第28話『月の夜』
「……」
薄く目を開くと、とても綺麗な月が空に浮かんでいた。
それが、あまりにも綺麗な月だったので、しばらくそのまま見つめていた。
ひんやりとした地面が気持ち良くて、目を瞑れば、このまま眠れるに違いない。
「じゃない…っ!」
俺はそのまま沈んでいきそうになる意識を無理矢理現実に引きずり戻した。
ガバッと身体を起こして、辺りを見回す。
「ここはどこだ…?」
曖昧な記憶から状況を確認する。
どうやら、ここは屋上のようだ。
だけど、変だ。
記憶が確かなら、俺は図書室の隣りの部屋で明日香の死の原因を確かめていて、その後、急に胸が痛み出して気絶したはずだ。
ならば、何故、俺は屋上にいる?
「目が覚めたか?」
「…ッ!」
突然の声に、俺は驚いて振り向いた。
そこには不敵な笑みを浮かべて仁王立ちするミコトの姿があった。
「驚いた顔をしているな」
「お前が…ここまで運んだのか?」
「ああ。話したい事があったからな」
「話…?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるミコトに、俺は嫌な予感がした。
恐らく…いや、間違いなく、俺にとって良くない話だろう。
でなければ、ミコトはこんなに嬉しそうな顔はしないはずだ。
今すぐ、踵を返して逃げ出したかった。
だけど、きっと、聞かなければいけない事なんだろう…。
意味のない話をする奴ではない。
「お前は、もうすぐ死ぬ」
「え…?」
頭が真っ白になる。
ミコトの言葉の意味が理解できない。
いや、理解する事を脳が拒絶していた。
しかし、どんなに理解しないようにしていても、ミコトの言葉はジワジワと脳の中に染み込んでいく。
「次の日曜日が終わると同時にお前の命は尽きる」
更に追い討ちをかけるようなミコトに、俺はその意味を理解してしまった。
「何を…言って…」
だけど、たとえ理解したとしても、簡単に信じられるような内容ではなかった。
俺が…死ぬ…?
そんな馬鹿な…。
「信じられないといった顔をしてるな」
「当たり前だろ!何で、俺が死ぬんだよ!」
「明日香の封印が解けたせいだ…」
戸惑いを見透かしたようなミコトに、俺は食って掛かる。
ミコトは今まで浮かべていた薄い笑みを止めて、真剣な表情で静かに呟いた。
「…明日香だと…?」
封印が解けた…。
確かに、ミコトは以前、明日香の声が携帯なしで聞こえた時もそんな事を言っていた。
それが、何の関係があるというのだろう?
「教えてやる。お前には知る権利がある」
「……」
俺は黙って、ミコトの言葉に耳を傾けていた。
何一つ聞き逃さないように…。
「まず、一つ言っておく。明日香は成仏した訳でも、いなくなった訳でもない」
「どういう意味だ?」
ミコトの言葉は、まるで明日香がまだここにいるような口振りだ。
だけど、現に明日香の姿はどこにもない。
「目に見えないだけだと言う事だ」
辺りを見回す俺に、ミコトは理解してないと判断したのか補足するように説明する。
「いるのか…?」
「ああ。お前の身体の中でな」
「俺の…?」
まただ…。
ミコトの言う事を理解するのは難しい。
「お前にも心当たりがあるはずだ。明日香が消えた日の出来事を思い出せ…」
明日香が消えた日…。
それは、先輩を待っていた、あの雨の日…。
朝から調子が悪かった俺は、途中激しい頭痛から気を失った。
そうだ。
確か、その時、夢で明日香と会ったんだ。
あいつの記憶と共に…。
「……」
「思い出したようだな。そう…明日香の記憶を見れた事が何よりの証拠だ」
「だけど、それが俺の死と、どう関係すんだよ」
仮にミコトが言うように、明日香が俺の中にいるとして、それに意味があるのだろうか?
あまりにも、訳のわからなさに苛立ちを隠せない俺は突っ掛かるように尋ねる。
「記憶を取り戻したという事は、お前への恋心も思い出したという事だ…」
「……」
「考えてみるがいい。明日香が好意を抱くお前が、自分を殺した姉と付き合い始めたら、どう思う…?」
「…ッ!」
「嫉妬さ。あいつはお前を自分だけのものにする為に殺すんだ」
いやらしい下卑た笑いを浮かべながら、楽しげにミコトは呟いた。
そんな馬鹿な…。
あの明日香がそんな事をするはずがない。
恐らく、ミコトが口からでまかせを言っているだけだ。
そう信じた。
いや、信じたかった。
だけど、まるでミコトの言葉を肯定するように、俺の胸はズキッ痛む。
それは呼応しているようにも感じる。
「…くっ…」
「ふふっ。明日香が答えているようだな」
痛みに顔を歪ませる俺に、ミコトがさもおかしいと笑う。
「本当…なのか?」
「信じる信じないはお前の自由だ」
「……」
どうでもいいという感じで肩を竦めると、ミコトは俺に背を向ける。
…わからない。
「死を回避する方法が一つだけある」
「え…?」
背中越しの言葉に、俺は呆然とする。
今、何て言った…?
死を回避する方法がある…?
それって、死ななくて済むって事か?
頭の中でミコトの言葉を反芻するようにグルグル回る。
「薫が死ねばいい」
「な…っ!」
あまりの衝撃的な言葉に、俺は絶句してしまう。
振り向いたミコトの顔は、俺の反応を楽しむように薄く笑みを浮かべている。
「明日香は自分を殺した姉を恨んでいる。だから、薫が死ねば、嫉妬も消える」
「馬鹿な…。大体、明日香が殺したのは…」
「別の誰か…か?関係ないな」
信じられないと俺はミコトに詰め寄る。
ミコトは必死で訴え掛ける俺の言いたい事がわかった上で、それを切り捨てた。
「何故だ!?」
「薫が殺意を持って、明日香を突き落とした事には違いないからだ」
「…ッ!」
それ以上、言葉が続けられなかった。
確かに、そうかもしれない。
明日香にとっては『誰が殺した』よりも、殺意をもって突き落とした姉を恨んでいるのかもしれない。
ミコトは言いたい事を言い終えたのか、軽やかに飛び上がると、フェンスの上に立つ。
「お前がどんな選択しようと構わん。だが、結果はかわらない。全て、予定通りだ」
「お、おいっ!」
一度だけ、俺から視線を屋上の入口へと移してニヤリと笑うと、ミコトは屋上から飛び下りた。
俺はフェンス越しに下を見るが、そこにはミコトの姿はなかった。
俺は全身の力が抜けたように、その場にズルズルと座り込む。
「何だってんだ…」
胸の奥から沸き上がる、どうしようもない焦燥感…。
「何だってんだよっ!ちくしょう…ちくしょうっ!」
黒い澱みを吐き出すように、夜の屋上で叫び続けた。




