第1章 ~姫との出会い 4~
「・・・・・・・・・・・・は?」
アナキスは、またも沈黙した。
(な、何を言ってやがる、コイツは。)
(俺が、ジュラム国の皇子・・・の、影武者・・・?)
(それで、このチビガキが、お、お姫様・・・だと。)
少女―お姫様―と視線を合わせると、気恥ずかしそうに頬を赤らめ、顔を伏せた。
その甘ったれたあどけない表情からは、国の責任を背負った為政者のそれではなかった。
なぜか今すぐにでもぶん殴ってやりたいという衝動に駆られたアナキスであったが、なんとか拳に力を込めふつふつと沸く怒りをどうにか抑えこんだ。
――こんな奴が国の偉い人間。
――俺達貧しい人間を生み出した、忌むべき敵。
「そして、私の名はシルマ―ル・ビブリアと申します。ジュラム聖教の枢機卿を務めております。併せて姫様の教育係も担当させていただいておりますゆえ、お会いする機会が多いかと。以後お見知り置きを。」
お腹の前で両手を合わせ、シルマ―ルは軽くお辞儀をした。
衣擦れひとつしない優雅な一礼からは、姫のそれとは異なり見るものを釘付けにして離さない魅力があった。
「お姫様に、枢機卿のシルマ―ル・・・。」
「ジュラム聖教の教会行政を行っております。枢機卿と呼ばれる者は何人もおりますので、シルマ―ル枢機卿と呼んで下さいまし。」
「・・・・その偉い人間達が俺に影武者をやれ、と命令するのか。」
「はい。姫様の兄上様の影武者です。詳しいことは追ってお話致しますが、まずは顔合わせということで。今後ともよろしくお願い致します。」
「・・・おいおいおいおいっ!!ふ、ふざけんなよてめぇ!!はぁ?な、何勝手に決めてんだよ。」
話は終わったとでも言いたげなシルマ―ルにアナキスは突っかかった。
あからさまに不満の表情を浮かべ、低く唸る。
「俺が皇子の影武者だと!?突然そんなことを言われて、はいそうですかと受けるやつがどこにいる!!なんでそんなこと俺がやらなくちゃいけねぇんだよ!!姫様だが、枢機卿だが知らねぇが、いくら偉い人間の命令だからって誰がやるか!!そんなくだらねぇ小芝居!!」
「あらあら、くだらない・・・ですか。せっかく犯罪履歴もすべて消して差し上げたのに。まっ白な状態で、この王宮の中で新しい人生を送ることができるのに。おいしい食事と、ふかふかのベッドが毎日待っているのに、くだらないなど理解に苦しみますね。私には、あなたの貧しい暮らしの方がよっぽどくだらなく、そしてみっともないかと思いますが。」
「・・・・・・てめぇ、馬鹿にしてんのか。」
喉をくつくつと鳴らしながら、からかうように笑ったシルマ―ルを睨み、アナキスは拳でベッドを思い切り叩いた。
肩の傷口が痛み、じんわりと血が滲み出るのが分かる。
「あらあら、馬鹿になどしておりません。ただ、私憤甚だしくて、思わず私も本音が出てしまいまして。急なことで受け入れ難いことは分かりますが、影武者になってもらわなくては困りますわ。何せこれはもう国の決定事項です。異論は認めません。受け入れなさい。」
「何が、決定事項だ!!俺は絶対にお前らなんかに――」
「もし、誤解されているようでしたら、先に訂正をさせていただきますが。」
遮るようにしてシルマ―ルは声を張り上げた。
腹から振るわせた透き通るほどの美声に、思わずアナキスは押し黙る。
「私達為政者は、意図して貧富の差を生み出したのではございません。日々たゆまぬ努力を続け、貧しい方々に救いの手を差し伸べようとしておりますが、ただ1人1人に浸透するまで時間がかかっているだけなのです。・・・貧しい暮らしを余儀なくされる現状を、私達為政者のせいだと思って反抗されるのでしたら、それは誤解ですわ。」
「・・・なっ!!」
まるで心の中を見透かされたようだった。
私利私欲にまみれた金持ち連中は嫌いだ、ましてや貧民層に対策を講じない見せかけだけの為政者はだいっ嫌いだ。
アナキスは、はっきりとではないが確かに頭の中でコイツ等に手を貸す義理などないと思っていた。
「あらあら、図星と言ったところでしょうか。・・・まぁ、反骨精神は買いますが、大きな理の流れには逆らえないように、時には敗者は勝者に従うものです。今のあなたの言葉はとてもじゃないですが、ただの子供のわめきにしか聞こえません。」
言い残すようにして、シルマ―ルは姫と共にきびすを返した。
「・・・・・・何を言われようが、俺は絶対にしないぞっ!!すぐにでもここから逃げてやるっ!!」
「あらあら、言葉に重みがございませんわね。・・・あなたのお仲間の悲痛の叫び声の方が、よっぽど胸に突き刺さりましたわ。」
ドアを開け、姫を先に廊下に出したところで、シルマ―ルは小声で言った。
クスっと笑う口元は、窮地に追い込まれた弱者の蒼白な表情に快感を覚えるサディズムのように、ひん曲がっていた。
「悲痛の叫びって、まさかっ・・・!!て、てめぇっ!!シオンに一体何をしやがったっ!!」
「影武者になるかならないか、考えるのも良いですが、悠長なことを言っていると大切な友を失いますよ・・・。それでもお逃げになるのでしたら、どうぞご自由に。」
「ま、待ちやがれっ!!痛っつ!!」
頭に血が回らず、ベッドから転げ落ちるようにしてガクンと膝が折れた。
体が言うことをきかず、アナキスは絨毯の上に力なくぺたんと座り込む。
「あらあら、血を流しすぎたと申しましたでしょう。今日はもうお休みなって、まずはご自身のお身体を整えて下さいまし。それから、続きのお話を致しましょう。」
「・・・くっそっ、フラフラする・・・・・・。ま、待て・・・・。」
アナキスの返事を待たず、シルマ―ルはクスクスという笑い声を残しながら姫と共にドアの向こうへと消えていった。
その僅かな瞬間、姫と視線が交わったどうか分からなかったが、熱い眼差しを注がれていたことは確かだった。
素っ裸のままで部屋に1人取り残されたアナキスは、握り締めた拳でベッドを弱く殴った。