第六話「不思議なおねーさん」
気が付くと、僕は暗闇の中にいた。
どこだろう、ここは。
ん。何だ、あれは?
5メートルほど先に小さな『光の雫』が見える。
僕はその方向へ一歩歩き出す。
あっ、動いた。
僕が歩幅を進めるごとに『光の雫』も前に進んでいくようだ。
僕は雫をナビ代わりにしてどんどん先へ進んでいった。
すると——。
「やあ、アキラ君。また会えたね」
聞き覚えのある声だった。
女性の声……恐らく、病院で見た夢で出てきた人物の声だろう。
「とは言っても、昨日はわたしが一方的に話しかけただけだったから、これが多分——十年ぶりの再会、なのかな……?」
光の雫で照らされて、その女性の姿が露わになる。
銀色のウェーブのかかったロングヘアー、そして服は……髪で申し訳程度に隠れていたが、その下は恐らく何も付けていないであろうことが見てとれた。
女性……いや、年の頃は僕とそんな離れていないように見えるので『おねーさん』と呼んだほうがいいかもしれない。
白い素肌が光の雫で照らされて、とても美しい……僕は思わず見とれてしまった。
しかしその両腕は『鎖』で縛られ、吊るし上げられているようだった。
その双眸は閉じており、まるで眠っているかのように見える。
「あ、あんまり見ないで。恥ずかしいよ……」
おねーさんの表情が少し赤らんだ気がした。
「あ。ご、ごめん。でもそんな裸みたいな恰好してたら、その。目のやり場に、困る」
「それはそうだけど……ここは『心象世界』の一種……つまり夢の中なの。わたしがこの姿なのは、不可抗力だと思って?」
よく話が呑み込めないが、僕は首を縦に振った。
「今、キミとわたしの『心』を『魔法』で繋いでいるの。だからこうして夢の中でも話ができるのよ」
「ま、ほう……? なんなの、それは? それにおねーさんとは初対面のはずなんだけど……?」
僕がそう言うと、おねーさんの声は少し寂しげな感じになった。
「やっぱり、覚えてないんだね。もう夜明けまで時間がないから単刀直入に言うよ? 次の日曜日に、妹さんを『あの場所』へ行かせては駄目。何故なら、そこで彼女は……」
「ん……」
小鳥のさえずりが聞こえる。頬に当たる日光で、僕は目を覚ました。
夢……か。そういえば夢のおねーさんもそんなこと言ってたな。こういうのを『自覚夢』っていうんだっけか。
僕はオカルトの類は信じない主義だが、あのおねーさんの言葉は気になる。
妹が『あの場所』に行くと、何かが起こる。
夢で警告してくるくらいだから、きっと悪いことが起こると彼女は言いたかったのだろう。
まあ夢で警告されようがしまいが、妹が危険な場所に行くのを黙って見ていることなど僕はしない。
僕は腹が減ったので一階に降りることにした。
キッチンでは既に妹が朝食を作っている。
しかし、何だ? この焦げ臭い匂いは。
「おっはよー、アキラおにーちゃん」
ユイナは既にテーブルについてハムエッグを頬張っていた。
ユイナの朝食は別に焦げた様子はない。と、いうことは……!
「はい、兄ぃの分だよ」
出てきたのは……思いっきり焦げついた目玉焼きだった……。
「お前、良い度胸してるじゃないか。現家主代行のこの僕にこんなもん出すなんて」
「はあ? 家主代行? 誰がそんなこと決めたの?」
僕達二人の視線がぶつかり、火花が散る。
「まあいい。それよりお前に家主代行として……いや、兄として言うべきことがある。次の日曜は、どこへも行かずに、家に居ろ」
「やだ。絶対日向ちゃんと遊園地行くもん」
これだ。まあ、素直に言うことを聞く相手じゃないのは百も承知なのだがな。
「じゃああたし、先に学校行くから。じゃーね、シ・ス・コ・ン・あ・に・きっ!」
叶絵はあっかんべーをして家を出ていった。
「全く。困ったもんだ」
「でもおにーちゃん。何でそんなに日曜日叶絵おねーちゃんを出かけさせたくないの?」
ユイナが怪訝そうに上目遣いで僕にそう訊いてきた。
別に隠すことでもないので、僕は正直に答えることにした。
「……昨日夢で出てきた人が言ってたんだよ。妹が日曜に『ある場所』に行くと悪いことが起こる、って。僕はオカルトとか信じない主義だけど、用心に越したことはないからな」
「ふーん、そっかぁ。じゃあさっさとユイナと『けーやく』しないと、大変なことになっちゃうかもね」
『けーやく』。
僕はその言葉がとても気になってしまった。
「なあユイナ。前にも言ってたけど、『けーやく』って何なんだ? いい加減教えてくれよ」
「『きす』することだよっ♪」
僕はモーニング・コーヒーを思いっきり噴き出してしまった。
「子供がいきなり何言い出すんだっ、噴いちゃったじゃないかっ!」
「セイカクには『きす』は『けーやく』を結んだシルシだよ。ギシキとも言うけど。唇と唇を合わせて、ちゅ~ってするの!」
僕は頭が痛くなった。
「訊いた僕が馬鹿だったよ。じゃあ僕も学校へ行ってくる。家で大人しくしてるんだぞ? 暇なら僕の部屋にあるアニメDVD勝手に観ていいからさ」
「わぁ~い」とユイナの嬉しそうな声がリビングに響く。
僕はユイナの見送りを背にして通学路をチャリンコで駆け出したのだった。