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Tear²

作者: 七水 樹

                                              



 切望していたわけではなかった。


ただぼんやりと、自分でも気付かぬうちにそうであったらいいのに、と思っていただけで、実現させる気など毛頭なかった。

 それだと言うのに、少女の願いは届けられた。いつものように顔を合わせて、他愛のない話をして、感情の起伏がほとんどない彼の、ほんの少しの表情の変化を楽しみとしていただけであったのに。


 少女の言葉に、彼は黙って頷いて、そしてそこから二人だけの秘密が始まった。







 深夜前の車通りも少なくなってしまったハイウェイを、一台のバイクが駆け抜けていた。ハンドルを握るのは、白髪に外灯と月明かりを反射させる青年。そしてその後部に、青年にしっかりと抱きつく、一人の少女がいた。名前はティア。華奢な体躯に、艶やかな黒髪を持つ。

ポツリポツリと寂しげに二人を見送っていた外灯の数を数えるのにも飽き、バイクのスピードのあまり、それも難しくなって、ティアは青年の背中にだけ意識を集中させていた。そうすると、胸を占めるのは彼のことばかりになる。残してきた人のことなんて、もうどうでも良くなっていて、ティアは自分の薄情さにうっすらと笑いを浮かべた。明日、あの人たちは血相を変えて自分たちを探すのだろうか。

ティアは、こうして二人でバイクに乗り、それから今に至るまでの経緯をはっきりと覚えていた。予想はしていなかったけれど、望んでいたことも。気分は酷く高揚していた。月さえも飲み込まれてしまいそうなほど、真っ黒な空の下を誰に従うでもなく、ただ彼とともに自らの意思で行動している。たったそれだけ。しかしティアと青年にとってそれは何よりも重要で、何よりも罪深いことであった。その罪悪感が胸の辺りを何度もくすぐって、ティアは彼にぎゅっと抱きつく腕に力をこめた。むやみやたらと、感情の高ぶりを感じる。

 ティアが、命令もなく外へ出るのは随分と久しいことだった。青年にいたっては、恐らくこれが始めてだろう。彼は、ほんの一ヶ月前に起動したばかりだ。

 起動、という言葉通りティアも青年も、人ではなかった。人の姿形によく似せて作られたアンドロイド。人には絶対に逆らってはならないはずの、それだった。科学力に長けたティアの国でその存在は珍しいものではない。

人の生活をより便利にする為、人間に尽くす為にティアたちアンドロイドの研究は進んでいる。

「ゼクト」

 バイクの音に遮られながら、ティアは青年に声をかけた。彼の反応を知るため、少し体をずらして彼の横顔を見上げると、ちらりと視線だけが送られてきた。

「マップに従って、このまま進んで。見せたい場所があるの」

 ゼクトと呼ばれた青年は、小さく頷いた。いくら人間よりも聴覚が優れているとはいえ、アンドロイドであっても風の轟音とバイクの稼動音に混じった少女の声を聞き取ることは困難だ。しかし彼にはしっかりと声が届いていた。こういう時に性能の差を見せ付けられるなぁ、とティアは風に押し負かされて再びゼクトの背中にうずもれながら思った。

 ゼクトは、アンドロイドの中でも特別だ。戦闘に特化した、つまり戦闘目的のためだけに造られた戦闘型アンドロイドで、バトロイドと呼ばれていた。

彼が一ヶ月前に、バトロイドとして起動した理由は、一つ。

ティアの生まれた国は今、世界的大戦の最中だった。

他国との激戦を繰り広げる我が国の政府から、戦力増強の命が下るのは、始めてではない。ティアとゼクトの製作者である博士は、名のある老齢なアンドロイド研究者であった。博士の技術を超える科学者など、存在しないだろうとも謳われていた。彼の生み出すアンドロイドが、誰のものよりも優れていた。その為、政府から直々に博士へ戦闘型のアンドロイドの制作が命じられたのだ。

政府は、当時完成間近であったゼクトに目を付けた。博士がティアよりも情報処理能力に優れた、新型のアンドロイドを開発していると聞き、すぐさま飛びついてきたのだ。機体の性能を向上させる為により高度な科学技術をもって制作され、高性能のCPUを搭載させたゼクトなら、戦闘型への改造にも対応できた。博士の持つ科学力の結晶であるゼクトがバトロイドになるのにもっとも適していたのだ。

 しかし、心優しく、自らが生み出したアンドロイドにも人の子と同じように愛情を注ぐその精神により、博士はバトロイドを造ることに猛反発した。人の代わりに戦場へ向かわせ、人を殺す為だけの兵器など造れない。アンドロイドは一つの生命であって、我々人類の道具などではないと、高々に掲げて、しわがれた声を振り絞った博士の姿をティアはしっかりと電子頭脳に刻み込んでいた。節くれ立ったその腕を無理やりに引かれて、数人の男に取り押さえられた博士の姿など、忘れたくとも忘れられなかった。

 ティアが愛した朗らかな老人は、非国民として捕らえられ、刑務所で命尽きた。残されたのは、研究所の手伝いをしていた少女型アンドロイドのティアと、開発途中であったゼクトのみであった。博士の後を継いだ若い男性の科学者はその頃はまだ未改造のアンドロイドであったゼクトに自らが開発した対人用の兵器を搭載させ、バトロイドへと改造した。アンドロイドとしての基本的な機能は博士がほぼ完成させていた為に、男性はゼクトを程なくして起動させることができた。かつてない程の戦闘力を保持したバトロイドは、そのようにして誕生したのだ。

ティアは、その様子をじっと見ていた。人に尽くす為に生まれてくるはずの存在が、人を殺すために生まれてくるのをただ、じっと見つめていた。博士が大切に大切に育て上げてきた機体が、人間の浅ましい欲望の為に汚されていく様を見るのは、胸にもやもやとした何かがこみ上げてきて、最悪の気分だったが、ゼクトの側を離れることはできなかった。理由はわからない。強いて言うならば、博士を守ることができなかった自分の、勝手な罪滅ぼしだったのかもしれない。そうして彼を見つめ続けても現状は何一つ変わらないというのに。若い研究者にも、邪魔だ、手伝う気がないならここに来るんじゃない、と怒鳴られるだけであったが、それでもティアはゼクトの側を離れようとはしなかった。






「シティの中は避けて通るぞ。人がいるかもしれない」

 遠い目をして、思考に溶け込んでいたティアにゼクトが声をかけた。弦楽器が響くような艶やかな低い声音は、風に乗ってティアにまで届いた。声を上げて返答する代わりに、ティアはゼクトの背に頭を摺り寄せて、肯定の意を表す。徐々にバイクのスピードが落ちていき、見える景色も人通りの少ない、寂れた裏通りのものになった。覆いかぶさるような大きい建物と建物の間の狭い道に、バイクの稼動音がこだまする。ちらちらと隙間から見える表通りにも、ほとんど人の姿は認められず、この世界には自分たちの二人しかいないような錯覚に陥る。実際、そうであったらどんなに良かったことか。誰のことも気にせず、誰の争いにも巻き込まれず、誰も傷つけず。そんな自由な世界であれば良かったのに。

「ゼクト」

表通りに人がいないことが、思いのほかティアの胸にどっしりと重くのしかかってきて、呟いた彼の名は少し震えた。

ゼクトが、どうした、と気遣わしげに声をかける。抱きついている彼の背中が軽く緊張したように感じられて、ティアは、ゼクトに絡めた腕を組みなおした。

「人が、いないね。表の方にも。……シティはもっと、夜でも賑やかだったのに」

 かつて数度訪れた時のシティの姿を現状に重ねて、ティアは目を伏せた。戦争の影響で、酷く荒んでしまっている。以前のような活気は、もうどこにもない。しかし、それを取り戻すことが出来るかもしれない鍵はすぐ側にあった。


君が戦場へ赴けば、この街は生き返るの。

この空しい戦いは終わるの。君が、たくさん、たくさん、敵を殺したら。

人々は喜ぶの。


 ティアは、かつてのシティを知らないゼクトが返答に迷っている様子を見上げながら、浮かんだそんな悲しい思想をすぐさま闇に放り投げた。







 マップはこのまま東へ進むようにと示していた。乾燥した道を走り、振動に視界をぶれさせながらしばらく進むと、緑が少しずつ増えていった。やがて木々が現れ、そして森となった。地面の悪さにとろとろと進むバイクの上でティアはゼクトに「降りよう」と声をかけた。ここからは歩いた方がいいよ、と促すと、ゼクトはそれに従い、バイクは木々の間の茂みに隠して、二人は月明かりだけを光源に並んで歩き始めた。隣あう二人の手が一度微かに触れて、それを合図にどちらともなく手を握った。ティアの手よりはるかに大きくて、頼もしい手だった。

 バイクの音がなくなると、世界はとたんに静かになった。他の生き物の気配もしない。少しばかり心細くなって、不安が大きくなっていた胸は、自分よりも温かい彼の機械熱で温められて、奇妙な高揚感に包まれた。静かな森にうるさいほど、自分の動力炉の音が響く。彼にまで聞こえてしまいそうで、それがさらにティアの稼動を上げていった。さっきまで、人がいないだとか、駄々を捏ねていたくせに、と思われたくなかった。どうか、彼にこの音が聞こえませんように。この繋がった腕から、彼に伝わってしまいませんように。そう願うほどに、ティアは現状に舞い上がっていた。手を繋いだのは、初めてだった。

 彼を研究所から連れ出したのは、ただの気まぐれではない。かと言って、明確な理由があるわけでもない。ティアは、ゼクトが好きだった。癖の多い白髪を、美しいと思っていた。竜胆の瞳が細められる瞬間が、好きだった。太く硬い鉄の骨格に薄い人工皮膚の重ねられた、彼の筋張っていて、それでいてしなやかな指の一本一本が好きだった。彼の、艶やかな声で名を呼ばれるのが、好きだった。

 ティアは、ゼクトに恋をしていた。

だから、戦争になんて行って欲しくないの。人間の勝手にされる君をもう見ているのは嫌なの。手を繋げると、どきどきするの。頬が熱いの。

 一歩、また一歩と足を踏み出すたびに、ティアの電子頭脳にはゼクトへ伝えたい言葉が浮かび上がってきていた。言葉と言葉がぐちゃぐちゃに混ざり合って、意識はぼんやりとして幸福感だけに支配される。

「私、ずっとここに来たかったの。きっと、君も好きになると思うから」

 ティアは少し早口になって、浮かび上がる言葉とは別の言葉を選びだして言った。ゼクトは横目にティアの様子を見て、「そうか」と低く呟いた。髪が、月の光りを反射して、キラキラと光った。それがティアの瞳に映りこんで、辺り一帯にもキラキラを撒き散らした。でこぼこの森の道を歩いている感覚がなくなって、まるで雲の上を歩いているんじゃないかと思うほどに、大地は柔らかに、足取りは軽くなった。輝きが二人を取り囲む。

 怖いけど、いけないことをしているんだってわかってはいるけれど、大切な彼とこのままずっと一緒にいられるんだと思うと、嬉しくて堪らない。行く当てなんてない。だが、行く末を案じることも出来なかった。電子頭脳がハチミツにとっぷりと浸けられて、甘く、蕩けてきっと壊れてしまったのだ。

 歩調はゆったりとしたまま、手を繋いで森を歩く二人の視界に、きらりと輝くわずかな光が見えてきた。

「見て。ほら、あそこ」

 ティアはその光を指差して、秘密を打ち明ける幼い子どものようにゼクトを見上げて声を潜めた。いつか、彼に見せたいとずっと思っていたその場所に、ようやく辿り着いた。ゼクトは、黙って頷く。

 森の、ずっとずっと奥の方。こんなところまで人間はこないだろう。人々に忘れ去られた自然たちは、こうして静かに息づいていた。点滅の正体は、湖に反射した月や星の光だった。森が開けたそこには、淵へ立っても向こう岸の様子が見えないほど大きな湖があった。その終わりは、今はまだ闇に呑まれている。

 風のない夜に、凪いだ湖はただそこに広がっていた。まるで湖自体が輝く真っ黒な一つの生命であるかのように、静かに寝息をたてている。迂闊に近づけば、むっくりと起き上がって、襲い掛かってくるのではないかと恐怖を感じさせるほどに、それは生命力に溢れていた。

 湖に映りこむ歪んだ月が、二人を笑った。

「……きれい」

 ティアは、素直にそう呟いた。過去にも一度見た景色だった。しかし、そんな安直な言葉しか浮かんでこないほど、湖と言う名の自然はやはり雄大であった。ティアは繋いだままの手を意識して、ぎゅっと、ゼクトの手を強く握った。わずかな熱が握り返してくる。

「よく知っていたな。まだこんなに自然が残っているとは思わなかった」

 ゼクト自らがふいに呟いて、ティアは再び彼を見上げた。竜胆に、湖の輝きが映る。ティアはくすりと笑って答えた。

「前に一度、ここへ来た事があるの。あの頃のまま、ここは全然変わってないよ」

 もうなくなっちゃったんじゃないかなって、本当は少し心配してたんだけどね、とティアが付け足すとゼクトは一瞬軽く眉根を寄せて、口を開きかけたが、すぐに閉じてしまった。

「? どうかしたの?」

 ティアが首を傾げて尋ねると、ゼクトは「いや……、何でもない」と答えた。少し気にかかったが、ティアはへらりと笑ってみせて、続けた。

「その時は深夜じゃなかったけど。確か……五、六年ぐらい前だったかな」

 ちょうど一回目の世界的大戦が始まって間もない頃だった。ゼクトはそれを知識としては知っているはずだが、何も問うてこなかった。ティアもそれについては触れないつもりでいた。争いから逃げて来たのに、またその話を蒸し返したくはなかった。

「君に見せたい場所があるなんて、確かじゃない事を言ってごめんね。でも、どうしてもここへ来たかったの。ここは、大切な場所だから」

ゼクトは、目を細めてどこか遠くを見るような表情をしていた。ティアもそれきり黙った。二人の間に沈黙が流れる。やはり湖は静かで、恐ろしいまでに美しいままだった。

本当は、これからの事を話し合わなければならない。これから、どうやって生きていくのかなんてティアには皆目見当もつかなかった。ずっと研究所に篭っていたティアにとって、このシティ以外は未知の世界でしかなかった。ゼクトは一月前に起動したばかりで、戦闘型の彼には日常の知識などほとんどない。二人で生きていくには、どちらも頼りない存在であった。

だけど何とかして、生きていかねばならないのだ。戻る場所はない。捨ててきた。これからはゼクトと二人で、名を捨てて、過去を振り払って、人間の中に混じってひっそりと暮らしていくのだ。それは、ティアにとって何よりも魅力的で甘ったるい理想だった。

だが、たった一言。ティアはゼクトに言えないままでいた。これから、どうしようか、と尋ねなければ。そう思うのに、口は動かない。ティアの手はまだゼクトと繋がったままであったのに、これからの未来を語るのが恐ろしくなってしまった。もし、ゼクトに否定されてしまったら、ティアの望むような未来は永久にやってこない。

ゼクトに否定されてしまう事が、怖くてしかたない。

ティアは、口を閉ざしたままだった。自信なさ気にその視線は下へと落ちていき、ティアは目を伏せて黙していた。


「ティア」


沈黙を破ったのは、ゼクトの方だった。驚いて、ティアは弾かれたように顔を上げた。ゼクトは真っ直ぐにティアを見つめていた。

「何故、俺と来たんだ」

 一瞬、言葉の意味を汲み取れなくて、ティアは小さく、え、と声を漏らした。

「お前、俺に逃げようって言っただろう」

ゼクトは依然としてティアを瞳に写したまま、続ける。ティアは、頷いた。確かに、朝方ティアはゼクトにそう願った。

――どうして行かなきゃならないの。二人で逃げようよ、どこか、遠くまで。

何も意図せずに、ポツリと呟いた言葉だったのだ。その時はまさか、こんなことになるなんて思ってもいなかった。

ただ、本当に嫌だったのだ。バトロイドに改造されたアンドロイドが再び戦場に行くのが。

「ゼクトは、一回目の世界大戦がどうやって終止符を打ったのか、知ってる?」

 今度はゼクトが一瞬きょとんとして、それから頷いた。

「和平条約を結んだと聞いている」

「そう、条約。でもね、その前にもう一つ大事なことがあったんだよ」

大事なこと? とゼクトが復唱した。ティアはゼクトから視線を外すと、湖の向こうの、何も見えない闇をじっと睨みつけた。

「大戦が終戦へと向かったのは、一体のアンドロイドが導入されたからなの……。そのアンドロイドは、博士の作った初号機だった。もともとはただの警備用アンドロイドだったんだけど、戦争の影響で生活の苦しくなった国が、その頃すっかり疲労で正常な判断なんて出来る状態ではなかった博士に戦闘に特化したアンドロイドを作るように命じて、彼を戦闘用に改造させたの。

 そうすれば戦争が終わるんだって、何度も何度も博士に言って、この苦しい生活から解放されるんだって囁き続けたの。

私、最初は博士のことだから何があってもきっぱりと断ってくれると思ってた。だけどね、その時は本当に苦しくて、一刻も早く戦争を終わらせたくて……。博士は、〝兵器〟を生み出してしまったの」

ゼクトは黙って、一心にティアの話に耳を傾けていた。ティアは、物語でも子どもに聞かせるように波立たぬ声で静かに続けた。

「彼は、優しいアンドロイドだったの。ううん、優しすぎるアンドロイドだった。だから戦闘用に改造された時、この力で多くの人を守るんだと言って笑ったの。私は、戦争ってものがよくわからなくて、博士を苦しめるこんな酷いもの、早く終わってしまえばいいと思って、頼もしい彼を応援した。彼は最後まで、ずっと笑っていた」

ずっと立ち尽くしていた二人だったが、ゼクトが話を聞きながらすとんとその場に座りこんで、それにならってティアもその場に座った。

「戦況に変化があったのは、彼が戦場へ出立してまもなくだった。彼は、戦闘型アンドロイドとして目覚しい活躍をして、我が国を勝利へと導いたの。一気に形勢逆転はしたものの、国の兵力も、資源も底を尽きていたこの国は、対戦国と友好関係を結んでいく証に和平条約を結ぶことにしたの。

それだけなら、良かったの。だけど」

そこまで言って、ティアは息をついた。しゃべりすぎて、口の中が乾いていた。下唇を噛んで、彼のことを思い出しながら、乾燥した唇を潤した。横目でゼクトを盗み見ると、眉間にしわを寄せて何か考え込んでいるようだった。無理もない、とティアは思う。だって、その彼の話は、ゼクトでも同じことが言えるのだから。

「対戦国は、和平条約結ぶにあたって、彼の存在を許してくれなかった。彼がいることで、いつ攻められるかわからないから、不平等だと言って彼を破壊することを条件として突き出してきたの。この国の偉い人たちはみんな、とても悩んでいたって。でも、その話し合いの中で彼の選択肢は二つじゃなかった。選ばれるのは、破壊のみ。みんな、どうやって破壊しようかで悩んでいたの。そうして、決定したのが、和平条約を結ぶ両国間での公開処刑。両国の代表者の前で、彼はスクラップにされることが決まったの。……私は、おかしいと思った。みんなの為に頑張って戦った彼が、どうして壊されなきゃいけないの。壊される必要なんて、あるわけない。私は、そのまま彼に伝えたの。そしたら、彼、なんて言ったと思う、ゼクト?」

 ゼクトは小さく「さぁな」と答えた。

「……彼は、〝アンドロイドは人のために生まれてきたんだ。そしてそれは、バトロイドだって同じ。人につくして終われるなら、俺たちにとって、これ以上幸せなことなんてないよ〟って、やっぱり、笑って言ったの。

それから彼は、自ら進んで処刑台に上り、両国のより良き発展を願って、と言い残してスクラップになった。人々は、戦争の終わりを飛び跳ねて喜んで、抱き合って、涙を零して。でも、誰一人彼のために涙を零すことはなかったの。みんなにとっては彼が消えてなくなることが、平和への第一歩だったから」

ティアはそこまで言うと、やっと口をつぐんだ。意識して口を閉じていないと、人間に対する不満が、次々と溢れ出しそうだった。ひしゃげた鉄くずになってしまった彼を見た私の気持ちなんて、誰にもわかるはずないんだ、とティアはその時酷く人間を憎んだ。

「ゼクト。私、人間が嫌いなの」

ゼクトは、ゆっくりとティアに視線を移した。

「君が戦場に行き、同じ悲劇が繰り返されるなんて、私は嫌だよ。彼を犠牲にしたのに、人間はまたそれを忘れて争っている。

戦いなんて、やめてしまえばいいのに。争いなんてなくなってしまえばいいのに。……兵器なんて、消えてしまえばいいのに」

 ティアは尻すぼみになる、小さな声で呟いた。膝を曲げて、片手でそれを抱える。もう一方の手は、まだゼクトと繋いでいた。

 しかし、繋がれた手は、突然離れていった。ゼクトは、すっくと立ち上がり、熱を失ったティアの残された手は急速に冷え始めた。

「ゼクト?」

 ゼクトは黙ったままだった。ちらりともこちらを振り向かずに、歩き出した。湖にざぶざぶと入っていく。突然の行動にティアは驚いて、ゼクトの背を視線だけで追った。

 丁度、湖に月が映りこんだ辺りまで進むと、ゼクトは腰まで湖に浸かっていた。眠っていた湖は突然の侵入者に、酷く不機嫌そうだった。ゼクトから荒々しく波が生まれた。放っておけばどこまでもそのまま進んでいってしまいそうで、慌ててティアはゼクトの名を呼んだ。

 ゼクトはやっと立ち止まった。肩越しにティアの方を振り向く。その様子がすぐにまた歩き出してしまいそうで、ティアは早口に尋ねた。

「どうしたの。ねぇ、ゼクト、何してるの?」

 困惑したティアを見て、ゼクトは自嘲的に笑ってみせた。白い頬をなぞって月明かりがゼクトの輪郭を象った。

「兵器なんて、なくなってしまえばいいんだろう?」

 ゼクトの表情は、今まで見たことがないほどに澄みきっていた。迷いのない竜胆の瞳が、ティアを捉える。

「俺は兵器だ」

 ティアは、はっと息を呑んだ。全身に寒気がして、ぞくぞくと、体が震える。違う、と小さく口の中で呟いた。首を激しく横に振る。

「違うよ、違う……」

「何が違うって言うんだ」

 冷たく尖った声でゼクトが返して、右腕が一瞬輝いたかと思うと、青白く光る美しい刀に変わっていた。きらり、と冷酷に笑うように、刀は光った。

「これは脅しの道具じゃない。護身の玩具でもない。誰かと戦うためのものだ。誰を殺すためのものだ。兵器じゃなければ、俺は一体何なんだ」

 ゼクトの言葉には、怒りも含まれているように感じた。ティアがゼクトの様子に圧倒されて何も言えなくなっていると、ゼクトは一転して静かに、くぐもった声で尋ねた。

「もう一度聞く。何故お前は、俺と来たんだ」

 ティアは、短く浅い息をしながら、言葉を探した。何故、どうして、ゼクトと一緒に研究所を抜け出したのか。

「だって……本当に嫌だったの。君が、戦場へ行ってしまうことが」

 何度も訴えたかわからないその言葉でティアは答えた。ゼクトの表情は変わらなかった。再び冷たい声が降ってくる。

「そんな上辺だけの理由で、俺を選んだのか」

「上辺だけって……。他に何か理由が必要なの? 私は、君が好きだから、傷ついて欲しくないから、それで」

 ティアが泣き出しそうになって語尾を強くすると、ゼクトは冷静に「違うな」と反論した。

「違う。お前は、俺を好きになんてなっていない」

 ティアは、何が違うの! と声を荒げた。

「お前は、俺をその過去のバトロイドと重ねているだけだ。俺のことなんてちっとも見ちゃいないだろう。俺は、そいつとは違う。お前が好きになったのは、俺じゃない。俺にそいつの姿を重ねて、俺を好きになったと勘違いしているだけだ」

 ゼクトは、ゆっくりと前に向きなおった。ティアはもう何も反論できなかった。ゼクトの言っていることは間違っていない。ティアは度々ゼクトに、彼の面影を探していた。彼と似ているところを見つけると、とても嬉しくなった。逆に、彼と違うところを見つけてしまうと酷くがっかりしている自分がいることをティアは自覚していた。わかってはいたが、気付かないふりをずっと続けていたのだ。

「でも……だって、私……」

 恋をしているのだと、自分に言い聞かせ、ティアはそれを盲目的に信じてきた。ゼクトに否定されると、ティアは自身がゼクトに抱く想いを見失ってしまった。今まさに胸に鮮やかに映し出される人の感情に模して作られた心に名を付けられなくなる。

「確かに、私にとって彼は大切な人だったよ。……だけどゼクト、君だって大切なの。その気持ちは違ってないよ」

ティアが一言ずつ丁寧に告げると、ゼクトはだらりと力を抜いて、右腕の刀を湖に浸けた。ぴちゃん、と小さな水音がする。

ティアはそろそろと湖に足を踏み入れた。冷たい。滑らかな水が足に絡み付いてきて、煩わしく感じられた。キンとする黒い生き物が、ティアの足を引き摺ろうとする。ゼクトもその闇に飲み込まれてしまうのではないかと、訳もわからない焦燥感に駆られて、ティアは必死になってゼクトに駆け寄った。それほど距離は無いのに一歩一歩が重たすぎて何倍にも彼を遠い存在に感じた。

「ゼクト、冷たいよ。ねぇ、戻ろう? こんな冷たい水に入ってちゃダメだよ。お願い、戻って」

次々と口から飛び出す、笑えてくるほど必死な懇願をどこか遠くに聞きながら、ティアはゼクトにすがりついた。冷たい水に浸かっていようと、二人に特にこれと言った支障はない。人間と同じような貧弱な体ではないのだ。しかし、この冷たい水によって、ゼクトの心まで凍てついてしまうのではないかと、ティアは恐怖していたのだ。

 博士が最後の足掻きとしてゼクトから絶対に取り外せないように組み込んだ、〝心〟の役割を果たすプログラムが上手く作用しなくなれば、ゼクトは本当に本物の兵器でしかなくなってしまう。

「ゼ……」

 彼の背から回した手に、生暖かいものがぽたりと振ってきて、ティアは息を呑んだ。月の光を吸収して輝く、月の子どもたちが彼の瞳から零れ落ちていた。それは静かに、ティアの手に降り続ける。ティアは胸の奥がずきんと酷く痛むのを感じて、眉を寄せた。

 こうして、誰かと向き合い、傷つく心がなければ、ゼクトはただの殺しの道具でしかない。ゼクトは、心も無く刀を振るえるようなそんな物ではない。それなのに、それなのに。

最低なのは、私の方だった。

 ティアはゼクトの肩口に顔をうずめて「ごめんね」と呟いた。

「何もかも人のせいにして、一番逃げていたのは私だね。兵器として生まれた、生み出されてしまった君を誰より蔑んでいたのは、私だね。彼の代わりにしようとしていた。君にも変わらず、心があるのに。それを踏みにじるような真似をしたのは、私だね……」

 ティアはもう一度、ごめんね、と呟いた。抱きしめる腕に力をこめる。

「……俺は、お前以外を知らない。だから、お前のように、誰か一人を好きになると言うことがわからない。だが、お前が俺を見ているふりをしてどこか遠くの誰かを見つめていることが悔しかった。お前は誰を想っているのか問いただせない自分が腹立たしかった」

 月の子どもが消え、ゼクトは静かに言葉を選ぶように、一言一言を大切に発した。初めて聞く彼の胸のうちにティアは一心に耳を傾けた。

「だから、お前がその誰かではなく、俺を選んでここまで来てくれて嬉しかった」

 ゼクトは右腕をもとに戻して、ティアの抱擁を解き、ティアに向き直った。拭われることのなかった涙の筋が、幾筋か輝いた。

「今日、お前の言葉を聞いてはっきりとわかった。俺は、バトロイドとして生まれたから戦場に向かうんじゃない。俺の意志だ。この馬鹿げた争いを、終わらせなければならない」

 ティアは小さく、うん、と返答した。

「だけど、戦争が終わった後は? 君だって彼のようにスクラップにされてしまうかもしれないんだよ。・・・・・そんなの、嫌。人は悲しみから何も学んでいないかもしれない。同じ悲劇が繰り返されるなら、私はそれを未然に防ぎたいの」

 ティアの訴えにゼクトは、首を横に振った。

「悲劇なんて、起きない。そして何があったとしてもそれを防ぐことも出来ない。それぞれがそれぞれの意志に従って動くんだ。お前の言う通り、人は不完全で、愚かだ。だが、結局は人に造られた俺たちも不完全なんだ。だったら、ともに歩くしかない。逃げ道はないんだ。逃げてはならない」

 ゼクトの言葉は、力強かった。

「戻るぞ」

 ティアは、そのゼクトの意志が、陸へあがることでもなく、ティアとの逃亡に戻るのでもなく、どこへ向かうと言っているのかはっきりと理解した。

「俺は、戦争を止める。止めてくる。それが俺の意志であり、使命だ」

 ゼクトはティアの両肩に優しく手を置いた。ティアは顔をあげ、ゼクトの竜胆を覗く。そこに映る強い光に、ティアは今まで自分が何から逃げてきたのか垣間見た気がした。

ティアは結局、意志もなく、心も弱く、逃げていたのは誰を守るためでもなく、自分の弱い心を守るためだけであったことに気が付いた。

「俺は、お前を守るために行く」

 ゼクトは、ティアをきつく抱きしめた。ティアは小さく、小さく、うんと答えた。






 *   *   *



 数時間に及ぶ逃走劇の果てに、漆黒の空は東から明るみを増してきた。闇が光に追われていくように、二人のアンドロイドを乗せたバイクが顔を覗かせる太陽を背にハイウェイを駆け抜けていた。

キラキラと黄金の光を返す白髪を、目を細めて眺めるティアが、声をあげた。

「ねぇ、最後に一つだけ。私のわがままを聞いて欲しいの」

 ゼクトは「何だ」とすぐに返答した。

「……私を置いていかないでとは、言わないから。死なないでとは言わないからどうか、私を忘れないで」

 切々と零れ落ちたティアの最後の願いにゼクトは、黙って力強く頷いた。ティアは抱きつく腕に、力をこめて、今度は彼を取りこぼしてしまわないように、彼の全てを受け入れられるように、その大きな背に身を寄せた。




 研究所に戻る頃には、見上げる位置にまで太陽が昇っていた。しかし、朝の遅い科学者たちはまだ起床していないようで、二人はこっそりと盗み出したバイクを、元の位置に戻した。少しばかり不正な手を施して通信機能のふっつりと切っていたバイクの機能を蘇らせると、それは低くヴーンと唸りはじめて、何台もある他のバイクと見分けがつかなくなってしまった。まるで最初からずっとそこにあったかのように、二人の迷いの後など、微塵も感じさせなかった。

 ティアは努めて一夜の出来事を忘れようとしたわけではなかったが、ただその秘密事は二人のためだけに用意されたあの冷たく美しい月のもとでなければ封を切ってはいけないような気がしていた。ゼクトもそれは同じなのか、あの夜のことについては何も言わないままだった。

 そうして、ゼクトは戦場へと送られた。


 一月が経ち、二月が経ち、一年が経とうともゼクトは帰ってこなかった。ずっとずっと遠くの土地で誰かの欠片が弾けただとか、誰かが静かに眠りについたのだとか、風の噂に聞きながら、ティアはゼクトのことを想い、いつまでも彼を待ち続けた。

 人が誰を忘れようと、どんな悲しみを繰り返そうと、自分だけはゼクトの存在を忘れまいとしてティアは生き抜いた。


私、人でなくて良かった。ずっとずっと、鮮明に君のことを覚えていられる。君をメモリに焼き付けておける、アンドロイドで良かった。



 希望は持てずとも、ティアはもう一度、彼に会えることを、切望していた。



                                         END


 作品を読んでくださった方、本当にありがとうございます。ロボットの話がとても大好きで、初めてまともに書いた短編が、この「Tear²」でした。趣味全開で楽しかったです!

 タイトルの意味は、Tearの涙以外のもう一つの意味、「引き裂く」です。これは文芸部の先輩のアイデアからついた名前です。

 ロボット同士の恋愛って、どうにも少ないような気がするのですが、私の情報不足でしょうか…。「もっとロボットの恋愛も増えてほしい!」と言う思いから完成した作品です。

 大変励みになるので、可能な方は感想をいただけると嬉しいです。ご指摘等も待っています!

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[一言] ロボしか出てこない作品大好きなのでまた書いてほしい。趣味全開で
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