第2話『再会』
「失礼しまーす」
教師達の視線を受けながら、俺は職員室を後にする。
横開きのドアを閉めると、ため息が零れた。
「職員室の前でため息なんて不健康ね」
「うおっ!」
気配もなく背後から声を掛けられて、飛び上がる程驚いた。
振り向くと先輩が、こちらもやはり驚いたように目をパチクリさせて立っていた。
どうやら、俺があまりにも大袈裟なリアクションに驚いたようだ。
「何だ、先輩か…」
「何だ、とはご挨拶ね。元彼女に言う言葉じゃないわ」
「元彼女って言っても、付き合った時間は五分だけどな」
「そうね」
先輩が口許に指を当ててクスクスと笑う。
何だか、昨日とは印象が違う。
「大体、何で職員室の前でため息を吐くのが不健康なんだ?」
「だって、ため息を吐いてたって事は、先生に呼び出されたんでしょ?」
「う…」
確かに…。
先輩の言葉は間違っていなかった。
俺は担任に呼び出されて、しこたま怒られてきたばかりだ。
「それで、何をしたの?」
「遅刻」
「その様子じゃ、常習犯みたいね」
それには答えず、曖昧な笑みを浮かべる。
それを答えと受け取ったのか、先輩は、やれやれと肩を竦めた。
「それで、先輩は今から帰り?」
「いいえ。今から用事があるの」
「そっか。じゃあな、先輩。頑張って」
先輩からクルリと背を向けると、手をヒラヒラと振って歩き出す。
「嘘でも、待つよ、ぐらい言えないの?」
腰に手を置いて、呆れた様子で、先輩はため息を吐いた。
「マタセテイタダキマス」
「棒読みじゃない」
「そうかぁ?」
またもや速攻でツッコミが入る。
昨日も思ったが、先輩はツッコミの才能がある。
まあ、どうでもいいんだが…。
「拓哉くん。そんなんじゃ、女の子にモテないわよ」
「ほっとけ」
先輩のイヤミとも忠告ともつかない言葉に、俺は眉をひそめる。
「ふふっ、冗談よ。拓哉くん、またね」
「ところで先輩、用事ってどれぐらい時間かかるんだ?」
ニッコリと笑って立ち去ろうとする先輩に聞いてみる。
「そうね…一時間ぐらいかしら」
「それぐらいなら待ってるよ」
「いいの…?」
気を使ってるのか、申し訳なさそうに聞いてくる。
「ああ。別に暇だからな」
本当に、全くと言っていい程する事はなかった。
だったら、少し待ってでも、先輩と帰った方が潤いがある。
「ありがと」
「それじゃ、屋上で適当に暇を潰してるよ」
「屋上ね。わかったわ。じゃ、後で」
「ああ」
先輩を見送って、俺は歩き始めた。
もちろん、屋上に向かう為だ。
しばらく昼寝でもしていれば、一時間ぐらいすぐ経つだろう。
薄暗い踊り場を上がり、重い扉を開けると、眩しさに視界を奪われる。
日差しを隠すように、手で陰を作り屋上に出る。
屋上には誰もいなかった。
俺は適当なベンチに腰掛けてため息を吐く。
「本気で、ずっと憑いてるつもりか?」
目の前の虚空に向かって話しかける。
そう…誰にも見えないが、確かに明日香はそこにいた。
昨日から明日香は、俺の傍らを離れようとはしなかった。
それは、先程先輩と話している時も…。
明日香はコクコクと頷いている。
「なあ…お前は俺に何をさせたいんだ?」
明日香は俯いた。
そして、意を決したように携帯を取り出した。
まさか…またか!?
案の定、俺の携帯電話が軽快な音を鳴らし始めた。
ちょっと前に流行ったドラマの主題歌だ。
ジト目で、取り出した携帯と明日香を見比べる。
明日香は、出ろ、と言わんばかりのジェスチャーを見せる。
「もしもし…」
『助けてぇ…』
「おどろおどろしく言うなーーーっ!」
仕方なく通話ボタンを押した俺の耳に入ってきたのは、苦しそうに助けを呼ぶ明日香の声だった。
ホラー映画真っ青だ。
意表を衝かれてしまった。
『ごめんごめん』
「何のつもりだ、コンチクショウ」
『ちょっと驚かしたかったんだよ』
どうやら、からかわれたようだった。
それにしても、ホラー映画の真似をする幽霊ってシュールだな。
「まったく…」
『でも…助けて欲しいのはホントだよ』
「?」
目を伏せて俯いた明日香の顔は悲しそうだった。
『あの人を助けて』
顔を上げた明日香の表情は悲痛だった。
明らかに先程までの冗談を言っていた表情ではない。
「先輩は、お前にとって何なんだ?」
何故、明日香は先輩の事をここまで心配するのだろうか…?
単なる知り合いという訳ではないはずだ。
『…お姉ちゃん』
少し間があった後、明日香はポツリと呟いた。
意外だった。
言われてみれば、確かに容姿は似ていた。
だけど、雰囲気が全く違う。
明日香は幽霊なのに、まるで生きている人と何ら変わらない。
逆に先輩は生きているはずのに、時々、死んだ人のように虚ろな瞳をしていた。
その差は、明日香が死んだ後の先輩の人生を物語っているかのようだった。
「そっか」
『お願い!お姉ちゃんを助けて』
「助けて、って言われても、何をどうすればいいんだ?」
多少気になるところはあるが、明日香が言う程、先輩が何かに困っているという風には見えなかった。
『お姉ちゃんと仲良くなってあげて…』
「?」
初めて会った時も、明日香はそんな事を言っていた。
それが先輩を助ける事になるのだろうか?
疑問だった。
『きっと、お兄ちゃんなら大丈夫だよ』
「ちょっと待て」
『?』
今度は明日香が疑問符を浮かべていた。
明日香の、大丈夫の根拠がわからないが、今はそんな事はどうでもいい。
問題にすべきは明日香の俺に対する呼び方だ。
お兄ちゃん…。
何て甘美な響きだろうか…。
「も、もう一回俺を呼んでみて」
『お兄ちゃん…?』
「くぅー」
ゾクゾク…。
何だか、変な気分だ。
新しい趣味が芽生えそうだった。
『……』
俺の態度に何かを察したのか、明日香はジト目で睨み付けていた。
「あー、コホン。まあ、頑張ってみるよ」
『……』
まだ納得してないのか、明日香は無言のまま、一度首を傾げてから電話を切った。
ギィー。
重い扉が開く音と電話をポケットに戻したのは同時だった。
「拓哉くん、お待たせ」
顔を覗かせた先輩に片手で答えて、立ち上がった。