NO MUSIC, ''NO'' NO LIFE
音楽なしじゃあ、生きていけない。
もう、死のう。そう決心して、散々優柔不断で引き伸ばした挙句、約三年後に僕はとあるビルの屋上へと足を運んだ。ビルの天辺では師走の冷たい北風が吹き荒れていて、思わず僕は身を縮こまらせた。これからやることを考えて、僕は身体の芯から震えが止まらなくなってしまった。
「……ふぅう…!」
白い息を吐きながら、僕は柵を跨いで地上を覗き込んだ。九階建ての高さから見る下の景色は、何だか妙に静まり返っていて不気味だった。それもこれも、全部『音楽禁止法』のせいだ。
…気分が変わらないうちに、さっさとやってしまおう。僕は目を瞑った。その時だった。
「何をやっているんだ!」
後ろから鋭く声が飛んできて、僕は思わず振り返った。見知らぬ警備員が、僕の方に向かって必死に走ってきた。中年の警備員は僕の元へとたどり着くと、息も絶え絶え声を絞り出した。
「さっさと飛び降りろ!善人ぶった正義感の強い奴が、間違って止めにきたらどうするんだ!」
「えっ!?」
僕は驚いて目を丸くした。
「えっと…止めないんですか?」
「え?私が?何で止めなくちゃいけなんだ?君は私の知り合いか?」
「いえ…違いますけど…」
「だったら死ねよ」
「えぇ…ひどい…。聞かないんですか?僕が死のうとしている理由…」
「聞きたくないよ。どうせ兄ちゃんも『音楽禁止法』のアレなんだろ?」
「そ、そうですけど…」
ズバリ当てられて僕は動揺した。
音楽禁止法。
三年前にこの法律が出来てから、この国から音楽が消えた。大衆の心を煽り扇動する悪魔の所業として、音を鳴らす一切の行為が犯罪になったのだ。ギターもピアノも、全て新政府によって破壊された。遠い国からやってきた新政府の人間達にとっては、僕らが昔から慣れ親しんだ音楽は統率の邪魔になったのかもしれない。この法律によって、地元でバンドを夢見ていた僕も、あえなくギターを没収されたのだった。
警備員の言葉に何だか拍子抜けして、僕は気が削がれた。それにしても「さっさと飛び降りろ」だなんて、自殺幇助もいいとこだ。音楽を鳴らすより、そっちの方がよっぽど犯罪な気がする。警備員は僕の顔を見てせせら笑った。
「どうせ誰かの物まねの、自己満足の音楽なんざ、法律なんかなくっても一生日の目は見れないだろうよ。君も夢を諦める理由が出来てよかったじゃないか」
「ちょ…ちょっと待ってくださいよ!僕の音楽を聴きもしないで…」
見ず知らずの人間に馬鹿にされ、流石に僕もムッとなった。オルタナティヴでプログレッシヴな、エモーショナル溢れる僕のスタンダードなナンバーを、聴きもしないで「自己満足」で片付けられたんじゃあ、こっちも納得いかない。
「『法律』さえなかったら、僕等の音楽は今頃世界を変えてましたよ!」
「だはははは!言うねえ…」
警備員は大爆笑し、涙を堪えながら僕に言った。
「そんなに自信があるんだったら、ここで歌ってみろよ!」
「えっ…」
僕は戸惑った。辺りには誰もいない。だけどもし、ここで歌ってることがバレたら…僕は刑務所行きだ。
「いいじゃねえか、どうせ死ぬんだし。捕まる前に飛び降りれば…」
「で、でも…」
「それとも何か?まさか自殺なんて本気じゃなかったとか?」
「ほ、本気ですよ!」
「じゃあアレだ。やっぱり自信がないんだ、自分の音楽に」
「そんなことは…」
警備員が肩から無線機を外し、僕に手渡した。僕は思わず生唾を飲み込んだ。
「拡声器でビルからこの周辺に聞こえるようになってる。ほら」
警備員がニヤニヤしながら僕を見てきた。僕は無意識に手がガタガタ震えているのに気がついた。おかしいな。別に、死ぬのは怖くない。だけど、歌うのは怖い…?
どっちにしろ僕は音楽なしじゃあ、生きていけない。
……こうなったらもう、破れかぶれだ。
僕は思いっきり息を吸い込み、一番バンドで練習していた、とっておきの歌を叫んだ。
それは歌というよりも、叫びに近いものだった。僕は歌いながら地上をちらと覗き込んだ。突然頭上から鳴り響いた怪音に、道行く人々はみな驚いて立ち止まった。僕はもうやけになって、出来る限界で叫び続けた。中には気味悪がって、そそくさと離れていく人たちもいた。これだけ大きな音を出していれば、すぐにでも機動隊がやってくるだろう。だけど僕はお構いなしに、とにかく叫び続けた。
「はあ…はあ…」
…気がつくと僕は、屋上に大の字で倒れていた。目の前に広がる青い空が、僕の眼の中に飛び込んできて眩しかった。全然関係ないけれど、空はどこまで青いんだろう?どこまで行っても空が青いままだから、僕は見上げることを止められずにいた。
パチ、パチ…。
どこからか拍手の音が聞こえてきたのは、やってしまった…という後悔が喉から出掛かっていたその時だった。僕は音のする方を見た。警備員のおじさんが、驚いたような目で僕を見て、静かに拍手をしていた。
「…やるじゃねえか。本当に歌ったのは兄ちゃんが初めてだ」
「はあ…はあ…」
バタン!
と扉が開かれ、突然機動隊が屋上になだれ込んできた。おそらく誰かが通報したのだろう。そりゃそうだ。目立ちすぎだった。僕は立ち上がる暇もなく、汗だくのまま屈強な男達に取り押さえられた。黒いマスクの隊員が鋭く叫んだ。
「今歌ってたのは誰だ!」
「はあ…俺だよ」
警備員はそういって、観念したように手を上げた。いつの間にか警備員は、僕に渡した無線機を手に持っていた。機動隊員はそれを確認すると、警備員が抵抗する間もなく手錠をかけた。
「『音楽禁止法』違反により、貴様を逮捕する!」
黒いマスクの隊員が、声高々にそう叫んだ。
「………それで、警備員のおっさんはどうなったんですか?」
「さあな。アレ以来、会ってない」
「全く、クソみたいな法律ですね。許せない…」
「…今思うと、あのおっさんは待ってたんじゃないかと思ってる。たとえ禁止されていようが、歌いだしちまう俺みたいな馬鹿を」
「リーダー!『ゲリラ』ライブの準備が整いました!」
偵察していたボーカル&ギターが双眼鏡から目を離し、こちらに叫んだ。俺は立てかけてあったテレキャスターを手に、腰を上げてバンドメンバーを見回した。青空の下、呼びかけに集まったメンバー達が決意と不安の入り混じった目で俺を見上げていた。
「さあ、昔話は終わりだ。今じゃ音楽を鳴らすそれだけで、俺達はテロリストだレジスタンスだなんて呼ばれちゃいるが…」
「奴等に聴かせてやりましょうよ!俺達の音楽を!」
「何も悪いことはしちゃいない…行くぞ!『法律』なんかあってもなくても、俺達の音楽で世界を変えてやろうじゃねえか!」
自分に言い聞かせるように、俺はあの頃のように大きな声で叫んだ。鬨の声と共に、仲間達のコブシが、どこまでも広がる青い空に高々と突き上げられていった。