Hellow World!――はじめまして!③
ああ、違う。この娘が彼女であるならば、こんなしゃべり方はしない。あの人はもっと周囲を明るく照らし出すような、お日様のような人だった。けれど、この娘は月だ。
だったらなぜ、この少女は振り返ってぼくに疑問を投げかけた?
一縷の望み。
黙ったまま何も言えなかったぼくと彼女を、新入生たちはどんどん追い抜いてゆく。やがてその人通りがなくなる頃。
呆れるでも茶化すでもなく、少女はぼくに背を向けて歩きだそうとして――。
「あ……」
何もないところで足をもつれさせた。
反射的に両腕を伸ばし、彼女を背中から抱き留める。
「…………」
「…………」
左腕は腹部に、右腕は胸に。
あまり大きくはないけれど、そこには手で触れてはならないもののような柔らかさがあった。
冷や汗が滲んだ。ふたりして固まったまま、数秒が経過する。
落ち着け。ここで大声で謝ろうものなら、新入生のほとんどが中庭に向かっているとはいえ、誰かが振り返るかもしれない。こんなところを見られでもしたら、ぼくの学園生活は初日で終わりだ。
まずは落ち着くんだ。深呼吸をして……いい匂いがする……。
また数秒が経過した。少女はぴくりとも動かない。ぼくも手を動かそうなんて不埒な考えは起こったり起こらなかったりしたが、当然やってはいない。
そっと、何事もなかったかのように。
自分に言い聞かせながら、ゆっくりと両腕を解く。震えそうになる声をなるべく抑え込んで、ぼくは小声で「ごめん」と呟いた。
新雪のような髪を揺らして振り返った女子が、眉をわずかにひそめて首をかしげた。
「……なぜ謝るの? わたしは今、転倒しかけた。だからあなたが手を差し伸べ、わたしを元の体勢に戻してくれた。とても合理的な行動」
な、何か変わってるな、この娘……。
「あなたに損害は発生しないし、わたしの損傷を防いでくれた。むしろわたしは、あなたにお礼を言わなければならない」
抑揚のない声で静かに告げて、目を細めるでもなく、感情なく「ありがとう」と呟く少女。まるで感謝の意など伝わっちゃこない。
「わたしに何か用?」
やはり別人だ。彼女はこんなしゃべり方をしない。
でも、不自然なくらいに似ている。似すぎている。
「その、ぼ、ぼくは高桜一樹っていうんだ。あの……、ヘンなことを聞くけど……」
「わたしにこたえられることなら」
「君にお姉さんはいない? 九年前の大戦の七日目に、君とそっくりの人に助けてもらったんだ。メタルと戦っていた人なんだけど……」
容姿のことは言うべきじゃないだろう。真っ白な髪も、赤い瞳も、個人的にはとても綺麗だと思うけれど。
数秒間、思考する表情を見せた後、少女は静かに囁く。
「彼女はもういない。九年前のその日から、この世界のどこにも」
「それって……」
「もう、いない」
少女は感情を表すことなく、ただ静かに繰り返した。
時が流れる。音もなく。
「冗談……だろ……?」
「いいえ」
両膝が折れた。
マヌケなぼくは、ようやくこの気持ちを自覚した。
このときまでは自分でも気がつかなかったけど、ぼくはやはりあの人のことを、未だに引きずっていたんだ。
恋愛を、尊敬にすり替えていた。
帝都防衛高校が創立されたのは、首都大戦の二年後。あの頃はまだ、メタルの侵攻に対する組織立った迎撃態勢が確立されちゃいなかった。自衛隊があまりに無力だったから。
現在は、帝高を含む南東、南西に位置する装甲人型兵器専門の高校と、北端に位置する英雄のみで構成された大学があって、三校が協力体制でメタルを辛うじて東京に封じ込めている。それでも犠牲となるパイロットは少なくない。
今でさえこんな有様なのに、学校すらないまま起こった九年前の首都大戦は、その犠牲者数もゲリラ的な戦い方も、熾烈を極めただろう。装甲人型兵器の機械的な技術だって、出始めの当時はまだまだ未発達だったはずだ。
「そっか……。……あの人はもう、いないんだ……」
あの日、ぼくを助けた後に――。
ぽっかりと、胸の中に穴が空いた気がした。
まだ、名前も聞いていなかった。命を助けてもらったのに。
「そっか……そうなんだ……。あ、あれ? 何だこれ、くそ……」
ぽろ、ぽろ、涙が頬を伝って落ちてゆく。
恥ずかしくて、顔を真っ赤に染めて、何度拭き取っても、笑みを浮かべようとしても失敗してしまう。
「ご、ごめん、こんな……はは……みっともない……」
こんなにもあの人のことを想っていた自分に驚いた。膝が震えてしまって立ち上がることもできない。自分の身体じゃないかのように、いうことをきかない。
「生命を助けてもらったのに……まだ、お礼さえ……言えてなかったんだ……」
膝をついて頭を垂れていたぼくを、突然彼女の全身が包んだ。
「――っ!?」
「大丈夫」
あのときと、同じ声で。
長く白い髪が、ぼくの肩に滑り落ちてきた。あの頃の、彼女の身体の感触はもう忘れてしまっていたけれど。
「大丈夫。あなたにそう伝えてと、このカラダが言っている。不思議。脳からの指令ではなく、指先が、腕が、全身が、わたしに命じる。あなたに伝えて、と。これはとても非合理的感情。けれど、わたしは――」
誰もいなくなった桜の舞い散るグラウンドで抱きしめられ、ぼくは彼女の言葉の一部さえ理解できなかったけれど、それでも耳を傾けていた。
「――わたしはイツキに伝える。あなたは大丈夫だと」
頬をすり寄せて額を当て、感情のない赤い瞳と見つめ合う。
「……キミの、名前は……?」
ざぁっと、遮るもののない春の風が流れた。桜の花びらが舞い上がり、ぼくらはほんの少しの間だけ瞳を閉じる。
「――リサ・アバカロフ」
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