第26話『暴漢』
「まさか、放課後まで寝てたとは…」
俺は思わず唸るように呟いてしまう。
先程、聞かされたのだが、朝気を失った俺は、放課後まで寝ていたと言うのだ。
その事を先輩に聞かされた俺は背筋がゾッとした。
一体、何だったのだろうか…?
元々、健康だけが取り柄の俺だから、余計に過敏に考えるのかもしれない。
しかし、考えてもわかるはずもない。
仕方なく、俺と先輩、香澄さんの三人は保健室を後にして帰路に就いていた。
「何か言った?」
「いや、何でもねぇ」
俺の独り言が耳に入ったのか、少し先を歩いていた先輩が振り向いた。
それを適当に手を振って誤魔化した。
「それにしても、こうやって三人で帰るのも久しぶりですね」
「そうね」
香澄さんの言葉に、先輩も少し嬉しそうに頷いた。
確かに、香澄さんの言う通りだ。
この一週間、俺も先輩も香澄さんも色々と大変だった。
一緒に帰るなんて場合ではなかったのだ。
だからこそ、余計に、今こうして三人で帰っている事が堪らなく嬉しかった。
「せっかくだし、どこか遊びに行くか!」
「いいわね。香澄も行くでしょ?」
時間はまだ四時を少し回ったぐらい、帰るには早過ぎる。
先輩は俺の提案を快く受け入れ、香澄さんも誘う。
「そうですね…いえ、やっぱりやめておきます」
「香澄さん、何か用事があるのか?」
口元に指を置いて少し考えてるような仕草を見せてから、誘いを断る香澄さんに、俺は尋ねる。
「いえ、そういう訳ではないのですが…雨宮さんと拓哉さんのお邪魔をするのも悪いですし…」
香澄さんはまるで悪戯をする子供のような笑みで返した。
まったく…。
香澄さんは天然なのか?
いや、間違いなく確信犯だろう。
何て腹黒だ。
もしかして、先程の保健室での間の悪い登場もわざとじゃ…。
「何ですか?」
訝しげにジト目で睨む俺に、香澄さんはニッコリと微笑んで返す。
「ははは…」
渇いた笑いしか出なかった。
結局、遊びに行くのは俺と先輩だけとなった。
「それでは、また明日です」
「ああ。またな」
「それじゃあね」
深々と頭を下げて帰っていく香澄さんに、それぞれ別れを告げて、俺達は歩き出した。
「これから、どうする?」
「そうだな…」
しばらく、歩いた頃に、先輩が切り出した。
遊びに行くと決めたはいいが、どこに行ったらいいものか…。
映画はこの前明日香と行ったし…。
「もし、決まらないんだったら、行きたい場所があるんだけど…」
腕を組んで悩んでいると、先輩が一つ提案してくる。
行きたい場所…?
一体、どこだろう?
「どこ?」
「初めて、拓哉くんと会った神社よ」
「ああ!」
俺は先輩の言葉にポンと手を打った。
先輩と初めて会った場所…。
いや、正確には再会した場所だ。
どうやら、先輩にとって、あの神社は思い入れが強いようだ。
もちろん、俺だってそうだ。
「久しぶりに行ってみない?」
「いいんじゃねぇか。俺も、あれ以来、全然行ってねぇし」
付き合い始めて、初めて出会った場所に二人で行くなんて、ちょっとロマンティックだ。
お互い納得した俺達は神社へ向けて歩き始めた。
「そういや、あの神社って、名前何だっけ?」
ふと考えると、俺はあの神社の名前を知らない事に気付いた。
いや、子供の頃は知っていたのかもしれないが、忘れてしまっているようだ。
せっかくの思い出の場所だ、名前ぐらい覚えておきたい。
「相会神社よ」
「へぇ…」
「この神社にお願いすると、離れ離れな者が一つに戻れるのよ」
「そうなのか」
要するに、別れた人間が再会できるという事のようだ。
俺は何となく納得できた。
それは、やはり先輩と明日香に再会できたからだろう。
「もちろん、迷信だけどね」
「いや、そうとも言えねぇさ」
笑って肩を竦める先輩に、俺は空を仰いで笑みを浮かべた。
「?」
何故、俺がそんな事を言ったのかわからなかったのだろう、先輩は首を傾げて疑問符を浮かべていた。
「何でもねぇよ」
俺は誤魔化すように呟いた。
「きゃあぁあああっ」
『…ッ!』
突然、叫び声が響いてきた。
それは幼い少女の悲鳴…。
しかも、どことなく聞き覚えがある声…。
先輩に視線を送ると、同じ事を考えているようで、顔が強張っている。
俺達はほぼ同時に声のした方に走り出していた。
先輩は余程心配なのだろう、ぐんぐんスピードを上げていく。
以前の比ではない。
あっという間に、俺は置いていかれる形になってしまう。
「くそっ!」
悪態を吐きながら、俺は何とか必死でついていく。
角を曲がると、先輩がコートを着たサングラスとマスクをつけた男に体当たりを食らわしてした。
手には光る…恐らく刃物を握っている。
そして、下には道路に倒れているいずみの姿があった。
やはり…。
先程の悲鳴はいずみだったのだ。
体当たりを食らった男は、走り来る俺の姿を見つけて、踵を返して逃げ出した。
「待ちやがれっ!」
俺は男を追い掛ける。
「拓哉くん…っ!」
「先輩はいずみに付いていてやってくれ」
追い掛けようとする先輩に、それだけ告げて、俺は男を追い掛ける事に集中した。
男は余程必死なのか、出鱈目に走る。
案外早い。
しかし、追い付けない程ではない。
男は角を曲がって俺をまこうとする。
「そうはさせるかっ!」
俺はスピードを緩める事なく、体重移動だけで角を曲がった。
「うわっ!」
ドシンと誰かと衝突して、俺は尻餅をついてしまう。
相手も同様に倒れる。
男が立ち止まっていたのだろうか?
いや、違う…。
「イタタ…」
目の前で痛みに顔を歪めていたのは、小室教諭だった。
「先生!?」
「おや、森山じゃないか。危ないぞ、前を確認しないで走るのは…」
スーツについた埃を払いながら立ち上がると、説教らしき事を言い始める。
しかし、今はそんな場合ではない。
「それどころじゃねぇんだよ!こっちに誰か走ってきただろ?」
「ああ。コート着た奴だろ?」
「そいつが、最近、幼女を襲ってる奴だ」
「何!?」
ようやく、事態の緊急さに気付いたのか、小室教諭の表情が厳しくなる。
「早く追い掛けないと…」
「いや、後は任せろ。今から警察に届けてくるから…」
「でも…」
「これ以上、生徒を危険な目に遭わせる訳にはいかない」
教師ならば当然の対応だろう。
それに、あれから随分と時間を食った…。
恐らく、今から追い掛けても捕まえるのは無理だろう。
仕方ない。
「わかった。後は先生に任せるよ」
「ああ。任せろ」
俺は後の事を小室教諭に委ねて先輩の元へと戻る事にした。




