第三話「遠くなってゆく世界」
古鳥家・二階。
僕達が二階への階段を上る間にこの家の家族構成について触れておこう。
12月初旬現在この家は僕と妹である叶絵の二人暮らしだ。
両親は共に仕事で海外に赴任しているのでこの家は空き部屋が二つもある状態なのだ。
一階に両親が使っていた部屋があり、二階に僕達兄妹の部屋がある。
この構図は今年の春この家に越してきてから変わっていない。
もっとも、僕が高校に上がってすぐに両親の海外赴任が決まってしまったため、事実上両親の部屋はほとんど使われていないことになる。
それでも一か月に一回ハウスキーピングの人が来てちゃんと掃除してくれているので越してきたときとほとんど同じ内装なのだ。
そして僕は長男として両親の留守を守るという大任を任されており、妹の監督も両親の代わりにしなければならないのだ。
よって。これから僕が行う行為も、その親代わりに果たさなければならない責任の一環なのだ。
いや、そうに違いないッ!!
僕は妹の部屋のドアノブに手をかけた。
鼓動が高鳴る。
「うひゃ~、どっきどきだねぇ♪」
とユイナが小声ではやし立てる。
僕は脂汗ののった右手で、ゆっくりと部屋のドアを開く。
ちょ~っと覗きますよ~
僕は恐る恐る隙間から中の様子を眺めてみた。
すると——。
「え!?」
そこには。僕が今までの人生で見たことのない——美しい世界が、広がっていた……!
異性同士のカップルではなし得ない、優美にして甘美な世界。
「わおっ、すっごーい。ユイナの予想、当たっちゃったぁ」
などとユイナは小声で呟いているが、そんなことは僕にはどうでもいい。
僕は鬱積した感情を爆発させるが如く、部屋のドアを開け放った!
「!?」
「ちょっと、明良兄ぃっ!?」
抱擁を交わしたままの姿勢で驚きの声を上げる二人の少女。
僕は二人を強引に引きはがすと、妹を怒鳴りつけ……ようとしたのだが。
何故か僕の感情は怒りを通り越して、悲しみに変わっていた。
駄目だ。
女の子の前で泣くなんて、みっともないと頭では分かっているのに。
悲しくて、情けなくて。瞳から熱いものが流れて仕方ない。
僕は気づいたら、叶絵を抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと明良兄ぃ。やめてよ。なんか勘違いしてるみたいだけど」
「みなまで言うな! 確かにお前の男性恐怖症は相当なもんだよ。お前が男の子と付き合えずに真剣に悩んでたことも知ってる。年頃の女の子なんだ、当たり前だっ! けど、けどよぉ。一人で思い悩むことなんてねえんだよっ!! お前の苦しみは兄ちゃんが半分こしてやるから、だから——」
「だから、話を聞いてよ! 日向ちゃんは『男の子』なんだよッ!!」
誰かが『時間よ、止まれ』と叫んだ気がした。
は? 男……の、子……? 誰が??
日向ちゃん……いや、日向『君』なのか……???
僕が思考停止して何秒経っただろう。止まっていた時間が、少しずつ動き出す。
「ここ。性別の欄、見てください」
日向君が自分の生徒手帳の性別欄を指差してくれた。
確かに『男』とある。
「むっほおおおおおおおおおおおおおおおおッ!! あんびりーばぼおおおおおおおッ!!!」
僕はあまりのショックに受け身も取れずにぶっ倒れてしまった。
駄目だ、意識が。意識が遠くなってゆく。
「きゃああああッ!!明良兄っ、お兄ちゃん!?」
「ボク、救急車呼ぶよっ!」
みんなの慌てふためく声がうっすらと聞こえる……。
僕は遠くなってゆく世界を仰向けで眺めながら、耳元でサイレンの音だけがこだましてゆくのを感じていた——。