ひかりホタル
ある日、落下した隕石にまつわる、不思議な出来事。その秘密とは??
二〇××年九月十三日一九時十二分、S県H市郊外で大きな爆発音が発生した。近くの住民が山腹に大きく穿たれた穴を発見し、警察に通報した。爆発で出来たと考えられるその穴は、直径十メートルものいびつな穴であった。その穴の中央には、奇妙な石が発見された。
同日十九時頃、H市の多くの市民より、空に燃えさかる火の玉を見た、という証言が相次いだ。折しも、初秋の夕刻であり、夕焼けに赤く染まった空を東西に横切った火の玉は、この世のものとは思えない景色だったと、目撃した人は語った。
翌十四日、警察は爆発の原因は隕石の落下であると発表した。隕石の大きさは長径八十センチメートル程度の大きさであると発表された。そして、以後の調査は国から派遣される調査団に委ねられる、とし、その周囲の立ち入り禁止区域は縮小しつつも継続する、と発表された。隕石が地球に落下する確率と、その隕石の大きさから考えると、非常に貴重な資料となるはずであり、宇宙の謎を解く一つの鍵として期待され、連日、テレビの話題を独占した。
そしてしばらくの時間が経って、奇妙な噂が静かに拡まっていった。
H市は海に面する小さな地方都市で、漁業と商業を中心とした街だった。山がちの地形に、高く低く古くからの家々が並んでいる。その一方で山腹を削るように新たに造成された住宅団地、その一画に、白い壁に赤い屋根の住宅が建っていた。
「ただいま」
その玄関を開けたのは、ショートカットの少女だった。県内でも進学校と言われている学校の、襟に二本、紺の線の入ったセーラー服を着ている。アクセントになっている赤いリボンが胸元で揺れている。返事のない玄関で脱いだ靴を揃えるのももどかしく、鞄を持ったまま軽やかに階段を駆け上がる。二階には短い廊下があり、その右側の扉を軽くノックして、返事も待たずに開けた。
「なんだ、起きてるじゃん」
その部屋は日当たりの良い、暖かい部屋だった。大きな窓から、傾きだした陽射しが薄いレースのカーテン越しに柔らかく差し込んでいる。部屋の奥にはやや大きめのベッドがしつらえてあり、その上には線の細い男の子が大きな枕を背に凭れていた。
「なんだ、っていうのはどういう意味?」
外を眺めていた男の子は少女へと振り返ると、静かに笑って言った。
「おかえり、風香」
「うん、ただいま。大地」
風香はベッドの脇に置いてある丸椅子に坐って、足元に鞄を置いた。大地は手に持っていた文庫本をベッド脇の小棚に置いて、膝元の毛布を引き寄せた。
「今日は調子いいんだ」
「うん、天気もいいしね。このところ調子もいいみたい。夏も終わったしね」
「夏が終わって調子いいのは、私も一緒だけどね。だけど、もうちょっと残暑は続くかなぁ」
窓の外は青空が拡がっている。雲一つ無い快晴。穏やかな陽射しが、広い部屋に差し込んでいる。広い部屋といっても普通の六畳程度の広さなのだが、置かれているものが極端に少ない。ベッド一つに薄型テレビが一つ。ベッドの脇には脇机と小棚がある。変わったところと言えば、窓と反対側の壁の一面。その壁は全て本棚になっていて、ぎっしりと様々な種類の本で埋め尽くされている。
「今日は何してた?」
「うん、ずっとこの本を読んでた。風香の選んでくれた本はいつも面白いね。後もうちょっとで読み終わるところだった」
「あれ、じゃあ邪魔しちゃったかな?」
ううん、と大地は首を振った。短いが細い髪が軽く揺れた。
「そんなことないよ。風香が早く帰ってきてくれて、嬉しい」
そう、と言って風香は闊達に笑う。つられるように、大地もか細く笑う。
大地は一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。小さい頃から体が弱く、風香にとっても、ベッドの上に大地がいる光景が日常だった。
「今日は何か面白い話があった?」
「うん、そうだね。こないだ落ちてきた隕石の話。なんだか変な話になってきたみたいだよ」
大地の目が興味に沸き立つように輝き、風香は嬉しそうに微笑んで話し出す。
「隕石で出来た穴で、不思議なことが起こっているのよ」
「隕石に、じゃなくて?」
「そう、隕石で出来た穴にね、光が舞っているんだって」
調査団が編成された隕石の調査は遅々として進んでいなかった。某大学の宇宙物理学に詳しい教授を中心として派遣された調査団は、隕石に近づくことさえ出来ず困惑していた。調査団と調査を見守る野次馬たちとが深く穿たれた穴の中で見たものは、無数に輝く光だったのだ。その光は昼も夜も穴の周りで輝き舞っている。白い光、黄色い光、緑色の光、赤い光……。様々な色彩を帯びたその光が彼らの邪魔をして、予定していた調査が進んでいないのだった。
「たくさんの光……。それってなんなのかな?」
「うん、それでその話を聞いて、例の調査団はもちろん、それ以外の色々な人がその隕石を調べに来ているのよね」
宙を舞う数多くの光。それは隕石が落ちてくるまで、その地域では誰も見たことのない光景だった。だから、それは隕石の落下と関係しているものなのだと考えられている。
「いろんな人が色々な事を言っているわ。あの光は隕石に付いてきた宇宙生物なんだとか、ボイジャーみたいにどこかの星の宇宙人がメッセージを込めて打ち出したものなんだとか。他にはあれはもともとこのへんに住み着いていた霊で、隕石の衝撃でそれが起き出したんだとか」
郊外の山腹には確かに古墳があちこちにある。
「もちろん、光の屈折でそう見えるだけだとか、プラズマとかの自然現象だとか、幻覚だとか言っている人もいるけど。だけどその光はとても奇妙なのよ。どんな記録にも残らないの」
「記録に残らない……って?」
「うん、ホント、よく判らない話なんだけどね」
隕石が落ちたその日、警察が危険だからという理由で周囲を封鎖する前に、かなりの野次馬が隕石の回りに集まっていた。出来た穴の周りで輝く光を見つけたのは、当然の事ながら第一発見者の近所の住民なのだが、その奇妙さに気付いたのはカメラ付き携帯にその光り輝く光景を撮った女性だった。
「携帯でね、その光は撮れなかったんだ。最初は撮影に失敗したんだと思ったんだって。それで何回か撮ってそれでも撮れなくて。それで、光量不足で携帯のカメラ程度では撮れないんだ、って思ったらしいんだ」
それでもその後、本格的な一眼レフカメラを持ってきていた男性も、翌日駆けつけた国の調査団も、その光を撮影することは出来なかった。さらに、様々な本格的な機材を持ち込んで調査を続けたが、どんな方法でもその光を記録することは出来なかった。
「ホントに不思議よね。その隕石の回りに行った人は、その光を必ず見るっていうのに、カメラでもテレビビデオでも、どうしても記録することが出来ないんだって」
ふうん、と大地は頷いた。
宙を舞う光といえば、心霊現象が思い浮かぶ。その場合、霊感のない人には見えず、写真を撮ると心霊写真が撮れるというのが普通だ。しかし、今回の場合には、そこに訪れた人々の誰にも光は見えるのに、写真として記録することは出来ない。調査団の様々な観測機器でも、放射能や電磁波も多少は測定できるものの、それは隕石から発生しているもので、それも通常の隕石と違いはなかったらしい。宙を舞う光の存在を証明する具体的データを入手することは出来なかった。
写真やビデオカメラに記録できないのだから、ニュースソースとしての話題に欠け、テレビニュースでは一切放送されなかった。
「一体どういう事なんだろうね? 不思議だと思わない」
大地は顎のあたりに左手を添えて、無言のまま何かを考えていた。しばらくの間、風香はそんな大地の姿を見守っていた。いつもは青白い大地の頬に赤みが差している。大地はこういった不思議な話しが好きだった。不思議な事に出会うと、眼の輝きが増す。風香はそういう大地の姿を見ることが好きだった。風が吹いてカーテンが揺れる。部屋の中がどこか明るくなった様に感じる。そうこうしている間に、大地は何かを思いついたように顔を上げて言った。
「科学機器で測定できないというなら、それは現実には存在しない光なんじゃないかな」
その声には、これまでにない生気が篭もっていた。少しだけ、風香は嬉しくなる。
「……そうなの? でも見たって人がたくさんいるんだよ」
「風香は見た?」
ううん、と風香は首を振った。
「まだ行ってない。でも、友達は何人か見に行ったって言ってた。みやも見たって。とっても綺麗だったって、なんだか興奮して喋ってたよ」
「だけど写真には撮れなかった」
「うん。それも言ってた。みやは霊感強いんだけど、何も感じなかったんだって。犬とか猫とか連れて行った人もいるけど、何の反応もしなかったって」
「それじゃ、やっぱり心霊現象でもないんだろうね。それで、人にしか見ることができない」
「だったら幻覚とか、単なる見間違いとか……になっちゃうの? それじゃ、なんだか……」
風香は少しだけ、つまらなそうに言った。それを見て、大地は優しく笑う。
「その結論はまだ早いよ。そう、例えばこんな話はどうだろう。その光は人にしか見えないんだ。猫にも犬にも霊にも見ることが出来ない光なんだ。もちろん、機械にもね」
「見ることが出来ない? 実際に光があるのに?」
「だから、現実にはそんな光は存在しないんだよ。だけれども人には見える。人にだけしか見れないんだ」
「存在しないのに……見えるの?」
「そう、それはきっと記憶が視せている光なんだよ」
「記憶? 前世の記憶とか?」
ううん、と大地は首を振る。
「それだと、その人の前世それぞれに同じ記憶がなくっちゃいけない。それだと、みんなが同じ光景を見ている、っていう説明にはならないんだよ。すべての人が、同じ記憶を持ってなくっちゃならない」
風香は首を傾げた。
「それは、そうだけど……。みんなが持っている記憶なんて、いったい、どこに持っているの?」
「そうだね。人がみんな同じ形で持っているもの。そう、例えば、DNAに刻まれているっていうのもいいかもしれない。僕たちは、その光が乱舞する光景を既に知っているんだよ。経験ではなくて遺伝子の中の記録としてね」
「遺伝子の記録?」
「そう。どんな生物でも持っている遺伝子には様々なものが記録されている。人が二本足で歩けるのも、猿みたいに毛むくじゃらじゃないのも、こうやって言葉を使って話す事ができるのも。全部遺伝子で決まっていることなんだ。だから、そういう記憶が記録されていたっておかしく無い」
「それは、ちょっと乱暴なんじゃないの」
そうでもないよ、と大地はベッドの脇に置いてあった小棚から図鑑を取り出した。パラパラとめくって、あるページを開く。そこには大きくチョウの写真が載っていた。白と茶色、そして黒を基調とした斑模様が美しいチョウだった。
「アサギマダラ。綺麗なチョウだろう。これは渡りをするんだ」
「わたり……って? 渡り鳥、みたいに? ツバメみたいに寒い冬は南の方に飛んでいってしまうの?」
「そう。日本にも生息しているチョウで、寒い冬は暖かい南で過ごして春になると北上する。もちろん、秋になったらその逆だね」
「でも、チョウなんでしょう。何年も生きてるって訳じゃないのに、道なんて憶えてるの。もしかして、何年も生きるようなチョウなの?」
「ううん。普通のチョウだよ。だから、一年に二、三世代は交代する。だから春に北上した一匹のチョウが、そのまま次の秋に南下することは有り得ない。チョウなんだから子育てだってしない。親が子に教えている訳でもないんだ。それでもアサギマダラは毎年決まった時期になれば渡りをする。それは、もう、遺伝子の中に記憶として刻まれているって事しか考えられないじゃないかな」
「う~ん、そうねぇ」
「だから、その噂になっている光景は、僕たちの遠い、ほんとに遠い先祖が見た事のある記憶なんだよ。人間みんなに刻まれている遺伝子の中の記録。それが何かの切っ掛けで呼び起こされている」
「その切っ掛けって、隕石の落下で?」
「多分ね」
「何で?」
その漠然とした問いかけに、なんでだろうね、と少々おどけた様に肩を竦める。それはそうね、と風香も笑った。そうしてしばらく二人で笑いあってから、ふと思いついて風香は言ってみた。
「ねえ、大地。今の話からすると、あの光の乱舞は過去にあった光景なんだよね」
「うん」
「一体どんな光景だったんだろうね」
そうだね、と答えて、そして大地はおかしそうに言った。
「でも、風香は見に行けるじゃない。すぐ近くなんだしさ」
隕石が落ちた郊外と、風香達の住んでいる住宅団地はそれほど距離は離れていない。自転車で走れば、途中で急な上り坂もあるけれど一時間もかからずに着くだろう。
「そういえば、そうよね。でも……」
風香はちらりと上目遣いでベッドの上にいる大地を見た。大地には隕石の墜落現場まで行くことは無理だろう。だから、風香もこれまで友達の誘いも断っていたのだ。だけれども、こういった不思議な話は大地も風香も好きなのは変わりなかった。
「僕はいいよ、風香も見たいだろう。行ってきなよ」
でも、と言い淀む風香に、大地は思いっきり嬉しそうに笑う。
「行きなよ、風香。それでどんなだったか、見てきたことを教えてくれれば、僕も嬉しい。ほら、そんな顔しないで」
風香は申し訳なさそうに、しゅんと俯く。
「そうそう、それで名前を付けてきてよ」
「名前? 何に? どうして?」
突拍子のないお願いに、風香はそれまでの顰めっ面を振り払った。
「だってそうでしょ。それはきっと、まだ僕たちが見たことがないものなんだ。例え大昔にあったものなんだとしても、僕たちの言葉では記録されていない。どんな辞典にだって載ってないものだよ。だから、さ。風香が名付け親になるっていうのも面白いと思ってさ」
「そう、ね」
風香はしばらくの間、唇に人差し指を当てて考えた。そうして、晴れやかに微笑む。
「うん、面白そう。私、さっそく行って来るわ」
そう言って立ち上がる風香を、大地は嬉しそうに見上げた。
夕暮れ時、民家がポツポツと並ぶ山合いの道を自転車が走る。風香は額に汗を滲ませながら、ペダルを漕ぐ。途中で自転車を降りて、人の足跡がたくさん付いた小道を登る。少し歩くとすぐに、調査団だろう集団と、プレハブ小屋が見えた。その脇をすり抜けて、隕石が落ちたという大穴を見つけた。穴の大きさは十メートルくらい。予想していたようなクレーターではなくて、ボロボロに崩れたようないびつな大穴だった。隕石落下の衝撃は、周囲の土砂を綺麗に吹き飛ばす程の破壊力は無かったという話だ。穴の周囲は危険で、仮設の柵で覆ってある。それでも、穴の周囲に舞っている光は十分見ることが出来た。
「きれい……」
風香は、ただ呟くことしか出来ず、その光景に見入っていた。
次第に暗くなっていく藍色の空に、様々な光が乱舞する。白い小さな輝きが多いけれど、中には赤や黄色や青や紫色の光もある。大きさも色々、で星の瞬きぐらいの大きさの光がチラチラと輝く。輝きの数々は静止しているわけではなく、ゆらゆらと宙を漂っている。まるで蛍のように。その様々な色彩を帯びた蛍は、ものすごい量にもかかわらず周囲の山々の景色を照らさない。ただ輝いているだけだった。隕石の落下で出来た穴を中心に集まっているようにも見えた。
「すごい、ね。大地」
その不思議な光景は、これまで知っている事の、どれにも当てはまらない。みんなが噂していたようなもの、宇宙人だとか、霊だとか。そんな説明では陳腐すぎて出来そうになかった。これは何なのだろう。蛍みたいで蛍ではない。星のようにも見えるけど、星のはずがない。光り輝く、その光景は……
「ひかりホタル……」
思わず口をついてでた。その言葉を、風香は何回か口の中で呟いてみる。そうして、しばらくの間、光の乱舞を眺めていた。うん、と一つ頷いてそれを決めた。
「『ひかりホタル』いい名前じゃない。あんた達は今日から『ひかりホタル』よ」
風香はそう何もない、ただ光の舞う空間に語りかけた。
ホタルはもともと光るものだ。だから、当たり前じゃないかと言う人もいるだろう。けれども、風香には、それは当然の名前のように思えた。まるで、初めから決まっていたかのように。
「さあ、帰って大地に教えてあげよっと」
風香は軽やかに、隕石が落ちて出来た大きな穴を後にした。
数日後、H市は雨雲に覆われた。一日中降った雨は隕石落下の衝撃で脆くなった山肌を崩して、大穴を埋めた。穴が埋まり、その時からたくさんの光の乱舞は全く現れなくなくなった。そして、どのような形としてでも記録として残せなかったそれは、いまでも人々の記憶の中にだけある。
二年後、調査を続けていた国の調査団が埋もれていた隕石を掘り出した。その中に、地球上にはないある種のアミノ酸が含まれていたことは、それは、また別の物語で。