる人、伯父である。僕は同席しなかったから母からの伝聞になるんだけど、父母と伯父夫婦との間で二度に渡って父の処遇が話し合われたらしい。一度目の討議は結論まで到達しなかった――不利な立場に追いやられそうになった父が、発作的に激昂して建設的な議論の雰囲気を、怒号とともに投擲したガラスの灰皿でぶち壊しにしてしまったから。(灰皿は艶冶な笑みの仏像に深々とめりこんだ)でも、二度目は終結まで持っていけた――結果、父は無残な姿をさらすことになったわけだけど。

 その日、僕は二階の自室で雑誌を読んでいた。すると階下で父の発狂する怒声がした。僕はまたかと暗鬱になりながら、せめて安住の地である自室にだけは侵入してこないことを祈念していると、女たちの悲鳴が聞こえてきて、直後に伯父の僕を呼ぶ大声が聞こえてきた。悲鳴に呼び出し? 僕は疑念を抱きながらも、従順に階下に下りていった、いつもの怠惰な足取りで。そして障子を開けて、その光景に唖然とした。伯父が父をうつ伏せにし、腕を絞り上げ、脚下に制圧してたのである。

 伯父はガムテープを持って来いと怒鳴った。父は僕を恐怖で縛るべく罵声の悪態を吐いたが、僕はフリズビーを投擲された忠犬よろしく諾々とガムテープを取ってきた。伯父は父の腕を持ってろと言った。決して手加減するんじゃないとも。これにも僕は順良に従った。伯父は父の一方の手首にガムテープを巻き、それからもう一方の腕を持ち上げて、同様にテープを巻きつけた。そして頭部を指向し、獣的な悪罵を垂れ流す口を封じるかと思いきや――その趣意が未だに不明なのだけど――双眼にテープを貼り付けた。で、最後に下肢の足首。

 そこで僕は帰室を命じられたわけだけど、合議は継続されて、父の小屋二階の一室への軟禁が決定された。食事は別、トイレと風呂の時だけ母屋への入場を認め、非常の用件以外は接触を避けるという、昔の結核患者に処するみたいな隔離措置だった。

 僕はもちろん不服だった。もっと苛辣な断案が下されるのを望んでいたから。だが、これでも非情家だとか人道に背くとか非難する温情家の諸氏が出てくるかもしれない。でも、これでも十分厚志を盛った恩典だったと思うのだ、何しろ父は無職で人格破綻者で、伝手も財産もなく社会に放逐されずに済んだのだから。それに仮にあの発狂者を世に放てば世間に巨悪の害毒を垂れ流すことになるし、実際に離婚になれば母の声望にも傷がついてしまう。父の保障、母の負担の軽減、風聞への配慮、一般社会への影響、それらを加味した上での最良の策だったと今では思う。それから合議の途中にも最後にも、伯父は何度も頭を下げたと聞いた。身内の失態は己の恥。その言辞通り、深く恥じ入った厳粛の風儀だったらしいが、その威儀を正した慇懃な低頭の姿勢を偲ばせるところなんて、実に伯父らしい。

「ま、なんにしろ伯父さんには感謝してるよ。なんていうか、大仰に言えば命の恩人的な存在なんだから」

 あの当時、末期的な悲境に立ちながら、僕は母と自分を救済するいかなる試案も行使できずにいた。精根の続く限り徹底的に忍従することしかできなかったのだ。

「どうしてここでお父さんが出てくるの?」何か棘のある言い方だった――が、それを疑問に思う前に言葉が続いた。「あ、いや、洋介の好きな子の話題だったのに、どうしてお父さんが出てくるのかなと思って」

「ああ、親父って今も小屋の二階で独居してるだろ? あの幽閉の英断をしてくれたのが伯父さんで、当時の僕がそれに助けられたからだよ」

「そうなんだ」

 車が新潟市内に入ると目立って人家が増えてきた。倹素なコンクリートの垣根に駐車場を兼用する狭小の庭に、二階建ての小ぢんまりした築浅建売家屋。デザインにも大小にも多少の差異はあったけれど、総じて同工の家屋が沿道に並び、時々その一円の盟主のような顔をしたスーパーなどが偉容を現す。そこを超えると車線の分岐の慌ただしい市街の中心部で、美里は慣れた手つきでハンドルを操作し、瞬刻も迷走せず車を進行させていった。その余念のない運転模様から察するに、目的地は既決であるらしい。

「どこ行くの?」

 僕は左折時の歩道で停車するときに聞いた。

「古町」

 その宣告通り、微塵も迂回することなく車は古町に到着し、ここでも僅少の迷走もせず立体駐車場に車を預託した。係員からキーを受領する様子から見ても、ここへの頻繁の往訪が窺えた。

 美里と一緒に古町を歩く。中高生の頃、古町といえば先進的で都会的な憧憬の代名詞みたいな街だった。洗練された衣料店に、そのブランドの実践広告塔たる接客従業員。田舎では祭祀にしか拝見できないくらいの活発な群衆の往来と、活力の横溢するショッピングモール。年に二度ないくらいだったが、来ればいつも心理の高揚と未知への恐怖を胸裏に湧き起こしてくれた場所だった。ただ都心での歳月が新潟での歴史を超過しそうな現今、浪人生の時には懐疑を持って迎えた予備校講師の「新潟はクソ田舎だ」との揶揄が、心底からの共感を持って回顧されるのだけど。

「お昼にしようと思うんだけど」美里は言った。「何か食べたいものある?」

 携帯電話は午後二時を指している。確かに昼飯時分ではあるが空腹感は強くない。

「熱いものや辛いものは回避したいな。あと多量のものもできれば避けたい」

 僕としては駅前の立ち食い蕎麦で冷やしきつねが最善だったのだけど、条項がどう曲解されたのか、美里は僕をとんかつ太郎に伴った。不満は確実にあったが、熱射のアスファルトの方が難敵なので、黙して美里に続き、のれんをくぐった。

「なんでとんかつ太郎なのさ?」僕は水を汲んできた美里に小声で聞いた。「揚げ物なんてコッテコテのアッツアツじゃないか」

「古町に来たらここに来るのが慣例だったから。嫌だった?」

「嫌じゃないよ、味はいいし、懐かしいし。でもホッカホカの上に、アッツアツのジュージューじゃないか、とんかつって。これを食べてごちそうさんしたーって外に出て、クールダウンならまだいいけど、さらにヒートアップの焦熱地獄が待ってるんじゃ、おじさんちょっと閉口です」

 頼んだ並盛りのヒレカツ丼は程なくやってきた。小ぶりの丼茶碗にしょうゆダレのたっぷり染みたこげ茶のカツが四枚、丼の上背を超過するように重畳と積み重ねられている。しかし美里は――自選であるにも関わらず――四枚のうちの半分を、僕の丼の上に移し変えた。

「私こんなに食べれないから、洋介食べて」

 僕はそれを多少苦悶しながら完食した。想像に相違なく美味だったし苛酷な高温だったし、そして想定より多量で多油だった。

「ごめん、苦しかった?」美里はすまなそうな微笑で言った。

「いささかね。正直三十過ぎの小食のおっさんには拷問的物量だったよ。向こう三ヶ月はとんかつ食べたくない」

「そっか。やっぱり普通の男の人にはきついよね。でも、これが普通だったから」

 そこで僕ははっとした。ここは美里が加山と頻繁に来訪していた店舗だったのだ。加山と来るたび美里は、必要量の超過分をあたかも自然にさも当然の如く、彼に譲渡してたのに違いない。そして、自分には過剰な分量を豪快に平らげる巨躯の加山を、快哉と幸福の念を持って、見つめていたに違いないのだ。

 店を出ると美里は散策をしたいと言った。でも、外気温は日中の最高域に高潮しており、太陽は未だ天空で厳酷な鋭利な白刃の光を四方に放散させている。荷重オーバー気味の胃腔の内容物も気持ちを億劫にしていた。僕は譲歩案として展望台――市内で最高峰として建築されたネクスト21――に登頂し、そこでしばしの腹ごなしと避暑を提案した。美里も過食は私のせいだからとそれを認容した。

 展望室に人は少なかった。東側の短い影の差す中央辺りに白髪のパーマをかけた老婆と、飴色の杖を持つ老女の二人組みが囁くように談笑していて、北方の展望には小柄な痩身の老翁とこれより幾分若いふくよかな初老の女の匹偶がいるばかり。僕らは美里の先導で、南方の繁栄が俯瞰できる一角に移動した。林立する高層のビル群を一休みさせるように横断する悠久の信濃の河水が見え、その先には一際目を引く田中角栄氏の遺功、北越新幹線の無骨な高架の一筋が、硬い横腹をこちらに披露し、一直線に伸びている。

「今年もここで花火があったのよ。ナイアガラの滝」

「知ってるよ、毎年いつあるか確認してるし。まあ、上京してからは一度も見物できてないんだけど」

「懐かしくならない?」

「なるよ、もちろん」その言い回しは何かを示唆するみたいだったが、あいにく僕には疎通しなかった。「でもなんで?」

「忘れてるかもしれないけど、私たち昔、一緒に花火見に来たよね」

「まあね、小さい頃はよく一緒に――」

 そこまで言って、僕はようやく美里の意図を解明できた。幼少の折、僕たちはよく一緒に家族ぐるみで花火大会に参加したものだったが、でも美里の脳裏を占有するのは、加山のことなのだ。僕らは――僕と美里と加山は――青春の折に、一度だけ一緒に夏祭りに参加したことがあった。どうして截然と気付けなかったのだろう、考察してみれば、この日の美里の言動や悲喜は、全て加山に連関したものだったのに。そう、美里の意中に僕など存在しないのだ。

「――いや、違うか」僕は言った。「確か、僕と美里と加山さんは、同道したことが昔一度だけあった。美里の言うのはそのことだろう?」

「そう」

 でも、美里が加山の思い出にここまで拘泥する由縁はなんなのだろう? 加山は美里に何をしたというのか?

「私には忘れられない夜の思い出の一つ。大切な記念の一夜」

「それは僕にとってもそうさ。まあ、意味合いは相違するだろうけど。大体、一緒に花火を見に行ったって言ったって、本当にただ一緒に道中をともにしただけじゃないか」

 僕が高校三年で受験勉強を励行してた時のこと、伯父さんからの申し入れで――今思えば監視役に指名されたのは明白なんだけど――美里と一緒に花火を見に行かないかとの勧誘があった。もちろん、僕は伯母さんと美里に同道するものと思って応諾していた。が、昼過ぎ、乱雑な僕の陋屋の玄関に光臨したのは、上品な藍の浴衣の上に鮮やかな朱の帯を締めた佳麗なる美里と、気性の溌剌たる様がひしひしと伝わってくる初見の大男、加山。そのときの僕の驚愕の念といったら! でも、それよりも僕は、美里の表情というか醸し出す雰囲気に目がいった。それは加山を誇る内意からなのか加山といる嬉しさからなのか、美里の全身からそれまで看取したことのない歓喜の高揚が、後光みたいに放射されていたのである。顔容といおうか居住まいといおうか、そこには何か息を弾ませ今にも広原を駆け出して行ってしまいそうな躍動の感がある。そして、それも一ファクターとして機能したのは間違いないけれど、僕は移動中の車内で、加山に提起された腹案――夜の十時までは別行動――を了承した。そうだ、あの夜、僕は混雑を極める雑踏の真ん中で、孤影を納める穴倉を探して随分と人ごみの中を彷徨ったものだ。

「みんなさ、往来する人は大抵グループで、一人で夜店を徘徊してる人なんかいやしない。屋台でたこ焼き買ったって、一人で賞玩してるのなんか僕くらいなんだもの。もう、寂しいったらありゃしないよ。おかげで賑やかな祭事には一人で参加しないって、ありがたい教訓まで授かっちゃったね」

「悪かったとは思ってる。でも、どうしても二人きりになりたかったから」

「じゃ、どうして僕なんか勧誘したのさ? 最初っから二人きりで行けばいいだろうに」

「仕方がなかったの。そうしないとお父さんの許可が出なかったから」

「ああ、伯父さんからの指令だったのか。それでか」

 通念的には横恣の要求であっても、美里と伯父の関係上では合憲だった。伯父の裁定は経常的に正しく、それゆえその下命は美里にとって、金科玉条の拘束力を持っていた――九歳の折、美里自ら応募したピアノコンクールで、緊張のあまり逃避しそうになった美里を叱咤したときも(でも結果は散々だった)、十一歳の折、クラスの女子間で軽少のいじめ事案が発生して、伯父に迫害者の救済の相談を持ち掛けたときも(伯父は美里の柔弱さを勘考して苦渋の傍観を指導した)。そうした恩恵の蓄積が結実して、伯父への追従は、いつしか疑念を挟まない生活様式の一様態になっていたのである。

「でも加山さんは異議を唱えたんじゃない?」

「うん。高校出てまでそうなのかって、すごく辟易してた。でも、それでもお父さんの許しがないと行けないって言ったら、渋々受け入れてくれたけど」

「で、その生贄がここにいる、と」

「ごめんね。でも、おかけで素晴らしい夜だったよ。ありがとう、洋介」

 あの後、美里たちは大混雑の渦中へ踊りだし、次第に光度と温度を落としていく夕映えの中をゆっくりと夜店を見て回った。チョコバナナにベビーカステラ、大判焼き。甘味を好物とする美里は、それらの屋台を視野に捉える度、童女のように加山の太い腕に飛び付きたくなった。が、そうはしなかった。平生、抑制的で優婉な振る舞いを持続してきた自分が、突発的な狂態で秘匿の歓喜を露見させるのが気恥ずかしかったから。でも、美里は人体にのしかかる重力を軽減し、人を軽躁にしてしまう抗い難い気分の高揚が、虚空の闇夜に凝集して、巨大な渦動を為しているように感じた。こんな夜こそ、何かが起こるのかもしれない!

 三年もの付き合いがあるというもの、美里たちに恋人らしい接点――つまり恋愛における肉体的接触――があるのではなかった。この二年半前、付き合いたての頃の加山は、夕暮れの帰路で、颯爽と美里の唇を奪おうとした。しかし、美里は痛恨にも鋭利な拒絶の悲鳴で、加山の心臓を鋭く刺し貫いてしまっていた。当初こそ、そんな加山の性急な所為を内心で非難していた美里だったが、後に自分のうぶな羞恥の発作的峻拒を屈託するようになった。以来、美里の古風な貞淑さと加山の臆病さの互譲によって、肉体的接触に不可侵の空白地帯が形成されてきたわけだが、それが今夜、この不思議なざわめきの魔力が横溢する夜、長年の悲願だった二人の関係についに飛躍が訪れるかもしれない。

 信濃川の河川上に花火が打ち上がり始めた。火玉が昇龍の如く夜空を昇るたび、光が星雲状に弾けて下界の白塗りのビルの壁面や、でこぼことした観衆の輪郭を赤や緑の色彩に染め変えていった。空模様は移ろいゆく時勢の盛衰のように劇的な変遷を遂げていった。色調豊かな少女のはにかみのようなスターマイン、失敗したクッキーの外形みたいな歪んだハート型の七号玉、黄金の瞬きを遥かな天頂から下垂させ、幽遠の余韻を残して消滅していく儚い光の欠片たち。でも、美里はそれらの光線を浴びる度、内奥にたった一つの願望が収斂していくのが分かった。息詰まるほどの希求を抱き、美里は震える瞳で気付かれないようこっそり加山の横顔を見た。この視線に気付いて、その太い腕にこの身をかき抱いてほしい。なぜなら今、この身は、それだけのためにある! そして、それから――。

「でも加山君は気付かなかったわ。ずっと頭上の花火を呆けた顔して観賞してた。そして何もないままフィナーレの花火が火花の滝を信濃川の上に注いだ」

 行列をなして帰宅する観客たちの中に美里と加山のペアもいたが、万代橋に着く前に加山が夜の散歩に美里を誘った。落胆で沈静してしまった心悸が再び跳び上がり、期待に沸く熱い血潮が頬を駆け巡ってくるのを美里は感じた。それから努めて平静に、しかし意を決するように、加山の強い視線に頷いた。

 美里たちは二人きりになれる場所を探して川べりの道を歩いた。時々どこかのビルの谷間から狂酔の気勢を借りた喚声が遠く聞こえ、緊張を内含する二人の会話に驚喜の目配せを提供した。しかし、その間も美里の心臓は、休むことなく宿意の成就を願って、激しい鼓動を続けていた。

 川を遡上していくうちに河畔の道は曲折し、住宅地を縫って進む道になった。沿道には築浅の瀟洒な戸建が並び、その各々に柔らかい多彩の灯影がともって、まるで道の両側が多色のちょうちんにライトアップされたかのよう。周囲は閑寂とし、途中で小さな公園が門戸を開いていて、二人はそこの木製ベンチでしばしの休憩をとった。

 そして、再度の歩行に邁進しようとしたとき、美里は小憩による痛みの忘却と油断から――不慣れな駒下駄の鼻緒で足を痛めていた――それまで配意によって秘匿していた痛覚を、不意に口に出してしまっていた。その瞬間、あの天に逆巻く運命の渦動が、不可視の操り糸を二人の頭頂に結いつけた。美里は気付いた――自分がベンチに座って足を乗せ、加山がそれを覗き込む――そう、二人の唇は、今や至近距離にある! だが、二つの瞳がその振るえを視認できるくらい間近で交錯したとき、美里は奔出した不測の羞恥心から視線を逸らした。が、前回の失敗が脳裏をよぎり、刹那の逡巡の後、再び向き直って静かに目を閉じた。ほんの僅少とも無限とも思える含羞の暗闇の中、拍動だけが大きく、まるで血液が冷たくなってゆくよう。自分は今、綺麗に見えてるだろうか。だが、口付けを受けた瞬間、不安も恥じらいも、心を暗晦にする一切の感情が消滅し、豊満な歓喜と充足感が、全身の毛を総立ちにさせながら、頭上の彼方へと駆け抜けていくのが分かった。そして、それが過ぎると二人は唇を離し、美里は目を開いて、そこに映る加山の相貌を感動の念をもって見つめた。そう、美里はこのとき、宿願だった恋愛の次のステージに、ついに昇段したのである。そして、その相手は他でもない加山。


 話の終わった後も美里は、霞む虚空の一点に今の叙述の光景が映出されていて、まるでそれに見入っているかのように外界の景色を眺めていた。掌は分厚いガラスに添えられていて、手を伸ばしたいのにそれに触れられないでいる、そういった感じだった。

「そういえば」僕は言った。「あの日、加山さんは裸足で帰ってきたもんな。で、美里が加山さんのサンダルを履いてた」

「かもしれない。優しかったから、加山君」

 美里は僕に背を向けたまま言ったが、それは少許の冷厳さを含んでいた。そして、優婉に振り返ったその顔には、あの哀歓両方の情動を示す儚い愁思の微笑が浮かんでいた。それは泣くのを堪えている、いや、もう既に泣いている、そう認識しても良さそうなもので、でも僕は、この加山との因縁の詮索に絶好の機会を、それと知りながら、棒に振った。ここを進攻すれば美里の忌諱に触れる恐れがある、その小心が、真実への論及を制動したのである。

「優しさは大事だよね、頭痛にも効用があるというし」僕は、そんなことを言った。

 六時からバイトがあるというので、我々は展望台を降りて駐輪場まで戻り、美里のアパートに帰着した。着いたのは五時半を回った時分。太陽が黄金光線を燈色に弱め、地上からは暑熱が退散し、周囲には肌寒いくらいの涼風が吹き始める刻限。ビーチでの怠惰な仰臥では安住できず、さりとて活動するには特別の支障をきたさない快適のとき。ただ懶惰の後の現実に引き戻されたみたいな索漠感が、妙に寂しくはある。すっかり覇気の喪失した老残の落陽が、静穏に刻々と、昼間の終焉を告げ知らせてきているせいかもしれない。

 敷地内の既定の場所に丁寧に車を停め、サイドブレーキを引き、美里は言った。

「洋介、明日も空いてる? 悪いんだけど明日も付き合ってくれない?」

「いいよお、どうせ暇だしさ」

 僕らは三時の再会を約して別れた。そして鈍色の海面に漸近していく紅熟の日を横手に、安穏とバイクの白煙を吹かせながら、僕は自分の当時を思い返していた。十九歳だった頃――そのとき僕は、浪人生。続く二〇〇〇年代中盤までは、平坦な学生時代。とにかく平穏で、安逸に過ぎた日々だったと思う。バブルの狂熱が黒歴史となり、人々は狂酔の醒めた常軌の目で慎ましく世間を渡り歩いていた。就職氷河期、少子高齢化、公債過多に構造改革。様々の課題が指摘され討議されはしたけれど、問題が巨大すぎたこともあって、多数の人の関心は個々の禍福――妻子眷属の安寧をいかに堅守するか――に傾注されていた。敵は分外の大望と不運であって、その魔手誘惑に留意さえしていれば安固な平凡は約束される。その信頼の下、衆人たちは、賢明にそして比較的安楽に暮らしていたように思う――僕も、美里も。まあ、往時の僕が、父との没交渉になる東京の下宿生活に浸かっていて、おまけに彼女という至福の存在まで侍らせていたからかもしれないけれど。

 とにかく明日、全容が明らかになるはずだとの予感を強くしながら、僅かになった陽光の中を、僕は、道なりに進んだ。


   (三)


 次の日、僕は家郷の海岸から一直線に伸びるを国道を伝って、新潟市の中核街に辿り着いた――途中までは陽炎揺らめく炎暑の舗装を一人で、それからは小型ながら居住性に富む移動する鉄の箱に乗り換え、美里と一緒に穏やかな談笑の花々を咲かせながら二人で。

 市街に着いたのは午後三時半頃。昨日と同じ駐車場に車を預けると、美里の誘導で新潟駅に向かうまでの幹線を歩いた。林立するビルの渓谷みたいな道路を南下すると、何の遮蔽物もない爽快な景観の万代橋に出る。前方には群居する高層の建築物、背景も同様の文明の結晶たる大ビル群で、左右だけはどこまでも開けた風と水の通り道。そこを貨物を積んだ小型船舶が、牧歌的な緩いリズムの排気音を吐き出し、ゆっくりと遡っていく。ただこのときばかりは極暑でちょっと閉口だった。春秋の昼下がりだったら、長々と深呼吸するだけで生命を洗った気分になれたのに。

 橋を渡ったところで美里は言った。「川べりに行かない?」

 展望すると先々まで日射の遮蔽もビルの斜影もなく、行けば盛夏の直射を浴び続ける焦土の散策となる。

「難ありかな」僕は言った。「せめて日陰くらいないとさ。暑すぎるよ」

「そう」

 美里は珍しく直接的な落胆の表情をしていた。それ見て僕はその内案を推察した。おそらく美里は、この沿道に加山との鮮烈な思い出を持っていて、それを追想しながら述懐したいのだ。

「分かったよ」僕は溜息混じりに言った。「行こうじゃないか。為せば成るよ何事も。でも発汗し過ぎたからって、帰途の車内で臭いだとか汚物野郎だとか言わないでくれよ」

「うん、分かってるわ。ありがとう、洋介」

 僕らは右折し、川の堤防上に整地された遊歩道を歩き出した。歩き始めてすぐ美里が折り畳み式の傘があるのを思い出したが、男の日傘なんてと言うと、なら二人での使用ならと言うのでお言葉に甘え、炎天下の相合傘に興ずることになった。この激烈な射光の中を、肩を寄せ合い小傘を差して歩く男女の一組を、人は変質的だと笑うのではないか。でもまあ、退屈な雑務に埋没する俗衆たちに、突飛な狂態で話題を提供してやってもいいかと思えたのである。暑さに正気をやられた狂女狂漢の遠景は、きっと嘲罵と冷笑を誘うと思うのだ。

「ここはね」美里は言った。「私が人生で二番目に大怪我をした場所。手首を骨折した場所。ねえ、洋介は覚えてない? 私が右腕吊ってたときのこと」

 僕は狭長な記憶の回廊を辿れるだけ辿ってみた。何もない。「いや、覚えてない」

「そっか。でも仕方ないかな、もう十年くらい前だもの。あのね、私ここで加山君に突き飛ばされて、それで土手に手をついて。それで手首を折ったの」

 二人は抜群に仲の良いカップルだった。加山が話題や目的地に希望を出し、美里がそれを承認するか控えめな否定と希望を伝える、それが通例だったから。それでも心底から対立することはあって、美里は――もちろん加山も――常々心を痛めていた。対立の原因となったのは専ら伯父の専制性で、特に加山は伯父の家政の具合から帰納される偏狭で固陋な人格を嘲弄した。そして美里は、敬愛する伯父への侮辱が同じく無類の愛情を注ぐ当の加山から雨飛することで、理解されない悲哀に二重に心痛を深くした。

 それは信頼と温和と愛情で結束した二人に落ちる不安の暗影で、二人はいつかは解消への挙動に決起しなければと懸念しつつもいつも先送りにしてきた。不和や決裂に帰結するのを恐れて忌避していたのである。特に美里は人間の本質に潜む粗暴で酷薄な一面を受け付けなかった。打算というよりはむしろ生理的に嫌悪していた。

 そして二人は、ある暗夜ぶつかることになった。その日は新潟大学の四期生になった加山の内定先決定の祝賀の日で、加山との対面が三ヶ月ぶりに解禁になった日でもあった。就職活動に専心する加山を斟酌して、二人はいっとき恋愛を凍結していたのである。その日、美里は午前の早くから加山と外出し、市中を回っていた。向かった先はどこも楽しかった。チーズリゾットに異様の興奮と愛着を見せたランチバイキングも、無難な選好のハリウッド映画と、その興奮の反動で弛緩しながらコーヒーの白煙をくゆらす閑話の間も。その様々な場面で、美里は加山の精悍で活力に満ちた横顔をこっそりと盗み見た。時々は先導する加山の風にはためくシャツの裾を愛おしさから掴んでみたくなった――が、気恥ずかしさと節操への配慮から行動に移せなかった。そして、溌剌と自分に語り掛け、和気と喜楽を心地よく生起させてくれる加山の生気を美里は賛嘆とともに受け入れた。加山に触れなかった三ヶ月もの間、自分は一体どれだけ無感動で無彩色の日々を送ってきたことだろう。

 夜になって、美里は加山を連れて予約済みのレストランで優雅な晩餐をとった。これも楽しかった――一度銀器の操作に不慣れな加山が、ナイフを取り落としそうになるハプニングが発生したけれど。でも、それも美里にとってはいたずらな視線をかち合せてくれた偶然の催事でしかなった。ただ美里は刻々と流れ去っていく時間の経過に恐怖に近い寂しさを感じていた。これほどまでに互いが互いを新鮮に、しかし合一したように親愛の情を感じさせてくれる神秘の一夜を、人は一体どのように醸成できるだろう。もう再び際会すること叶わぬ美的調和の親密さかもしれないのに。

 そして二人は店を出た。時刻は夜の八時半。美里の企画した祝賀の式事は全消化し、後は加山を家に送るだけ。だが美里は、まだこの夜を終幕にしたくなかった。胸には午前から継続する再会と歓娯の高揚感、それに先刻まで豊満に胸を満たしていた温和な交歓の余熱が交錯し、加山と離れがたかったのである。今日という壮麗な奇跡の有終に、何か永遠の輝石となるような親愛の結晶物を期待してたのだ。

 だが、美里は羞恥の心情からそれを口に出せなかった。すると加山が食後の遊歩に美里を誘った。美里は想いを募らせるようにしばらく加山の目を見つめた後、ゆっくりと自己の心理に沿った反応を返した――感謝と期待のうなづきを。

 二人は川の土手に伸びる赤茶の遊歩道を歩き出した。午前に降った雨が宙を漂い、空気は濡れてしっとりとしていた。対岸のビル群が鮮烈な明光を放散し、それが広い川面に映って無数の銀の小波を可憐に輝かせていた。周囲に人影はなく、万代橋の喧騒は歩行につれ遠くなった。

 美里は寂然たる外気に感化され寡黙になった。そして加山も。でも、これは加山にとっては奇異であり、美里は加山が何か決断の機を計っているのだと直覚した。そういうとき、加山は全ての配意を放擲し、自身の決意の醸成に没頭するのである。

 でも、加山の重大事項とはなんだろうか――と美里は考えた。就職の決定を祝う今日という日に、加山が緊張と決心に逡巡を繰り返さねばならない告白の内容とは。まさか、結婚! でもそれは余りに尚早すぎる、だって加山はまだ大学生。だが、美里は自分の心思が根底から歓喜に震え、心臓が急調に高鳴るのを知覚した。婚姻とその後に延伸する甘い結婚生活は、豊潤な夢想を源泉に何度も思い描いてきたことなのだ。そして、美里は静かに息を飲み、期待の充溢する熱い視線で加山の巨大な背中を見つめた。この無言の背中が進行を止めたとき、秘匿の願望が、実現するかもしれない。

 寸隙を挟んで加山の歩行が停止した。そして加山は振り返り、意志的な口調ではっきりと主意を述べた。

「春になったら同棲しないかって言うの、加山君。正直言うとちょっとがっかりしたんだけど、でも嬉しくはあったな。そうなればいいって、思えたから」

 その勧誘に美里は――満面の笑みで賛意を表したかったのだけど――肯定を返せずにいた。同棲を実行するには伯父の認許が必須だが、その公算が見出せなかったのである。社会に出てさえ美里は、伯父の判断を自分の意思より上位に置いていた。というより、より高所から下賜される伯父の断案は、その恩愛を信用に、美里の成功と繁栄をより精確に導出してくれる神託であって、美里にそれを廃絶することなんてできなかった、実利的にも情緒的にも。

 つまり、伯父の処断は美里の幸福を願う親心より採択されたものであって、追従した方が正答である可能性が圧倒的に高い。しかも、そこに積年の愛情や習慣や信頼の念が混然となって、美里の無意識の領域からこの神託を求めさせていた。この双方向からの恩愛で編まれた堅固な相愛の鉄鎖の束縛を、美里に断ち切れるわけがない。

 そして、この洗脳にくさびを打ち込もうとしたのが加山だった。加山は美里の盲信の異常性にずっと不満と危惧の念を抱いてきた。しかし、一介の若輩たる学生の身で他家の父娘の交流に口を挟むのは僭越至極、でも念願の社会人の地位を得た今、それがようやく可能になるのである。そして、その初手が、美里を伯父から遠ざけること。

 加山はその積年の思念をたぎらせて真摯な面持ちで美里を正視していた、食い入るように、しかし清澄に。美里は一瞬、その信実の眼差しに誘惑されて首肯しそうになった。が、その期待の顔相が落胆に曇るのを見たくない一心で視線を避け、申し訳なさそうに伯父に上申してみると伝えた。

「それで加山君怒ったわ。激怒した。なんでだよ、なんで俺達の将来の話なのに、お父さんの意思が優先されるんだって。それで怒って――私を押しのけて帰ろうとした。丁度こんなふうに」

 美里は一歩前に先行すると向き直り、まるで回転ドアでも押すように僕の肩を押した。

「それで私が土手を下りていこうとする加山君の手を掴んで、でも強引に帰ろうとする加山君に逆に引っ張られて、で、転んだ拍子に手首が折れた。静かだったからかな、手首の中からゴリッって嫌な音がしたんだけど。結構痛くて。でも加山君、ちょっとためらっただけで何も言わずに帰っちゃった」

「そりゃまた酷薄な」

「うん、でもいいの。置き去りにされるとき目が合ったんだけど、加山君、明らかに心配そうな顔してて、でも男のプライド的にはここは引くに引けないって感じで帰っていったから。私のこと心配じゃないわけじゃないって分かったもの」

 この一件は二人の関係に未見の危機をもたらしたが、この三日後、加山が腕を吊った美里を目にして、その顔に表れた驚愕と恐怖の念を美里が看取したことで不問となった。美里も許す意向こそあったものの、実際会ってみるまではそうなれるか不安だった。事と次第によって、恋愛は簡単に瓦解する。でも、対面した加山の表情に悔悟と反省の色合いが現出したのを発見して、美里は心底の安堵を覚えた。よかった、これなら素直になれる。

 ただこのとき獲得できていたはずで、それでいて逸失してしまった重大なものに、美里は――そして加山も――気付いていなかった。これより以降、加山は美里を二度と同棲に誘わなかったが、それにより、美里が伯父の安寧の呪縛から解放される目は、完全に消滅したのである。


 僕らは歩き疲れて土手に下りる階段の上に腰掛けていた。話が一区切りしたらしく、美里は幅広の帽子の影から、優美な絹の陽光を燦然と返照し続ける河水の様子を眩しそうに望見していた。いや、美里の目には、川面の無邪気な光の交信なんて映ってなかったのかもしれない。なぜなら、その寸隙の沈思の内奥には、人が懐旧で噛み締める悲愁の趣が、隠然と漂っていたのだから。でも、僕がそれを言い出す前に、美里は歓談を寸断するように膝に手をついて静かに立ち上がった。

「暑いよね。戻りましょうよ」

 僕らは駐車場まで戻るため、大通りまで戻ってタクシーを拾った。美里は金銭の節減から徒歩を主張したが、全身が煮沸したみたいに高温だったため、僕がそれを却下した。途中、コンビニで霊泉のような一リットル詰めの清涼飲料水を購入し、夢中で飲んだ。それでなんとか落ち着いたといった次第である。

 駐車場に到着し、僕らは再び車内を冷却すると出発した。車は斜影の差し込むビルの峡谷を走行し、信濃川を渡す掘割橋を通って、国道四〇二号線を南西に進んだ。右手には午後四時半過ぎの妙美の陽。そして、その直下には、微笑のように少しずつ趣向を変える光輝の道筋が一本、揺らめきながら延伸している。車内には陽気なFMがかかって、疲労の深度から、僕はそれを黙って聞き流していた。

 すると美里が窺うような素振りを見せ話し掛けてきた。

「洋介はさ、恋愛とかどうだったの? 彼女とかいた?」

「まあね。いたにはいたよ」

「どうだった? 洋介なら和やかな付き合いができそうだけど」

 僕はそれに刹那の思案をした、真偽の如何を。で、なるだけ正直に返答することにした。美里の開襟に、応分の誠意を示したかったのである。

「まあ普通だったよ、色々さ。普通に出会って、普通に付き合って、で、普通に別れた。ま、普通にいい子だったな」

「なあに、それ」美里はバックミラーを覗きながら言った。「普通って言いたいだけに聞こえるよ」

「ばれたか。でもまあ、その通り。僕は今まで二人の人と付き合ってきたんだけど、そのどちらからも振られてね。特に最初の子なんて六年も付き合って、結婚秒読みのとこまで行って振られたんだもの。さすがにショックでかかったな、あのときは。身も世もないくらいにはさ。二人目はそうでもなかったけど」

 僕はほとんど大学卒業と同時に家庭に対する憧憬を持っていた。酷虐の家庭に生まれた者は、家庭の形成を忌避する人間と、逆に渇望する人間の二極に画別されるというけれど、僕は後者だった。父から苦杯を飲まされてきた僕にとって、家族とは青黒い怨恨の業火が燃える憎悪の象徴――そして、その冷えた炎火は、自らの臓腑も酷悪に焼く。つまり僕は、六腑を焼く憎しみの猛火とその惨痛を、家庭の温もりによって消したかったのである。与えられなかった理想を未来に創成して、その幸福の温かさによって過去の苦悶の購いを得たかったのだ。

「どんな子だったの?」

「一人目の子?」

「うん」

「優子って言う子でね、大学時代から付き合ってた子だよ。同じサークルに所属し、同学年の一個下の女の子で、敏活で温柔ではあるんだけど、堅固な意志とそれを実行する行動力を持ってる子だった」

 告白は彼女から。何となく好意を持たれてるなとの察知からわずかに七日後、春風の生ぬるく吹く二十歳の中春、ある小宴の帰途で突如袖口を掴まれ集団から引っこ抜かれ、小路の暗がりで早口に恋愛を告げられたのである。

 僕らは付き合った。最初は戸惑いながら慇懃に、次第に打ち解けると親密に。そして、最終的にはまるで連星みたいに互いが互いを引き合う安住の等距離を獲得した。僕らはほとんど衝突することがなかった――でも、それは、不健全に歪曲された偽りの安寧だったのである。

 僕らの不和は大体以下のように始まる。まず優子が周辺の些細な不満――バイト先の店長が鬱陶しいなど――の起端を持ち込む。それに僕が私的な危地の尺度で緊急度を計測し、応分の同情で慰藉の答弁を返す。でも、僕の苦悩の定規とは、父との死闘によってほぼ無限大にまで拡張された格外の物差しだから、反応は極めて淡白で無情なものになってしまう。(大抵の場合、僕は微笑で応答し、時に愉快な満面の笑みさえ浮かべている。)そして、この締まりのない相好が、優子の不興を大量に購買するのである。「ねえ、どうして分かってくれないの?」「ねえ、なんで笑っていられるの?」こんなふうに。そして僕は大概の場合――苦笑する。ああ、こんな抹消事にも真剣な憤懣を向けられる、それがこの年齢では普通なのだと改めて感悟するのである。それから即座の懇切な謝罪と、優子好みの痛快なジョークを献上し、対立の焦燥感がきれいさっぱり雲散するのを画策する。僕の言動の理非や、その奥底に沈潜する本質的な問題には、一切手を触れないまま。

 もちろん僕の経歴を素直に開陳すればよかったのだけど、それは認許できないことだった。というのも、人心を暗くするドス黒い怨嗟の汚穢は、自身の胸奥の最底部に隠蔽して、陽気な仮面の下、独力で浄化すべきだと信奉していたから。むしろそれができない者は、忍従の器量に重篤な穿孔が空いているのだとさえ考えていた。

 この悪癖の清算が回ってきたのが、僕が二十六歳四月のこと。この一ヶ月程前から、優子の所作には心ここにあらずといった暗愁の沈思が見受けられたが、僕は関知しなかった。というのも、この一月後、年間を通じて世界の最も華やぐ爽快のゴールデンウィークの時季に、終生たった一度しか意味をなさないだろう結婚の誓約を、いかに優子に伝達するか思案していたのである。

 その日、僕らは珍しく会社帰りに会った。(両者業務に忙殺されて平日に対面するのはほぼなかった。)二十二時の待ち合わせに五分遅刻してきた優子は、春らしく綿の薄手のコートを前を開けて着衣していた。そして、小さく手を振りながら駆け寄る表情は、不自然なまでに可憐で明るかった、平時なら快活な挙動の端々にも、疲労の消沈が隠見するのに。僕らは殺伐とした都心の幹線を横断して、奥まった枝道の中途にある倦怠な燈色の灯影を門戸に投げ掛ける上品なバーに入った。そして、着席してすぐ酒杯のオーダーをした――これが午後の十時十二分。その店には薄明のカウンターの上に、潜水艦のスコープみたいな形状のデジタル時計が定置してあって、珍妙な組み合わせだなと思って記憶してたのである。それから優子は両肘をテーブルに突き、半身を乗り出して、店内の湿気の高い甘いジャズに打ち消されない程度の声量で、硬質にこう囁いた。

「『別れましょ』だってさ。これには中々喫驚させられたよ。なんせ、いきなりなんだもの。きっと瞠目したまま固まって、多分、口開いてたんじゃないかな。で、彼女はそれを予想していて、僕の脳内の混線が復旧するまで表情を変えずに見守ってた」

「それで?」美里は言った。「洋介はどうしたの?」

「どうしたもこうしたも、そりゃもちろん理由を尋ねたさ。で、中々辛辣なことを列挙されたよ。あの黒ひげ危機一髪みたいに、各所から身体をめった刺しにされるくらいには。さすがだよ、伊達に六年も付き合ってない」

「どんなこと言われたの?」

「あなたといると安楽で平穏ではあるけれど、明るい将来は築けないと思う。あなたは軋轢や摩擦に尻込みしてばかりで、対峙することがないから、とか。あなたの楽観主義は危険を発見してそれを陽気に解決しようとする進歩的なものでなく、ただの無知性主義による思考の放棄でしかないとか。まあ、そんなとこ。いやはや、中々に辛辣で痛烈で、そんでもって的確なんだから参っちゃうよ、ホントにさ」

 優子はあのとき、一つ一つの文節を抑制的に冷静に、僕の反応を窺うようにしっかりと区切って話をしていた。そして、僕はその確固とした訓辞のような語調の前に、愕然と混乱とで茫然と黙諾を繰り返していた。優子が諭告を終え、席を立ったのが午後の十時二十六分。僕は最後に別れを承諾し、優子は途中で届けられたハイランドビールに一指さえ触れず、大粒の汗をかかせたまま、放心の僕を置き去りに立ち去っていった。それがわずかに十四分の出来事。六年もの多彩な交際の終極に、たった数分の会話が連結するとは僕も予想だにしてなかった。が、とにかく、僕はそのとき、念願だった自己の救済と、最大の理解者という人生の二大支柱を、同時に喪失したのだ。

「でも」と美里は言った。「その、優子さん、だっけ? その人、きっと洋介のこと真剣に好きだったんだと思うな」

 少し考え、「……どういうこと?」

「だって、優子さん、ちゃんと洋介のこと知り尽くしてて、それで付き合ってたんでしょ? それって、本気で好きじゃないとそこまで持続しないんじゃない? 多分、優子さんは洋介に変わってほしかったんだよ。で、洋介がそれを無視し続けてきた。だから、破局したんじゃない? 最後の冷酷な指摘だって、洋介の将来を心配してのことのように思うんだけど」

 確かに破綻に至る以前より長く、優子からは再々の助言を頂戴してきた。そして僕は、それらを棄却して摯実に取り組もうとしなかった。優子の言うように、無知性主義の楽観に安住して、幾度となく滴下された改新への好機を、無思慮に放棄してきたわけだ。

「……かもしれないな」

「でも洋介、分かってるなら早めに直した方がいいよ、直せそうならだけど。気付いたときには手遅れって、実際あることなのよ、世の中には」

「分かってるさ。でも――」

 反射的にそこまで言って僕は、美里の抑揚に人生の難事から抽象された達観のような静寂さが流露してるのを感取した。もしかしてこれは、加山に連関した文言ではないのか。もしそうなら、今般の失跡の根因だって、聞き出しやすい流れのはず。

「じゃあ駑馬を恐れず聞くけどさ、どうして美里は家を出たの? 伯父さんに絶対の秘密にしてまで」

「あ、やっと聞いてきた」美里は小さく笑った。「なんで遠慮して聞いてこないんだろうって、ちょっとおかしかった。だって、私のとこ訪ねてきた時点で目的なんて明白なのに、洋介、麦茶飲んで帰ろうとするんだもん。そんなんじゃ怒らないよ、私」

 それから笑いの治まった後で「他に聞きたいことある?」

「じゃあ、もう一つだけ。なんで加山さんとの秘事を僕なんかに打ち明けるの? 本来ならそういうのって、無闇に開示しないように思うんだけど。なんか、らしくないなって思ってさ」

「うん、まあ、そうなんだけど。でも洋介、こうでもしないと、私に黙ってお父さんかお母さんに居場所をこっそり教えるんじゃない? 洋介って、ほら、人の気持ちに非共感なところがあるでしょ? 自分でも言ってたけど。だから、こうやって一つ一つ羅列してかなきゃ心底から説得できないんじゃないかって思って、それで」

 僕は驚いていた――驚いて、深く、納得していた。

「でね、これからもうちょっとだけ付き合ってもらいたいの。洋介、時間大丈夫?」

「大丈夫だよ。夜通しだって辞さないさ」


 直線をひた走りに快走していた車は速度を緩め、左方に伸びる小道に進路を切った。間もなく既視感のある浅黄色の集合住宅が見え、縁石を乗り上げるようにして進行すると、美里は既定の駐車スペースに車を停めた。

 僕らは部屋に入らず浜辺の方に歩いていった、美里が僕を海辺の逍遥に誘ったから。時刻は五時半を過ぎていて、昨夕より気勢の減衰した夕陽が、達観の如き静穏さで枯寂な黄金光線を放出している。気だるそうに返照する陽だまりの海面までは、腕を伸ばした状態で指約六本分。間もなく沈む。

 僕らは波打ち際まで前進すると屈曲し、冷えた砂の柔らかい感触を確かめながらゆっくり歩いた。陽光が水平に差すというので美里はもう帽子を被っていなかった。ただ僕が内地側を歩行していたため、逆光で細微な表情の変化までは識別することができなかったが。

 ここまでの述懐の具合から、今回の事件は、きっと加山の心変わりが素因なのだろうと僕は推量していた。また、そこに伯父の厳格さが密接に、あるいは隠然と関与してきて、二人の恋愛の正常な発展を阻害したのだろうとも。でも、内実はそうではなかった。内情はもっと、悲境を呈していた。

 二十三歳になった美里の胸底には絶えずある一つの願望が沈潜していた。それは同棲に誘われた際に勘違いから発見した婚姻への願望であり、それを美里は暗闇の中で輝く唯一の光源――まるで両手ですっぽりと包める鶏卵くらいの光の玉――のように感取していた。そして、それを誰にも話さなかった、口外すればその光線の透明性が汚濁されてしまうような気がして。それで光の漏出を恐怖するようにそっと、しかし強力に、掌中で育み、護持していた。

 だから、美里二十四歳の折、錦繍の山々を望むドライブで伯父たちへの挨拶を申し出されたときには歓喜に打ち震えた。ここでの挨拶とはつまり婚約への布石であって、それは美里の宿願が成就する黙契でもある。そればかりでない。仮に婚姻が成立し、加山が伯父の姻戚になれば、加山と伯父という美里の情愛の二大主柱たる二人が、同卓を囲んで和気藹々と晩酌を交わす至福の情景だって実現するかもしれない。その二人に挟まれて談笑するのが美里のかねてからの夢だった。

 その週の週末、美里ははやる気持ちを抑えて、伯父と従兄夫婦を市街のレストランに誘った。でも、明彦夫妻は別件あるとのことで断った。先年結婚し、伯父たちと同居していた明彦たちは、伯父の布く時代風の家憲を嫌悪していたのである。休日まで伯父と同道するなんて真っ平だ。その敬遠の真情が、明彦の軽薄な拒否から漏れ出ていた。

 それで伯父たちと美里で通例の如く――孝養の念から美里は、度々伯父たちを食事に誘っていた――頻繁に利用するファミリーレストランに出かけた。でも、食事の美味不味は美里の意識に入らなかった――もっぱら関心は伯父たちの歓喜の姿の想像と、いつ話を切り出すかの待機に注がれた。そして、食器を空にした後、美里は照れを内含する若干の厳粛な声調でおずおずと吉報を届け、すると予想通り、歓喜に沸く温和な驚嘆の発声と、胸の前での可愛い一拍が返ってきた。満面に笑みを咲かせた伯母の、無邪気な驚喜の仕草である。しかし、もう一方はそうではない――そこにはまるで被疑者の口供を前にした検察の如き双眸が、緻密な計謀を漂わせ、美里の前途を冷視していたのである。伯父はすかさず加山に対する一問一答を始めた。氏名、年齢、出身地、人格、出会った時期。その間その曖昧さと緩慢さを容認しない緊迫の問答に、美里はまるで尋問を受けてる気がした。そして、それが加山の社会遍歴にまで達すると、伯父は大仰な喫驚とともに、堅固な不許可の意思を言い渡したのである。曰く、社会人三年程度の来歴では一戸の家長に不適格であって、所帯を所望するなら最低五年の社会修練を必要とする。

 それは孫の誕生にまで空想を逸出させてしまうかもしれない楽観の想定を持っていた美里にとって、固い鉄球にでも弾き飛ばされたかのような衝撃だった。美里はもちろん、反射的に、それからは次第に落ち着いて、反駁を試みた。でも、伯父の硬論に加え伯母の習慣的賛意があったこともあって、伯父の翻意は成功しなかった。結論は持ち越された。

 その夜、美里は深閑な居室で、ベッドの上に膝を崩して座りながら、伯父との凝議を精察してみた。時計の秒針が規則的なリズムを刻む中、真っ先に、そして何度も想起されたのは、伯父の「お前のためだから」との訴えと、懇願みたいな必死の形相だった。美里はある結論に帰着しそうになるのをこらえて、複数回、熟慮してみた――二度目は机の椅子に座り直して、もう一度は再度ベッドの上に足を崩して。そして確定した。半身を削られるような悲痛に見舞われながらも、伯父の裁断を受容することにした。稚拙な自己の感情よりも、情愛で保証された卓抜の伯父の識見を信頼したのである。

 美里はこの始終をおずおずと、極めて言いにくそうに加山に伝えた。加山は立ち止まり――二人は街灯の下を歩いていた――眉間に苦悶の深い皺を刻みながら、全身を振るわせ激情の通過するのを待った。そして、それを完全に飲み干し、弛緩した。加山には問題の元凶が伯父だとの確信があったし、結婚に際しては、万人からの祝福の花弁を美里の頭上に降らせてやりたかった。そしてそのため伯父の非理を隠忍し、二年間の停滞を覚悟することを決めたのだ。七百日。それが加山が上告を猶予した日数だった。美里は加山を見上げてその目を正視し、ゆっくりと感謝の首肯を返した。

「加山君、とても大きかった。あのときほど加山君を頼もしいと思ったことなかったな。きっとこの人となら七百日なんてあっという間だと思った。安心できたのよ。これからこれがずっと続くんだって」

 それからは結婚後の理想像についても度々話題に上がるようになった。加山は子供を切望した。子供は三人、長子は女児で、その後に男児が二人、できれば双子がいい。長女は優等で面倒見がよく、角逐し合うわんぱくの弟たちを、腰に手を当て舌足らずな覚えたての難語で得意げに諫める。加山も美里もそれを優しく見守り、長女が駆け寄ってきたときには、相応の称褒を与えてやる、可愛らしいその頭骨を優しく愛撫するといったような。加山はそういった超現実的の夢想を、ハンドルを握りながら喜々として語った。美里はその少し照れた、しかし、しっかりと前を見据えた加山の強い視線が、何より愛おしかった。

 そして一度は殺した宿望に序々に生命の脈動の戻るのを感じながら、七百と三日を待った。美里は因縁のレストランに再び伯父たちを招致した。当日、静かに沈重な面持ちで箸をすすめる伯父に、美里は前よりも慇懃に、前より警戒して、加山との面会を迫った。伯父は先回同様厳粛な面持ちで「聴取」を始めた――美里はこれに困惑せず答弁していった、発言の一つ一つを吟味しながら。加山の姓名、人格、社会遍歴、知り合った経緯が再議され、そして「最後に」と銘打って切り出されたとき、美里は深い安堵に包まれた。よかった、これで全部うまくいく。でも、それが抑揚のない不動の厳然さで告げられたとき、美里は将来が再び鉄門の向こうに閉ざされていくのを感じた。伯父は加山が絶対許容しなさそうな婿養子の条件を突きつけてきたのである。

 これは先年、明彦たちが伯父との確執によって家を出奔してたためで、伯父は家督の継承――あの大屋敷の存続――にこだわった。そして最終的には――様々な反論はあったのだけど――美里はこれを受容した。それは美里が伯父に賛同したからでなく、自身の良心に屈服したから。つまり美里は、伯父の「お前まで俺たちを置いて出て行くのか」との脅迫に屈従したのである。そう言われると冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような心地のする美里だった。特に温良な伯母を生家に残していくのを思うと、まるで死期の迫った童女の最後の願いまで無碍にするような心地がした。

 そして――これは当然と言ってよいのだけど――加山は提示を峻拒した。それはにべにもない冷笑の混じる拒否の仕方で、妥協の余地など一切ないと知覚させるに十分だった。ただ加山としては、これは譲歩を引き出すための交渉術の一環に過ぎなかったのだ。

 美里は自分がなぜ結婚できないか、なぜ二人が反目し合うのか、理解できなかった――伯父が家督に固執するのも不可解なら、加山が伯父と相克し合うのも不可解だった。この二つの愛情が手中にあり、それらが等分の温もりを放っていて、それでなぜあれほどまでに近接していた理想の情景が遠ざかり、死んでいくのか、美里には理解できなかった。背反する二つの背中の真ん中で、悲痛な愁思を濃くするばかりで何もしなかったのだ、かつての僕のように。

 そして、二十九歳の折、美里はある病気に罹患した。盲腸、と以前僕は聞き及んでいたが、実態はそうではない。子宮体癌。それが美里の罹った病名だったのである。

 幸い――と形容すべきは分からない――進行度は浅く、子宮を全摘出すれば完治はほぼ確約される。しかし、その部位の切除とは即ち、加山の理想を切り捨てることと同義なのだ。

 美里は加山に相談した、離別を告げられる覚悟を持って。それに加山はよろけるほどの苦悶の様相を見せ、小期間の留保を申し出た。加山がその間、どのような葛藤と問答を繰り広げたのかは定かでない。(加山はこのときの内情を一切口外しなかった)だが、二週間の深慮を経た後、加山は美里との共生を選択した。理想からの魅惑と、それを実現できない痛切さ、それらと終生闘争し、涙を飲み続け、それでもなお愛情を貫くと誓言したのである。

 それは加山が美里を理想の一構成要素と見做す以上に美里を信実に愛している不動の証左だった。それが分かって、美里は深い感謝の念を覚えるともに、想いのさらに深まるを自覚した。この人と一緒に生きて行きたい。それが美里の通説な願いだったが、でもだからこそ美里は離別を選択した。加山を知悉し、加山を誰よりも誇りに思う美里だからこそ、決別することを決めたのだ。

「子供を見ても何も言わなくなったのよ、加山君。以前は走り回る子供たちがいれば、ずっと優しそうに目で追ってたのに。加山君は健常者、我が子を抱く喜びを味わってほしかったの。たとえ私以外の人とでも」

 加山は当初、これに抗拒した――が、時日の経るに連れ、苦渋の許容に転向した。それはきっと、男性性の強い加山の男としての優しさなのだと僕は思う。決死の覚悟であるからこそ、得失を排した見地でその決断を尊重し、受容する。男性論理の優しさだ。

 別れの日、二人は腕を組み、どことも知れない新潟市郊外の住宅路を彷徨った。晩秋の夜のことで、時々吹く木枯らしがコートの襟をはためかせ、二人の距離をいっそう近くした――身も心も。歩き過ぎる家々の小窓には暖色の灯影がにじみ、団欒を暗示し幸せそうだった。きっと中では新米の若夫婦たちが幼子の忠実な従者となり、耳目を引く万物を玩具に変えてしまう暴君の思いもよらぬ狼藉に、あるいは肝を冷やし、あるいは新奇の視点を得て、喜憂を忙しくしてるに違いない。万人の干渉を等しく排除するような冷たい大理石の門前を通過しながら、美里はそんな遠い空想に耽ったりした。

 そんな亡者の行進の如き不可抗の強制力に支配されながらも、美里の心は加山との別離の接近に、絶えざる涙の号叫を上げていた。そして長い沈思の歩行の果てに、さよならの三叉路――と美里は称呼した――に行き当たり、加山は自然と足を止めた。

「俺はこっちに行くからって加山君、右の方に目を移したわ。で、美里、お前はこのまま真っ直ぐ行ってくれって。それで私は……、しばらくして頷いた」

 美里の応諾があった後、加山は美里をじっと見つめたままポケットから手を出し、繊細な細工にでも触れるように美里の頬にそっと指をなぞらせた。頬骨の周辺から顎下の曲線、それが終端まで滑ると今度は小ぶりの耳たぶに、そして、その脇にはべる麗質の髪のひとふさ。その各々には真個の愛情がこもっていて、その眼差しには深い衷心からの愛惜が優しい形で表れていた。美里はそれをうるんだ瞳で黙って受け止めた、離別を撤回したい衝動を必死に控制して。そして万感の愛撫を終えると、加山は決然とくびすを返し、冷たい足音を響かせながら、沈着の歩度で濃密な夜陰の奥へと歩み去っていった。追いすがる激情を秘め、それでも一縷の希望に微笑をもって愛を見送る美里を残し、二人の運命はそのとき、二度と交錯することのない永劫の分断に終結したのである。

 美里は髪を切った。手術は成功した。

 暗澹たる三年がそのあとに続き、痛恨が春花のみずみずしさを感受できるくらいに緩和した頃、気管支炎を患って声の出なかった美里は、ある日、透過するような無音の帰宅を果たした。台所からは伯母が夕食の支度を忙しくする音がし、それらの楽音に紛れて暗い歓喜に耐えない声で、酔った伯父が伯母に話し掛ける声が聞こえてきた。

「なあ、母さん。美里ももう三十三だなあ。どうしようなあ、子供も生めず、行き遅れた箱入りで。もう俺たちが面倒見てるしかなさそうだなあ」

「何言ってるんですか、笑い事じゃないですよ。可哀想じゃないですか、美里が」

「そうだなよあ。何しろ嫁の貰い手がなさそうだもんなあ。もう子供も生めないんだから」

 その瞬間、伯父の行状の故意たることを美里は直感した。そして、後日改めて平静の見地から伯父の真意を観照し、その醜悪の内意の確信を得て、ついに不帰の出奔を決意したのである。

「多分ね」暮色に染まる平安の海洋を背負い、痛ましい事故の犠牲者を伝える執政官の面持ちで、極めて言いにくそうに美里は言った。「お父さん、私のことが好きなのよ」

 その「好き」がどういった好意を表意してるのか、僕にもすぐに明察できた。親がわが子を――どうして?

「ねえ、ここのこと、言わないでいてくれる? お父さんにも、お母さんにも」

「分かったよ」


 美里と砂浜から引き揚げたときには夜のとばりが降りていて、昼の面影といえば水平線をふちを淡く緑に燃やすくらいになった。駐車場のとこまで来ると、美里は辞令的に家宅に上がっていくかと僕を誘ったが、ちょっとの顧慮の末、辞退した。話すべきことはもう話したし、これ以上の滞留は迷惑になる、その分別が抑止したのである。

「これからどうするの?」代わりに僕は聞いた。「ずっとバイトで糊口をしのいでいくつもり?」

「分からない。もっとちゃんとした仕事探すつもりだけど、でも見つかるかは……ね?」

 美里は既に三十三歳。特殊技能もない。「そっか」

 それから僕の懇請で互いの連絡先を交換した。もちろん美里がそれを死物と扱うのは予測できたけど、でも僕としては救難の一糸を付着させておかずにはおれなかったのである。そして、話題が尽き、いよいよ別れの空気が高調してきて、僕らは、いや少なくとも僕の方は、相手の人生に横たわる無数の苦難を思って、激励の右手を差し出した。美里はそれを微笑み、柔らかく握り返してきた、長く青春の時を共有してきた親近者の、最後の挨拶として。

 それから僕は闇夜の吹き溜まりに繰り返し濁音を上げ続ける海を右手に、伯父の妄執の粉砕方法をあれこれ吟味し、バイクを走らせた。何か達成せねば済まない強烈な使命感があって――美里の願いは居場所の秘匿だったのだから、これは僕の完全なお節介になるわけだけど――でも、看過できなかった。というのも、美里の悲傷が僕の心魂に痛切に焼き付いていたのである。何台もの車が僕の背中に青白いライトを照射し、不満げな排気音を残して走り去っていった。でも、僕の眼は伯父を姦策の術中にはめ込む不可視の妙手の後尾だけを追っていた。単純に捜索の失敗を伝えただけでは、伯父は再びの捜索を、しかも今度は僕に秘密裏に敢行してしまう恐れがある。それでは断念に漕ぎ着けない。

 僕は家に到着してからも、仰臥しながら蛍光灯の明かりの中に、抜本塞源の妙策を探し続けた。そして、太陽の熱射が地表の水分を粗方揺らぎにして昇天させてしまう翌朝遅く、寝苦しい覚醒の布団の中で、ついに天啓の来臨を拝受したのである。僕はさっそく資料の作成に着手し(探偵の報告書は持参していた)、その文書の末尾に細工を施し、文意の反転に成功せしめた。これが夕方の五時三十分。外では一日の燃焼の終局に、夕日が衰勢の輝きを淡く薄く投げ掛け、暑気の落ち着いた涼風が、そっと息を吹きかけるように、柔らかくレースのカーテンを孕ませていた。

 気勢の高潮を好機と捉え、僕はその足で揚々と伯父の元へ出かけていった――荘厳閑雅な、かの邸宅へ。

 伯父は在宅で、僕は玄関わきの重厚な木製の卓のある応接間に通された。そして、ここにも古雅な淡彩の滝の掛け軸。それを眺めていると伯父が入室してきて、僕の対顔の位置に端厳と着座した。

「おかえり、洋介。東京での暮らしに変わりはないか?」

「はい。安泰にやれています」

「そうか、なによりだな。それで……」伯父は僕の手元に目を配った。「美里は?」

「はい」僕がそれを手交すると、伯父はそれに目を通し始めた。が、構わず僕は記載の内容を概説した。「事務所の想定通り、美里の痕跡は見つかりました。仙台市のカプセルホテルに寄居している、いえ、寄居していたといった方が正解でしょう。業者の方が発見した数日後には、美里はもう香港に飛んでいたのですから。で、それ以降の足取りは残念ながら不明、とのことです。そこから先の追跡は、本国の探偵業の職域を超えていて、もし行うにしても莫大な費用が掛かってしまう。これは日本中どこの事務所主に依頼しても同系の答弁が返ってくるはず、とのことです」

 伯父は僕の言説など耳に入らないかの如く、油断を排した真剣の眼差しで一枚一枚を丹念に検分していった。依頼主や失踪者の個人情報に、捜査期間、その手法などの記載があるページ。そして、精査の目がついに僕の偽造の箇所にまで到達すると、僕の体温は僅かに上昇した。巧緻を凝らしたのだ、絶対に看破されるわけはない。その確信を持って看視していた、そのときである。

「ん?」

 何か遺漏でもあったか?

「ここ、脱字だな」

 僕は深く胸を撫で下ろした。

 間もなくして伯父の追認が完了し、緊張を弛めた様相で書類の四隅を整えると、伯父はそれを返してきた。そして、視線をそらし、深い暗愁を伝える沈思の呼気を長く吐いた。でも、この後が良くなかった。伯父は自分の見識こそ唯一の正統な経典とするような迷妄の狂言を吐いたのである。

「俺のところにいれば何の苦労もすることがないだろうに。どこで何やってんだか、あの馬鹿娘は」

 自分の悪行に何の罪責も感じていないこの物言い、それが僕には寛仮できなかった。伯父の愛執のせいで美里は、悲壮の境遇にまみれることになったのだ。

「伯父さん」僕は言った。「美里は帰ってきませんよ。たとえ帰ってきたにせよ、美里を管轄するような態度を改めなければ、幸せにはなれないでしょう。そうだ、美里はあなたの元に生まれてくるべきではなかった」

「なんだと!」

「美里はあなたの臭気のしない遠隔地で幸福に暮らしているはずです。逆境に苦労したとしても、あなたの側にいるよりはずっと何倍もマシだと感謝しながら」

 僕は恐ろしくなって立ち上がった。

「待て。どこに行く?」

「帰ります。もう用事は済みました」それから部屋を出るとき、不意に思いついて半分振り返り気味に言った。「伯父さん、美里はもう死んだんです」

 本当はもっと酷悪に伯父の罪咎を難詰したかったのだけど、対立の焦燥感が酷くなって、遁走するように出てきてしまった。でも爽快で、満足ではあった。言いたいことの三割程度だったにしても、忌憚なく直言できたのである。

 邸宅の敷地を退去する前、門前のところで見納めになると思って、僕は背後を顧望した。豪壮な造りの和風建築が、庭木の濃密な斜影と暮れ方の幽暗に飲み込まれ、遺忘された廃都の宗廟みたいに見える。かつては伯父の荘重さを具現して、その恩威を髣髴とさせる不動の宮殿みたいに見えていたのに。それがどうしてこんな無分別なことになったのか。

 僕はその場を立ち去った。


 帰宅した後も泰然と蟄居していられない気持ちで僕は再び外に出た。そして、過日の美里との回顧談もあって、遠方の堤防――僕らの堤防――を久々に訪問してみることにした。

 浜に出向いて、蛇行の形跡を残しながら悪戦苦闘の歩行を完了してみると、そこには人影どころか、釣り人たちの遊興の残痕たる釣り道具の欠片までが消滅していた。二十年前、日没までを僕らが占有し、以降は、活魚の魅力に惑溺しきった老人たちが、暗中発光する浮きの浮動を静かに熱く見守って、昼夜の活況を分担したものだったのに。あの賑わいはどこに行ったのだろう? ここが本当に、あの僕たちの堤防なのか?

 僕は四辺を見渡し、易々と飛び移れそうなテトラを見つけて、そこに腰を落ちつけた。そして、入没中の円弧の朱色を眺めながら、真相を吐露した直後の「自分は子供だった」との美里の述懐を思い返していた。

 そう、確かに美里は子供だった。でも僕も、子供だったのだ。

 一九九〇年代前半、僕が中学生だったあの頃、日本はまだ狂瀾のバブルの余熱の中にいた。狂的な財物の騰貴に興醒めな冷や水が差されたとはいえ、人々は沈静の仮面の後背にすぐにも沸き立つ悦楽への期待を煮えたぎらせていた。一時の熱は冷まされた、でも小休止の後には黄金郷の輝きはまた甦る。そう誰もが楽観していた。だが、そのとき、熱を生むはずの太陽は、南中点を遥かに過ぎて、僕らの上に夕暮れの輝きを運んできていた。

 一九九〇年代後半、数多の銀行破綻とともに人々はバブルの狂酔から覚醒し、しかしそのときでさえテレビを映す側もそれを見る側も、バブルの落魄者たちをサバンナの肉食獣に襲撃される非運の犠牲者としか見ていなかった。誰もこの国から富を創出する源泉が消失し、人々に夢の拡張と将来への大望を抱かせてくれる熱源が、次第に高度を低くし水平線の彼方に没していく存在だとは気付かなかった。そして、心地よい優美な夕陽の照射を受けて、爾来二度と再生しない狂騒の残滓の最後の一片までをも味わい尽くす狂乱の一時が、衆人たちの熱い要望に応え、スタートしたのである。

 僕らはこの放縦で甘美な社会潮流の中で青春を開始した。それは圧倒的に鮮烈で華美な若盛りの光耀ではあったけれど、その幕間にも社会の根幹に食い込む暗部――少子化や財政難――が叫ばれ、しかしその度に不吉な印象だけを残して等閑に付されていった。そして、それらを好転させる程の休祥は――それは誰もが期待しているはずなのに――耳目に入ってこなかった。この二十年、人々の思想の底流に伏在する思潮に、何か変化はあっただろうか。いや、僕には何の変容もなかったように思われる――そうだ、僕らは黄昏の中にいた。僕も、美里も、日本社会に住まう全ての者が、次第に暮れ細ってゆく斜陽の残光に、呆然と無力に惜別の視線を送っていたように思うのだ。

 その中で僕らは子供だった。人生も恋愛もなく活力と稚気に溢れてこの堤防を走り回っていたあの弱冠の頃から、僕らは長い青春を続け、そしてそれが二度と回復しない有限の輝きたることを知らず、その煌めきを無為に蕩尽してしまった。

もうすぐ夜が来る。世界を冷却し、場所によっては無明の暗闇で人々を恐慌に陥れる長い闇夜の時が。

 僕はほのかに燃える水平線を見た。

 青春を喪失し、精魂の衰勢を実感する昨今、大人への成熟を果たせたとして、この先の十年二十年、いや三十年の暗夜の時を、僕は乗り切ることができるだろうか。そしてまた美里は? この国に住まう多くの人々は?

 いかな楽観の僕といえども、この暮れゆく残照の景色を前に、深い憂懼の心象に、落着せずにはいられなくなっている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ