第6話『妹』
「ちょっと、ここで待ってて」
先輩の家に招かれた俺は、二階の部屋に案内されて待たされた。
「……」
部屋の中に残されると、何だか落ち着かなくなってくる。
もしかして、ここは先輩の部屋だろうか?
先輩が通した部屋なのだから、たぶんそうだと思う。
考えると、胸がドキドキしてきた。
女の子の部屋に入った事なんて、今まで一度もない。
ベッドに視線を送る。
ここで先輩が寝てるのか…。
よからぬ妄想が頭の中を駆け巡る。
「いかんいかん」
俺は頭を振って、妄想を振り払った。
釘付けになっているベッドから視線を無理矢理引き剥がす。
今度視線に入ってきたのは簡素なタンス。
中には何が入っているのだろう…。
もしかして、下着とかっ!?
めちゃくちゃ開けてみたい衝動が衝撃となって身体中を走る。
ダメだ!
男として、それだけは許されないっ!
理性よ!本能を抑え込むのだ!
だけど、気付けば、いつの間にか蝶番に手を掛けていた。
うおっ!
理性負けてるしーーーっ!
引き出しを開けようと、手に力がこもる。
「……」
「うわっ!」
次の瞬間、タンスから明日香が顔を出していた。
そういや、一緒にいたんだった。
「わ、悪ぃ…」
侮蔑の表情で睨む明日香にたじろいだ。
やばいやばい。
仕方なく、俺はその場で正座して視線を下に落とした。
この部屋は俺には毒過ぎる。
先輩…早く戻ってきてくれよ…。
情けなく、心の中で呟いた。
明日香も俺に習うように正座してチョコンと隣りに座る。
ガチャ。
待つ事数分、部屋のノブが回される。
ようやく、この悶々とした時間から開放される…と思った瞬間、ドアが勢い良く開け放たれた。
俺と明日香はビクゥと身体を震わせて、飛び上がらんばかりに驚いた。
立っていたのは、先輩ではなく、小学校の上級生ぐらいの少女だった。
「?」
俺は訳がわからず、首を傾げる。
目の前の少女は一体何者だろう?
俺は眉尻をつり上げて仁王立ちする少女を観察する。
何だかすごい形相で睨まれている。
もしかして、俺が睨まれているのだろうか?
さり気なく後ろを確認してみる。
俺の後ろに、俺以外の誰かがいるかもしれないと思ったからだ。
…いたっ!
明日香が怯えたように目を見開いて、今にも泣きそうだ。
だけど、さすがに明日香の姿は見えてないだろう。
だったら、やっぱり俺か?
「私は、あなたを、睨んでるの!」
案の定、少女は俺にビシィと俺に指を突き付ける。
可愛らしい声で精一杯ドスを利かす少女は、一言一言言い聞かすよう言葉を切った。
目の前の少女とは面識はない。
では、何故少女は俺に敵意をむき出しにするのだろうか?
「えっと…」
「性懲りもなく、お姉ちゃん目当てにヅカヅカ上がり込んで…恥ずかしいと思わないの?」
お姉ちゃん…。
どうやら、少女は先輩の妹のようだ。
ようするに、自分の姉に悪い虫が付くのが我慢ならないといったところだろう。
それにしても、遊びに来ただけで、めちゃくちゃ責められている。
こりゃ、度を越したシスコンっぷりだ。
「ちょっと、話を聞いてくれ」
まあ、キチンと話せばわかってくれるだろう。
俺は冷静な口調で、少女に語り掛ける。
「問答無用!くらえ!天誅ーーーっ!」
話なんて聞いちゃいなかった。
少女は思い切り助走して飛び上がった。
それはある意味、とても綺麗なドロップキック。
俺は避けるのも忘れて見とれていた。
ていうか、避けろ俺。
気がつけば、目の前に少女の白い靴下が迫ってきていた。
ダメだ!
間に合わない…。
俺は諦めて目を瞑った。
体重の乗った蹴りは、見事に俺の顔にヒットした。
「ぐはっ!」
「思い知ったか、悪漢めっ!」
仁王立ちで鼻を鳴らす少女は、何とも男らしかった。
ていうか『悪漢』って、小学生ぐらいの少女の使う言葉じゃないよな?
痛みと衝撃に倒れた俺を、少女は嘲るようにポキポキと指を鳴らして見下ろしている。
やばい…。
俺は少女の行動に、身体に『死』を感じてしまう。
「お待たせ」
そんな俺に救いの手が差し伸べられた。
先輩だ。
昼食であろうか、サンドイッチとコーヒーを盆に乗せて、先輩が部屋に戻ってきた。
「先パーイ…」
情けない声で呟く俺に、先輩はやれやれと肩を竦めた。
「いずみ…」
「お姉ちゃん。今、お姉ちゃんを狙う不逞な輩を駆逐するところだから、ちょっと待ってて」
駆逐って…おい。
先輩が名前を呼んでも、ニッコリと微笑んでいずみと呼ばれた少女は、俺にトドメを刺そうとする。
「違うのよ、彼は…」
「えっ!?」
いずみが先輩の言葉に驚いたように目を開いた。
その後、いずみは見定めるように、ジロジロと上から下へと全体を見る。
あまり、気持ち良いものではない。
「な、なんだよ…」
「はっ!」
は、鼻で笑いやがった!
くぅーっ!
めちゃくちゃ腹が立つぞ。
それでも、いずみは先輩の言葉に納得したのだろうか、それ以上俺に対して攻撃を加えようとはしなかった。
「一応、紹介するわね。この娘は妹のいずみ。こちらは拓哉くん」
先輩は、俺といずみを交互に指差して紹介する。
「ハジメマシテ…」
「ハジメマシテ…」
何て緊張感に包まれて、空々しい挨拶なのだろうか?
お互い、相手を牽制しながら頭を下げた。
「さあ、食べましょう。いずみも一緒に食べるでしょ?」
そんな俺達の態度を知ってか知らずか、先輩がいずみに声を掛けた。
「うん。食べる」
先程の表情とは比べ物にならない程、いずみは穏やかで満面の笑顔だった。
『いただきます』
三人で輪になって始まった遅い昼食は、なかなかに緊張感に包まれていた。
何故なら、三人で食べるには少な過ぎるからだ。
しかも、いずみが遠慮なしに口に運ぶせいで、皿の上のサンドイッチはあっという間に無くなっていく。
俺も負けじとサンドイッチに手を伸ばす。
部屋は早食い競争のようになっていた。
まさに弱肉強食。
そして、ついにサンドイッチは残り一個になった。
俺はまだ食い足りない。
いずみも最後の一個を狙っているのが、視線からわかる。
『…!』
俺といずみは同時に手を伸ばした。
よし!
俺の方が早い。
だが、手を伸ばした先にサンドイッチの皿はない。
いずみが足で皿を払ったのだ。
「…ッ!」
しまった。
やられたっ!
勝ち誇ったような表情でいずみはサンドイッチを口に運ぶ。
そうはさせるか!
「あっ!空にUFOが飛んでるっ!」
「えっ!どこ!?」
窓の外を指差して叫ぶ俺に、いずみの意識がサンドイッチから逸れた。
しめた!
「…なんてね」
しかし、それは俺に乗っただけだった。
いずみは最後のサンドイッチを口の中に入れて、美味しそうに食べ終わった。
「ああ…」
名残惜しそうに見つめる俺は、勝利間際に逆転サヨナラホームランを打たれた投手のようにガックリとうなだれる。
先輩が俺の為に作ってくれたサンドイッチが…。
くそ。
この恨み、絶対忘れねぇぞ。
食い物の恨みは海より深いんだからな。
満足気に恍惚な笑みを浮かべるいずみを見ながら俺は心に誓った。