第1話『幽霊少女』
厚い雲に覆われた昼下がり、降りしきる雨を避ける為、近くの神社に非難していた。
人肌のような生温い風が頬を撫でて通り過ぎる。
こんな日は嫌な事が起こる…そんな気がした。
……ザー……。
雨音だけが世界を支配していた。
何だか気持ち悪かった…。
雨の中、突っ切ってでも帰るべきだったかもしれない。
そんな事を考えていると、ふと人の気配を感じる。
見れば、鳥居の下に傘もささずに立ち尽くす少女の姿があった。
「……」
小学校の低学年ぐらいだろうか…?
無言のまま、こちらを見つめている。
と、次の瞬間、少女はこちらに歩み寄ってきた。
近くまで寄ってきて、俺は違和感を覚える。
「?」
少女を観察してみる。
そこでようやく俺は気付いた。
少女の姿が透き通っているのだ。
つまり、目の前の少女は…幽霊!?
だけど、何故だか恐怖は感じなかった。
「……」
少女は俺の前に立つと何事か口を動かした。
だけど、その口から音が発せられる事はなかった。
必死に口を動かしている。
俺の表情から聞こえていない事がわかったのか、身振り手振りを交えてくる。
俺も耳を寄せて聞こうとするが、やはり何も聞こえない。
「悪ぃ…何も聞こえねぇんだ」
首を横に振る。
少女は腕を組んで、首を傾げている。
どうやら、どうすれば伝わるか考えているようだ。
「…!」
おや?
何かに気付いたみたいだぞ。
少女はポケットの中を探し始める。
スカートやポーチの中に手を突っ込んでいた少女が目的の物を見つけたようだ。
パーッと表情が明るくなる。
取り出した物は携帯電話だった。
嫌な予感がする…。
少女は携帯をプッシュし始める。
ま、まさか…。
直ぐさま嫌な予感は的中した。
ピリリ…ピリリ…。
俺のズボンの後ろポケットから音が鳴り出した。
「う…」
携帯を取り出してみる…。
非通知と表示されている。
少女を視線を送る。
少女は携帯に耳を当てて、こちらを見つめている。
偶然…かな?
そんな訳ない…それはわかっていたのだが、現実から逃避したかった。
通話ボタンを押してみる。
「もしもし…?」
少女から視線を外さないようにしながら電話に出る。
『聞こえる?』
ぐはっ…!
目の前の少女の口と電話がリンクしていた。
間違いない。
目の前の少女からの電話だった。
「ああ…」
『良かったぁ…』
憔悴しきった顔の俺とは対照的に少女は安堵の表情を見せていた。
少女の表情は生きている人間と何ら変わりなかった。
透き通ってなければ幽霊だとは思わないだろう。
「一応聞いておくけど、お前幽霊だよな?」
『うん』
「で、幽霊が何の用なんだ?」
恨まれるような事をした覚えはなかった。
見覚えもないから、生前に知り合いって訳じゃねぇだろうし…。
『幽霊とか呼ばないで欲しいな。私には明日香って名前がちゃんとあるから…』
少女の幽霊は不満そうに頬を膨らませて、明日香と名乗る。
「わかったわかった。それで明日香は俺に何の用だ?」
明日香の抗議を適当にスルーして、俺は先程の質問を繰り返す。
明日香は納得のいかない表情をしていたが、一度ため息を吐いて、その想いを無理矢理押さえ込んだ。
『えっと…もうすぐ、ここに女の子が来るんだよ』
「女の子?」
『その子と仲良しになって欲しいんだ…』
「はぁ?」
素頓狂な声をあげてしまう。
幽霊が恋人を斡旋?
何かの冗談だろうか?
だけど、明日香の表情は至って真剣だ。
『お願いだよ』
プツ…ツーツー…。
明日香は言いたい事だけ言うと電話を切ってしまった。
俺は携帯をポケットに戻して明日香を睨み付ける。
明日香は俺から視線を外して、口笛でも吹くように口を尖らせている。
きっと、誤魔化しているつもりなのだろう。
くそっ!何でこんな面倒に巻き込まれなくちゃいけねぇんだ?
段々腹が立ってきた。
何も馬鹿正直に言う事を聞く事はない。
俺は意を決して、雨の中を走ろうと考えた時だった。
石段を誰かが上ってきた。
晴れた空のような真っ青な傘を持った女の子だった。
同じ学校の制服を着ているところを見ると、同じくらい年だろう。
それにしても、逃げそびれてしまった。
「?」
上がってきた女の子と目が合う。
俺の存在に気付いた女の子は、ここに人がいるのが珍しいのか、首を傾げて疑問符を浮かべていた。
女の子に気付かれないように明日香に視線を送る。
明日香はコクリと頷くと、やれ、と言わんばかりのジェスチャーをする。
「よう」
軽く手を挙げて、フレンドリィに接してみる。
「……」
警戒しているのか戸惑っているのか、女の子は無言だった。
「き、今日は良いお日柄で…」
「雨降ってるわよ」
うおっ!
いきなりツッコミを入れられたっ!?
くそっ!これからどうする…?
頭の中が混乱して、何を言えばわからない。
パニックを起こした俺の口から飛び出したのは、とんでもない言葉だった。
「俺と付き合ってくれっ!」
言って後悔する。
俺は何を口走ってるんだーっ!
「いいわよ」
「は…?」
頭を抱えていた俺に返ってきた言葉は、俺を馬鹿面にするには充分だった。
「じゃあ、今から恋人同士ね」
眉一つ動かさず言われても実感ねぇー。
「で、でも、俺達…まだ自己紹介もしてねぇんだけど…」
予想外の展開に、せっかく女の子と付き合えるというのに、俺は否定するような事を口にしてしまう。
「確かにそうね。私は雨宮薫、三年よ。あなたは…?」
「先輩か…俺は森山拓哉。二年だ」
「これでいい?」
「はい…」
完全に手玉にとられていた。
目の端に映る明日香がダメだ、とばかりに肩を落としてため息を吐いている。
俺だって情けねぇよ。
「隣いい?」
「あ、ああ…」
髪をかき上げながら先輩は艶っぽく呟く。
了承すると傘をたたみ、隣に腰掛ける。
微妙に触れ合う身体にドキドキしてしまう。
「ねぇ、これからどうするの?」
耳元で囁くように問い掛ける先輩。
息が耳に当たってくすぐったい。
「どうするって?」
「ホテルに行く?それともここで…?」
「ぶっ…」
思わず吹き出してしまった。
「な、何だよそれ?」
「だって、身体が目的なんでしょ?」
わからないと、先輩はキョトンとした顔をして首を傾げた。
「ち、違う」
慌てて否定する。
先輩はそんな俺をしばらくジーッと見つめていたが、やがて…。
「そう」
呟くと傘をさして石畳に降り立つ。
「ど、どうかしたのか?」
突然の行動に俺は戸惑い声を掛ける。
先輩は一瞥して、クルリと背を向けた。
「あなたは私みたいな女と付き合ってはダメな人みたいね…別れましょ」
微かに笑った顔が、とても寂しく見えた。
それにしても、付き合って五分で別れてしまうとは…。
そのまま立ち去る先輩を見送って、俺も立ち上がる。
「帰ろう」
見れば明日香がスカートの裾を握り締め、悲しそうに俯いていた。
「じゃあ、俺はもう帰るぞ」
放って帰るのは、後ろめたい気がしたが、これ以上は付き合ってられない。
石段を滑らないように、確かめながら降りていく。
ふと振り向くと、明日香が後ろから付いてきていた。
「まさか…付いてくるつもりか?」
コクコクと頷く。
こいつ…しばらく付いて回るつもりか?
だけど、何故だろう…嫌な気がしなかった。
「勝手にしろ」
一言呟いて、俺は歩き始めた。